『リ・バース』第一部 第5話 Return with Reborns⑤
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ユークリッドを出発してから、三日後。
「聖光士リクト・レボルンス、テレサ陛下のご命令により只今馳せ参じた!」
モルガン近郊の川岸で陣営を行うファタリテ騎士団の中に進みながら、リクトが声を張った。
彼らの象徴色である金色のマントの中で、リクトの赤色のマントと特別製の白銀の鎧はよく目立っていた。しかし兵士たちの視線は、リクト本人よりも彼に連れられた子供──ライガに集まっている。
リクトは騎士見習いの時分から、ファタリテとは折り合いが悪かった。つるんでいたライガがドーデムと宿敵同士だったというのもあるが、それ以前に先代のファタリテ騎士長ロディは現元老院議長ナサニエルが支援者であり、ナサニエルはリクトの父クロヴィスの政敵だった。またロディ自身も、家格としては同格でありながら、デルヴァンクールが身を引いた事により第一皇女との婚約が──将来の皇帝というポジションが──回って来たレボルンス家のリクトを良く思っていないようだった。
ナサニエルは結果的に元老院でトップに上り詰め、息子のドーデムもまたファタリテの長となった。彼らとしては、昔からの悲願であった近衛騎士団の主導権をフォルトゥナからファタリテに移す事を十分に成し遂げ得る立場になった訳だが、最高意思決定者である女王シアリーズはそれを許さない。その上民衆は英雄リクトに圧倒的な人気を集めており、彼を軍事の表舞台から放逐するような事をすれば、ヤーツはたちまちにして支持を失う。
彼らにとって今のリクトは、「大きすぎて潰せない」企業のような存在であり、目の上の瘤のようなものであるともいえた。
そしてリクトとしては、自らなろうとした訳でもない英雄としての務めを果たそうとする中で、究極的には立場を同じくするはずの彼らから向けられる一方的な嫉妬を煩わしく思っているらしい。
「ライガ、行こう」
彼は周囲の者たちには聞こえないようにこちらに囁くと、さっさと陣の中に歩みを進める。彼が現地に派遣されるという旨はHMEで事前にドーデムへと連絡されており、当然それは総員に伝達されているはずだった。
しかし──予想はついていた事だが、アウェー感が尋常ではない。
「テレサ様も、何もお前だけを派遣しなくたって……」
「フォルトゥナが手柄を奪いに来た、みたいな言いがかりをつけられると後で困るだろう? 元々出兵したファタリテの戦力は、兵士の数だけでイスラフェリオの軍の二倍はあったんだから」
そのようなやり取りをしていると、
「聖光士」
低い声が背後から掛けられた。
ライガとリクトが振り返って見ると、そこに血色の悪いのっぽの──痩せている為か、単に「背の高い」と表現すると語弊が生じそうな──男が立っていた。
「そちらの天幕はトイレですよ」
「失礼した、セル殿。……では、ヤーツ殿はどちらに?」
彼は、見習い時代にドーデムの取り巻きだったエッガ・セルだった。何だか、当時より一層背が伸びたような気がする。特に、現在子供の背丈になっているライガからでは巨人のように見えた。
今ファタリテで副官を務めているのは彼なのか、と思い、ライガは納得する気持ちと少々意外に思う気持ちが同時に湧き起こった。彼も、もう一人の取り巻きであったゼムンもヤーツ家の家臣の子で、ドーデムとよく行動を共にしてはいたものの、ずば抜けて剣や魔術の腕に秀でていた訳ではなかった。
(依怙贔屓……か?)
