『リ・バース』第一部 第1話 Happy Unbirthday③
② PHASE〈2〉
ネイピアの村、有力商人バング家。
「遠路遥々、ようこそお越し下さいました、お城の騎士様」
応接間で紅茶を差し向けながら、家の主人の妻は頭を下げた。夫も、二回り近く若い訪問者二人に丁寧に礼をする。
アデス・バングと、その妻パーセポニー。異変が見られ始めたという子供の両親という事だった。
「改めまして宜しくお願いします。私はフォルトゥナ騎士団所属、フー・ダ・ニットと申します」
「同じく、アノニム・アノニマスと申します」
「宜しくお願いします。それで、早速ですが……」
アデスは開口し、すぐに言いづらそうに窓の方へ視線を向ける。フーと名乗った方の男が、助け舟を出すかのように「伺っていますよ」と言った。
「お子様の──ガラル君の事についてですね」
「如何にも、その通りで……すみません、本当ならば彼も同席させるべきなのでしょうが、また朝早くに飛び出してしまいましてな」
「問題ありません。まずは、ご両親の方からお話を伺いたく思います」
フーは紅茶を一口啜り、机上で指を組んだ。
「ガラル君には、いつからそのような兆候が?」
「……あの子が魔術的な能力の片鱗を見せ始めたのは、昨年の頭です」
アデスは言うと、ちらりと妻の方を見る。パーセポニーはこくりと肯き、夫の後を引き取って訥々と話し始めた。
「元から彼には、かなり腕白──と言っては無責任な言い方になりますね、度を越えた悪戯をして、誰かを困らせて楽しむような部分はありました。店の売り物を盗んだり、家畜を逃がしたり……しかし、こう言っては何ですが、それらは同じような悪い子供が行うような悪戯の範疇を逸脱してはいなかったのです。
しかし昨年──ガラルの遊んでいた遊んでいた村外れの森の奥、運命石の採掘場付近で、採掘師の方々がお昼のお弁当を使っている間に、切り出した石全てが沢に放り込まれているのが見つかった事がありました。状況から見て、現場に居たのはガラルだけだったのです。しかし、石材は大人の男が二人掛かりで荷車につけ、運搬する程に重く大きなものでした。それを幾つもなど、梃子を使ったとしても、五歳の子供に一時間足らずで運びきれる量ではありませんでした」
「他にも、ガラルの居た場所の近くで屋根瓦が引き剝がされたり、用水路の流れが逆流して畑仕事をしていた村人がずぶ濡れになったり、有り得ないような事が次々と起こりました。彼は明らかにそれを面白がっているようでしたが、私たちがどのような力を使ったのかと問い質しても、知らぬ存ぜぬの一点張りで……」
父親は、心底困っているように首を振った。
「それがとうとう、人的被害を出したと?」
直接的な言葉でフーが言うと、夫婦は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「本人は結局、認めようとしませんでしたがね」
先週の事です、とアデスは言った。
「私どもの店で服飾品を卸している縫製職人の家の息子が、昔からガラルとは犬猿の仲でしてね……よくガラルに悪戯を仕掛けたり、昨年入学した学校──十人も生徒が居ないような小規模なものですが──で聞こえよがしに悪口を言ったり、ガラルの方でも殴り掛かったりという事があったそうです。
その時も、相手の男の子はガラルの帳面を池に投げ込んだそうです。あの子はそれを探して、彼が隠したものだとすぐに察して問い質したと。これは、怪我をしたその男の子が話した事ですがね。それでも彼が口を割らないでいると、突然浮き上がって天井に叩きつけられたというのです。全部で七、八回も……ガラルは黙ったまま、その様子を眺め続けていたとか」
「──その、叩きつけられた子供は?」
