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『リ・バース』第一部 第3話 Temperance⑧


          *   *   *


「すみませーん、誰か居ませんかー?」

 翌日、早速白羊宮(エアリーズ)の厩舎に足を運び、ライガは呼び掛けた。

 昔から大甘のアルフォンスは初日から自分が罰則を科された事について、くどくどと叱責するような事はなかったが、やはり困った顔はしていた。これ以上騎士長に恥をかかせる訳には行かないし、罰則まで蔑ろにして更に重い罰を受けさせられる事になっても面倒なので、大人しくイザーク教官の指示に従う事にしたライガだったものの、やはり厩舎に入るとすっぽかして逃げようか、と一瞬思った。

 獣特有の凄まじい臭いが、空気を白っぽく淀ませている。騎士が乗る馬である以上決してその育成環境が不衛生にされている訳ではないのだが、如何(いかん)せん頭数が凄まじい。帝連軍の人数はただでさえ百万に近いのだ、近衛騎士団に限定した更に五分の一だけでも、まず一万は下らない。

 ──そりゃ、今年の新規入団者だけでも七百近く居るんだからなあ。

 ライガは小さく溜め息を()き、ぐだぐだと考えていても仕方がないと思いつつ歩き出した。

 当然ながら、それぞれの馬に乗る騎士が居ない間、この頭数を一人の厩務員が管理している訳ではないだろう。自分も、まさか全ての馬の仕事を回されるという事はないはずだ。

「すみませーん! お手伝いに来た者ですがー!」

 呼び掛けながら歩くが、広大な厩舎の中で馬たちが引っ切りなしに(いなな)いているので余程声を張らないと誰にも届かない。

 (しば)し叫んでいると、「ちょっと君」と背後から肩を叩かれた。

「そう大声で叫ばないでくれ。こいつらが興奮するだろう」

 振り返ると、そこに作業着姿の男がブラシを手に立っていた。どうやら厩務員の一人らしい、と思い、ライガは頭を下げる。

「俺、フォルトゥナの騎士見習いです。イザーク・デルヴァンクール殿からここでお手伝いをするように仰せつかって」

「ああ、君がそうか。話は聞いているよ。……で、何やらかしたの?」

 やや面白がるような調子で聞かれ、ライガは「あー」と頭を掻く。

「ちょっと、訓練中に不適切な発言を」

「不適切、ね。けど君は、本当にそうだとは思っていないんだろ?」

 当然ながら、それなりに本気でないと言わない。厩務員の男はその内容について掘り下げてくるような事はなかったが、その目にはこちらの内心を見透かそうとするかのような色があった。

 ライガは「まあ」と小さく言い、舌先を覗かせる。厩務員は「はっはっは」と豪快な笑い方をした。

「いいよ、生意気は大いに結構。男の子はそれくらいが丁度いい」

 ところで名前は、と尋ねられ、ライガ・アンバース、と名乗ると、彼はぴくりと片眉を上げた。

「アンバース? なら、私も知っている。十年ちょっと前まで同僚だった」

「えっ? いや、父は使役獣(ブリード)の調教を……」

「厩務員のうち何人かは、その仕事と兼務なんだ。かくいう俺もそうでね、今じゃ向こうでは主任(チーフ)を務めている。……ああ、名乗り遅れたな。俺はルーク、調教師(ハンドラー)のルーク・ネリアーだ」

 男は「宜しく」と手を差し出してくる。ライガは、軽く会釈して握手をした。

「フリナガンは腕のいい調教師(ハンドラー)だったなあ。戦闘職じゃないけど、軍人として戦場に出向いて魔物招喚士(ビーストサモナー)としても活躍した。山程の餌を持って、使役獣(ブリード)を連れて歩くのは軍にとっても骨が折れる事だ。フォルトゥナにああいう人材が居てくれて、デルヴァンクール騎士長も感謝していたよ」

「でも、それって大丈夫なんですか?」

 ライガは、先程から抱いていた疑問を口に出した。

「馬と魔物じゃ、扱いが全然違うでしょう」

「あれ、知らなかったのか? 騎士の人たちが乗るこいつらも、魔物の一種だぞ」

「……マジですか?」

 思わず周囲の馬たちを見回す。やはりライガの目には、それらは多少外で見るものよりも体の大きい、やや複雑な模様のある馬としか映らなかった。

「ブロンティングだ。北のフェルマー平野に生息している野生種を捕まえて、普通の獣の馬と交配している。魔術を使う能力はその過程で消し去られているが、魔素(エアル)は発生させる。これを騎士一人一人が連れて行って束にする事で、どんなリソースの少ない場所でも安定して文法(グラメール)が使えるようになる訳だ」

「知らなかったな……どうりでプライドが高い訳だよ」

 小さい頃、アルフォンスに彼の愛馬ヴィーグヴレーヴに乗せて貰い、振り落とされて左腕を骨折した事を思い出した。ライガはそれ以来乗馬は苦手で、いずれ訓練で強制的に乗らされるまで絶対に乗らないと誓った。

「世話をする時も、絶対に尻の後ろには立っちゃ駄目だ。いきなり蹴られて、最悪の場合内臓が破裂して死ぬぞ」

 ルークは言ってから、すぐに安心させるように付け加えた。

「ああ、でもだからって喧嘩腰で手入れに掛かるんじゃないぞ。魔物とはいえ、ちゃんと馬の血は流れている。きちんと誠意を持って当たれば、こいつらの方でも信頼を返してくれるさ」