考えていると、彼は「こっちです」と身を翻した。
一応、上官となったドーデムと同格のリクトに対しては敬語を使うようだ。
「騎士長は昨日、赤峨王と直接剣を交えられましたよ」
「イスラフェリオが自ら動いた? それで、結果はどうなったんだ?」
リクトが、驚いたように身を乗り出す。エッガは、さも街頭で新聞屋にインタビューをされた事を話すかの如く、何でもない調子で答えた。
「赤峨王一人に、二十人弱やられました。騎士長は善戦され、時間は掛かったもののひとまずこれを撃退、以降は再び睨み合いが続けられています。恐らく赤峨王は、自らが少しずつこちらの戦力を削る方針に切り替えたようです」
「物資の不足による消耗を待つのではなく……か。それとも、イスラフェリオは自分がこちらの指揮官を討てるという自信を持っているのか」
「ドーデム様は、そう易々とやられはしません」
そこで微かにエッガの声が、威圧するような響きを帯びた。
「あなただけがジフトの降霊術者と戦える訳ではないという事を、どうかお忘れ下さらぬように」
「ああ、分かっているよ」
自惚れるつもりはない、とリクトは呟いた。
エッガに案内され、目的の天幕に辿り着いた。
「騎士長、セルにございます。只今、聖光士が到着されました」
彼が呼び掛けると、中から「ご苦労」と声が返って来る。「入れ」
ライガは一瞬、その声がドーデムとは別人であるかのように感じられた。否、ごく僅かに「あれ?」と思っただけで、やはり間違いなく彼のものには違いない声だったのだが、トーンが以前より低くなっている。騎士見習いだった頃の彼の声は甲高く聞こえていたものだが、それは自分が彼を煩わしいと感じていた事も手伝っていたのかもしれない。
天幕の中に入ると、ドーデムはそこに獅子宮の紋章をあしらった机を設え、肘掛け椅子に悠然と深座して爪磨きを使っていた。傍らには、秘書官と思しき女性がバインダーを手に控えている。
彼の姿もまた、記憶の中のそれとは異なっていた。オールバックの髪を背まで長く伸ばし、金縁の眼鏡を掛けている。鎧も、ファタリテのマントとほぼ同色の金。今は日光が天幕を透過し、明るいので照明石は使用されていないが、恐らく彼の姿は夜闇の中でも燦然として目立つに違いない。
「任務ご苦労、ヤーツ殿」
リクトが言うと、彼はこちらをじろりと一瞥し、ふっと爪の粉を吹いた。
「お城に申請して届いた支援物資というのは、聖光士、あなたの事か? 帝連最強の魔剣士たるあなたが居れば、他の如何なる魔導具も子供の玩具のようなもの、我々がいつまでも赤峨王を倒せず物資が無駄なので、あなたを投入してさっさと決着を着けてしまおうというお考えか……シアリーズ陛下は」
「………」
リクトが微かに奥歯を鳴らしたのを、傍に居たライガは耳聡く拾った。が、彼は皮肉の込もったドーデムの言葉には何もコメントする事なく、用件を言った。
「ファタリテの援助は、私個人がテレサ様から命じられた任務だ。フォルトゥナは現在王宮に留まり、有事の際はイェーガーが指揮を執るようにと言い渡して来た。テレサ様は、ヤーツ殿、あなたの早期の帰還をお望みだ」
「それはそれは」
ドーデムは、爪磨きを何処かにしまいながら言う。
「アウロラ姫が、私を恋しがっていますかな?」
「いえ、例のネイピアの層状孤児に関する一件で。件の少年を、こちらに連れて参った」
リクトは、ライガの肩を軽く叩く。ドーデムの両目が、眼鏡の奥ですっと微かに細められ、ライガは何となく蛇に睨まれたような気分になった。とはいえ、無論怯えがある訳ではない。
わざと怯えたような態度を見せるのも、こちらの正体について濃厚に疑いを抱いているという彼には有効かもしれない。しかし、演技だとしてもそれは何となく癪に障るので、ライガは敢えて恭しい態度で一礼した。
「お初にお目に掛かります、ドーデム騎士長。ガラル・バングです」
