『リ・バース』第一部 第1話 Happy Unbirthday⑤
④ PHASE〈4〉
深夜、少年ガラルは深い眠りに落ちていた。
両親のバング夫妻は実際に降霊術者たちが除霊の儀式を行う現場に立ち会いたいと言ったが、フー・ダ・ニットもアノニム・アノニマスも、危険が伴うので儀式の間は部屋に来ないように、と固く言い含めていた。心配せずに眠っているように、とも彼らは言ったが、夫妻はせめて事の顛末を知るまで安心は出来ない、と言い、階下の客間で寝ずに待機していた。
降霊術者の二人は、ガラルを一目見た時点で彼が層状孤児である事を両親に伝えていた。
ガラルはフーとアノニムが寝室に入った時、眠った振りをしていた。それを見破った時点で、二人には彼が何を企んでいるのかすぐに察しがついた為、
「黒甜郷に遊べ……ソムニア」
即座に睡眠魔術を施し、本当の眠りに落とした。
少年が自らに起こっている事についてどのような受け止め方をし、またどのような覚悟を以て来訪者たちと相対しようとしていたのか、フーもアノニムも分からなかった。が、知る必要もない事だった。
「アノニム」
フーは相方を呼ばうと、青金鋼の剣を抜いた。剣士にとっては命と同様に大切なものであり、魔剣士にとっては法具でもある剣には、それぞれに固有の特性が備わっている。
「多少のタイムラグが予想される。魔導具を発動して、俺が”分魂”を行う間に最大出力まで引き上げろ」
「最大出力? それじゃ、万が一の事があったら──」
「俺たちが今からしようとしている事を考えれば、どんな万が一が起ころうが些細な事だ。それよりも、作戦の成功率を上げるのが最優先だ」
「なら、お前は? 分魂の時、下手をすればお前に層状孤児が移る可能性も否定しきれないぞ」
「それこそ取り越し苦労だ。そう易々と乗っ取られる俺ではないさ、この子供から引き剝がす魂は──雑魚のものなのだから」
フーは「始めるぞ」と言い、剣を胸の前で構えて切っ先を天井に向けた。
次の瞬間、横たわるガラルの上に魔方陣が展開された。その矮躯から湯気の如く仄白い霊力が湧き上がり、陣に吸収されて行く。呼応するかのように、掲げられた刀身が同色に輝いた。
アノニムはさっさと事を実行に移した相方を見、微かに溜め息を吐くと、自らも剣を──こちらも直剣で、刀身は黄水晶の色をしていた──抜いた。
同時に、二階層を隔てた地下で魔導具が発動する。屋内に居る二人からは極光のようなカーテン状の光にしか見えなかったが、この時バング邸は、家全体を覆い尽くすかの如く巨大な魔方陣に覆われていた。
除霊の儀式が開始された。
夫妻が聞かされていた通りに。但し、彼らが聞かされていたのとは全く違った意図を以て。
「……っ!」
ガラルが、微かに呻き声を発した。
最初それは、二人には意味を持たない声の漏出と捉えられた。だが、実際にはそれは、少年が夢現のうちに何者かと交わしている言葉だった。
彼は朦朧とする意識の中で、闇に包まれながらその相手と向き合っていた。
その相手は全身を赤黒い靄に包まれており、辛うじて人の輪郭が視認出来る程度だった。
ガラルは、その意識の中でははっきりと言葉を発しているつもりだった。
「ねえ、あなたは……リクトって人なの?」
相手は数秒の後、微かに頭の辺りを小刻みに動かす。
──違う。
「それじゃあ、リィズ?」
ガラルの問い。それに対し、また答える声。
──違う。
「デルヴァンクールっていう人? それとも……王様?」
──違うよ。俺は……
相手が言うと同時に、凄まじい激痛が少年を襲った。あたかも、燃え盛る火の中に放り込まれて全身を隈なく炙られているかのようだった。
現実のベッドの上では、肉体の彼の喉からも悲鳴が迸っていた。
霊力の発光は増々強まり、ごうごうという風のような音と共に圧力が四方に生じて壁を軋ませた。
フーとアノニムはその圧力に仰反り、すぐに何とか踏み留まった。
「これは……!」
「素晴らしい……何という力だ」
フー・ダ・ニットは呟く。「見ろ、アノニム。奴が、自ら桎梏たる魂を排斥して現れ出でようとしている!」
少年が、マットレスから数センチ浮き上がった。
それは彼自身の意識の、肉体からの離脱とほぼ同時だった。
(嫌だ……嫌だよ、僕……行きたくないよ……!)
