『リ・バース』第一部 第1話 Happy Unbirthday⑥
⑤ リクト・レボルンス
行く手のネイピアの村から、天空に闇を貫いて立ち昇る光の柱が見えた。
彼らが件のガラルという少年に対して除霊を試みたのだろうか。しかし、彼が本当に層状孤児だった場合、宿っているもう一つの魂がライガのものだと判明した時には、彼らは自分たちのみで対応する事なく、HMEで自らに連絡をつけるだろうと考えていた。
という事は、自分の推測は的外れだったという事なのだろうか──。
(彼らに命じたのは、子供が層状孤児である事の是非を確かめる事だけだ。……けれど、それ以上の事を敢えて言わなかったのは僕の甘えだな)
聖光士リクト・レボルンスは、愛馬グラーネの手綱を握りながら考える。
もしも本当に、ライガの魂が何者か──恐らくジフト残党──による境界転生でこの世に戻って来ているのだとしたら。
(彼は、僕を許すだろうか?)
帰らずの地の戦いから六年間、リクトはジフト第一皇子の不穏な宣言を受け、隕命君主の不在を証す為に調査を続けてきた。責務を全うする為にそうしながら、本心では密かに彼ともう一度会う事が出来たらという淡い期待のような感情を萌芽させている自分を否定しきれなかった。
莞根士アルフォンス・デルヴァンクール亡き後、自分が五大騎士団の筆頭・フォルトゥナの長まで上り詰めたのは、この手でライガを討った為だ。その事は、帝国の多くの者に自分を英雄だと認識させた。
しかし──生前の彼と自分の関係を知る者からは、現在のリクトが氷の心を持った鬼のような人間だと思われている事もまた事実なのだ。
(もしも、彼が本当に蘇ったのなら……討てるのか、僕に? もう一度、彼を……)
リクトが、そのような事を考えていた時だった。
夜の闇と半ば同化した路傍の森から、微かに呻き声のようなくぐもった音が聞こえた気がした。はっとし、グラーネを停止させる。
腰に差した象牙色の剣より先に、背負った巨大な戦楽器に手を掛けていた。
管楽器、ヤーラルホーン。その音色は魂を招聘し、敵に打ち勝つ為のあらゆる効能を発揮する。
魔素を使用しないので、戦楽器は魔導具ではない。故にただ起動すればいいというものではなく、使用には使い手である降霊術者の力量が試される。中でもこのヤーラルホーンは扱いの難しい戦楽器の一つだった。
リクトは唄口に唇を近づけ、森の音に耳を澄ませる。
魔物か。ならば、放置しておく訳には行かない。ジオス・ヘリオヴァースの多くの街や村には周囲に結界術が施され、野生の魔物の侵入を防いでいるが、ここは村人たちの通り道だ。
──人の営為に災いをもたらす魔物を狩り、魂を還元させる。それは調和者である魔剣士の使命だが、文法や魔導具の本源である魔素を生成するのも魔物だ。それらを狩りすぎれば魔術は使えなくなる。
魔物もまた、プログラムが発生させる命の一形態だ。自分たち魔剣士は、あくまで世界の均衡を保つ存在。リクトはそれを常に肝に銘じてはいた。
故に、まず正体を見極めようとした。
しかし、続いて上がった声を聞き、違和感が膨らんだ。
「ウウーッ! ウッ、ウッ、ウーッ!」
妙に必死なその声の上げ方に、リクトは首を捻る。
何か、助けを求めているようだ。よくよく聴いてみると、そもそも声自体が魔物のそれではないような気がする。人間が口を閉じたまま叫ぼうとしているようだ、と思った瞬間、はっと気付いた。
黒々とした薮の中から、足首を括られた一対の裸足が突き出していた。その指先は微かに痙攣しており、身動きが取れないのだと分かる。
「お、おい!」
