第35話:急報
ドーンコート城で二泊したヒューゴとアイリスは、名残惜しそうなファーディナンドに見送られ城を後にした。
「楽しかったわね……」
車窓から遠ざかる城を見ながらアイリスがつぶやくと、ヒューゴがぱっと顔を輝かせた。
「本当か!」
「ええ。ファーディナンド様がもてなしてくださったおかげだけど、初めての場所とは思えないほどくつろげたわ」
「ドーンコート城は俺にとっては第二の故郷のようなものなんだ。おまえが気に入ってくれたようで嬉しい」
ヒューゴの屈託のない笑顔に、アイリスは胸を射貫かれた。
(ほんと……素直に感情を見せる時はすごく幼く見える)
ファーディナンドがずっとヒューゴを気にかけ、大事に思う気持ちがわかる。
(この笑顔を守りたい……)
目が合うと、ヒューゴが微笑みかけてきた。
それはとても自然な表情で、アイリスは胸をつかれた。
(再会した時の冷ややかな態度が嘘みたい……)
まるでベールをとって素顔を見せるかのようなヒューゴをアイリスはじっと見つめた。
(これからこんな風に一緒にずっと過ごせるのかしら……)
そう思うと幸せで胸がいっぱいになった。
*
ファーディナンドの城で過ごしたあと、ヒューゴは何かが吹っ切れたようにアイリスと過ごす時間を積極的に増やした。
食事の時間はもちろん、仕事の合間に寸暇を惜しんでアイリスのところに顔を出す。
次第にモニカたちもからかわなくなってきた。
それがシルバリウス城の日常になったのだ。
今日も仕事を終えたヒューゴはアイリスの部屋にやってくると、ソファにくつろいだ様子で寝転んだ。
「アイリス」
ヒューゴが腰掛けているアイリスを見上げてくる。
「なんですか?」
「……」
ヒューゴがアイリスの長い金色の髪に指を絡める。
「その……俺たちは婚約者同士だな?」
「え、ええ……」
ヒューゴが気まずそうに目をそらせる。
「それが……?」
逡巡したヒューゴの顔が赤く染まったのでアイリスは驚いた。
「ど、どうしたの?」
「膝枕というものをやってみたい」
「膝枕……?」
アイリスは耳を疑った。
だが、ヒューゴの目は真剣だ。
「ど、どうぞ……」
そう言うと、ヒューゴが足の上に頭を載せてきた。
ずっしりとした重みと熱が足に伝わる。
(ええっと……私はどうすれば……)
ヒューゴは目を閉じてしまい、何を考えているのかわからない。
(柔らかそうな髪……)
ヒューゴの漆黒の髪が艶々と輝いている。
(触ってもいいのかしら)
あまりに無防備に身を預けているヒューゴをまじまじと見つめる。
アイリスは思い切ってヒューゴの髪に触れた。
ヒューゴに抵抗する様子はない。
自然に髪を撫でると、気持ちよさそうにヒューゴが目を閉じる。
(ふふ……なんだか大きな狼みたいね)
愛しい気持ちがこみ上げ、アイリスはそっとヒューゴの頬に手を伸ばした。
「失礼します」
ドアがノックされ、アイリスは慌てて手を引っ込めた。
「ヒューゴ! 起きて!」
「なんだ、別にいいだろう。モニカに見られても」
「ダメ!」
アイリスの声に、ヒューゴがしぶしぶ起き上がる。
そんなふたりをモニカがにこにこと見つめる。
「アイリス様、手紙が届きましたのでお持ちしました」
「私に?」
「はい。ご実家からのようです」
渡された手紙には、確かにカークウッド侯爵家の封蝋がしてあり、差出人はエイダ・カークウッドと書かれていた。
「お義母様から……?」
闇オークションに売られてから、一切没交渉だった実家からの手紙に戸惑いを隠せない。
「そんなもの捨ててしまえ」
ヒューゴが渋い顔で吐き捨てる。
散々いびられてきたのを思い出したのだろう。当然の反応だった。
「一応、読んでみるわ……」
アイリスは手紙を広げた。
ヒューゴが鋭い視線を投げかけてくる。
「屋敷を手放して引っ越すと……」
実家の困窮ぶりから予想していたとはいえ、やはりアイリスは衝撃を受けた。
つらい思い出も多いが、それでもアイリスにとって生まれ育った家で、父との思い出も多い。
もし自分に有り余る資金があれば買い取っただろうか――。
そんな埒もない想像をしてしまう。
「……っ」
「どうした」
アイリスのわずかな動揺をヒューゴは見逃さなかった。
「父の懐中時計が出てきたから、形見として必要なら取りにくるように、と」
「……」
「屋敷を引き払うので、明日来て欲しいと……」
「明日? ずいぶん急だな。計画性のないあいつららしいが……」
ヒューゴがちらりと視線を飛ばしてくる。
「で、どうするんだ?」
アイリスは着の身着のまま売り飛ばされたので、父の形見を持っていない。
「ほ、欲しいわ。取りに行ってもいい?」
「なら、俺もついていく。あいつらは信用ならない」
ヒューゴがさらっと言う。
「あ、ありがとう……」
たかが実家に帰るだけだが、ヒューゴが一緒に来てくれれば心強い。
そのはずだった。