──ごめんな。
途絶する前、最後の自我の中でガラルが聞いたのは、幻聴か──。
やがて、彼から立ち昇っていた霊力が完全に陣へと吸収され尽くし、その五体は空中で一瞬引き攣るように硬直した後、どさりと落下した。低反発のスプリングの上で少年の肉体は軽く弾み、すぐに動かなくなった。
魔方陣が消え、降霊術者二人の剣の発光が止まった時、
「ガラル!」「騎士様方!」
部屋の入口の扉が蹴破るように開かれ、バング夫妻が姿を現した。
「危険ですから入ってはいけないと──」フーが言いかけるが、
「今、あの子の悲鳴が!」
パーセポニーが、それを遮るようにして叫んだ。
「あの子はどうなったんですか!? さっきの光は? あなた方は、除霊を行われていたはずですよね?」
「あっ、ガラルが──」
アデスが、アノニムを押し退けるようにして室内に入り込んで来た。フーもアノニムも、敢えてそれを止めようとはせず、ただ冷たく黙ったままその様子を見つめ続けていた。
アデスは、ベッドの上で最早ぴくりとも動かない息子に駆け寄り、忙しなく彼の小さな手を握り締めた。
「ガラル! ガラル、しっかりせえ!」
「お父様」
アノニムは今や、元来の冷徹な声を繕う事なく発していた。
「ガラル君は亡くなりましたよ。残念でしたね」
「な、何を──」
「除霊に伴うリスクについては、最初に説明を行いました。あなた方は、その上で儀式の実行に同意されたものかと思っていたのですが。とはいえ、これは我々自身の能力の過信にも原因があります。申し訳ありませんでした」
淡々と言う彼に、最初に食って掛かったのはパーセポニーだった。
「何を言うだ! お前さんら、さすけね、任しぇろって言ったでねか! 残念でしたってそんな、やすこい事で済まされっかや!」
「んだ!」
アデスも身を起こし、フーの胸倉を掴む。
「お前らにとっちゃ、こいつはいっぺえある仕事の一つに過ぎねっちゅう話かもしれね。けどな、おらたちにとっちゃこいつは血は繋がってねえけども、まんず大事なガキだっただべさ。したっけ、そったらごじゃっぺ言いおって──」
「アデスさん」
フーは、彼の目を見ていなかった。その硬く抑揚のない声に、アデスはぎょっとしたように言葉を切ってから
「な、なした?」
小刻みに首を震わせ、その視線の先を追う。
ベッドの上に力なく伸び、口を半開きにしたガラルの頰に、皮膚が引き攣り、裂けるようにして血濡れた二重の「X」が現れていた。死刑囚に刻まれる「反逆者」の烙印。しかしそれからは、今や普遍的な意味は失われていた。
「こ、こりゃ何だべ……?」
「お分かりでしょう」
アノニムが、パーセポニーの両肩を掴んで言った。
刹那、ガラルに現れた紋章が真紅に発光した。再び、その全身から霊力が煙の如く立ち昇る。しかし、今度のそれは先程とは異なり、赤黒かった。
その霊力を宙空に昇らせる力が引いているかのように、ガラルが背筋を伸ばしたままゆっくりと起き上がっていく。煙の中でバチバチと稲妻のような青い火花が飛び交い、段々とそれが激しくなり──爆発した。
降霊術者の二人も、夫婦も、拡散した衝撃に薙ぎ倒された。同時に、床に魔方陣を構成する詩文の一部が出現し、そこから光の柱が階下の天井と床板を貫いて少年を包み込んだ。
アノニムの起動していた魔導具が、遂に最大出力に到達したのだ。
凄まじい光量と重圧。それが天井に大穴を穿ち、空高くに伸び上がる。
「ガラルーっ!」
パーセポニーが、アノニムに押し留められながらも身を乗り出して叫ぶ。
「騎士さん、どうすっぺ? ガラルが、あん中に……」
「落ち着いて下さい。彼はもう、ガラル君ではない」
「したっけ──」
やがて、光の中に彼の姿が現れ始めた。
魔導具の発動に巻き込まれたにも拘わらず、その肉体にも被服にも、驚く程に損傷は見られない。頰に出現した紋章は一層輝きを強め、両の瞳もまた同色の発光を見せ始めている。
層状孤児を構成する、もう一つの魂。それこそが、フーたちがガラルの主人格を排し、呼び覚まそうとした非忘却者のものだった。
否──その呼び方も正確ではない。
彼はプログラムの欠陥ではない、盲点から生じたものなのだから──。
「目を背けてはなりませんよ、バングさん」
アノニムが、畳み掛けるように言った。
「彼は、かの伝説の死霊化者……隕命君主、ライガ・アンバースです」
──グルルルルルウッ……!!
屋外から、魔物の声が響き始める。アデス、パーセポニーは顔を蒼白にし、吹き飛んだ壁の方を見た。
その時、布を裂くような悲鳴が夜陰の中に谺した。