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『リ・バース』第一部 第3話 Temperance⑨


          *   *   *


 使役獣(ブリード)の飼育部屋は、白羊宮(エアリーズ)の地下にあった。

 手綱を握る人物は居るとはいえ、本来は騎士団が退治するべき対象である魔物に宮中を歩かせる危険はやはり冒し難く、使役獣(ブリード)の実戦投入の際には地下通路を通ってユークリッドの外まで移動し、そこで凱旋門(グランダルシュ)を通って街の外に出てきた本隊と合流するという流れになるらしい。

 その地下に入ると、早速猛獣の唸るような声が耳に届いた。それは狭い空間に反響し、あの馬たちの如く途方もない数がそこに居るような気にさせる。

「これがフォルトゥナ騎士団の誇る使役獣(ブリード)、アパデマクだ」

 ルークは言い、照明石(ランタン)の灯りにぼんやりと浮かび上がる扉を開いた。

 ゆっくり、とジェスチャーで示され、ライガは彼の後に続いて抜き足差し足でその内側へと入り込む。

 最初に目に入ったのは、何対もの赤い眼光だった。

(幻惑せよ……フラッシュ)

 無詠唱(サイレント)で光属性文法最下級技を発動し、自分の瞳の上に薄く展開する。攻撃魔術でありながら命中せずとも目晦ましとして使用出来るこれは、発動する場所と出力次第ではこのような応用が利く。ライガは元々赤い瞳をしており──アルターエゴの柄に嵌まっている血石(ヘリオトロープ)のような──、それが光るので、リクトにこれを最初に見せた時は「怖い」と言われたが。

 それでライガにも、こちらの目が自分たちと同じように光った事に警戒したかの如く姿勢を低める魔物たちの姿が見えた。

 闇に紛れ込むような漆黒の体。しなやかで筋肉質なそれは、野生の美しさを内包した獅子か豹のようだった。その四本の肢の先で、僅かな外光を浴びて刃物の輝きを放つ爪。大きく裂けた口から覗く牙──。

「全部で七頭……思ったより少ないな」

「帝連軍の基礎は、やっぱり人間だからな」

 他の騎士団にもほぼ同数の使役獣(ブリード)が居るのだとすれば、全体としてはそこまで少ない訳ではないのか、とライガは自らを納得させた。

「こいつらは全部雌だ」ルークが説明する。「雄も居るが、そいつらは使役獣(ブリード)として戦いに参加する事はなく別の部屋に居る。契約は遺伝しないから、自分たちで繫殖されると困るんでな。次の世代は、より潜在能力の高いもの同士を調教師(ハンドラー)の方で掛け合わせるんだ」

「名前はあるんですか?」

「ああ。今、丁度順番に並んでくれている。左からアン、デュー、トロワ、カトル、サンク、シス、セプト」

「それじゃ番号じゃないですか」

「正確には、アンは『アシュ・アン』、デューは『エフ・デュー』。文字(アルファベ)の順番が世代の番号を表していて、アンは(アシュ)だから野生で捕獲された個体から八世代目、デューは(エフ)で六世代目だ。

 こういった名前の付け方には、擬人化(アンスロ)を防ぐという目的もある。魔術に依存しない信頼関係を築くといっても、こいつらが魔物だという事は忘れてはいけない。居るんだよ、単なる動物好きが生態も知らずに食わせちゃいけないものを食わせるとか、人間基準での愛情表現をしたりな。俺より何代か前に、手伝いで調教に参加したメイド出身の若いのが、こいつらの爺婆世代のアパデマクにキスをして、顔の半分を食いちぎられたという事故もあった。

 ところでライガよ、君は魔物や動物は好きか?」

「普通です」

 話の流れからして「好きです」と答えたら中止されるのだろうな、と思ったが、実際に普通だった。そもそも好きだったら、魔物を狩る魔剣士(テンペランザ)にはなれない。

「よし、条件はクリアだな」

 ルークは言い、魔物(アパデマク)たちの方に進むと、中の一頭を引っ張って来た。その時には既に、番号順に並んでいた彼らは入り乱れてしまい、ライガにはどれがどれだか分からなくなってしまっていた。

「こいつが、今戦場に出るグループでいちばん大人しいカトルだ。世代は()で、帝祖テオドールの時代に捕獲された個体から数えて四代目、最年長だから実質こいつらのリーダーだな。アパデマクの寿命は普通のライオンや虎と同じくらいだからせいぜい十年から二十年なんだが、カトルは特に長生きの血筋なんだよ。

