『リ・バース』第一部 第6話 Claymore⑤
リクトが、自分の命を奪った。イスラフェリオの指摘が真実である事は、リクトの態度を見てもすぐに分かった。思えば彼は再会の後、周囲から英雄である事を指摘される度に憂いを湛えた顔をしていた気がする。
ショックを受けた事は確かだが、それは彼が自分を裏切った、などと考えての事ではなかった。むしろ、彼を裏切ったのは自分だ。その上でヴァイエルストラス前後のような悲劇を生んだのなら、自分は彼に討たれて当然だ。ライガがショックだったのは、それをリクトが六年間も抱え続け、自分の復活後もそれを話そうとしなかった事だった。
親友を手に掛けた事により、彼が得た栄光と汚名。確かに自分は、ジフト戦役にも匹敵する災いとして、多くの者たちから望まれて死んだ。自分が決別して尚も帝連軍に残り続けたリクトも、その事は分かっていただろう。それでも、彼は自らがライガを殺めた事を正当化は出来なかったのだ。
そして、蘇ったライガと再会し、こちらが記憶を失っていると知ってから、その事を言えずにいた。
当然だ。言えるはずがなかっただろう──たとえ自分の性格を知る彼が、自分は怒らないだろうと思っていたとしても。
──いや。
事によると彼は、ライガが自分を恨んでいると考えていたのかもしれない。自らが手に掛けた友の今際、その口から聞いた言葉が「人生を壊した」という糾弾だったのだから。
自分は、死に際に彼に呪縛を掛けた。
しかし何故そのような事を自分が言ったのか、思い出せない。まさか、深い理由もなく字義通り、彼が自らの命を奪った事について糾弾したのだろうか。そうだとしたら、かつての自分はあまりにも身勝手だ。
リクトはそれを胸の内に抱え込んだまま、蘇ったライガが再び自分を境界に還す事を口にした際、言ったのだろうか。君が必要だ、と──。
「リクト……」
名を呼ぶと、彼は目を伏せたまま声を出した。
「すまない、僕は──」
「何で……」
何で彼が謝る必要があるのだ、と思った。やはり彼は、後悔していたのか。自らが本当に、友の人生を壊してしまった、などと──。
ライガは唇を噛む。自分がどうすべきか、何を言うべきか、頭を働かせる。今、何を言えばリクトの心を救えるだろう? いや、たかが一言二言で、彼が六年間独りで抱え続けたものをどうにか出来るなどとは思わないが……
「故に、ライガ・アンバース」
イスラフェリオは、追い討ちを掛けるようにこちらの名を連呼した。
「貴様は今度こそ、もう一度、我々と共に彼らを確実に殺せ。それは決して贖いなどではないが、貴様自身が背負うべき業から逃げぬ為に必要な事だ。そして全てを終えた時、その罪業と共に煉獄へ行くのだ」
「赤峨王……」
ライガはぐっと拳を握り締めた。
暫し黙り込み、考える。やがて頭の中で、今はこれしかない、という答えが形を成した。
「……お前、何か勘違いしているだろ」
「何だと?」
「僕は、ライガ・アンバースなんかじゃないよ」
ライガはそう言い放った。
「ぬけぬけと」イスラフェリオは嘲笑する。「双頭からの報告は受け取っている。その上貴様は、今死霊化術をも披露したのだぞ」
「僕も正直分からない。けど、別に六年前までに、世界に居た死霊化者がライガだけって訳じゃないんだろう? 僕は、何だか自分の霊魂が、遠い昔そんな魔術を使っていたような気がした。ただそれだけだ」
無論この言葉の意図は、既にイブンたちから報告を受け、こちらの正体が正真正銘のライガであるという事について確信している彼を欺く為ではなかった。自分はそこまで愚かではない。
本当に言いたい事は、この先だった。
「ライガ・アンバースは死んだ! もう戻って来ない。だからたとえリクトが彼を殺したなんてお前が騒いでも、彼はリクトを恨んだりしないんだ。お前が僕をライガだと思い込んで、ライガが本当の事を知る事でリクトが苦しむなんて思ったなら、それは大間違いだ!」
「ライガ……?」
今度こそはっきりと本名を呼んだリクトに、ライガは「おいおい」とあくまで軽い調子で言った。
「酷いなあ、リクト。あなたは僕の事、本当にライガだと思っていたの? まだそうかもしれないってだけだって、言っていたじゃないか。確かに、僕は何で自分がこんな力を使えるのか分からないし、混乱しているけど……それこそ、本当にライガだったらって思うと怖いけど、今僕を動かしている魂は、僕のものだよ」
