5 期待
目を開けた頃にはもう夕方で母親は買い物に出掛けているようだった。
ベットから立ち上がると立ちくらみがして気持ち悪い。熱を出して随分と長く寝ていたようだ。
しばらくボーっとした後ふと、 弟は何をしているだろう?
と思った。
熱を移すつもりは無いが気になってしまって隣の部屋を覗いた。
「拓也?」
名前を呼ぶ。弟は健気に勉強をしているようだ。
「...兄ちゃん、熱出したんじゃないの?」
「お前のことが気になって。ごめん熱が移るから戻るね。」
「あ、うん」
母に今日もいじめられているのではないか心配になって部屋に押しかけてしまうのはいつの間にか自分の癖になっていた。
兄や親に全く似ていない弟を母は嫌っている。それは家庭内だけではなく外でも堂々と区別するので近所では有名な話だ。
フラフラする体を何とか動かして自室に戻った。
母が帰ったら弟は理不尽に怒鳴られて理不尽に無視されて、夜に泣きじゃくるのかな。
それを見ることしかできない自分を心の中で軽蔑する。
僕はお兄ちゃんなんだから弟の心の拠り所にならないと。
気がついた頃にはそれを意識することがストレスで、また自分が嫌になった。
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「じゃあまたね」
「はい。学校で」
仲也に見送られた後、芹はリビングへ向かう。
「...おかえり。芹」
正義が一階に降りてきて声をかけたようで振り返って顔を合わせた。
「ただいま、正義。冷蔵庫からお茶取ってくれる?」
「あ、うん。」
少し沈黙が流れた。正義は顔色を悪くしている。
(なんだ...?....まさか見られたのか?)
「なあ、正義」
「芹、正直に答えて欲しい。」
...これは不味い。
芹が教師と特別な関係であることがバレてしまえば問題になるだろう。
「あのガタイのいい男の人、やけに仲が良さそうだったけど学校の友達じゃないよね?どう見ても20代後半って感じだったし」
「ああ、学校の先生だよ。次のテストの相談をしてたんだ」
「ふーん、家まで送ってもらうなんて随分と親しいんだね」
「遅かったからね」
「じゃあ次からは僕が迎えに行くよ」
「......はあ、勝手にしろ」
この男は何を考えているんだ? 芹は呆れたようにため息をついた。
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『私の弟に会っていただけないでしょうか。』
文字を打ちながら返事を書く。
『よろこんで。』
ある休日。
いつもより少しお洒落をした少女が美男の横に立っている。
芹の目は輝いて、まるで恋する乙女であった。
「ここが私の実家です」
仲也は磨りガラスが付いたドアをゆっくりと開けた。
(久しぶりに木之下と...)
芹が仲也と共にこの家を訪れたのは芹の元恋人と会うためだった。
かといって本来2人は大学時代に出会うので今回が初対面だが...
「ただいま。」
「お邪魔します。」
「ソファに座って待っていてください。弟を連れてきます。」
「うん。」
大学生以来だろうか、鼓動が激しくなっていくのを感じる。
まさかこんなに早く出会うことができるなんて!仲也には後から何かご褒美をあげないと。
太ももを何度も擦り合わせてソワソワしながら木之下を待った。