まさか、と思い、リクトは馬を降りて薮に駆け寄った。ヤーラルホーンを背中に戻し、身を屈めて木々の裏側を覗き込む。
すると──嫌な予感が的中していた。
見知った二人の若者が、身ぐるみを剝がされて縛られ、放り出されていた。その目には目隠しがされ、口には猿轡まで噛まされている。
リクトがネイピアの層状孤児の噂を聞いて派遣した、フォルトゥナ騎士団の騎士見習いの二人だった。エロイス・ネイサンとニース・バーディガル。妙に連絡が来ないと思っていたら、拘束されていた。
「ウウーッ!」
「安心しろ、私だ。待っていろ、今解放する」
リクトの声を聞くと、二人は呻くのをやめた。微かに首を動かし、見えない視線をこちらに向ける。
胴と四肢を縛めている縄を切り、目隠しと猿轡を外すと、騎士見習いの二人は痺れを取り除くように体を伸ばし、激しく空気を貪った。
「大丈夫か?」
「聖光士……助かりました。ありがとうございます!」
「死ぬかと思いましたよ……あ痛たたたた……!」
「これを着ろ。まだ夜は冷える」
リクトは愛馬の後ろに積んだ着替えを取り出し、二人に差し出す。彼らは「畏れ多い」というような顔をしたが、こちらの真剣な眼差しに押されたのか口々に礼を言って袖を通した。
「申し訳ありません、聖光士」
ニースが、深々と頭を下げながら言った。
「我々の力及ばず、村に辿り着く事すら出来ませんでした」
「詫びはいい。何が起こったのかを簡潔に話せ」
「村に入る直前に、襲撃を受けました。相手の姿は目捉出来ませんでしたが、会話から恐らくジフトの密偵かと……」
エロイスが、悔しそうに右拳を左の掌に打ちつける。
リクトは眉を潜めて低く唸った。「『蠍』か……」
「奴ら、俺とニースを麻痺させて、制服と剣を奪って、村の方に……俺たちになりすまして何をするつもりなのか、考えるだけでも悍ましい」
「いつ頃の事だ──って、聞くまでもないか」
村から立ち昇る光に視線を向け、リクトは焦燥に駆られる心を宥めた。
ジフト戦役では帝連の為にその力を行使したライガが、何故死なねばならなかったのか。その真実を知る人間は、本当の意味では自分しか居ない。その彼が復活し、真に悪意を持って力を使い始めたら──その予想を、ジフトの魔術は裏づけてしまいかねない。
確かめねばならない、と思いつつ、仮にそうだった場合、自分はもう一度彼を討つ事になるのだろうか、とちらりと考えた。
「聖光士……」
「言うな」
口を開きかけたニースを、リクトは素早く制止した。
「ともかく今は、敵の目論見を挫く事が最優先だ。ジフトがもし──例のガラル少年に起こった異変の、何らかの原因を解放しようとしているのなら、どのような方法が採られるのかは分からないが」
ライガを、とはっきり口に出しそうになるのを、寸前で押し留める。
「あの様子は、儀式にしても尋常ではない。村人の安全が最優先だ」
戦えるか、と尋ねると、エロイス、ニースは共に肯いた。
「剣がなくとも、魔術があります」
「宜しい。馬は?」
「襲撃の際に逃げられてしまいました。しかし、代替手段なら──目立つ事は避けたかったのですが」
ニースは自分とエロイスの踵に手を翳した。
「天翔ける疾風となれ……ウィンドモーター!」
彼が唱えたのは、風属性、空中滑走術の詩文だった。二人の軍靴を光が包み、それぞれの踵に車輪の如き小さな風の渦が出現する。二人がふわりと空中に浮き上がるのを見、リクトは微かに顎を引いた。
「……よし、行こう」
グラーネの元へ引き返し、鐙に足を掛けて跳び乗る。
掛け声と共に一鞭を当てると、馬は鼻から白濁する程の熱い息と共に嘶き、前方の光に向かって淀みのない足取りで駆け出した。