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『リ・バース』第一部 第4話 His Punishment⑨

「うわああっ!」

 突如響いた水道局員一人の悲鳴が、ライガたちに事態を悟らせた。

 訓練生たちが一斉に振り返る。すぐ後ろに居た水道局員たちの列に、いつの間にかペトスコスが割り込んでいた。ライガはぞっとすると同時に、水飛沫(しぶき)の音がしなかった、と考える。

 湖での戦いに気を取られ、聞き逃したのか。いや……

(全ての水路は、ここに向かって流れているって言ってたっけ。ペトスコスはその流れに乗って、泳がずに運ばれて来たんだ。最初の水門の所で上陸して、そのまま陸上を這って忍び寄って来た……這う程度の音なら、水流だの戦闘音だので簡単に掻き消されちまう)

 乱入して来たペトスコスが、水道局員一人の腰の辺りに喰らいつき、横向きに咥え上げていた。騎士見習いたちは動揺の声を上げ、バトラスが局員たちに向かって「下がれ!」と叫んでいる。

「風切る翼よ……フェザースラッシュ!」

 彼も一般人ではあるものの、護身用程度の攻撃文法は修得しているようだった。放たれた風属性の最下級技が、ペトスコスの広い眉間をスパッと切り裂く。ペトスコスは怯んだようだが、反応は理想的なものではなかった。

 魔物は口を開いて捕らえた局員を放すのではなく、その逆を行った。歯を食い縛るように顎を閉じ、噛みつかれた局員の腰から鮮血が溢れる。

 そして──局員の上半身と下半身は、無残にも切り離された。

 それが、決定的だった。

「う……うわあああああああっ!!」

 阿鼻叫喚が起こった。局員たちは、我先にと逃げようとする。当然それは、ペトスコスの陣取っている今まで歩いて来た方向にではなく、実質的に袋小路である浄水施設の方に向かって行われる事となった。

 彼らは、最早(なり)振り構わなかった。彼らの傍に居た騎士見習いたちは押し退()けられて水路に落ちる者も、足を滑らせて転倒する者も出た。

「馬鹿者ども! 僕たちを誰だと思って──」

 叫びかけたドーデムも、誰かに突き飛ばされて水に落ちた。

「ライガ!」リクトが叫びながら、こちらに手を伸ばして来た。「押し流されちゃ駄目だ! これじゃ魔物の思う壺だぞ!」

「分かってる!」

 ライガは叫び返し、水流の中で材木を求めるようにリクトの手に縋った。

 一瞬で局員たちは湖の方へ去り、訓練生たちは銘々(めいめい)に悲鳴や怒号を上げながら彼らを追い駆ける。場に残ったのは、水路に落ちたドーデムたち数人と、マロン、オルフェ、ウロータス、ライガとリクト、そしてバトラスのみだった。

 魔物は一人の水道局員を殺しはしたものの、それでまず一食分の餌は確保したので更に獲物を追おうとはせず、その場に留まって獲得したばかりの肉を貪っていた。目の前に天敵である魔剣士たちが居るというのに、胆力が備わりすぎているというべきだろうか──。

「貴様、許さんぞ!」

 ウロータスが叫び、真っ先に飛び出した。父親と同じ白珪色(シリカ)の剣を振るい、果敢にペトスコスへと向かって行く。

捲竜旋(ケンリュウセン)!」

 (ただ)し、彼の適性は父親と異なり、風属性にあるようだった。先程、彼と同じく風の技を使用したバトラスは見定めるように顎を引き、再び(てのひら)を突き出して更なる攻撃の構えを取る。

 ウロータスの下段斬りは、ペトスコスの下顎を掬い上げるように薙いだ。扁平な胴を持ち、頭がライガたちの腰よりも低い位置にあるペトスコスに初撃の威力を最大に保ったまま剣技を命中させるには、下段斬りは最も有効であるといえる。さすがは剣術のトーナメントで一位に輝いただけあり、彼は戦術を理解していた。

「グフウウッ……」

 顎を斬り割られ、魔物はくぐもった声と共に動きを止める。

 ライガはそれを見届けると、皆の駆けて行った湖を振り返った。

「おい、あんたたち──」

「よせっ、近づいてはいかん!」

 イピリアと交戦していたネクアタッドは、殺到して来た水道局員と訓練生たちを見ると、今までで最も鋭い叫びを発した。

 先頭を駆けていた局員たちは、それで自分たちが取った行動の愚かさを理解したようだった。が、その時には既に遅かった。

 イピリアは、格好の獲物が来たとばかりに向きを変えた。ヴォルノやデスタン騎士団の者たちは焦燥を浮かべ、魔物が大変な事をしでかす前に仕留めてしまおうというかのように一層攻撃の手を強める。

 しかし、それよりもイピリアの魔術の発動は早かった。

「ギュアアアアアアッ!!」

 魔物は咆哮を上げると、蜷局(とぐろ)を巻くように体を回転させながら湖の中央へと移動する。湖を包囲している者たちの剣がいずれも届かない位置まで到達すると、撹拌された水が巨大な渦潮を形成し、呼応するかの如く空中に魔方陣(サークル)が出現した。陣は湖を覆い尽くす程に拡大し、