「幸い骨折などはなく、打撲に留まりました。それでもまだ肩や背中が痛むようで、運動の時間は大人しく見学しているといいます」
「ガラル君は、自分がやったのだとは……?」
「断固として言いませんでした。二日程が経っても、私や家内がその話をしようとすると何処かに逃げてしまって」
「相手の家からも、抗議を受けました。状況からして、息子を酷い目に遭わせたのはガラル以外に考えられないと」
パーセポニーは眉間を抓んだ。
「私たちも、非常に困っているのです」
「あなた方が直接ガラル君を見ていて、何か思い当たる不審な点などは? 実際に魔術らしきものが彼の傍で発動する瞬間を見た──いえ、何か明らかに自然でない事が起こったのを見た、とか」
「それも、よく分からないのです」
アデスは言い、「ただ」と付け加えた。
「ただ、何らかの魔術が使われているのだとすれば、我々の知る文法の中に該当するようなものがないのは確かなので、降霊術なのではないかと思いまして……しかし当然ながら私も家内も、彼にそのような事を教えた事はないのです。村の他の者たちもそれは同様でした」
「なるほど……五歳の子供が──今は六歳か──、降霊術をねえ」
「別に、それ自体は驚くような事じゃない」
フーの独白に、黙って聴いていたアノニムが容喙した。
「前科者でない限り、降霊術は文法と同じく万人に使える魔術だ。多少早熟な子供がそれを扱えたからといって、プログラム的に考えられないような事が起こっているとは言い難い」
「ええ。しかし、独学でそれらの術を学ぼうにも書籍はありませんし」
言ったパーセポニーに、アノニムが尋ねた。
「ガラル君は、あなた方の実のお子さんではないという事でしたね?」
「はい、その通りです。私たちは結婚後もなかなか子供が出来なくて、跡継ぎを求めてお城で募集されている孤児の里親に立候補したのです。あの子が、丁度三つになったばかりの頃でした」
「それ以前に、彼が降霊術を修得していたという事は?」
「恐らくないかと。担当の方からも説明は受けました、ガラルはまだ、基礎的な文法を含めた魔術教育が施される前だと」
夫人の声音は、改めて自らが子供について無知であった事を突き付けられた、というように消沈して聞こえた。
「それともう一つ……ガラルはどうも、魔術を使用出来るのではないかという疑いが持ち上がり始めた頃から、友人におかしな事を言うようになったのです。何でも、自分の本当の家は首都ユークリッドにあるのだと」
「……ほう」
アデスの言葉に、フーとアノニムが微かに身を乗り出す。
「それを聞いた私たちは最初、彼が自分の里子に出される前の事を言っているのだと思っていました。しかしその言葉の中に、どうもフレデリック二世陛下の在位中を仄めかすような事がありまして」
「具体的には?」
「全く馬鹿げた事ではあるのですが、曰く彼はかつて赤いマントの騎士団に居て、玉葱のような兜を被った戦楽器使いに目を掛けられていたとか……」
「赤いマント……フォルトゥナの事ですね。まさか──」
「莞根士──デルヴァンクールか」
それは、今は亡き帝国の英雄の名前だった。
フー、アノニムは顔を見合わせ、無言で思わぬ状況に対する驚きを共有する。
彼らはこの夫婦の養子ガラルに起こっている事について、既に”真実”を知っていた。彼らが驚いているのは、既に彼に起こりつつある変容が、ある一定の閾値を超えようとしている事に対してだった。
「層状孤児の場合、それは現在彼の肉体を動かしているガラル君の魂──いわば主人格──が、もう一つの魂に乗っ取られているという事ではありませんよ。彼は自らの内にある別の魂から、記憶が流れ込んでいるのでしょう。その場合、修得と同時に魂に刻み込まれる魔術を宿している事についても、そのもう一つの魂が非忘却者のものであるとすれば説明がつく」
フー・ダ・ニットの説明に、夫婦は釈然としない色を浮かべる。
