『リ・バース』第一部 第4話 His Punishment⑩
* * *
「ライガ、ストップ。ここまで来ればもう大丈夫だろう」
迷路の如き地下水道を、誰もが水路に沿ってひたすらに駆けた。目下の危機を逃れる為には、道に迷う事など気にしてはいられない。結果、難を逃れる頃には討伐隊は散り散りになっていた。
リクトに声を掛けられ、ライガは減速する。分かれ道が現れる度にランダムな曲がり方をしたので、最早自分たちが何処に居るのかすらも分からない。走っているうちに五人、十人と自分たちとは異なる方向に分裂する者も増え、立ち止まる頃には自分の近くに居るのはリクトのみとなっていた。
「こういう時は、俺たちの方がはぐれたっていうのかな……」
ライガは呟きつつ、HMEを取り出す。送信先の登録されたヴォルノ副騎士長に連絡を入れようか、と思ったが、音声を吹き込む直前でやめた。そのような事をしなくても、皆がてんでんばらばらに逃げたのだ、ネクアタッドやヴォルノは既にはぐれた者たちに順番に繋いでいる事だろう。
「とりあえず、引き返そうか? 正確に元来た道じゃなくても、別の方向に逃げた連中と合流出来るかもしれない」
ライガが言うと、リクトは「そうだね」と肯いた。
「でも、その前に君の傷を」
「傷?」
彼に言われ、自分の体を見下ろす。そこでライガは初めて、自分のショースの右足が、鮮血で汚れている事に気が付いた。不思議なもので、気付いた途端に痛みが襲ってくる。
「あちゃー、走っている途中で切ったかな」
「大丈夫、走れない程じゃなかったんだろう?」
リクトは屈み込み、こちらの傷に手を翳す。「癒しの風よ、大地にそよ吹け……エアリーウェーブ」
彼の詠唱と共に、涼やかな香気が微風と共に吹き抜けた。生物が本来持っている自然治癒力を何倍にも向上させ、即座に傷を閉じる回復魔術だ。
気付いた時点でまだ流れていた血が止まり、痛みもすっと引いた。
「メルシー、リクト」
ライガは言い、手を差し出して彼が立ち上がるのを手伝った。
それから、辺りを見回す。そこで初めて、自分たちの居る場所に気付いてぎょっとした。
そこは、地下難民たちの集落の真ん中だった。すぐ目の前に、廃材を積み上げて作ったテントが幾つも並んでいる。突如騎士の装いをした自分たちが駆け込んで来た事で動揺したのか、住人たちは皆それらの建物の中に入ってしまっていたが、酷く開いた隙間から彼らの目がこちらを覗いている事は確認出来た。
ライガもリクトも、突然の事に暫し立ち尽くしてしまった。
最初に地下に入った時に目にした集落は、対岸からでは詳細な様子を見て取る事は出来なかった。しかし、近くで見るとその陰惨さは一層際立っている。ボロ小屋を形成する廃材の中には、明らかに進駐軍の司令部から廃棄されたとしか思えない馬具や魔導具の残骸もあった。兵器の一部だったのであろう、豪華な装飾の施された箱型の金属部品には、地上で集めたと思しき残飯が詰まっている。
そのような状況だというのに、集落では地下水道に入った時から感じられた湿っぽく生臭い臭いは酷くなっていなかった。ライガとしては、路上生活者は何日間も体を洗わない事が多いので饐えたような酷い臭いがする、という先入観があった。……いや、よくよく気を付ければ、そういった悪臭は確かに感じられるのだが、ここでは何故かその上に、得も言われぬ甘やかな匂いが漂っているのだ。ライガが昨夜使用した蜂蜜溜まりの降霊術のような、自然界に存在する香りではない。何処か人工的に合成した香水のような、使い方によっては喉がひりひりするような匂い──。
言葉を失っていると、自分たちがここに立っている事に何らかの意味があると思ったのだろう、眼前の小屋から、背の曲がった老人が足を引き摺るようにして姿を現した。
「進駐軍の方ですな? また、いつものブツですか?」
「えっ?」
ライガとリクトは顔を見合わせる。老人は「ちょっとお待ちなされ」と言い、小屋の中に引っ込む。数秒後、彼は薄紅色のガラスの小瓶を手に現れた。
「これですよ。そういえば、あんた方はまだ見ない顔さね」
ライガは戸惑いながらも小瓶を受け取り、蓋を開けて鼻を近づける。途端に、鼻腔を刺激するその強烈な甘い香りにうっと呻いてしまった。
