『リ・バース』第一部 第4話 His Punishment⑧
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二日目。この日も、魔物と戦闘を行いながら探索。
昨日のうちに、何処かから地下に侵入した魔物の大半は狩られていたようで、前日と比較して遭遇頻度はそこまで高くなかった。しかし、ネクアタッド騎士長はそれで気を抜くような事はなく、むしろそれ程までに数を減らして尚変動を見せない魔素の濃度に却って気を引き締めていた。
ライガは、一同の先に立って案内を務めるバトラス局長を見、彼にも警戒を怠らないように、と自らを戒めていた。まだ彼が決定的に怪しい行動を取った訳ではないので、リクトとは「まだヴォルノたちにはこの事は黙っていよう」と取り決めたが、だからこそ今誰よりも注意深くバトラスを観察する目でいられるのは自分とリクトのみなのだ。
そのバトラスが、今日の探索開始から二時間程経った頃に言った。
「そろそろ、浄水施設に出ます。各水路はそこで合流し、不純物を取り除いた後、市外を流れるラプラシアン川の支流と合流します」
「という事は、ここはもう郊外ですか……因みに、地下水道の出口の様子は?」
ネクアタッド騎士長が尋ねる。
「川の中に、水のみが流れるようになった鉄格子があります」
「その鉄格子が、壊されているような事は?」
「事前に我々水道局が調べましたが、それはありませんでした」
「ですよね」
それから間もなく、その浄水施設に出た。
辿り着くまでの間に幾つか水門があり、それを経由するごとに水路の水は濁りを取り除かれていた。そしてその最果て──岸辺に石造りの小さな建物が幾つか並んだ広大な湖の水面は、青々と澄んでいた。
それは、本当に地底湖と見紛うばかりの巨大な碧潭だった。そこだけは天然のままらしい石壁に吊るされた照明石の光が水面に反射し、揺らめくような淡水色の水紋模様が天井に映し出されている。
「水門が壊されているような様子はなかったが、陸に上がれば簡単に迂回出来る程度の厚さではあった……下水道から侵入した魔物が、ここに辿り着かないという事はないだろう」
ネクアタッド騎士長は、一人で肯きながら呟いた。
「あのペトスコスたちが如何に強靭な体を持っていたとしても、やはり生息環境は汚水よりも浄水の方がいいに決まっている。水棲系の魔物には大抵水の匂いを嗅ぎ分ける能力が備わっているが、奴らもそれで、ここを目指そうとしたに違いない」
「ええ。今まで調査を行われた進駐軍の方々も、ここに辿り着くまでの間に魔物に襲われ、命を落とされました。件の魔物は恐らく普段はここに潜み、腹が減った時に水路に出て獲物を探すのでしょう」
バトラスの口調は淡々としていた。
「当然ながら、ここに魚などは生息していません。しかし水路沿いには、連中にとっての格好の餌が食い尽くせぬ程居ますからな」
「……地下難民か」
ヴォルノが、唸るように呟いた。
「魔物騒動が起こってから、難民たちは自主避難をしなかったのですか?」
「今までもご覧の通り、難民どものコミュニティは点々と独立しています。奴らにも一応繋がりはあるようですが、情報が共有されるまでにはそこそこ時間が掛かる。それまでに、一度襲撃を受けたコミュニティは全滅してしまうのですよ。結果として他に魔物出現の情報は伝わらず、次の犠牲が出る」
「あなた方も地下には定期的に潜っているのでしょう? あなた方から、彼らに危険を訴えたりはしないのですか?」
「退去を勧告──というか命令しても、聞く耳を持つような連中ではありません。だからこそ、こうして社会問題になっているのですがね」
バトラスは苦々しげに言い、他の水道局員たちも一斉に顔を顰めた。ライガはそれを見、複雑な思いが胸裏に萌す。元は同じラプラス市民だろう、と思ったが、それを口には出来なかった。
リクトが素早く自分のそのような気配を感じてか、袖を引きつつ無言で首を振って見せたからだ。
ネクアタッドは特に何も言う事はなく、一同を見回しつつ指示を出した。
「魔素濃度が最高に濃くなった。この湖に魔物が居る事について、最早疑いの余地はないだろう。これより我々は、件の敵を誘き出し、討伐を行う! 第一、第二班は私と共に左回り、第三、第四班はイェーガー殿と共に右回りで湖を包囲。第四班のうち雷属性を扱える者たちは、水中に向かって雷霆の準備だ。
見習い諸君は一切戦わず、水門の所まで下がりつつ、万が一の場合いつでも水道局の方々を守れるように構えていろ。決して目立って、魔物にターゲットを取られる事のないように!」
その言葉を聞いた瞬間、雑念が雲散霧消した。