これでどうか、自分の意図が伝わって欲しい、と思った。リクトにも、イスラフェリオにも。
念を押すように、もう一言付け加えた。
「リクト、そんなに僕が本当にライガだったらいいのにって思っていたの? 全く……どんだけ好きだったのさ、その友達の事?」
「……ガラル」
リクトは、それで気付いたようだった。こちらに合わせ、あくまでこちらの事はその名前で呼んでくる。
やがて彼は、顔を伏せたまま微かに笑みを浮かべると、すぐに毅然とした顔になってイスラフェリオと向き合った。
「安心しろ、赤峨王。この子がライガなのかどうかは、引き取った僕が責任を持って確かめる。たとえライガや、他の死霊化者の魂を宿していたとしても、それで誰よりも不安な思いをしているのはガラル本人だ。潜在的脅威というだけの理由で、お前たちの人体実験に付き合わせる訳には行かない」
「………」
イスラフェリオの顔から、嘲笑うような表情は消えていた。自分たちの力技──そう、ある意味力技だ──に対して憎々しげに歯を食い縛っている。
今ガラルに宿っている魂は、本当にライガのものだ。ジフトの者たちの間では、既にその事は真実として共有されている。だからここでイスラフェリオが自分たちの言う事を、強硬に否定しようとすれば出来ないものではない。
しかし同時に、ここにはファタリテ騎士団も居る。彼らにとっては、今自分たちが主張する事も、イスラフェリオが主張する事も、どちらも同程度の信頼度を持っているのだ。
状況に、大きな変化は起こらなかった。
「殿下!」
先程主君の助太刀に入ろうとし、「無用」と一喝されたウカノフが改めて駆け寄って来た。
周囲を見回すと、いつしか新生ジフト軍もファタリテ騎士団も、戦いを中断してこちらを取り囲むように並んでいた。皆、敵に攻撃を仕掛けるべきか、動かない方がいいのか決めかねている。ジフトの者たちは死霊化術を使う事がはっきりと分かったライガを、ファタリテの者たちは纏鎧術によって自分たちの手に負えない程に強化されたイスラフェリオを恐れている。
特に後者の方は深刻だった。先日、ドーデムがイスラフェリオと交戦して撃退したという事だったが、それはイスラフェリオ本人が言っていた通り、戦力差を憂えた彼が決して無理な踏み込み方をせず、威力偵察同然の戦いをし、引き際を誤らなかった為だろう。
赤峨王が本気を出せば、聖光士すらも追い詰める。その事が明らかになった今、彼らの中で数の利は、その中でイスラフェリオに限界が訪れるという形での勝利までに何人が、或いは誰が犠牲になるのかという恐れの材料でしかなかった。
既に水深の浅い川の水は、斃れた両陣営の兵士の死体から流れ出した血液で薄赤く染まっていた。
「ウカノフ」
イスラフェリオが、ちらりと側近を見ながら呼ばった。
「今からカヴァリエリに援軍を要請した場合、到着はいつになる?」
「規模にもよりますが、最低でも二日後でしょう」
「となると、やはり分が悪いか……やむを得まい」
イスラフェリオは言うと、「皆聴け!」と声を張り上げた。
「これより我が軍は撤退を開始する! 一度カヴァリエリまで後退し、戦力を整えた後再度モルガンへと入る!」
「宜しいのですか、殿下?」
ウカノフは、ライガとリクトをちらりと一瞥する。
「聖光士にも大分消耗が見られます。先程までの戦力の伯仲を鑑み、持久戦に持ち込めばこの戦いで彼を討ち取る事も十分に可能かと」
「隕命君主が実力を解禁した。先程までとは状況が違う」
「そちらの対応には、私が当たりますが……」
「誤っても殺してはならない相手だ。しかし、手心を加えられる相手でもない。奴の捕縛は、確実な策を以て行う」
ウカノフが更に何かを言う前に、イスラフェリオは「それに」と続けた。
「聖光士に関しても、仕留める事が出来たところでその時我が軍の半数が壊滅していたなどという事になっては何の意味もない。我々の戦いは、ここで終わりという訳ではないのだからな」
「……御意、ヴォートル・アルテス」
ウカノフは頭を下げると、ファタリテの者たちに混ざって茫然自失に陥っている自軍の兵士たちに向かって叫びながら駆けて行った。
