『リ・バース』第一部 第4話 His Punishment⑬
④ リクト・レボルンス
三日目、正午。
浄水施設の湖周辺を、デスタン騎士団がぐるりと取り囲んでいた。一見すると昨日と同じフォーメーションのようだが、ネクアタッド騎士長は今度は水中に居る魔物に有効な雷属性を使用する第四班を分散させて湖全体に展開し、その後ろに同じく分散させた火、水属性──それぞれ反属性、環境による支援効果を得られる属性だ──、更に属性無差別の魔剣士たちを配置している。
ローテーションを重視した陣形だった。では騎士長本人は何処に控えているのかというと、それは湖の真上だ。
空属性魔術のうち、汎用魔術に近い飛行術。攻撃技ではないので属性の適性に関わらず誰もが修得出来るものではあるが、重力の制約を受けず自由に飛び回るまでに使いこなせる術者は相当の熟練者だ。
但し、今回の作戦に於いてそこまでの事は求められていない。ネクアタッド騎士長は役割上、ただ浮かんでいさえすれば良かった。
それともう一つ、昨日とは異なる点がある。リクトたち訓練生の扱いだ。
「昨日は水路側から魔物の奇襲を許してしまった為、混乱が起きてイピリアに付け込まれる事となった。だから今回は諸君に、そちら側の警戒に当たって貰おうと考えている」
今日討伐隊に同行している水道局員は、バトラス局長ただ一人だった。昨日の一件で、ボス格の魔物との戦闘に於いて彼らが足手まといになる事を騎士長がやんわりと伝え、局で待機して貰う事にしたのだ。彼らとしても、昨日同僚が目の前で無残に食われた事でショックを受けている者が殆どで、大半が二も三もなく騎士長からの要請に従った。
ネクアタッド騎士長は、昨日までのオルフェやウロータスの行動や、一度散り散りになった訓練生たちが回収までの間、自分たちの判断で動き、一人も欠ける事なく合流した事などを鑑み、ペトスコス程度の魔物との戦闘であれば参加させても構わないだろう、と判断したとの事だった。
リクトはライガと並び、湖に続く水門の方を向きながら、視線だけを動かして彼の様子を窺った。彼は同じくアルターエゴを構え、油断なく水路の方を見ているようでありながら、確かにその眼差しは近くで控えているバトラスの背に、明らかな殺気を込めて注がれていた。
昨夜、宿舎に戻ると、ヴォルノはリクトとライガの抜け出した事に気付いて外で待ち構えていた。一昨日の夜、ライガが一人で地下水道に行った時、リクトはカミングアウトされる前から彼が何をしていたのかを察したが、ヴォルノも同じだったようで自分たちが戻って来るや否や雷を落としかけた。
が、それよりも早く、ライガは話が早くて幸いと言わんばかりに自分たちが目撃したものについて彼に語った。そのまくし立てるような調子に、向こうの方でこちらを説教しようとしていたヴォルノは気圧されたようにやや仰反ったが、話が進むに連れてその表情は引き締められて行った。
「……すぐに、エミルス殿に伝えよう」
そう言った彼に、ライガは「伝言ゲームをする中で情報が間違って伝えられると困るから」と言い募り、二人は直接ネクアタッドと話す事になった。
リクトとライガが口々に語り終えると、騎士長は自分たちの無断外出については特に咎める事はなく、
「ありがとう、君たちのお陰で助かった」
そう言って二人を労った。
「明日、イピリアの討伐を行うまで待ってくれるか? あいつさえ何とかすれば、あとは魔物の侵入経路の確認だ。その時に、私から直接バトラス殿を問い質してみるとしよう」
「もしも、彼が白を切ったら──」
「問題ない。その場合は彼と取り引きをしていた難民たちに証言を貰って、麻薬所持の罪状で彼を拘束する。そこで余罪について調べ、水道局と関わっていた工事業者や傭兵団を追及すればいい」