ライガは皆と共に、水道局員たちを後方に下がらせつつ後退する。すぐ後ろに居たドーデムが、オルフェに「今度は出しゃばるなよ」と嫌味を言っているのが聞こえたが、オルフェのそれに対する応答は聞こえなかった。
湖を取り囲むようにフォーメーションを展開し始めるネクアタッドを見、ウロータスが「父上……」と小さく呟いた。その声に得も言われぬ不安げなものを感じ、ライガは彼の肩をぽんと叩いた。
「心配するなって。お前の親父さんじゃないか」
「ライガ・アンバース──」
ウロータスは、自分が話し掛けた事に驚いている様子だった。
「この間の決闘さ、完敗だったよ、俺。お前、本当に強かったな。エミルス殿は、そんなお前を育てたんだ」
だから大丈夫だ、と微笑み掛けると、彼は微かに顔の強張りを解いた。
「ありがとな、ライガ」微かに口角を上げ、手刀を切ってくる。ライガは肯き、ネクアタッドたちの方に視線を戻した。「始まるぞ」
「主権司る神霊の長よ……」
デスタンの魔剣士たちが、声を揃えて雷属性魔術最高技の詠唱を開始する。
「……その雷霆を以て鬼神を砕き尽くせ! ケラウノス!」
詩文の完結と共に、空間に揺蕩っていた淡水色が新たな光源からの光によって掻き乱された。
魔剣士たちの頭上に出現した魔方陣から、漏れ出した光だった。青白い電光の塊が生じ、大気を引き裂くようなジグザグの軌道を残しながら水に落ちる。光より一瞬の遅れを経て、落雷の凄まじい音が空気を劈いた。
水を伝播し、電光が一気に拡散した。熱風が刹那、湖から離れているライガたちの間を吹き抜けて行く。
水中に潜んでいた魔物は、少なからずダメージを被ったようだった。
今し方の雷鳴に勝るとも劣らぬ怒りの咆哮を上げ、膨大な水飛沫を滝の如く体から雪崩れ落としながらその全貌を現す。
巨大な蜥蜴──というより、頭部の形状からヤモリに近く見えた。今まで交戦してきたペトスコスの如く、ごつごつとした岩の如き皮膚に鎧われた巨躯。しかしそのサイズは、ペトスコスの四、五体分くらいはある。それは水中から身をくねらすように跳び上がり、最初に目に入ったらしい第二班の魔剣士たちに襲い掛かった。
「何だ、こいつは……」
ウロータスが、声を震わせてそう呟いた。ライガはそれを、以前図鑑で目にした事があった。
「イピリアだ。とんでもなく貪食な魔物で、出現した地域の生態系に悪影響を及ぼす事もあるらしい」
「狼狽えるな! 弱点はペトスコスと同じく口腔だ!」
ネクアタッドは叫ぶと、白珪色の剣を抜き放ちつつ詠唱を行った。
「変幻の権化よ、一筋の刃となりて断ち流せ! ハイドロブレード!」
水属性術、斬撃系統技。それは、第二班に向けて伸ばされたイピリアの舌を一薙ぎで断ち切った。
魔物が怯んだ隙に、狙われた第二班の者たちは剣を抜き、或いは反属性である火の文法を繰り出しながら水際に殺到した。魔物は岸辺まで迫っていたので、剣の間合いに入っている。
「雫紋通鐵! ……皮膚が分厚いので斬撃では駄目だ! 突きを中心に使え!」
ネクアタッドの指示は的確だった。また、対岸に居り遠距離攻撃用の魔術も射程外の第三、第四班の者たちも、雷属性を使用出来る者たちは水に向かって高威力の技を繰り出す事で、それを水に伝播させて魔物に命中させる。
「これが、騎士団の戦いなのか……」
リクトが、畏怖と感嘆を共に湛えた声で呟いた。ライガは、自分であればどう戦うかを考えながら魔物の観察を続ける。
イピリアの全戦闘力は、確かにペトスコスを遥かに凌駕していた。だが、デスタンの魔剣士たちは見事に統制の取れた動きで連携攻撃を行い、互いに強化を施したり回復魔術で傷の治癒を受けたりしながら戦っている。
決して楽勝ムードではないものの、皆善戦していた。降霊術者はしばしば戦楽器を使う為、楽団演奏にも喩えられる騎士団の戦いだが、現在の戦闘の場合主演は間違いなくネクアタッド騎士長だった。
──自分にも、このような戦いが出来るだろうか?
ライガはちらりと考え、すぐに「自分の適性ではない」と思い直した。アルフォンスやヴォルノは、将来自分にフォルトゥナの長を継いで貰いたいと思っているようだが、大勢を指揮して戦うのはやはり性に合わない。生きている人間は皆意思を持っており、そうである以上自分の思っている通りから僅かなズレもなく動いてくれる者など居ない。
その事について、卓越した魔術のセンスを持った自分の傲慢な考えだ、と言われれば、その通りだとしか言えないのだが──。
騎士団と魔物の戦闘に見入っていたライガは──否、恐らく誰もが、その間に自分たちの背後で起こっている出来事に気付かなかった。
そしてそれが、現在という状況の安定を致命的に突き崩すものになった。