「おお、なかなかしっかりした子供だ」
ドーデムは面白がるように言い、「ドーデム・エルヴァーグ・ヤーツです」と自己紹介を返した。
「……いや、必要なかったかな。君は私の事を、よく知っているだろう?」
「ええ。ファタリテのドーデム騎士長といえば有名人ですから」
ライガは、彼の皮肉については気付かない顔をして言う。リクトは「ヤーツ殿に念を押しておくが」と容喙した。
「確かにこの子は、層状孤児だった。しかし、彼に宿ったもう一つの魂については未だに非覚醒状態に在り、この子自身もまだ自分の正体を知らない。いや、ややもすると正体などないのかもしれない。『審判の七日間』を終えて真っ新な状態に戻された二つの魂が、同時にガラル・バングという生涯を生き始めたのかもしれない。どのような可能性も、今は等分ずつにある状態だ。くれぐれも、あまり決めつけすぎるような事のないようにお願いしたい」
「言われずとも理解している、聖光士」
しかし、とドーデムは再び目を細めた。
「彼については、ネイピアに居た頃から身に覚えのない魔術的な能力を発揮したと聞く。この一点を採っても、この少年に宿る二つ目の魂が過去世の記憶を消去されていない──非忘却者である事はほぼ間違いないのでは?」
「それらの現象についても、実際に発生した際の詳細な状況が分からない以上早々に判断を下す事は出来ない。だからこそ私も、彼を引き取る事にしたのだ」
「ふむ……」
言葉を探すように視線を下げる彼に、リクトは続けた。
「あなたが、彼に宿るもう一つの魂をライガ・アンバースだと疑っている事。それについては、ガラル少年本人も理解している。その事で、最も悩んでいるのは彼自身なのです。我々には想像もつかない事でしょう……自分自身の事すらも、信じられないという状態は」
「ならば何故、除霊を行わないのです?」
「あなたを始め、多くの者が彼にライガ・アンバースの疑いを向けている。その可能性が否定しきれない以上は、早まった事は出来ない。『蠍』を介して情報を掴んだ新生ジフトが、境界転生を行ったらどうされるか」
リクトの言葉に、ドーデムは「それもそうか」と顎を引いた。
「では、どうやってそれを確かめるのか?」
「試行錯誤の段階です。私はまず、彼に魔杖オムグロンデュを握らせてみようと考えている」
リクトが口にした瞬間、天幕の中の空気が凍りついた。
「ライガという人格の生存により、彼の魂の感応があの杖の中でまだ生きているのだとすれば、何らかの反応は起こるはず」
「正気の沙汰とは思えません、聖光士!」
ずっと沈黙を保っていた秘書官の女性が、堪えきれなくなったかのように口を挟んできた。
「隕命君主かもしれない魂の持ち主に、あの杖を握らせるなど!」
「ペネロープ」
ドーデムが、短く彼女を諫める。名を呼ばれただけで、彼女は我に返ったように再び口を噤んだが、ドーデム自身もリクトの台詞には少なからず驚きを感じているかのような様子だった。
「それで正体が発覚した際、本当にその少年が隕命君主だったとしたら──」
一瞬言葉を切り、ライガの方に視線を向けてくる。
「その時、あなたは除霊を躊躇いませんか?」
「当然」
リクトは、間髪を入れずに肯く。
「私は、業務に私情を持ち込めるような立場ではない」
「隕命君主の力は強大だ。除霊が難航し、少年自体の命を奪わねばならないという事になったら?」
「ガラル少年は、その事についても理解を示しています」
「ほう? 僅か六歳の少年がねえ……」
本当にしっかりした子供だ、とドーデムは呟く。ライガは、自分も何かを言った方がいいだろうか、と思い、徐ろに開口した。
「僕も、自分が訳も分からないまま人を傷つけるのは嫌です。僕が死んで、それでライガ・アンバースを境界に送り返せるのなら……どうせ死ぬなら、僕は皆の為に死ぬのがいい」
