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第25話:露わになった恋心

 勝利宣言に、アイリスはようやく肩の力を抜いた。


「ヒューゴ……」


 傷だらけのヒューゴが、よろよろとアイリスの元へと歩み寄ってくる。

 アイリスは息をするのも忘れてヒューゴを見つめていた。


 まるで雪のような白い肌に血が滲んでる。

 服はあちこち裂け、凄惨な姿だった。


 血みどろで泥だらけで――だが、こんなにも人を美しいと感じたことがなかった。


(なんて綺麗なの……)


 目の前にヒューゴが立ったとき、アイリスの心臓が大きく跳ねた。


(何、この気持ち……)


 ドキドキして、まともにヒューゴの目を見返せない。


 彼を見つめていたい、彼に触れたいという強烈な衝動が込み上げ、アイリスはぐっと手を握って耐えた。

 そうでもしないと、ヒューゴに手を延ばしてしまいそうだった。


(わ、私……ヒューゴのことを……好きだったの? ずっと?)


 アイリスは混乱した。


(まるで雪解(ゆきど)けのよう……)


 深い雪に覆われていた地面が春を迎えて旺盛な生命力を見せるように、アイリスの心は(あら)わになっていった。


 幼い頃ヒューゴを守れなかった自責の念や、何の力ももたず奴隷となった失意に覆い被され、ずっと気づかなかった気持ちが見えてきた。


(これが私の心の奥底にあった気持ちなの……?)


 アイリスは自分の恋心を確認するように、ヒューゴを見つめた。

 彼の透き通るような金色の瞳や、鍛えあげられた体が急に眩しく感じられる。


(ああ……)


 動悸が激しくなっていく。

 これまでの人生でこんなに大きく心を揺さぶられたのは初めてだ。


(そうよ、何かをあれほどまでに欲したのも、ヒューゴを買ったときが初めて)


 着飾りたい、贅沢をしたい、などと思ったことはない。

 だが、ヒューゴのためなら大金を使っても構わないと思った。


 そして今、傷だらけのヒューゴを見て、心が苦しいほど高鳴っている。 


(私の初恋は、きっと出会ったときから始まっていたのね……)


 あの頃からずっと密かに思っていたのかもしれない。

 ヒューゴをずっと見ていたい、彼に触れたい、と。


 これまで感じたことのない感情に、アイリスは混乱していた。


(ヒューゴを愛しているなんて言えないわ……)

(私なんて……今や役立たずの奴隷なんだから……)


 自分の立場を思うだけで、心臓がぎゅっと握りつぶされたように苦しくなる。


「アイリス」


 名前を呼ばれ、アイリスは思わず顔を上げた。

 ヒューゴが剣に結んでいたハンカチーフをほどき、それに口づけた。


「おまえの名誉は守った。誰がなんと言おうと、おまえは誇り高い令嬢だ」

「ええ……」


(こんなにヒューゴの目は美しかっただろうか……)


 一瞬たりとも目を離したくない。

 アイリスはまっすぐヒューゴを見つめた。


(彼は私の名誉を守ってくれた……こんなにボロボロになって)


 アイリスは思いきって口を開いた。


「私の名誉を守ってくれてありがとう。あなたは真の騎士よ」


 はっきりと口に出すと、胸のつかえがすっと取れた。



 感謝の言葉を述べるアイリスを、ヒューゴは驚きの念を持って見つめた。

 きらきらと輝くラベンダー色の瞳には、紛れもない尊敬と憧憬があったのだ。


(あ――)


 すうっと心にこびりついていた黒い泥のようなものが洗い流されていく。

 戦いで傷つき疲れ切った体に温かいものが流れ込む。


 いきなり、目の前がぱっと開いたように自分の気持ちが理解できた。


(そうか、俺が苛立っていたのは、アイリスのせいじゃない)

(彼女に買われた屈辱のせいでもなかった……)


 今、はっきり自分の心の奥底が見えた。


(俺がこれほどまでに苛立っていたのは――アイリスの目に映った、哀れで情けない俺の姿だ!)

(幼き日、無力だった自分を俺は払拭(ふっしょく)したかった)


(アイリスの目に映った情けない俺を、惨めな記憶をずっと上書きしたかったんだ!)


 アイリスの潤んだ目に映る自分は、婚約者の名誉を守った誇り高い騎士だ。


 誰よりも強く、婚約者から慕われる男だ。

 そう思うだけで力が湧いてくる。


(俺は……ずっとアイリスにこんな風に見られたかったんだ……)


 だが、アイリスから向けられるのは怯えや憐憫の眼差(まなざ)しばかり。

 苛立ちの理由がわかった今、いかに自分がアイリスの視線に囚われていたのか驚くばかりだ。


(初めて会ったときから、ずっと一人の男として認めてもらいたかったのか、俺は)


 十年越しにその思いが叶った。

 ヒューゴにとっては、それだけで百万ギニー以上の価値があった。


 じっと見つめていると、アイリスが顔を赤らめて目をそらせた。


(ああ、血みどろだからな。箱入りの令嬢には刺激が強いか)


 ヒューゴはようやく自分の姿を認識した。

 血みどろでボロボロだ。


「アイリス、大丈夫か?」


 声をかけると、アイリスがびくっと肩を上げた。

 みるみるうちに頬が更に紅く染まっていく。


「な、なんでもないわ。私……」


 アイリスは何かをこらえるように頬に手を当て、ほうっと息を吐いた。

 その姿が妙に色っぽく、ヒューゴは驚いた。


(初めて見る。こんなアイリスを……)


 恥じらうように視線をそらせるアイリスの姿を引き出したのは、まぎれもない自分。

 そう思うとこの上ない喜びが込み上げる。


 そのとき、アイリスはハッとしたように声を上げた。


「そ、それより手当てを!」

「大した傷では――」


 そのとき、脇腹がズキッと痛んだ。

 強い一撃を受けた場所だ。


(しまった……! 戦いが一段落して気が抜けると、痛みが襲ってくるのを忘れていた!)


 一瞬、息が止まるほどの痛みがヒューゴを襲った。


「う……」


 目の前が真っ暗になり、ヒューゴは気を失った。

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