その後、ネクアタッドは夜の間に宿舎から繋がっている水道局に忍び込み、各部署ごとのオフィスを捜索して神酒の瓶を幾つか回収した、という事を、今朝リクトは個人的に教えられた。
これで少なくとも、水道局員たちを逮捕する事は出来る。あとは彼らが自供の際にミッテラン王の名を出せば、そちらも裁判の席に送る事は出来る訳だが──。
「リクト」
物思いに耽るうちに、つい没入してしまっていた。ライガに声を掛けられ、はっと我に返る。彼もバトラスにただ気を取られていた訳ではなく、目下の作戦は作戦としてきちんと意識を向けているようだった。
「始まるぞ」
「あ、ああ……ごめん」
リクトは短く応え、トゥールビヨンを構え直す。
後方で、準備が整ったようだった。ネクアタッド騎士長の「作戦開始!」の合図と共に、昨日と同様湖を取り囲む雷属性術者たちが最高技──雷霆を水中に向かって放つ。リクトは水路の方を見たまま、密かに知覚術を使用して魔素の変化から背後で起こっている事を確認したが、その瞬間場全体にぼんやりと感じられていた魔物の気配が一気に凝集された。
水中から浮上して来る魔物の姿が、共感覚のようにはっきりと目に浮かぶ。魔物はあと数秒で水面に到達し、反撃を開始するだろう。
しかし、その殺気の向かう方向が定まらなかった。今回雷霆を放った術者たちは密集しておらず、湖全体を満遍なく取り巻いている。魔物もその事で、ターゲットを定めるのに戸惑いを覚えたらしい。
そしてその時間こそが、ネクアタッド騎士長に必要なものだった。
「地を呑み、万物を始源へと回帰せしめる水災よ……罪人に永久の刑戮を! 塵芥犇めく此岸の地を、悴せぬ天水にて禊ぎ清めん!」
その詠唱は、リクトが今まで耳にした事のある詩文の中で最も長いものだった。だが、知識がない訳ではない。
各属性最高技の、更に上位に位置する派生技。これを使用出来る魔術師は極めて限定されており、それこそ帝国騎士団の騎士長になれるレベルの実力者でなければ使いこなせないとされる。
隣のライガが、これにはさすがに直接顔を振り向けた。
「聖裁……エターナル・パニッシュメント!」
──飛行術で湖の上空に浮かんだネクアタッド騎士長を中心に、特大の魔方陣が生じた。同時に、湖から大量の飛沫が上がり、イピリアがその姿を現す。
しかしそれは、次の瞬間魔方陣から出現した極太の水の竜巻によって呑み込まれ、刹那に見えなくなった。
「第一班、交替! 総攻撃! テュエーっ!!」
水の渦巻く轟音の中、騎士長の声はそれに呑まれる事なくはっきりと響いた。
あたかも以心伝心であるかのように、「掛かれ」の合図が出る時には既に第四班は第一班──騎士長本人と同じく水属性に適性のある者たち──と交替しており、入れ替わった彼らは水の渦に向かって自分たちの詠唱を開始する。
「マリンアロー!」「リキッドショット!」「ハイドロブレード!」
水属性術のレパートリーが他の属性よりも多いのは、水の性が本来変幻自在である事に理由があるようだ。水は環境や人為の干渉によって、容易く形を変化させ、自らを適応させる。
それは、魔術同士の親和性が高いという事でもあった。ネクアタッド騎士長の発生させた水の渦に放たれた各水属性術は、渦の威力を底上げし、また自分たちも水を取り込んで強化される。
そして派生技の効果が途切れた時、また交替した魔剣士たち──今度は火属性術者たちが、反属性の水と相殺されるデメリットのなくなったタイミングで、炎の弾丸や神々の遺産を叩き込んだ。同時に騎士長は、威力に見合った最長の冷却時間を課されていた派生技を再度使用可能になり、
「聖裁!」
第二班が属性無差別の者たちと交替する瞬間、再びそれを放った。
まさに、完璧なローテーションだった。
「凄い……」
「来たぞ!」
ウロータスが声を上げたのは、まさにその時だった。