先程から感じていた、集落に漂う甘い匂いを濃縮し、瓶一杯に詰め込んだかのようだった。いや、「よう」ではなく、実際にそうなのだろう。匂いの正体は、この小瓶の中の物質なのだ。
「神酒ですよ。あんた方、基地のお偉いさんたちに教えられて買いに来たんじゃないのかね?」
「何だって!?」
反応したのはリクトだった。彼はライガの手から小瓶をひったくると、焦燥の滲む声で言った。「麻薬だよ、これ! ラプラスで問題になっている……」
「何だと──」
ライガも、自然に彼と同じような反応が出た。途端に、老人の顔に「しまった」というような表情が浮かぶ。事情を知らない帝連軍の者に対し、違法薬物を見せてしまった事に動揺しているようだ。
ライガはそれを見ると、素早く老人の肩を掴んだ。アルターエゴの切っ先を喉元に突き付ける。リクトがあっと声を出し、老人がひっと短く悲鳴を発した。
「これを何処で手に入れた!?」
脅しつけるように問い掛ける。リクトが「ちょっと……」と肩に触れてきたが、構っている余裕はなかった。
この匂いがこれ程までに外に漂っている事から考えて、彼らは薬物を販売しているだけではないだろう。恐らく──というか確実に、自分たちの間でも使用しているのだ。既に依存症患者も出ているに違いない。
(阿片窟かよ、ここは……)
「……水道局の人たちだよ」
老人が、震えた声で紡ぎ出した。ライガは「嘘を吐くな!」と叫んでから、すぐにはっと目を見開く。脳裏に過ぎったのは、昨夜隠れるように地下水道を歩いていたバトラス局長の姿だった。
「これを売って出た利益の六割を、原価として自分たちに支払えと言ったんだ。裏取り引きだから、収入は隠せって……そうしないと、ミッテラン王に税金として持って行かれてしまうからって」
「リクト、どういう事だ? 麻薬は水道局で造られていたのか?」
「僕に聞かれても……」
リクトは困惑したように呟いたが、そこで思い出したように「でも」と言った。
「昨日イェーガー殿に同行してミッテラン王に会った時、神酒の出所は難民じゃないかという話はあった。けれど、僕には衣食住もままならないこの人たちに、新種の麻薬を作り出す技術力があるのか疑問が拭えなかった」
「……いつから」
ライガは剣を納め、声のトーンを落としつつ改めて老人に尋ねた。
「いつから、こんな事をしているんだ?」
「半年程前からじゃよ……けれど、それで大分稼げた」
「稼いだ金で、自分たちで薬をやっていたら仕方ないだろう?」
ライガは、やれやれと肩を竦める。が、内心では改めてラプラスの街が如何に歪んだ構造を呈しているのかを目の当たりにしたようで、動揺は拭えなかった。
「悪い事だよ、こんな事は」
「生きる為には、仕方のない事なんじゃ」
「王の政治は、確かに失政だったんだろう。けれど、本当に水道局の連中が麻薬をあんたたちに売りつけているなら……それは役場に籠りきりでちゃんと街を見ていない王に対して、現状を訴える証拠にもなる。そうすれば王だって、いくらあんたたちを疎ましく思っていたとしても放置は出来ないよ」
自分の言っている事に無理があるとは、ライガも自覚していた。しかし、だからといって彼らが市民に危険な薬物を蔓延させ続ける事を、仕方がないと割り切る事は出来なかった。
「もう、帝国が侵略をやめてから十五年だ。俺たちも帝国の騎士だし、偉そうな事は言えないけれど──」
「わしらにとっては!」
そこで、老人が我慢の限界だというように声を荒げた。
「わしらにとっては、十五年前の戦争なぞついこの間の事なんじゃ!」
ライガもリクトも、その言葉にはっと息を呑んだ。老人の叫び声に反応してか、他のテントから難民たちがちらほらと顔を覗かせ始める。彼らは皆、薬物中毒の影響か生気の抜けたような虚ろな表情を湛えていた。
老人は怒鳴ってから、ふっと息を吐きつつ肩を落とした。
「あんた方は、進駐軍なのか? なら、通報しても無駄じゃよ。役場に訴えを届けられるのは上の連中だけ、そして上の連中は、わしらから神酒を買っておる。自分たちの立場が危うくなる以上、揉み消す以外に出来る事はないじゃろうて」