 調教の練習は、こいつで始めるといい。こいつが恭順を示した相手であれば、他の奴らも皆信用しやすくなる。特に跳ねっ返りのセプトも、カトルに逆らう事は滅多にないんだ」

「全然、見分けがつかないんですが……」

「段々慣れて、分かるようになってくる。ペットとかぬいぐるみとか、店で買ってから(しば)らく経つと『うちの顔になる』とか言うだろ?」

 ルークが壁際のアパデマクたちに「待っていろよ」と言い、(てのひら)を差し出すと、彼らは途端に大人しくなった。しかしやはり、彼らは警戒を色濃く浮かべながらライガを見つめている。

「言っておくが、俺がいきなり心臓発作を起こして急死したりしない限り、あいつらは君を襲いたくても襲えない。そこのところは、万が一が起こらないようにちゃんと招喚士として命令してあるからな。だから、君はひとまず他の奴らの事は忘れてカトルに集中するんだ。ほら、来た来た」

 手招かれ、ライガはルークの横に並ぶ。ルークはアパデマクに向き合い、ハンドサインと共に「そこを動くなよ」と命令した。

「いい子だ。よし……こっちを見ろ。このお兄さんをだぞ」

「グルル……ッ」

 魔物は唸り、姿勢を低くしてライガを見た。それが明らかに獲物に飛び掛かる為の予備動作(プレモーション)だったので、つい体が強張る。調教師(ハンドラー)はそんな自分をちらりと見、カトルに視線を向けたまま囁いてきた。

「怯えを見せるな。舐められたら、こいつらを従える事は難しくなる」

「は、はあ」

「グルル……グアアッ!」

「よせ、やめろ! やめるんだ、そのまま……そう、そのままだぞ。いい子だな。よし、それじゃあ一旦、俺は離れるからな。このお兄さんは食い物じゃないから襲うなよ──」

 ルークは口では言っているものの、実際に行っているハンドサインの種類はごく僅かだった。招喚魔術(インヴィテーション)によらない調教では、やはり音声よりも身振りの方に重きを置くものらしい。

 彼はそのまま後退(ずさ)り、ライガの後方の壁に近づくと、作業着のポケットから石筆(チョーク)を取り出して何やら書き記し始めた。カトルに顔を向けたまま、ちらりと目だけを動かして窺うと、それは詩文(ヴァース)を幾何学的な紋様の形に綴ったもの──ごく初歩的な仮想物質生成の魔術印(ガルド)だった。

 通常は、戦闘時に敵の行動の遅延(ディレイ)を狙って自動人形(クリーチャー)を呼び出すのに使う。招喚魔術とも呼べないようなもので、人形は土塊(つちくれ)から生み出される無生物だし攻撃力(パワー)耐久性(デュラビリティ)もそれ程ないが、招喚魔術に比べて遥かに修得が容易で、求められる魔素(エアル)も少ないのでコストパフォーマンスだけはいい。

 魔術印(ガルド)から空中に魔方陣が浮かび上がり、その中からやはり球体関節人形(ビスクドール)のようなクリーチャーが出現する。色も塗られておらず陶器のような質感で、顔も目に当たる部分に一対の黒い穴が開けられているだけだ。

「こっちを見ろ、これが標的(ターゲット)だ。……来い、ゆっくり」

 ルークのハンドサインが変化した。魔物を押し留めるような形から、手招くような形へと。

「その人を巻き込むんじゃないぞ。もっと確実に、慎重に。……よし、そこで無闇に飛び掛からず、ちょっと立ち止まって様子を見て」

 アパデマクは彼の言葉に従ってはいるものの、ライガにははっきりとその変化が分かった。標的を提示された事により、彼女が野生から引き継がれた狩猟本能を激しく疼かせている事を。眼光は一層炯々と輝き、剝き出された牙から涎が煌めきながら滴っているのを見、思わず背筋が震える。

「三つ数えたら攻撃開始だ。行くぞ、(アン)(デュー)(トロワ)掛かれ(テュエ)!」

「グアアアアルルルルルッ!!」

 カトルが宙を跳んだ。その爪が振り被られ、黒い毛皮に覆われた筋肉に、血管が浮かび上がる。風圧を間近に感じ、ライガは刹那に硬直した。

 そして、その前腕を叩きつけられた人形(クリーチャー)は木っ端微塵に粉砕された。

 (しば)し言葉を失い、はっと我に返って出たのは

「はえー……すっげえな」

 そのような、呆けた声だった。

「魔物の戦い方を見るのは初めてか? まあ実際の戦場ではこんなに悠長な指示の出し方はしないんだが、連中を落ち着かせ、言葉だけで言う事を聞かせるにはこれが確実な方法なんだ」