「ガラル君……」
ペネロープと呼ばれた女性が、本心から感心したようにガラルの名を呼んだ。
ドーデムは目を瞑り、暫し顎の方に流れた毛先を指先で弄っていたが、やがてゆっくりと言った。
「そのテストに魔杖オムグロンデュを用いるとして、例の杖は今先代騎士長ロディ殿の墓に埋められている。取り出すには、彼の墓を掘り返さねばなりませんが」
「承知している」
「故人とはいえ、名誉ある匍匐獅子に対してあまりに傍若無人な振舞いだとはお思いにならぬか?」
「それも承知の上だ、ヤーツ殿」
リクトは、揺さぶりを掛けるようなドーデムの言葉に屈する事なく、声の調子を変えずにきっぱりと言った。
「特にあなたには、容認し難い事でしょう。ファタリテの未来を託されたあなたにとって、ロディ殿は第二の父親も同然の存在であった。私も、今後の為とはいえ誰かが無断で父の墓を暴いたら、決していい気はしない」
だが、と彼は言い募った。
「その上で、敢えて私はあなたに頼みたい。ドーデム・E・ヤーツ──エルヴァーグの名を冠し、匍匐獅子の名誉を継承する者に。世界の秩序を守護する五大騎士団の一つ、ファタリテの長として、同じくフォルトゥナの長である私が秩序の遂行の為に行わんとする蛮行を許して頂けないか?」
「………」
ドーデムは、また暫し沈黙した。指を組み、熟考するように長く唸る。
ライガも、エッガもペネロープも、無言で彼の言葉を待った。リクトの拳が、太腿の横でぐっと握り締められる。
焦らすかの如く黙り込んでいたドーデムは、やがてゆっくりと顔を上げた。
「頭を下げて頂こう、聖光士」
彼は、意地の悪い笑みを唇の端に浮かべながらそう言った。
「そこに、手を突いてだ。私に対してではない、私を通して土の中に眠る匍匐獅子に頭を下げるのですよ。ロディ・エルヴァーグは──あの偉大なお方は、あなたの守ろうとした隕命君主によって人生を狂わされた者たちの代表だ。そして今、また彼の為に安らぎを奪われようとしている!」
「………!」
ライガは、声を発しそうになるのを懸命に堪えねばならなかった。
ドーデムの言う事は、確かにその通りだった。リクトは、生前ロディが最も強硬にライガの討滅を主張したと言っていたが、自分が彼に対して行った事を思えば、そうされても仕方がなかった。
だが、それでもライガは、ドーデムの意図がはっきりと分かって込み上げて来る怒りを抑えるのに必死にならざるを得なかった。
ドーデムは、リクトが自分に這い蹲って頭を下げるところを見たいのだ。敵対する家の御曹司であり、騎士見習い時代のライバルであり、今ではもう超えるに超えられなくなった壁でもある彼に屈辱的な姿勢を強い、今まで傷つけられ続けてきた自尊心を回復させたいのだろう。
リクト自身に、そのような意図は全くなかったというのに──。
「あんた──」
実際に口を開きかけてしまったライガの手を、リクトがぎゅっと掴んだ。宥めるように、一方で余計な事は何もするな、と言うかのような、有無を言わせぬ強い感情を込めて。
ライガが口を引き結ぶと、リクトは一歩進み出、屈み込んだ。
ドーデムが立ち、机の前まで回って来る。リクトは膝を揃えると、両手を地面に突いて額を擦り付けた。
「お許し下さい、匍匐獅子よ……あなたの眠りを妨げようとする私を」
「それでいいのです、リクト・レボルンス」
ドーデムは唇を曲げ、歯息混じりの笑い声を漏らす。
ライガは、爪が掌に食い込む程に拳を握りながら、かつての親友の背負っているものの──背負わされているものの重さを目の当たりにしたような気がした。それはかつて自分が背負うはずのものであり、結局は背負う事を放棄して逃げ出したものでもあった。
フォルトゥナ騎士団隊長。
それが、彼が本来背負うはずだった皇帝という立場と、どのように異なる重さとして彼に伸し掛かっているのだろう、とライガは考えた。