『リ・バース』第一部 第5話 Return with Reborns③
③ ライガ・アンバース
「何だか、色々大変な事になっているみたいだなあ……」
グラーネの背にリクトと共に揺られながら、ガラルの姿をしたライガは呟いた。
帝国北部、ディオファントス街道。北方諸国へと続くこの道路は首都ユークリッドから、近衛騎士団の駆る馬型の魔物ブロンティングの野生種が生息するフェルマー平野を貫いて一直線に伸びている。
「あいつらが皆、騎士長ねえ」
「ドーデムもオルフェもノレムも、それなりに上手くやっているよ。……ああ、『それなりに』っていうのは別に上から目線で言ったんじゃなくて、あれから大きな戦いとかはなかったし、騎士団といってもする事といえば殆どがデスクワークみたいな事ばっかりでさ」
リクトが答える。
「確かに君が──死んでから、すぐにイスラフェリオは新生ジフトを興して宣戦布告してきたけど、彼は今までずっと不動を貫いてきたし」
段々と分かってくる自分の”死後”の出来事について、ライガは頭の中で情報の整理を図る。グラーネの規則正しい揺れが、物思いに耽るには丁度いい空気感を作り出してくれていた。
正騎士叙勲前に帝連と決別したライガは、自分の馬を持たなかった。幼い頃、振り落とされて左腕を折る事になった養父の愛馬ヴィーグヴレーヴは年老いてもう間もなく寿命だという──ブロンティングの寿命も普通の馬と同程度で、大体二十五年から三十年らしい──が、アルフォンスの死後もデルヴァンクール家の敷地内で飼われていた。
乗り手が居なくなり、白羊宮の厩舎にいつまでも置いている訳には行かなくなった事、寿命が迫った上、主人の死によって威勢を失い、もうかつてのような力を発揮する事は出来ないだろうと判断された事で、名馬としての子種を採取した後安楽死処分にするという事も検討されたそうだ。しかし、それを厩務員のルーク・ネリアーが押し留め、同じくライガとアルフォンスを立て続けに喪い塞ぎ込んでいるメルセデスに引き取らせた。動物には──正確には魔物だが──、傷ついた精神を癒すセラピーのような効果があるから、という事だった。
そのような経緯があり、ヴィーグヴレーヴは今もデルヴァンクール邸に居る。無論メルセデスが一人で世話をしているのではなく、ライガの実父と共に使役獣の調教師を務め、アルフォンスに仕える身であったルークが毎日訪問し、餌付けと体の手入れを行っているらしい。ルークとはライガもかつて交流を持ったが、彼が素人が動物の世話をする事に厳しいのは当時から変わっていないようだ。メルセデスは城での仕事の時間外に家にやって来る彼に度々駄賃を払おうとするようだが、
「言い出したのは俺ですし、デルヴァンクール殿には義理もありますから気にしないで下さいよ」
ルークはそう言って、受け取ろうとしないという。
ライガは、彼に魔物招喚士としての使役術を教わっていた。現在はガラルの姿になっているものの、魂に刻まれた魔術は健在だ。故に、それでヴィーグヴレーヴを調伏すれば今の自分でも馬に乗れるのではないかと思いついたものの、これについてはリクトから止められた。
「いや、それは危険だ」
「何でだよ? 俺は変身術を使える、足が鐙に届かないなんて事もないし……」
「そうじゃない。君は今、正体を隠さなきゃいけない身だ。メルセデス夫人に、何と言ってヴィーグヴレーヴを借りるつもりなんだ?」
反論の余地もなかった。無論、ライガも本来の自分の姿で行動するのはリクトやシアリーズたちの前だけにしようと思っていたし、当然馬に乗るのもこうして人気のない場所を移動する時だけだという事は想定していたが、メルセデスに会う為に屋敷に戻らねばならない事に関しては、全く無意識に、ごく当たり前に自分として家に帰る事の如く考えていた。
恩あるアルフォンスに対して、自分は手酷い裏切りを行った。それなのに、未だに彼の家をさも当然のように自分の帰る場所だと考えている事を浅ましく思った。同時に、そんな自分の訃報を聞いて心を痛めたというメルセデスに、姿は変わってしまったとはいえ自分は戻って来たのだと教えてあげる事の出来ない状況に、胸奥が鈍く疼くようだった。
「オルフェがフェートを継いだのは、まあ納得出来る。アレイティーズ殿も、ジフト戦役を終えて彼にイェスネットを名乗るのを許した訳だし……ドーデムも、今思い出してもいけ好かない奴だったけど、そうだな、ロディ殿が後を託すにはこの上ない人物だったんだろう」
ライガは、運命石のペンダントを指先で弄びながら呟く。
「しかし、ノレムが本当にカルマを継ぐなんてなあ……血筋的にはおかしくはないんだろうけど、あのキューカンバー殿がよく認めたな。というか、彼は後継者について遺言を残さなかったのか?」
「いや、それがよく分からないんだ。彼もロディ殿と同じく病死として扱われているけど、使う降霊術が降霊術だったからな。晩年、重度の悪夢障害と異食症に悩まされていた──血を飲みたがって、自分の体を傷つけたりね。きっと、代償を受けたんだろうって。僕も、彼の最期に立ち会った訳ではない。ノレム本人の方が詳しいんだろうけど、何となく聞けずにいるんだ」
「そうか……あの紅潔伯が、痛ましいな」
