『リ・バース』第一部 第1話 Happy Unbirthday⑨
⑦ フー・ダ・ニット
「畜生、やりすぎだ!」
組を組むアノニム・アノニマスが叫ぶのを聞きながら、新生ジフト軍隠密行動部隊「蠍」構成員、フー・ダ・ニットはちらりとバング夫妻を見た。
夫のアデスも妻のパーセポニーも、部屋の入口にへたり込んでしまい逃げようという素振りも見せない。今外に出たところで魔物の餌食になるだけだが、フーにとっては彼らが居る為に動きにくい事この上なかった。
いっそ始末してしまうか──元々、ライガの魂を覚醒させた後、ネイピアの村は証拠隠滅の為に壊滅させ、村人は女子供含めて皆殺しという事になっていた。
しかし、魔導具を最大出力にして魔物を呼び寄せた時、どのような結果になるのかは事前にシミュレーションしておくべきだった。
生き延びる為、自分たちもまた集まって来た魔物と戦う事になるだろうとは考えていたが、その為に肝腎のライガを──ライガの魂を宿したガラルを見失ってしまったのでは本末転倒だ。
「メテオライト!」
「フー、あまり範囲攻撃は使うな! 建物が崩れたら俺たちまで生き埋めだ!」
アノニムは叫びつつ、荒れ狂う魔物──巨獣グーロに放電で攻撃している。フーの落下星はグーロの身を乗り上げている壁の崩落箇所を更に抉り、崖崩れの如く瓦礫を雪崩れさせてその巨躯を外に押し流した。
「簡単に言うが……」
フーは次の詩文を唱えつつ、何故降霊術が発動しないのかを考えていた。
答えは簡単だ。この場で誰かが、境界にある魂を凄まじい速度で使っている。霊力として降霊術に使用される魂は、死霊化術に使われた場合とは異なり消滅こそしないものの、同じ「審判の七日間」の間に再使用は出来ない。その為、限定的な場所であまりにも降霊術が連射されすぎるといずれ霊力の供給が枯渇し、使えなくなる。しかし、それにしても今回は異常だった。
今、村では凄まじい勢いで人間が死んでいるのだ。当然、この辺りと重なった境界の魂も増え続けている事だろう。そして現在の状況で、それらを自分たちが追い着かないような速度で消費する程の腕を持つ降霊術者は一人しか考えられない。
「隕命君主は、まだ生きているようだな」
「当たり前だ」
アノニムが憮然とした声で返してくる。
「魔物に吹き飛ばされて、二階から落ちたくらいで死んだら話にならん。俺たちがただの道化になるじゃないか」
「当然、死霊化術も使っているな。それで死んだ魔物の魂まで回収出来ないのは、奴本人も降霊術で戦っているからか……」
フーは、屋外に落下して半ば瓦礫に埋没しているグーロを見下ろす。更にその向こうに視線をやると、血塗れで損壊しかかった体の村人たち──生ける屍が苦悶の声を上げつつ魔物たちに群がり、嬲り殺しにしていた。
一体のレウクロコタが、そのように生ける屍に集られ、圧殺されていた。すかさずその上を、モーショボーが低空飛行する。スクラムを組むように山になっていた屍たちは薙ぎ倒され、死霊化された時点で崩れかかっていた体を無惨にも圧し潰されて土と混ざってしまった。
しかし、そのモーショボーも長生きはしなかった。
闇を切り裂くようにして、三日月型の斬撃が怪鳥に飛ぶ。それが通過した瞬間、魔物の喉から胸にかけて大きな口が開き、血飛沫が宙に舞った。魔物は断末魔の声すら上げる事なく落下し、動きを止めた。
「空気切断……いや、空気の剣か?」
「違うな」
同じものを見たらしく、アノニムが応じる。
「降霊術のクペアンドゥだ。空間断裂の類だから、あれで斬られたら専用の治癒術でしか治せない」
「確かそれも、ライガ・アンバースの開発した術のはずだよな」
「俺がどうかしたって?」
突如、死角からぬっと若い男の顔が現れた。フーもアノニムも、驚いてわっと声を上げてしまう。
現れたのは、紛れもなくライガ・アンバースの顔だった。ガラル本人を分魂し、肉体を奪った彼が遂に外見すらも変える程力を取り戻したのか、と咄嗟に思ったフーだが、彼はすぐにこちらのそのような思考を読んでか、
「驚くような事じゃないだろ?」
冗談めかしているようにも、憮然としているようにも捉えられる声で言った。
「単なる変身術だよ。さてはよっぽどテンパっているな」
「ライガ……貴様」
「後にしてくれないか」
アノニムを遮り、彼は外へと崩れた瓦礫を見下ろした。
フーもアノニムも、釣られて視線を落とす。その数秒後、
「グルルルウッ!!」
