第37話:帰省
アイリスは馬車に揺られて実家へと向かった。
「もうすぐ着きますよ~」
コディの朗らかな声が救いだ。
ともすれば、ヒューゴのことを思い出して心配で胸が締め付けられる。
(集中しなければ。お義母様たちに会うんだから……)
ずっと義母たちとは折り合いが悪かった。
きっと顔を合わせれば嫌みの一つも言われるだろう。
(しゃんとしないと……)
しばらくして馬車が止まり、アイリスはコディの手を借りて降りた。
(久しぶりだわ……)
侯爵家の屋敷は閑散としており、どこかうら寂しい雰囲気があった。
(人の姿が見えない……。使用人も全員解雇したのね)
自分が生まれ育った屋敷が遠い存在になってしまったようで、アイリスは寂しさを噛みしめた。
(売られてから怒濤のような日々ですっかり忘れていたわ)
屋敷のドアは開いていた。
出迎えるメイドもいない屋敷は、しんと静まり返っていた。
玄関ホールに飾られていたものもすっかりなくなって、空き家のようだった。
(ああ、本当に侯爵家は終わりなんだ……)
義母たちにはせめてこの屋敷を守ってほしかった。
だが本気で手放すようだ。
(私を売ったお金はもう使ってしまったのかしら)
ヒューゴの話が本当なら、義母は賭博に夢中らしい。
大金もあっという間にすってしまうだろう。
(私はいったいなんのために自分を売ったのか……)
虚しい気持ちがわき上がる。
アイリスは名残惜しい気持ちで屋敷を見渡した。
あちこちに父との楽しい思い出が残っている。
「あら。いらっしゃい、アイリス!」
ぼうっと廊下を歩いていたアイリスに、義母のエイダが声をかけてきた。
「応接室へ来てちょうだい。もう家具が残っているのはそこだけなの」
悪びれない義母の様子に、アイリスは何を言っても無駄だろうと悟った。
「いえ、形見をもらったらすぐに帰りますから」
「わざわざ来てもらったんだもの。お茶くらい。ティーセットは残してあるのよ」
「いえ、結構です」
頑なに断るアイリスに、エイダが寂しそうに微笑んだ。
「……あなたの気持ちもわかるわ。ごめんなさい。でも、もうこれで最後だから。遠方に引っ越すの。顔を合わせることもないでしょう」
生きているうちに話せる最後の機会だと言われ、アイリスは躊躇った。
義理とはいえ、ずっと一緒に生活をしていた家族でもある。
(最後にきちんと話すのもいいか……)
「わかりました」
アイリスの言葉にエイダがホッとしたように応接室に誘う。
応接室にはソファとテーブルだけが残されていた。
「さあ、座って」
「デボラは?」
「用事があって出ているの」
最後なら、義理の妹の顔も見ておきたかったが仕方ない。
「さあ、どうぞ」
ティーカップに紅茶が注がれる。
「ごめんなさいね、こんなことになって……」
「……」
「でもよかったわ、伯爵の婚約者なんですって? ずっとあなたのことが心配だったけど、まさかヒューゴが伯爵になってあなたと婚約したなんて」
エイダはアイリスの事情を知っているようだ。
ヒューゴは有名な騎士なので、社交界で噂になっているのだろう。
「あのヒューゴが伯爵なんて……。反抗的で獣のような子だったけれど。人は変わるものねえ」
ちらりとエイダがアイリスを見やる。
「でも、元平民でしょう? 爵位はあるとはいえ、侯爵家の令嬢として抵抗はない?」
チリッと胸が焼かれた。
その侯爵家を没落させ、義理とはいえ娘を売った張本人が言う言葉だろうか。
ヒューゴを見下すような口調にも抵抗があった。
(やはり、話すべきではなかった……)
アイリスは紅茶を一気に飲み干した。
さっさとこの不快な場から立ち去りたかった。
「あの、そろそろ形見を……」
「ええ、そうだったわね」
エイダが立ち上がると、ちらりと伺うようにアイリスを見た。
「……?」
何か観察するかのような視線が引っかかる。
(何……?)
そのとき、目眩がした。
頭がくらくらする。
アイリスはきつく目を閉じて肘をついた。
「う……」
「そろそろ、効いてきたみたいね」
エイダのホッとしたような声が耳に届く。
(どういうこと……?)
「よかったわ、傷はつけるなと言われてるし」
デボラの声もする。
(用事で出かけたんじゃなかったの……?)
だが、アイリスは声も出せず、ぐったりとテーブルに突っ伏した。
頭の中がふわふわしていて、体に力が入らない。
「薬が効いたようです」
エイダが誰かに話す声が遠くに聞こえる。
どんどん意識が薄れていく。
「そうか。手筈どおり、裏口から運び出せ」
知らない男の声もするが、もう指一本も動かせない。
(薬を盛られた……? なぜ……?)
さらりと髪が撫でられる。
「本当に親孝行な子だよ。またおまえは金を持ってきてくれる」
くすくす笑う声が不快だ。
「お母様、さっさと行きましょう。従者が呼びにきたら面倒だわ」
「そうね。私たちも行きましょう。こんな貧乏くさいところ、おさらばよ」
嘲るような声を最後に、アイリスの意識は途絶えた。




