『リ・バース』第一部 第1話 Happy Unbirthday④
③ PHASE〈3〉
「またバングんとこのガキかい! 何処さ行ったべや?」
眼下で、掘り返された林檎の箱を見て村人の中年男が癇癪を起している。屋根の上に登った少年は雨樋の陰からその様子を窺い、忍び笑いを漏らしつつ失敬した果実に齧りついた。
が、すぐに吐き出してしまった。ぼそぼそとして味気がない。旬ももう終わりだな、と思いながら、少年は袖で口元を拭う。
それでやめればいいのに、少年は齧りかけの林檎を雨樋に押し込み、また屋根の端から手を伸ばす。怒れる村人が向こうを向いた瞬間に新たな林檎を──掌に引き寄せるようにして宙に浮かせ、キャッチした。
自分がいつからこのような力を使えるようになったのか、少年は覚えていない。今でも、実際に力を行使する時、どのような手続きが行われているのか、自身でもよく分かっていなかった。
ただ歩こうとすれば足の関節を動かす事など考えなくても歩く事が出来、ものを持とうとすれば指先の開き具合や力の込め方を意識するまでもなく掴み上げる事が出来る。それと同じような感覚だった。
怒られるので、自分がする様々な事が悪い事であるという自覚はあった。だが、他の皆には出来ない事が自分には自然に出来るのだと分かった時、彼は自らを抑えていられなかった。このような事も、このような事も出来る、うおお、凄い、というような気分だ。
だが時折、少年は母から与えられたペンダントを眺める。
この村の近辺で掘られ、名産物となっている運命石の加工品だ。運命石は人の魂に刻まれた罪業を測るといわれ、それが少なければ少ない程澄んだ透明に、多ければ多い程煙の如く白く曇る。人々はこれを身に着け、曇り具合を見ながら教会に告解に行くのだ。
少年のそれは、澄むとも濁るともつかない灰色だった。
やはり子供心に、このままでは良くないのかもしれないな、という漠然とした恐れが生じた。とはいえ自らに宿った、皆とは違う力の正体について結論が出せないまま放置するのは気分が悪い。
(何も、あんなに気持ち悪がらなくてもいいじゃんね)
ここ最近、村人たちの──両親でさえ──自分を見る目が以前とは異なり、うっすらと恐怖すら帯び始めた事を少年は感じていた。
「スト……ストラト……何だっけ」
皆、自分を陰でそのように呼ぶのだ。そしてそのように呼ぶ時、皆の目は少年を透過してそこには居ないはずの何かを見るようだった。そちらの方が、彼にとっては余程気持ちが悪い。
そして遂に、両親が降霊術者を呼んだ。
少年が、悪霊憑きだと疑われている証拠だ。
しかし彼には、仮に自らに異質な存在が取り憑いていたとして、どうもそれが邪悪なものの類だとは思えないのだった。
──リクト……リィズ……デルヴァンクール騎士長……
時折、見知らぬ名前が頭に浮かぶ。そのいずれも、自らに宿る存在が──そのようなものが居るとするならば、だが──持つ名前ではないような気がする。そして、彼らの元に帰らねばならない、という気持ち。
(この気持ちは、何なんだろう……寂しさ? そう言えばいいのかな)
誰かの声が聞こえる度に、少年はそのような、俄かには言い表し難い心細さを感じるのだった。
──お前も来いよ。お日様が気持ちいいぜ。
──皇帝の器に相応しいのはあいつさ。俺でもなければ、あんたでもない。
──ごめんな、リクト。俺に出来る事といったら、こうやって何かを壊す事だけなのかもしれないな。
──お前は、俺の人生を壊したんだ。
(誰かの事じゃない。これは……僕の思い出だ)
両親が口にしていた、自らに行われるかもしれない除霊という儀式。
それがどのようなものなのかは、何となく察しがついた。城から招かれた降霊術者は恐らく、自分の魂を引き裂く。少年は自らの得体の知れない力に戸惑いを感じてはいたが、同時にそれが自らの一部であるという思いは、手足や顔と同じようにごく自然に存在していた。
だから、それが取り除かれる事には本能的な恐怖を否定しきれなかった。
自分は異常ではない、と繰り返し両親に訴えたが、降霊術者の来訪は確定事項となってしまった。そこで少年は、今日は学校が休みなのをいい事に、朝早くに家から逃げ出して来ていた。
だが、いつまでも隠れている訳にも行かない。恐らく自分が戻るまで降霊術者は家に居座り続けているだろうし、日が暮れれば両親も近所の者たちに訴えて自分を探し始めるだろう。
そう考え、少年はある決心をした。
(多分除霊とかいうのは、僕が眠っている間にされるんだ。今夜は寝た振りをしておいて、降霊術者の人たちが来たらぐるぐる巻きにしてやっつけてやる。ストラト何とかの力があれば、出来ない事じゃないさ。幾らお城の魔剣士だって、油断しているところをやられたらひとたまりもないだろう)
──お前のやり方じゃ、裁けない悪が存在する。
──それが罪業だというなら、俺はそれを背負って煉獄すら支配してやる。
彼は、まだ過去世や未来世といった考え方について、多くを知らない。
だが、それでも彼は自らの内で思い出から声を響かせ続ける存在を、「もう一人の自分」の事だと解釈していた。
(……待っていてね、誰か知らないけれど──リクト、リィズ)
見知らぬ思い出の中の名前を、少年は心の中で唱える。
(僕は絶対に、会いに行くから)