第30話:嬉しい変化
「お茶……ですか?」
「はい。午後三時から時間が取れますので。いかがでしょう?」
お針子部屋にいたアイリスのところに、ジャレッドがやってきた。
「わかりました。中庭ですね」
アイリスは緊張しながらうなずいた。
改めて茶会に呼ばれるなんて初めてだ。
(改まって何のお話だろう……)
(白磁草? それとも、城の経済状況について?)
(まさか、婚約解消したいとか……)
悪い想像がぐるぐる頭の中を駆け巡る。
「……大丈夫ですよ」
「えっ」
「そんな顔をしなくても。ヒューゴ様はただあなたとの時間を作りたいだけです」
ジャレッドの言葉にアイリスはほっとした。
これまで素っ気なかったヒューゴの態度がなぜ軟化したのか、アイリスにはまるでわからなかった。
だが、ヒューゴへの気持ちを自覚した今、それは嬉しい変化だった。
午後三時、モニカに案内されたアイリスは中庭に用意されたテーブルの豪華さに息を呑んだ。
レースの縁取りがされた真っ白なテーブルクロスの上には、ティーセットだけでなくお菓子や花までもが飾られていたのだ。
(すごいわ……まるで誕生祝いの席みたいな華やかさ……)
これを用意したのがヒューゴだとは信じられない。
アイリスが席につくと、ヒューゴが軽く手を振った。
ティーカップにお茶を注ぐと、モニカやジャレッドたち側仕えの者たちが一斉に立ち去った。
「あ……」
本当に二人きりになってしまい、アイリスは戸惑いを隠せなかった。
当のヒューゴは平然とティーカップに口をつけている。
庭を通るそよ風がヒューゴの柔らかい黒髪を揺らせるのを、アイリスはじっと見つめた。
(夢のような光景だわ……)
花が咲き乱れる中庭で素敵なお茶会――そして向かいには美しい漆黒の狼のような青年。
「どうした、食べないのか。美味いぞ」
気づけば、ヒューゴが焼き菓子を口にしている。
「あっ、いただきます……」
慌てて焼き菓子に手を延ばしたアイリスだが、内心気が気ではなかった。
(いったい何の話が切り出されるんだろう……)
*
気まずい沈黙が流れるなか、ヒューゴはまったく話題が出てこないことに焦っていた。
騎士見習いだったときに、女性に対する礼儀は一通り習ってきた。
婦人に奉仕するのは騎士の義務だからだ。
清潔感のあるきちんとした格好をする、笑顔を見せて安心させる、所作は優雅に恭しく――などなど厳しく躾けられてきた。
だが、ヒューゴにとってそれは難しいことではなかった。
微笑んでみせれば大抵の女性は嬉しがって、自分から話しかけてくれた。
はにかみ屋の女性にも、社交辞令でいくらでも話題を提供できた。
最近の天候や、街にできた新しいお店、何なら髪型や装飾品をさりげなく誉めてもいい。
(なのに――アイリスに対してはなぜできないんだ?)
ジャレッドが色々アドバイスをしてくれたが、焦るあまり全て脳内から飛んでしまった。
無言のままでいるヒューゴが気になるのか、アイリスが何か言いたげに自分をちらちらと見つめている。
それも当然と言えよう。いきなりお茶会に呼び出されたのだ。
何か特別な話があると思うに違いない。
(俺は……ただ二人でいたいだけなのに……!)
そもそも、目を合わせられない。
(くそっ……これまで会った女性たちは俺が見つめたら、皆頬を赤らめて目をそらせたのに……!)
今や、必死で目をそらせているのは自分と来ている。
というのも、アイリスの視線が明らかに変化したせいだ。
子どもの頃は憐憫、再会してからは怯えた目を向けてきていた。
その苛立ちをかき立てる視線から、敬意に満ちた好意的な眼差しに変わったのだ。
もちろん、それはヒューゴにとって嬉しい出来事だった。
(だけど、まともに見られない……!)