「総員撤退! 撤退だ!」
イスラフェリオが半ば唐突な撤退命令を下した時点で、まだ魂が抜けたように立ち尽くしていた兵士たちは、そこではっと我に返ったように川を元来た方向へと引き返し始めた。
同じように立ち尽くしているファタリテの者たちの中で、最初に立ち直ったのはエッガ・セルだった。
「お前たち、何をしている! 敵が逃げるぞ!」
低く通りにくい声を精一杯に張り上げ、部下たちに指示を出す。それで気付いた何人かが、自分たちのすぐ近くから背中を向けて離れていくジフト兵たちに追い討ちを掛けようと動き出した。
が、次の瞬間、彼らは先程までのポジション上必然的にしんがりを走る事になったイスラフェリオの、ドミナシオンの一振りを浴びて無残にも胴を両断された。
「我々は撤退する」
イスラフェリオは脅しつけるような声音で、念を押すように繰り返した。
「それを許さじと言うならばやむを得まい、兵士たちが退却を済ますまでの間、私が相手になろう。但し今度は戦略が物を言う集団戦ではない、私一人の腕力と降霊術が物を言う。己が力のみで私に敵う自信がある者は掛かって来い!」
「ひっ……!」
目の前に、胴の真ん中を断たれ芋虫のようになった同僚の亡骸をどさりと投げ出されたファタリテの魔剣士が喉を鳴らして蹈鞴を踏んだ。
「その時には、貴様らは細切れにされているだろうがな」
「やめろ、追うな!」
ドーデムが、慌てたように叫んだ。それから、こちらにももう戦う意思はない、というようにヴィルベルヴィントを納刀し、イスラフェリオの方を向く。
「賢明な判断に感謝しよう、赤峨王」
「ドーデム・ヤーツ。前回と今回、二回の交戦を経てそちらの戦術は把握した。兵士の熟練度と、指揮官の能力もな」
イスラフェリオは、やや挑発的な調子で返した。
「私自身が慎重になる必要はないという事が、これで分かった。次に我々の進軍を迎え撃つ時には、今日と同じく聖光士を連れて来るのだな」
「……っ!」
気の短いドーデムは屈辱に歯息を漏らしたが、やはり騎士長としての義務感が自制心を働かせたようだった。挑発に乗って喚き立てたり、イスラフェリオに斬り掛かったりする事もなく、言葉を呑み込む。
イスラフェリオもそれ以上の事は何も言わず、自身の発した言葉で手応えが感じられなかった為だろう、ややつまらなそうに去って行った。
彼に飛び掛かろうとして同僚の死を目の当たりにし、立ち竦んでいたファタリテの兵士たちが、「助かった」と言わんばかりにその場にへたり込んだ。
「ペネロープ、負傷者に回復魔術を」
ドーデムは彼らをちらりと見、指示を出し始めた。
「各々、自分の安全が確保出来次第、死体の確認を急げ! 戦死者票を付け、医療用天幕へ運び込む。皆勇敢なるファタリテの同胞たちだ、回収出来る限りの亡骸は回収しろ!」
「御意、モンシュー」
戦闘中何処に居たのか見えなかったが、ペネロープはドーデムの指示を受けるとすぐに駆けて来、「負傷した方は私の所へ!」と叫んだ。ある程度兵士が集まると、自らを中心に結界術を発動する。
「胸広き地の腕手に来れ……ヒーリングスフィア」
「ガラル、怪我は?」
リクトが声を掛けてくる。ライガは「大丈夫」と答えようとしたが、そこで脹脛から出血している事を思い出した。生ける屍化する前のジフト兵に拘束された時、突き刺された傷だった。
不思議なもので、傷は意識すると痛くなってくる。
「癒しの風よ、大地にそよ吹け……エアリーウェーブ」
リクトが使ったのは、ペネロープの発動したような範囲回復魔術ではない通常のものだった。回復結界も便利な魔術ではあるが、やはり一人を対象に即効を重視するのであれば微風の方が良い。
傷口が閉じると共に、痛みもすっと去った。
「メルシー、リクト」
礼を言いつつ、彼の傷も調べようとする。イスラフェリオの体技で一度大きく吹き飛ばされていたリクトだが、鎧を身に纏っていた事が幸いしたのだろう、そこまで大きな傷を負っている様子はなかった。
ひとまず安心だ、と思い、皆の方を振り返ろうとした時、
「説明して貰おうか、聖光士」
険しい声が飛んで来た。
リクト、ライガは共に表情を引き締める。
ドーデムが、憎々しげにこちらを睨み、歩み寄って来るところだった。