相方の後を引き継ぎ、アノニムが言った。
「今夜、ガラル君が眠った後、我々で診断を行います。どうもお話を聴く限り、本当に彼が層状孤児だとすれば、もう一つの魂は徐々に力を強めつつあるようだ。断定が出来次第、すぐに除霊を行いましょう」
「お願い致します、騎士様方」
夫婦は揃って、深々と頭を下げる。フーは「では」と先を続けた。
「迅速に処置が行えるよう、早くはありますが説明義務を。……除霊は通常、憑依系の魔物など、後天的に宿った本人以外の魂に対して採られる処置です。層状孤児の場合、最初に目覚めた方の魂が主人格のものであるとされるだけで、どちらも今世ではお子さん本人の魂です。片方を異質と定義する事には難しいものがあり、誤って今のガラル君の魂を境界に放してしまう蓋然性も否定はしきれません。あらかじめ、そのリスクについては説明しておきます」
「それは……」母親が、やや怯えたような顔になる。「どのくらいの確率で、起こる事なのでしょうか?」
「そうですね、大体三、四パーセントくらいといったところでしょう」
フーは言ってから、安心させるように微かに笑みを湛えた。
「大丈夫、自分たちで言うのも何ですが、我々は腕の立つ方です。ごく安全に、問題の魂だけを取り出してご覧に入れますよ」
「それでは──」
彼女は夫の方を見、微かに肯き合うと、もう一度「お願いします」と言った。
「あなた方にお任せします」
「承知しました」
降霊術者二人は立ち上がり、家の中を見回す。
「準備には暫らく時間が掛かります。お宅のあちこちに出入りする許可を」
* * *
「これで良し……と」
バング邸の地下倉庫に魔導具の設置を完了すると、フーはぱたぱたと手を叩いて埃を落とした。ものの形状は、タルト程の大きさの、厚みのある回転盤だ。
「結界の展開も完了だ」
「魔素濃度はそこまででもないみたいだな」
「それはそうだろう。こんな密閉空間で、魔物も出ない民家の中ならな」
魔術を機械的に発動させる魔導具の媒体は、文法と同じく魔素だ。そして、魔素を発生させるのは魔物だった。
故に、魔導具の使用にも一定のリスクが存在する。
「魔物を引き寄せる、か。だけど本当に、これで問題ないのか?」
フーが独りごつように言うと、アノニムがそれを受けた。
「今、『双頭』のお二人が周辺で魔物の誘導をされているはずだ。あらかじめ言われていた通りだが、お前はあのお二人が信用ならんと言いたいのか? 特にイブン様は俺たちの忠誠を誓った方で──」
「そうじゃない。縁起でもない事を言うな」
フーは、じろりと相方を睨む。
「俺が言っているのは、どさくさの中で上手く子供に催眠術を掛けられるのかという事だ。あいつを甘く見てはいけない、俺たちの目的を察したら、話をする前にこっちを殺す事も容易いはずだ」
「催眠術も、あくまで一時的な措置に過ぎないぞ」
「分かっている。だが最悪の場合、あいつと魔物たち、双方を俺たちだけで相手にする事になるかもしれないという事だ」
「………」
アノニムは黙り込むと、壁に描き込んだ無数の魔術印に視線を走らせた。
やがて、
「……それも、上等だな」
低く、しかし抑え難い興奮を孕んだ声でそう言った。
「全ては殿下の捲土重来の為……それは忘れた訳ではないが」
「その時はその時だ、という事だろう」
間違った姿勢ではない、と言い、フー・ダ・ニットは唇の端を歪めた。
「死霊化術の時代が来れば、魂の有限は意味を変える。しかし、それは降霊術を使用する者たちが、敢えて弊目している事柄を、世間に突き付ける事に他ならない……楽しんだ者勝ちだと。遍く魂は物質界に於いて、俺たちにとってはおもちゃなのだという事をな」
彼の笑みは、フォルトゥナ騎士団の魔剣士ならば決して人には見せないであろう程に獰猛なものだった。