第49話:アイリスの選択
デザートを食べ終えると、ヒューゴがてきぱき片付けを始める。
「私もやるわ」
「いいから。おまえは座ってろ。久しぶりの給仕は楽しいものだな。晩ご飯は何にしようか」
楽しげなヒューゴの様子に、アイリスは浮かせた腰を元に戻した。
(今日は甘えてもいいのかしら……)
少し胸がドキドキする。
だが、それすらも楽しかった。
アイリスはヒューゴをじっと見つめた。
「片付けも終わったし、俺も湖を見るか」
そう言うと、ヒューゴがあつらえたソファに座る。
「……ヒューゴ、いろいろありがとう」
「これくらい何てことはない」
「そうじゃなくて。助けてくれたこと……」
アイリスがそう言うと、ヒューゴがそっと手を握ってきた。
「あれは……つらかったよ」
ヒューゴがアイリスの手の甲に口づける。
そうしないと、アイリスが消えてしまうのではないかというように。
輝く金色の目がアイリスを見つめる。
「城に帰った時、おまえがいなくなったと聞いて息が止まりそうになった。いろんな後悔が胸を焼いたよ。今でも夜、悪夢を見てうなされる時がある」
「私も……」
アイリスはぎゅっと手を握り返した。
「私も悪夢を見て夜中に目が覚める時があるわ」
あの事件の傷は、すべてが終わった今もまだ癒やされていない。
「おまえもか」
ヒューゴががしがしと髪をかいた。
何かを言いかけては目をそらせる。
「どうしたの……?」
「いや、それなら……」
ためらったのち、ヒューゴが口を開いた。
「寝室を一緒にするのはどうだろう?」
「えっ……」
「誤解をするなよ! ただ、そばにいて眠れば、悪夢を見て起きたときに安心するだろうというだけだ!」
ヒューゴが顔を真っ赤にして早口で言う。
「わ、わかったわ……」
アイリスはちらりとヒューゴを見た。
ずっと気になっていたことがある。
今、二人きりのこの時に聞くべきではないだろうか。
「あの、ヒューゴ」
「なんだ」
「私たち……結婚するのよね?」
アイリスの言葉にヒューゴが目を大きく見開く。
「そうだな……」
ヒューゴが目を伏せた。
「嫌か」
「ち、違うわ」
「俺も聞きたかった。まだ結婚していない今なら引き返せる」
ヒューゴがそっとアイリスの手を取った。
「おまえは本当に俺の花嫁になっていいのか?」
ヒューゴの金色の瞳が不安げに揺れている。
始まりは闇オークション。
アイリスを買って手に入れたという事実が今もヒューゴを不安にさせるのだろう。
「私はあなたが好きよ、ヒューゴ」
アイリスはきゅっと手を握り返した。
「私は……あなたの花嫁になりたい」
ヒューゴが恐る恐る手を延ばしてくる。
そしてそっとアイリスの頬に手を当てた。
まるで壊れ物を扱うかのような、優しい仕草だった。
「すまなかったな。城に連れてきたとき……おまえを乱暴に扱った」
「ううん、いいの」
ヒューゴは苛烈な気性の持ち主だ。
今なら少しわかる。あの頃のヒューゴの屈折した思いが。
「それでね、結婚したら……」
急に恥ずかしくなり、アイリスは顔を赤らめた。
「白い結婚、というわけでなければ、私の聖女の力はなくなってしまうけど……」
「何度も言っているが、俺は聖女の力なんてどうでもいい」
ヒューゴがきっぱり言い切る。
「俺はおまえが聖女だから欲しいのではないし、聖女の力を頼るつもりもない。白磁草はありがたかったが、なくても俺はきっと生きていた」
「そう……」
「だから、おまえは何も気にすることはない。貸し借りもなしだ。おまえは自由なんだ」
ヒューゴの言葉にパッと光が差した気がした。
「私は自由……」
「おまえは好きなようにしていいんだ。嫌なら俺と結婚しなくてもいい。それでも俺はおまえを愛している」
ヒューゴがそっと肩に手を置く。
「ようやく気づいた。俺はおまえが幸せに生きてくれていれば何でもいいんだ。おまえを失いかけてわかった」
ヒューゴが目をそらせる。
「もちろん、俺のそばにいてほしいけど……」
アイリスは自然と微笑んでいた。
(ああ……)
今や、自分を縛っていたすべての鎖が消えてなくなったのを感じる。
実家も今やなく、聖女である必要もない。
自分はただの令嬢、アイリスだ。
そして、愛する人がそばにいる。
「私は自由。だからあなたを選ぶわ、ヒューゴ」
「アイリス……」
「私はあなたのそばにいたい。あなたの妻になりたいわ」
ヒューゴが感極まったように小さく震えると、アイリスを抱きしめた。
強く強く。
(まるで長い旅路を終えたような気分……)
アイリスは満ち足りた気分でそっと目を閉じた。