「ノレムにも、同じカルマ騎士団の者たちからも色々陰口があった。何故あんな無能が、とか、親の七光りじゃないか、とかね。でも、副官の従叔父殿は──アンターク副騎士長は彼の事を評価していたようだ。彼がただのうつけ者なら、自分の娘は将来そのうつけ者の家の門に馬を繋ぐ事になるだろう、って」
「ノレム、再従妹と婚約したんだ」
彼より一つ年下の再従妹──キューカンバーの姪──ラナは、ライガたちの入団翌年に騎士見習いとなった、数少ない女性の騎士だった。
「彼が騎士長に就任してからね。アンターク殿も、今は引退して副騎士長をラナ殿に譲っている」
「理解のある人だよ、その従叔父殿は。あいつにはちゃんと、あいつのいいところがあるって事を分かっている」
成績は散々だったけどさ、と言い、ライガは微かに笑う。
「あいつにも早く会いたいもんだな」
* * *
ソレイユ王国への出発前、オルフェには会っていた。
彼がまだアッシュの姓を名乗っていたジフト戦役以前、当時は父アレイティーズに認められなかった実力をキューカンバーから高く評価され、彼に取り上げられたオルフェは、「紅潔伯」に倣って「蛍虹伯」という称号を名乗っていた。訓練生時代までは陰気な少年だった彼も、父に認められた事で自信をつけたのか、戦争終結以降はよく笑うようになった。
ライガがリクトに伴われて宝瓶宮を訪れた時も、彼はにこやかに自分たちを出迎えてくれた。
「やあ、聖光士」
「久しぶり──でもないな、一週間ぶりくらいか。リクトでいいよ」
「いやいや、あなたは筆頭騎士長なのですから。……ところで、その筆頭騎士長殿がわざわざ何のご用です?」
立ち話も何だから、と言い、オルフェは二人を自室に誘った。彼はガラルの姿をしたライガを見、ぴくりと眉を上げた。
「この子が、件の層状孤児ですか?」
「ああ、ガラル・バングだ。訳あって僕が引き取っている事は聞いているね?」
「ジブリ殿から伺いましたよ。……なるほど、なかなかいい目をしている。こんにちは、ガラル君。オルフェ・イェスネットです」
「こ……こんにちは。ガラルです」
正体が自分だとバレないだろうか、とやや緊張しながら、ライガはたどたどしい挨拶を返した。
彼は手ずから、愛飲しているという赤灌木のハーブティーを淹れ、ライガとリクトに勧めた。リクトは礼を言って一口啜り、それから用件を切り出した。
「ライガの遺した品々の中で、フェートに分配された魔導書ガルドラボーク。それを少しの間、フォルトゥナに貸して欲しいんだ」
「ガルドラボークを?」
オルフェは目を円くしたが、すぐに「いいですよ」と言った。
「あなたなら、悪用はしないでしょうからね。もっとも、あなたや私であっても、ライガの遺した魔術を完璧に再現する事は難しいでしょうが」
「ああ、僕が使う訳じゃないよ。理由は──テレサ様のご命令で言えないんだが、このガラルの事で、ちょっと確かめなきゃならない事があるんだ。勿論、使い終わったらすぐに返すよ」
「ええ、その点はくれぐれも宜しくお願いします。けれど……やはり、リクト殿程の人物ともなると、色々と職業上の機密を抱え込んで大変ですね。その上で通常の仕事も──新生ジフトとの戦いも、しなきゃならないのでしょう?」
オルフェは蛍光色のマントを煌めかせて立ち上がり、業務用の机に向かうと、何処からともなく鍵を取り出して抽斗を開けた。その中からあっさりとものが取り出されたので、ライガは面食らった。
紛れもなく、それはライガが少年時代から修得した魔術を書き溜めていた、黄変した帳面──ガルドラボークだった。確かにその中には、来るべき時に自分が信用出来る者たちに自らの知識を引き継ぐ為、記録した数々の禁術の研究成果がまとめられている。
しかし、よもや学生時代に購入した市販のノートが、大人たちから大真面目な顔で魔導書などと呼ばれているとは。考えると恥ずかしくなってくる。
その一方で、あまりにもとんとん拍子に進行して行く状況に戸惑ってもいた。
「こんなに早く受け取れるとは……」
リクトも、自分と同じ事を考えているようだった。オルフェは微かに首を傾げた。
「おや、私に断られると思ったのですか?」
「いや、そうではなくて……まさか君が、それを自室で保管しているとは思わなかった。てっきり、僕がオムグロンデュを預かっていた時のように宝物庫で厳重に管理しているものかと。まあ、確かに幾ら悪意を持った人間でも、騎士長の自室に侵入する事だけでも難しいとは思うけれど」
「鍵も、この通り私が肌身離さず身に着けていますしね。まあ、鍵穴自体は普通のものですから、百パーセント破られないなんて事は言えませんが──何事も百パーセントの保証など有り得ないものですし──、いざ取り出して読もうにも、認識阻害の術が掛かっているので一定以上の魔術の出力を持った者でないと読めません。ライガらしい慎重さではありますね」
「違いない」
リクトは微かに笑った。
ライガは普段は大雑把でいい加減な性格ではあったが、ここぞという時には慎重になる。災厄の元凶とも呼ばれた自分だが、当時から自分が地獄の門を開いたのだという自覚は確かにあった。
彼は、その事について今はどう思っているのだろうか──。
考えていると、リクトは丁寧に頭を下げて帳面を受け取った。
「ありがとう、オルフェ」