「総員、防御(ブロック)! 水道局の方々と見習いたちを守れ!」

 ネクアタッド騎士長が叫んだ刹那、四方八方に車軸を流したような雨が──槍の如き水の柱が降り注いだ。

 騎士団は素早く障壁因子プリヴェントファクターを展開したものの、そこに衝突した水の柱は爆発し、発生した光の壁に亀裂を生ぜしめる。出力の弱かった者は完全に粉砕され、威力を減殺されながらも攻撃を直接喰らってしまっている。

 また魔物の放った水の槍は一本一本が細く、隣り合った障壁の間を抜けて地面に当たり、そこで爆発を起こす事もあった。その場合、魔剣士たちは直接攻撃こそ受けないものの、至近距離からの爆風と圧力を喰らい、体勢を崩されて魔術を強制終了させられるという事もあった。

「この攻撃は……」

 呟いたウロータスに、ライガは答えた。

「『デリュージング・ゲリラ』、水属性の魔物専用魔術だ。威力は通常文法の最高技以上、派生技(アディショナル)未満ってとこかな……勿論俺も、見るのは初めてだけどさ」

「怪我人は!?  ……ここからじゃよく見えないか」

 リクトが、風圧に薙ぎ倒された水道局員たちを見ながら叫ぶ。

 邪魔者全員を遅延(ディレイ)または気絶(スタン)──一時行動不能化──させた魔物は、反撃の(すべ)を持たない彼らの密集している方へと泳ぎ出す。ライガはアルターエゴの柄に手を掛けつつ、リクトに叫んだ。

「こっちに来る! 俺たちで戦うしかない!」

「あんな攻撃が防げるのか!?」言いながらも、リクトは既に彼の愛剣トゥールビヨンを抜こうとしていた。

障壁因子プリヴェントファクターで駄目なら打つ手なしだ。けど、反撃の隙を与えず各属性魔術最高技と剣技を撃ち込みながら、降霊術で──腕状霊魂(ブラキオプネウマ)で押さえれば、多少動きは止まる」

 訓練では、まだ降霊術に関しては魂を招聘するだけで、実際に技を使用するところまでは行っていなかった。文法と異なり、降霊術は戦闘時に於ける切り札となり得るくらい強力なものを出すには剣技と同様個人のセンスが大きく影響するので、(ほとん)どがオリジナル技だ。

 ライガの口にした腕状霊魂(ブラキオプネウマ)は、その中でも普遍的な方で、理論を理解して練習を積めば比較的容易に修得出来る技だった。ライガは、訓練開始前から趣味の魔術研究を行う中で既に修得していた。

 しかし、リクトがいいとも悪いとも言わないうちに、ネクアタッド騎士長が動いていた。

「全く……一騎士団を預かる者として不甲斐ない……」

 彼も少なからず傷を負っていたが、それでも倒れる事はなかった。

「全員、一時撤退だ! 細かい事は言わん、とにかくここから離れる事だけを考えるのだ! 安否確認は、さしずめの安全が確保され次第行う!」

「エミルス殿はどうなされるおつもりなのですか!?」

 ヴォルノが、対岸から彼に叫ぶ。

「この一撃で時間を稼ぐ! 見よ、魔物!」

 ネクアタッドはこちらへ──イピリアの正面に回り込もうと走りながら、詩文(ヴァース)の詠唱を行った。

「滔々と侵し(きた)れるもの、(いか)き波濤の(いただき)(いま)すもの……()が咎を御手(みて)に委ねん!」

 ──水属性魔術、最高技。

「パニッシュメント!」

 イピリアの頭部に、特大の水弾が放たれた。それは魔物の正面から鼻面に叩き込まれるのではなく、弱点をぎりぎり逸れた側頭に衝突したが、その事が(かえ)って功を奏したともいえた。

 不意討ちを喰らう事となったイピリアが、怒号と共にバランスを崩した。

 最高技だけあり、長い技後硬直(ポストモーション)──一種の冷却時間(クーリングタイム)ともいえる──を課せられた騎士長だが、魔術から剣、或いはその逆など、種類の異なる攻撃手段であればその制約は突破出来る。それは昨夜の、属性出力向上(ダイナミックヒート)からの刺突技というコンボでライガ自身も証明している。

 ネクアタッド騎士長は、淀みなく剣技を放った。

滄桑変(ソウソウヘン)!」

 二段突き。硬度のある敵に有効な一点集中攻撃を浴び、既に体勢の崩れかかっていたイピリアはそれで完全に水中に没した。

 無論、倒せた訳ではないだろう。それでも、騎士長が自ら引き受けた役目の内に於いては十分すぎる成果だった。

「総員、撤退!」

 彼が叫ぶ。騎士団も水道局員たちも、ライガたちもまた、先程の彼の指示に従って既に退却を開始していた。

 ここに居る全ての者たちの命を預かる騎士長は、自らを含めた皆に対し、その役割に恥じぬ働きを以て活路を拓いたのだった。

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