第48話:別荘へ
すべてが終わった後、ヒューゴがワイアットを城に連れてきた。
「こいつの剣の腕は役に立つ」
アイリスは驚いたが、ワイアットがキャラダインに騙されて仕えていたと聞いて納得した。
「アイリス様、あの時は申し訳ございません」
「もういいの」
深々と頭を下げられ、アイリスはワイアットを許した。
彼は常に紳士的ではあったし、事情を聞くと同情を禁じ得なかったためだ。
「今後は寛大な処置を与えてくれたヒューゴ様とアイリス様にお仕えします」
敵の部下だったワイアットだったが、誠実で真面目な人柄が好まれ、あっという間に城に馴染んだ。
美しい顔立ちで紳士的なワイアットは特に女性たちに人気があり、お針子部屋では彼の話題で持ちきりだった。
*
それから二週間。
城はようやく元の姿を取り戻しつつあった。
のんびりと過ごしていたアイリスだが、ヒューゴに誘われて別荘へ行くことになった。
「俺もおまえも心労を負った。二日だけだが、休日をもらおう」
別荘は城から近く、馬車ではなくヒューゴの馬に乗せられてアイリスは運ばれた。
「ここが――!」
アイリスは目を見張った。
目の前には白い二階建ての洋館が建っている。そのすぐ前には湖が広がっていた。
「綺麗……」
「そうだろう。ゆっくりとテラスで眺めるといい」
ふわりと風がアイリスの髪と湖面を揺らせる。
澄み切った青い湖を見つめるだけで心が癒やされていく。
遠くで鳥の鳴く声がした。
「とても静かね……」
「だろう?」
ヒューゴが得意げに微笑む。
「目の届く範囲に人はいない。念のため、周辺をパトロールさせているから誰にも邪魔されない」
「二人だけ……?」
「ああそうだ。使用人も誰もいない。この別荘には俺たちだけだ」
それはいつも人に囲まれているヒューゴにとって、とても贅沢なことなのだろう。
「ファーディナンドに言われたんだ。騎士団長だけでなく領主になったなら、日々仕事に追われ一人になれるのは寝室だけだと。いつか必ず息が詰まるから、一人になれる場所を作っておけと」
「それがこの別荘……」
アイリスは揺れる髪を手で押さえた。
「でも、私がいるわ。いいの?」
「俺は今、一人になりたいんじゃない。おまえといたいんだ」
ヒューゴがそっとアイリスの金色の髪を撫でる。
嬉しさが胸に込み上げ、アイリスは微笑んだ。
なぜかヒューゴが目をそらせる。
「お茶でもいれるか」
「あ、私が……」
「いや、たまには俺がいれる。これでも従騎士をやっていたんだ。茶をいれるのは得意だ」
アイリスは意外な一面に驚いた。
「なんだ。俺が何もしない男だと思ったのか? 領主の仕事で忙しいだけで、俺は料理だってできる。今日、見せてやる」
「そんな……! 私がやるわ」
「いいからおまえは休んでろ」
「で、でも……」
「俺に任せられないって言うのか?」
「ううん、そんなことはないけど……」
まさかヒューゴがそんなことを言い出すとは思わず、アイリスは焦った。
「そこにいろ」
椅子に強引に座らされる。
ヒューゴは別荘の中に入っていく。
(いいのかしら……)
別荘に誘われた時は、てっきりモニカも来るのだと思っていた。
だが、まさか本当に二人きりとは思わなかった。
(確かに、解放感があるわ……)
貴族の屋敷にいると、いつも人の気配がする。
安心するとともに、若干の煩わしさがある。
それが当たり前だと思っていた。
(ヒューゴといると、驚くことばかり……)
アイリスは爽やかな空気を思い切り吸った。
チチチチ、という小鳥の鳴き声に耳を澄ませる。
風が湖面に立てるさざ波をじっと見つめた。
それは飽きることのない風景だった。
ゆっくり体から力が抜けていく。
(今、私は一人。誰も私を見ていない)
開放感でいっぱいになり、アイリスはゆっくり目を閉じた。
(ああ、心地がいいわ……)
静かに頬を撫でる風の感覚だけを堪能する。
それからどれくらい時間がたっただろう。
「アイリス、待たせたな」
ヒューゴの声に、アイリスはハッと目を開けた。
「私……寝てた?」
「気持ち良さそうだったぞ。いいだろう、この場所は」
微笑みながら、ヒューゴがてきぱきとテーブルをセッティングしていく。
「ええっ、お菓子まであるわ!」
「俺が作ったんだ」
ヒューゴが得意げな顔になる。
「ベリーとナッツの焼き菓子。それにプティング」
綺麗に盛られたデザートに目を丸くするアイリスを、ヒューゴが満足げに見つめる。
ヒューゴがポットから紅茶をいれてくれる。
その優雅な所作に、またアイリスは驚いた。
「執事ができるわね……」
そう口にしてしまい、アイリスはハッとした。
「ご、ごめんなさい」
「気にすることはない。誉め言葉だろう?」
ヒューゴがさらりと笑う。
その口調から、奴隷だった過去のことがもう彼を苛んでいないと伝わった。
(ヒューゴ、変わったわ……)
再会した当初の気負いのようなピリピリした感じがまったくない。
落ち着いてくつろいでいる。
そんなヒューゴを見ているアイリスも肩の力が抜けてきた。
「いただきます」
そっとカップに口をつける。
いい香りが鼻腔をくすぐり、アイリスは紅茶を楽しんだ。
「美味しいわ」
「だろう。ファーディナンドは大の紅茶好きでな。湯の温度から時間まで厳しく言いつけられたものだ」
「ファーディナンド様にもお礼をしなくてはね」
「ああ。手土産を持って今度一緒に訪ねよう」
ぴたりと動きの止まったアイリスを、ヒューゴが心配そうに見つめる。
「嫌か?」
「ううん」
今度一緒に――なんという素敵な言葉なのだろう。
(先の予定が楽しみなんて……とても久しぶりだわ)
幼い頃の遠い記憶が蘇る。
旅行や誕生日など、父が存命の時は楽しみがあった。
(でも今、私は再び手にしたんだわ)
カップに口をつけるヒューゴを、アイリスは愛しげに見つめた。
(彼とこんな穏やかな時間が過ごせるなんて夢みたい……)
アイリスはこれまでの長い道のりを思い浮かべた。
(闇オークションで再会して、婚約者になるように言われて――)
(私、ずっとおどおどしていたわ。彼の顔色をうかがって、なんとか新しい生活に馴染もうとして)
(王に謁見したり、婚約パーティーが開かれたり、私の尊厳を巡って決闘があったり)
(なんて波乱に満ちた日々っだったことか)
(そして、キャラダイン公爵のたくらみ)
今もまだ思い出すだけでドキドキしてしまう。
「私たち、たくさんのことを乗り越えてきたわね」
アイリスの言葉に、ヒューゴが遠い目になった。
「ああ、そうだ。短い間にいろんなことがあったな……」
つらいこともあった。だが、それ以上にめくるめく感動に満ちた日々だった。
「私、あなたといられて幸せよ」
アイリスの言葉に、ヒューゴが微笑む。
「俺もだ。きっと心の奥底で夢見ていたんだと思う。こうしてふたりでいるのを」
そっとヒューゴがアイリスの手を握ってくる。
温かいその手を、アイリスはしっかりと握り返した。




