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第41話:見張り

 アイリスは部屋で悄然と座っていた。


(キャラダイン公爵と結婚……)


 せっかくヒューゴが助けてれくたというのに、彼の手に落ちてしまった。


(なんて愚かなの……)

(お義母様の甘言に騙されて、のこのこと実家に帰るなんて……)

(父の形見など、残っているはずがないのに)


 アイリスは両手で顔を覆った。

 キャラダインが今後自分をどうするかも気になるが、それよりもヒューゴが心配だった。

 もし自分がさらわれたと知ったらヒューゴはどうなるだろう。


(ただで済むはずがないわ)


 ヒューゴの気性は苛烈だ。


(きっと必死で探すに違いないわ)

(もし私がキャラダイン公爵の元に私がいると知ったら……)


 剣を手にして駆けつけるに違いない。


(でも、決闘以外の貴族同士の戦いは御法度(ごはっと)。そのうえ、爵位が上のキャラダイン公爵……)

(すべてがヒューゴにとって不利)


 自分を取り返すためにキャラダインを殺してしまったら、ヒューゴはどうなるのだろう。

 最終的には王の判断に委ねられるが、それよりもキャラダインも当然ヒューゴが殺しに来るだろうことは想定しているはずだ。


(勝算があるのかしら……)

(だとすれば、ヒューゴが危ない)


 先程、キャラダインはヒューゴに毒を盛る可能性を示唆していた。


(私のせいでヒューゴを危険にさらしてしまう……)

(いっそ、私のことを諦めてもらえば)


 それは唯一の答えのように思えた。

 元々、売られた身だ。

 嘘かもしれなが、キャラダインは大事にすると言っている。


 心を殺して、ここで大人しく妻として生活すれば。

 そうすればヒューゴは無事で――。


「あれ……?」


 涙がぽたぽたと手の甲に落ちた。

 悲しくてつらくて涙が止まらない。


(無理……)


 笑顔を見せてくれたヒューゴ。

 抱きしめられたときの幸福感は何にも代えがたい。


(ヒューゴのそばにいたい……)


 強い思いが胸に込み上げてくる。


 父が亡くなり、いろんなものを諦めて生きてきた。

 心の底から強く欲するものなどなく、ただ流されて闇オークションに行き着いた。


 そこで奇跡の出会いがあった。

 すれ違っていたけれど、様々な経験を共にし、ようやく心が通じ合った。


 ヒューゴのそばにいて、アイリスは少しずつ自分の人生を取り戻していったのだ。

 これが幸せなのだと気づいた矢先だった。


(私……どうしたらいいの)


 アイリスは窓に手を当てた。その向こうに鉄格子が見える。

 アイリスの細腕では、いくら力を込めようともびくともしないだろう。

 己の無力さを痛感する。


(ヒューゴ……あなたに会いたい!)


 きっとヒューゴもそう思ってくれる。

 だが、悲惨な行く末ばかりが頭をよぎる。


 ドアがノックされ、アイリスはびくりと窓から離れた。

 鍵を開ける音がし、静かにドアが開いた。


「アイリス様、食事をお持ちしました」


 トレイを持って部屋に入ってきたのは、すらりとした立ち姿の兵士だった。

 印象的な金色の髪に銀色の瞳をした、美しい男性だ。


 腰には剣をつけており、ほっそりしているのに漂う気配は強者のそれだった。


「あなたは誰……?」

「私はキャラダイン様付きの武官でワイアット・デイルと申します。アイリス様のお世話と護衛をさせていただきます」

「……」


 世話係に女性ではなく兵士を付けるということは、アイリスの逃亡を警戒してのことだろう。


(私なんて無力な女なのに、兵士をつけるなんて……)


 ワイアットは涼しげな顔で食事のトレイをテーブルの上に置いた。


「どうか少しでも召し上がってください」


 そう言うと、立ち去らずに手を後ろで組んで立っている。


(ずいぶん警戒されているのね……)


 アイリスはスプーンを手に取った。

 以前の自分なら絶望して泣き崩れ、うずくまっていたかもしれない。


(でも、今の私には望みがある)

(ヒューゴの元へ帰りたい)

(だったら、最低限食事を取って事態に備えなければ)


 ちらっとワイアットを見る。

 涼しげな表情をしているが、警戒しているのが伝わってくる。


 でも、少しでも情報を引き出したかった。


「あの、ワイアットさん」

「どうぞ、呼び捨てで結構ですよ。アイリス様」


 ワイアットは兵士とは思えないほど、物腰が柔らかく穏やかだった。

 どちらかといえば、執事や家令の方が向いていそうだ。


(でも、兵士をしているということは、相当腕が立つのね……)


「ここはキャラダイン公爵の屋敷なの?」

「逃げる算段ですか?」


 ワイアットの淡い銀色の瞳が細められる。

 目的を完全に見透かされていた。

 だが、諦めるわけにはいかない。


「私、いきなり実家から連れ出されたの。自分がいる場所を知りたいって思うのは悪いこと?」


 必死で食い下がると、ワイアットが軽くため息をつく。


「そのとおり、キャラダイン様の屋敷ですよ」


 アイリスはホッとした。

 ワイアットは頑なに口を閉ざす杓子定規な人間ではないらしい。

 だが、キャラダインがアイリスの見張りにつけるくらいだ。忠実な人間なのだろう。


 そもそも、ワイアットは目を引くほどの美男子だ。

 本来なら自分の好きな女性に近づけたくないと思うのが自然だ。

 キャラダインが最も信頼を置く人材なのは間違いない。


(彼には買収も泣き落としもきっと通じない)


 アイリスは頭を巡らせる。

 いくつかワイアットの心をかき乱す案はある。


 だが、首尾良くこの部屋を出られたとしても、大勢の使用人の目をかいくぐって屋敷の外へと脱出するのは難しいだろう。


(キャラダイン公爵はとても裕福な貴族の一人。屋敷もきっと広いに違いないわ)


 何かきっかけを待つしかない。

 それまでは、観念したと見せかけて大人しくしているのがベターだろう。


 アイリスはしずしずと食事を口に運びながら考えた。

 ワイアットがじっと自分を観察しているのが伝わってくる。


「あの、そんなにじっと見られては食べづらいです……」

「申し訳ありません。ですが、これも私の役目ですので」


 ワイアットは女性の懇願にも耳を貸さず、職務を(まっと)うする姿勢を貫いていた。


(難敵だわ……)

(でも、きっとチャンスは来る……!)


 それはおそらく、ヒューゴの訪問だろう。

 自分がいなくなれば、ヒューゴはきっと必死に探す。

 ヒューゴなら、きっとキャラダイン公爵にまで辿り着く。


(ヒューゴは必ず来てくれる……)

(だから、それまで待つの……)


 食事を口に運びながら、アイリスは心を奮い立たせた。

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