瓦礫の中からくぐもった声が聞こえ、
「跳び下りろ!」
ライガが、二人のマントの襟首を掴んで跳躍──というよりも飛翔に近かった──した。フーたちも具体的な事は分からない降霊術が、ライガの後半身を大粒の煙の如く変化させ、空中に黒い尾を引く。
こちらが地面に着地するのと、瓦礫の山を内側から突き崩すように現れたグーロが丸太の如き前脚をバング邸の二階に叩きつけるのはほぼ同時だった。
先程まで自分たちの居た場所が、抉られるように陥没して更に崩れる。それに誘発されたのか、バング邸はその攻撃を喰らった箇所を中心に、徐々に大小の石片と化して崩壊を開始した。
「……あんたたちに聞きたい事は、山程ある」
ライガは言い、掴んでいたフーたちの襟首をぱっと放した。
「だが、今はこの騒ぎを鎮める事が最優先だと俺は思う」
「ライガ──」
彼は、フーたちの返事も待たずに動き出した。バング邸を崩壊させていたグーロはやがてそこに自らの標的が居ない事に気付いたらしく、巨体を揺すりつつ瓦礫の上で振り返る。
その時には既に、ライガが降霊術を発動していた。
「ブラキオプネウマ」
突き出された彼の腕を中心に、何処からともなく白い煙のような霊力が集まって来る。それは次第に鉤爪のある巨大な腕を形成し、一直線に魔物へと伸びた。
グーロは、その巨躯で二階を完全に圧し潰しながら空中に跳び上がった。肉の多い肥満体からは予想も出来ない軽快な身のこなしだが、これは最初に現れた時、外壁を突き破って邸内に飛び込んで来た時にも披露されている。
が、ライガの腕状霊魂は無慈悲にもそれを頭上から叩きつけるように地面へと落とし、土の上に張り付けた。
「今だ」
「ビョオオオアアアアアアッ!!」
荒ぶる魔物たちを屠り去り、君主に魂を提供していた生ける屍たちが、彼からの短い合図に従って同じ方向に動き始めた。
それらはグーロに接近すると、身を投げ出すようにして全身をその巨体の上に張り付かせる。それは次第に密度を増し、じたばたと藻掻くグーロの姿は隠れ、死体の山がそこに現れたかのような様相を呈する。
圧殺するつもりなのだ、とフーは理解した。恐らくアノニムも同様の考えに至ったのだろう、彼もまた隕命君主の復活に関わったとはいえ、嫌悪感を捨てきれないような顔で積み上がっていく生ける屍の山を見ている。その下の巨獣は、重さに耐えられなくなったのか徐々に抵抗する動きが小さくなっていった。
「やった……か?」
呟いたフーに、
「まだだ!」ライガは振り返り、叱るように叫んだ。「あんたたちも攻撃しろ! 俺に関するどんな噂が流れているのかは知らん、けど俺だって無敵の神様って訳じゃないんだ!」
「ディスチャージ!」
アノニムが、逸早く我に返って動いた。フーも慌てて続く。
「アースクエイク!」
ライガが築き上げた生ける屍の山に、死体の鎧を貫くように電撃が撃ち込まれ、魔物の腹の下の地面は隆起して土煙を上げた。再び「やったか」という思いが過ぎるフーだったが、ライガは手厳しい。
「全く……基礎八属性の文法なのに、最上位技は使えないのか?」
「悪かったな、未熟者で!」
アノニムは叫び、再び放電を繰り出す。ライガは腕状霊魂の圧迫を強化し、手駒の生ける屍が巻き込まれて破壊されるのも厭わず抑縛を続けるが、その時ふと眉を潜めた。「マズいな」
「マズい? マズいとは何だ!?」
余裕を欠いた調子で、フーは問い質す。ライガの答えは短かった。
「離れろ!」
「これ以上──」
離れたら、魔術の有効射程から外れてしまう。
そう続ける事は、フーにもアノニムにも出来なかった。
ライガにも限界が訪れたようだった。或いは、辺りの霊力が彼の凄まじい消費速度に追い着かず、枯渇したのかもしれない。グーロを押さえつけていた腕状霊魂が薄らぎ、それを待っていましたと言うかのように、
「グラアッ!」
ぐったりとしていた魔物が四肢を踏ん張って立ち上がり、自らの上に折り重なった死体の群れを払いのけた。
反撃とばかりに、その前脚が振り被られる。
「何て耐久力なんだ……」
「ナム・バ──」
アノニムの麻痺化術が発動する前に、それが叩きつけられた。
衝撃波が、四方に散って三人を薙ぎ倒し、半壊していたバング邸を通過した。
層状孤児としての隕命君主の、魂の器を育んだ家が完全に崩れ落ちた。もうもうと上がる土煙を見ながらフーが考えたのは、
(まだ、あの中に夫婦が残されていたはずだ……)
柄にもないそのような心配だった。