4 先生
行為が終わった後、芹は鏡を見つめる。
木之下の付けた鬱血はもう消えていて、かわりに上書きをされるように正義の付けた跡があった。
「あ、あの」
少し調子に乗った事を後悔している正義が口を開く。
「どうしたの?」
「僕は成人してるけど、芹は未成年だし...しかも従兄弟同士だ。これって不味いんじゃ...」
正義の言葉は想定内だった。真面目で正義感の強いこの青年ならば気にかける事だろう。
確かに、伯母宅に保護されたばかりの頃に体を重ねていたら犯罪だっただろう。だが芹は16歳だ。性行為同意年齢には反していない。
従兄弟同士、というのも法律的には問題ないはずだ。すこしの沈黙の後、芹は口を開いた。
「確かに、法に引っかかっちゃうかも...、そしたら正義にも会えなくなっちゃう...」
知識のない正義を騙して深刻な表情で伝える。
正義はさらに不安になったようで、焦って芹に交渉を持ちかけた。
「お願い...芹、今日の事は誰にも言わないでくれないかな...?芹と離れ離れになりたく無いんだ。何でも、するから......」
芹はニヤリとする。
「じゃあ、責任としてお金を頂戴。私ねお金を貯めて、将来正義と結婚式を挙げたいな」
もちろん。正義と結婚するつもりは無い。正義には罪悪感をずっと感じさせて永遠に貢がせるつもりだ。
今の彼ならそれも喜んで受け入れるだろう。
長い長い沈黙の中、正義はゆっくりと頷いた。
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芹が高校へ通学を再開し、職員室へ向かう途中の事、ある男とすれ違った。
その男とは初めて出会ったはずなのに誰かに似ていた。
「独活山さん!次、理科だから移動教室だけど一緒に行かない?」
芹はクラスメイトに挨拶をした後すぐに人気者になった。
当たり前だ。自身のルックスと人当たりの良さそうな雰囲気があれば歩くだけで人が寄ってくると自らで思うほどに芹は自分の武器を理解している。
クラスの女子の道案内を聞き流しながら考え事をする。
「独活山さん。ここだよ!」
理科室に着いたようでドアを開けた。そこには今朝すれ違った男が立っていた。
(理科の教師だったのか)
板書を写しながら横目で男を見てみる。
黒髪に長い襟足とメガネをした彼は地味そうな見た目で今まで出会ったことの無いタイプの人間だったが雰囲気が誰かに似ていた。
授業の終わり。クラスメイト達が教室に戻った後、芹は教師に自己紹介をするため理科室に残っていた。
「初めまして。しばらく休学をしていました、独活山 芹です。」
「理科担当の
木之下 仲也だ。」
自己紹介の後、全てが繋がった。そうか、この男に似た雰囲気を感じたのは木之下の血族だからか。
メガネが厚くよく目が見えないため顔が似ているかは分からない。
「先生、弟さんとかいらっしゃるんですか?」
「......」
随分と警戒されているようで簡単には話してくれない。
「...いきなりすみません。ただ先生に弟さんがいるなら私、会ったことがある気がするんです。」
仲也の弟が木之下という確証は無かったが芹の発言に仲也は少し驚いたようだ。
「どこで出会った?」
「弟さんは私の事覚えていないと思いますよ。ただちょっと困っていたので助けたことがあるんです。」
勿論、まだ木之下と芹は出会った事もない
「そう、ですか...」
仲也は感動したように芹を見る目が尊敬へと変わった。
「弟は家庭でも学校でも劣悪な環境にあったので、まさか...気に掛けてくださった方がいるとは」
「へえ...大変だったでしょう」
チャンスだ。この男から木之下の情報を聞き出すのもいいかも知れない。
「弟さんの事、色々教えてくれませんか?」
「......ええ、もちろん」
木之下仲也は弟想いだ。きっと幼少期から弟には自分しかいないと思い込んでいたのだろう。
仲也と芹は放課後、こっそり会って会話をする仲になっていた。
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「先生」
放課後、理科準備室の扉を開ける。
電気のつかない部屋には夕日の光が差し薬品の瓶がオレンジ色に反射していた。
「先生なんて、やめてください。呼び捨てで構いません」
打って変わって随分と腰を低くした口調の男が少女に伝える。
「...ああ、そうだったね。今日もお疲れ様。仲也」
ニヤリと目を細める。少女にもオレンジ色の光が当たりどこまでも神秘的で一枚の絵画のようだ。
それを返すように男も微笑んだ。メガネを外した彼は少女と同じく美しく、その特徴的な切れ目で幸せそうに笑った。
「やっぱり仲也はメガネを外すと弟に似ているね。」
「そうでしょうか、貴女が仰るのならそうなのでしょうね。」
2人きりの空間。外が暗くなっていくのも忘れて話続ける。
仲也は芹が弟に想いを寄せていることを知っていた。
弟に好意を抱いてくれていることを嬉しく思うし、結ばれて欲しい気持ちもある。だが芹を知っていくうちに彼女への独占欲は増していった。
自分しか見ないで欲しい、彼女にだけ呼び捨てにされたい。めちゃくちゃにしたいしされたい。
それは弟を想い気持ちでさえ上回っていった。
「暗くなっちゃったね。私はそろそろ帰るよ、今日もありがとう。」
「危ないので家まで送ります。」
そう?ありがとうと笑う芹に仲也は嬉しくなる。
何があっても守り切るつもりだ。 たとえ弟を蔑ろにしても。