つい顔がにやけてしまうし、気の利いたことを話さなくてはと気負ってしまう。
(天気……いや、間抜けすぎるだろ。街の話……唐突すぎるな。髪が美しいとか、瞳が宝石のようだとか、歯が浮きそうでとても言えない)
焦れば焦るほど混乱して言葉にならない。
(ええっと、話題に詰まったときはそう、目についたものについて言及する――)
「空が青いな」
言葉を発した瞬間、ヒューゴは自分を全力で殴りたくなった。
(よりにもよって、これか……!)
アイリスもきょとんとしている。
「いや、あの……」
「ほんと、いい天気ね。中庭でお茶をするのにぴったり」
アイリスの素直な笑みに、胸が一杯になる。
(なんだ……この気持ちは……)
騎士として叙勲を受けたときよりも、爵位を授かったときよりも、ずっと深い幸福感がわき上がってくる。
ただアイリスが笑いかけてくれた、それだけのことで。
「お茶、美味しいわね」
「ジャレッドが選んできたんだ。あいつ、なんでも味にうるさいから……。今、王都で一番人気の紅茶の店らしい」
「わあ……素敵」
うっとりした表情のアイリスに、ヒューゴは妙案を思いついた。
「王都に買い物に行くか?」
「え?」
我ながらいい案だと思った。これまで王城に行って帰るだけで街に立ち寄らなかった。
華やかな王国一の城下町を、アイリスと共に歩く姿を想像するだけで胸が躍った。
「おまえもこの城にばかりいては退屈だろう。何か欲しいものはあるか?」
「特に……」
「いや、年頃の令嬢なんだ。何かあるだろう」
遠慮しているのではないかと言い募ってみたが、アイリスは困惑したように首を振るだけだ。
「本当に今のままで充分なので……」
アイリスがにこりと笑顔で言う。
確かにアイリスが来るにあたって一通りのものは揃えさせた。
不自由はないだろうが、城に来てもう一ヶ月以上たつ。
新たに装飾品や服など自分好みのものが欲しくなる時期だ。
「何か……何かあるだろう?」
ヒューゴから何らかの圧を感じたのか、アイリスが考え込んだ。
「そうだわ。モニカが髪飾りのバリエーションが少ないって……。で、でも、改めて買ってもらうほどでは――」
「いいな、髪飾りか!」
それは素晴らしい案に聞こえた。
何か言いかけたアイリスが思わず口を閉ざすほど、ヒューゴは満足げな笑顔を浮かべていた。
「では、髪飾りを買いに行こう。他に欲しいものがあれば何でも言え」
まるでご褒美をもらった子どものように、ヒューゴは嬉しさを隠さなかった。
*
「え、ええ……」
アイリスは困惑しつつもうなずくしかなかった。
まさか、ヒューゴがこんなに嬉しそうにするとは意外だった。
幼い頃から虐げられてきたアイリスにとって、何かをねだることは相手の機嫌を損ねることだったのだ。
しかも、城が財政難だと痛いほど知っている。
(どうしよう……負担をかけるわけには……)
だが、上機嫌のヒューゴに水を差したくなかった。
(幸い、白磁草が順調に育っているわ)
(ジャレッドに頼んで何本か売って、財政の足しにしてもらってもいいかも……)
白磁草の相場は一本一万ギニーをくだらない。
髪飾りの分を差し引いても、充分城の金庫を潤すはずだ。
(よかったわ……本当に白磁草を見つけられて)
順調に増やしていければ、数年で百万ギニー稼ぐのも夢ではない。
(それにしても……)
まさかヒューゴが買い物に行こうなどと誘ってくるとは思ってもみなかった。
突然のお茶会もそうだが、明らかにヒューゴの態度が和らいでいる。
険のあった金色の瞳は優しくアイリスを映すようになった。
(いったい、何があったのかしら?)
(あの決闘以来、明らかにヒューゴは変わったわ……)
だが、それは、アイリスにとって嬉しい変化だった。
(王都に一緒に買い物か……)
想像するだけで気持ちが浮き立った。




