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第5話:動揺

「可哀想に。すっかり怯えているじゃないか」


 執務室でヒューゴと二人きりになると、ジャレッドがくだけた口調に変えた。

 ヒューゴがそれを好むとわかっているからだ。


 今でこそ、主従という立場の二人だが、もとは友人同士だった。


「もっと優しくしてやれよ」

「できるか! なんであいつ……っ」


 ジャレッドの言葉に、ヒューゴが()ねたようにぷいと顔をそらせる。


「なんであんなに綺麗なんだよ……!」


 率直なヒューゴの言葉に、ジャレッドがぷっと吹きだした。


「はは! まあ確かに見とれるような美しい令嬢だが……」


(ここまでヒューゴが挙動不審になるほど、心を奪われているとは思わなかったな……)


 だが、ジャレッドも長い付き合いだ。

 ヒューゴのアイリスへの執着はよく知っている。


「なんだよ、おかしいか?」


 ヒューゴがむうっとふくれっ(つら)になる。

 騎士団長となった今も、ヒューゴは時折子どもっぽい振る舞いをする。


 そんなヒューゴに慣れているので、ジャレッドは肩をすくめるに留めた。


「結局、いくら払ったんだ」

「百万ギニー」

「予算全部か」


 全幅(ぜんぷく)の信頼を置いているジャレッドだけには、ヒューゴはすべて相談してあった。

 闇オークションに参加すること、そして予算も目的も。


「……すぐ稼ぐさ。王はまだまだ領地を増やすおつもりだ」


 戦果を上げれば褒賞がもらえる。


「そうしてくれ。かなりの財を手放した。城の経済状況はカツカツだ」


 それでも事情を知っているジャレッドは、百万ギニーを使うことを家令として許可した。

 ヒューゴにとって、人生を左右する重大事項だと見抜いたからだ。


「どうしても手に入れたかった子なんだろう? なんでそんなにつらく当たるんだ」

「……」


「ずっと気に掛けていたじゃないか。カークウッド家の凋落(ちょうらく)やアイリス嬢のことを」

「俺は……借りを返したかっただけだ。それと、見返してやりたかった!」


 声を荒げるヒューゴを、ジャレッドはじっと見つめた。



 ヒューゴはイライラと手を口元にやった。


「彼女はきみの命の恩人なんだろ?」

「ムカついたんだよ、人を見下しやがって」


 まだ幼かったにもかかわらず、アイリスは明らかに自分を憐れんでいた。

 傷ついた獣を見るような、そんな目で見つめてきた。


 痛みをこらえ、地面にはいつくばるしかない惨めな自分に心の底から怒りが沸いた。

 どんなに金や地位を与えられても、決して拭い去ることができない感情だ。


「彼女に……一人の男として認めてもらいたかったんだろ。もしくは、憧れられるような人間になりたかったんじゃないのか」

「……っ!!」


「きみは見事に叶えたじゃないか。騎士見習いから()り上がり、今や国一番の戦士と名高く若くして騎士団のトップ。爵位を得て城と領地を持つ。誰もが憧れる人間だ」


 ジャレッドの言う通りだ。

 惨めな思いをせずに済むように、騎士見習いとして必死で修練に励み、さまざまな仕事や礼儀を学んだ。


 ただただ、上に行きたくて必死だった。

 願いを叶えたはずなのに――心の奥底では満たされていない自分がいた。


 その中心にいるのはアイリス。

 彼女の憐れみに満ちた悲しげな眼差しが、繰り返される謝罪が、杭のように刺さって抜けない。


 ――あなたを守れなくてごめんなさい。


 その言葉が槍よりも鋭くヒューゴを貫く。


(ふざけるな。俺は一度だってあいつに守ってもらいたいなど思ったことはない!)


「ヒューゴ」


 ジャレッドの静かな声に、ヒューゴはハッと我に返った。


「きみはアイリスを助けられるような人間になった。立派だよ」

「そんないいものじゃない」


 ヒューゴは吐き捨てた。


 恩人に恩を返す。そんな美しい話や感情ではない。

 自分の胸に渦巻くこの強烈な感情は、十年前と変わらず激烈で醜悪だ。



 混乱したように思いの丈をぶちまけるヒューゴに、ジャレッドは苦笑した。


 過酷な()い立ちのせいで、ヒューゴは自分の気持ちを整理できないでいる。

 ずっと焦がれていたアイリスを手に入れて、その混乱に拍車がかかってしまっているのは明らかだった。


「とにかく、きみはアイリスを手に入れた。よかったじゃないか」

「ああ。俺が金で買ったからな!」


 ヒューゴが歪んだ笑みを浮かべた。まるで自分を責めるかのようだ。


(ああ、おまえは今も変わらず苛烈だな。ずっと手負(てお)いの獣のままだ。どんなに見た目を着飾っても、立派な騎士のように振る舞っても、心は血を流している)


 そんな荒ぶる心を外にいる時は押し隠してはいるが、ヒューゴの仄暗い激情はその目や仕草に滲み出ている。

 それが更にヒューゴを輝かせ、魅力的に見せている。


(目が離せない……。手なずけてみたい、と思ってしまう。温室育ちのディアナ姫が執着するのも無理はない)


 猛々(たけだけ)しい魅力的な獣を見ると、手元に置いておきたい、自分だけに懐いてほしいと思ってしまう人間がいる。

 危険なものほど蠱惑的なのだ。


(問題はディアナ姫だな……)


 ディアナ姫の恋心は、家令として友人として見過ごせる事態ではなかった。

 相手は王が溺愛する姫なのだ。


(慎重に対処しなければ、王家の刃が向くことになる。賢姫と噂されてはいるが、ディアナ姫も若い女性だ。恋心をコントロールできるかわからない)


 無言で考え込んでいると、ヒューゴがぼそっと呟いた。


「おまえ……よく許可したよな。百万ギニーの出費を」


 ジャレッドは肩をすくめる。


「おまえのわがままには騎士見習い時代から慣れてるからな」


 軽口を叩いたが、ジャレッドはその出費が必要経費だと判断したのだ。


(うまく、ディアナ姫を諦めさせなければならない)


 それには婚約者が必要だ。

 しかも、形だけでなく、ヒューゴが心から執着している相手が。


 (さと)いディアナ姫なら、ヒューゴの想いが本気だと気づくだろう。

 アイリスを手に入れてホッとしているのは、何もヒューゴだけではないのだ。


「近々、王城に呼ばれているんだったな」

「ああ。王への謁見(えっけん)と報告だ」


「アイリス嬢を連れていって皆に紹介しろよ」

「俺の婚約者だと披露するつもりだ。もちろん、ディアナ様にも」


 ヒューゴがわかっているというようにうなずいた。


 この若さで成り上がったのだ。ヒューゴも馬鹿ではない。

 なるべく穏便にディアナ姫を諦めさせようとしている。


「幸せな二人を皆にお披露目するんだ。だから、あまりアイリス嬢を苛めるな」

「俺は別に苛めてな……わかった」


 心当たりがあるのか、ヒューゴが大人しくうなずく。

 ジャレッドは苦笑した。


(アイリスに対しては素直になれないんだな……)


 ヒューゴのプライドが邪魔をしているのだろう。


「彼女は奴隷だ。だが、表向きはきみの婚約者。令嬢として振る舞ってもらわなくてはならないんだからな」

「わかっている!」


 ヒューゴが拗ねたようにぷいっとそっぽを向く。

 ジャレッドは笑いをこらえ、ヒューゴを見つめた。


(凄まじい恋心だ……それをぶつけられるアイリスは大変だな)

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