 ルークの言葉に、ライガは肯いた。

「魔物にとっての訓練メニューって事ですね。けど、俺にやれるかな」

「手順は分かったか?」

「大体は……」

「よし、じゃあ早速やってみようか。危ないと思ったら、俺の方で止める」

 ライガは、彼にぽんと肩を叩かれてアパデマクの方へ進む。破壊された人形はあっさりと分解されて空気中に溶け込むかの如く消え、カトルはあまり手応えのなかった事に不満そうに唸っていた。

 その彼女が、こちらの接近に気付いて振り返った。途端に、新たな獲物を見つけたと言わんばかりに先程よりも激しく唸り始める。招喚士である使役者(ハンドラー)から魔術を以て命令されているので動く事は出来ないが、それさえなければすぐにでも襲いたいと思っている態度だ。

「今から命令を解くぞ。こいつらも無闇に初めて見る相手に突進を掛けたりはしないから、堂々とするんだ。カトルは使役獣(ブリード)のリーダーとして、いつも他者と自分の力関係を推量して力を行使するかどうかを決める。その結論が出る前に、目一杯態度で自分を伝えろよ」

 ルークは言い、一歩下がる。その瞬間、命令が解除されたらしくアパデマクは増々激しい声を発した。

「グルルルルルウッ!!」

「カトル、待て! 落ち着け!」

 ライガは、先程のルークの手振りを思い起こしながら(てのひら)を突き出した。途端に魔物はびくりとしたように体を硬直させ、唸るのをやめる。ルークが、思いがけず感心したように「ほう」と声を漏らした。

 思いがけなく従順さを見せたカトルに、ライガ自身も驚いた。しかしすぐに我に返り、「よしいい子だ」とルークと同じように褒める。

「そうだそうだ、俺は敵じゃないんだぞ。大丈夫……よしよし、それじゃあゆっくりこっちに来い。よし、そこで待て」

「君凄いな」ルークが呟いた。「これも父親からの遺伝か──ああ」

 そこで得心が行ったように独りで肯くので、何だろう、と思ったライガだったが、すぐに分かった。

 アパデマクたちは、ライガに先代の(あるじ)であったフリナガン・アンバースの面影を見て取ったのだ。魔物招喚士(ビーストサモナー)だった父の死により魔術的な主従制約が解除されてからも彼女らがそれを覚えているという事は、ルークの言った通り父は魔術で契約する前にきちんと信頼を構築し、調教師(ハンドラー)として彼女らを従えたのだ。

(これは幸運だ……)

 ライガはもう一度カトルに「待ってろよ」と言い、ルークの魔術印(ガルド)を描いた壁に歩み寄る。アパデマクから視線を逸らさないようにしつつ、鉛筆を取り出す。ルークの描いた魔術印(ガルド)は、既にプログラムに食われて風化していた。

 魔術印(ガルド)は刻む事によって効力を発揮するので、別に誰かに見えるように描く必要はない。肌の粗い煉瓦(ブリック)の壁に鉛筆で描く事は、石筆(チョーク)でそれをする事よりも遥かに難しいが、ライガには構わなかった。

 初歩的な魔術とはいえ、仮想物質の生成及びクリーチャーの作成は学問所では教わらなかった。が、自分には当然出来る。

 すぐに魔方陣が展開し、クリーチャーが姿を現す。ライガのそれはルークとは異なり、竜骨兵(スパルトイ)に似ていた。

「カトル、こっちを見ろ。……そうだ、こいつを狙うんだぞ。警戒して、よく観察して……よし、じゃあさっきルークおじさんとしたみたいに、三つ数えたら攻撃を始めるんだ」

 カトルは冷静にクリーチャーを見つめている。

 ここまで順調だ。ライガは興奮に脈拍が速まるのを感じたが、努めてそれを押し隠した。激しくなっている鼓動をカトルに聞かれて、それを彼女と相対する事に怯えて緊張している為だなどと解釈されては全てが水泡に帰す。

 魔物の尻尾が揺れる。頭が低く下げられ、腰の位置が高くなる。顎を一筋伝った涎が、静かに床へと流れ落ちる。

 ──刹那、ライガは指示を出した。

(アン)(デュー)(トロワ)掛かれ(テュエ)!」

「グアアアアッ!!」

 アパデマクは一声吠え、しなやかに跳び上がる。そのまま緩やかな弧を描き、ライガの生成したクリーチャーへと真っ直ぐに突進する。その爪牙の洗礼を受けた標的(ターゲット)の人形は、一瞬のうちに土塊(つちくれ)へと還る事となった。

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