「……信頼して貰えるまで、どれくらい掛かりますか?」

 気の重さを感じながら尋ねると、

「それは相性によりけりだな」

 ルークは言い、また豪快に笑った。


          *   *   *


 四頭目のブロンティングのメンテナンスを終える頃には、既に正午を回っていた。

 剣を振るよりも、余程体力を消耗した気がする。柵に鍵を掛け、体を伸ばしていると、ルークが「お疲れ」と声を掛けてきた。

「大分おっかなびっくりだったな」

「どんな塩梅(あんばい)で接すればいいのか分からないです。やっぱり遅いですかね?」

「それはまあ、俺からすればな。でも、初めてにしちゃ上出来だ」

 少し休もうと言われ、ライガは彼と共に外に出た。

 噎せ返る程の獣臭から解放され、やっと新鮮な空気を吸う事が出来た。ライガは何度も深呼吸を繰り返し、庭園の緑を渡って来た風で肺を洗浄する。

 招喚魔術(インヴィテーション)には、魔物招喚士(ビーストサモナー)としての魔物の招喚、精霊──聖霊(エスプリ)ではない──の招喚の二種類が存在し、調伏に成功さえすればこれらは基本的に無条件で術者の命令に従う。だが、今回の馬たちとの関わりは、魔術とは全く別の”絆”が求められるものだった。

 主従関係に、プログラムによる絶対保証(ギャランティ)がない。ライガも招喚魔術(インヴィテーション)についてはいずれ他の魔術と同様ものにするつもりだったが、魔術的才能を必要としない魔物との関わりがこれ程困難なものであるとは思ってもみなかった。

「こっちでは何で、招喚士(サモナー)を雇わないんですか?」

 尋ねると、ルークはさも当たり前のように答えた。

「万単位の馬を、数人の招喚士で操りきれる訳がないだろう? それじゃ数を増やせばいいんじゃないかと思うのも早計だ、招喚魔術自体がそもそも、変身術(ディスガイズ)と同じくらい高度な術式なんだから」

 それに、と彼は付け加える。

「魔術による契約は、極めて機械的だ。相手の魂と本当の意味で絆が結ばれていなくとも、『術式を発動する』『力で調伏する』という条件さえ満たせば相手をものに出来てしまう。そして術式は、術者が死を迎えれば自動的に解除される。そうなった時に、()()()()()()()()()魔物が味方に対して牙を剝く事も有り得る」

「けれど、使役獣(ブリード)の方は招喚魔術で使役するんですよね?」

「それはあくまで、最後の仕上げだ。遠隔地から、契約に基づいて彼らを呼び出す為のな。調教師(ハンドラー)の仕事は、あくまでも『調教』なんだよ」

 考えてもみろ、とルークは言った。

「フリナガンが死んで、使役獣(ブリード)たちの契約は全てが解除された。その時もしもちゃんと調教が行われていなかったら、今頃俺は奴らの腹の中だ。いや、それだけじゃ済まないな。奴ら暴れ出して、内側から城を壊したかもしれない」

「そんな危険なものを……」

「元来魔物っていうのは、人間に仇成す存在としてプログラムに生み出されているものだからな。連中が人間を襲うのは当たり前で、だからこそ人間側にもそれを退治する魔剣士(テンペランザ)が存在する。しかし、それでも連中は生き物だ。自我はあるし、知能だって高度に備わっている。互いに意思疎通を図る為に最も重要なツールが言葉で、最初はそれが通じないからこそ分かり合えないような気がするが、時間を掛けて理解しようとすれば出来ないものでもない」

 ルークは語り終えると、日陰の木箱の中に入れていた弁当を取り出した。

 ライガも、家を出る前にメルセデスから持たせて貰った弁当を開ける。見習いであるうちは、家が城の近くにあるライガやリクトは兵舎入りはせず学問所時代と同様毎朝通う事にしていた。

 ライガとルークは(しば)し、無言で昼餉(ひるげ)に集中した。

 ライガは元々早食いの方だったが──自由な時間は魔術の研究や昼寝に使いたいというのがその理由だが、リクトやシアリーズからは食い意地が張っている為だと思われている──、ルークも相当早く、ライガが最後のバゲットに取り掛かっている時には既にバスケットの蓋を閉めていた。

 彼はパン屑を払い落とすと、「ライガ」とこちらを呼んできた。

「どうだろう? 君も父親と同じように、使役獣(ブリード)の調教を学ぶ気はないか? あれから俺も、フリナガンの遺品に含まれていた資料から魔物招喚の魔術を学び、微力ではあるが魔物招喚士(ビーストサモナー)となった。君が使役獣(ブリード)と真の絆を結ぶ事が出来れば、フォルトゥナは再び戦いの場で安全かつ正確に、最低限のコストであいつらを使う事が出来るようになる。それは無論、通常の訓練では教われない事だ」

 思いがけない提案に、ライガは驚いてバゲットを喉に詰まらせそうになる。慌てて水筒の水を流し込んで呑み下し、胸骨を拳で叩く。

「……大丈夫か?」

「いいんですか、そんな事? 勝手に騎士見習いにそんな事を教えたら、ルークさんが後でおじさんに……デルヴァンクール騎士長やイザーク閣下に怒られませんか?」

 当然、ライガは乗り気だった。

 いずれは独学で修得しようとしていた魔術を教えてくれるという人が、これ程身近で、思いがけない場所に居たのだ。貴重なチャンスには、食い付かないという訳には行かない。

 ルークはライガの亡き父から幼い頃から自分が並外れた魔術の才を持っている事を聞かされていたのか、「だってさ」と言った。

「外で独学で魔術を学ぶ事は、禁止事項でも何でもないだろう? 俺は騎士団の外の人間として、個人的に君にものを教えようとしているんだ」

「是非、お願いします!」

 ライガの勢いに、ルークは意欲に燃える若者を微笑ましく思っているように口角を上げた後、「(ただ)し」と人差し指を立てた。

「繰り返すようだが、魔物招喚術は使役獣(ブリード)を操る為の”仕上げ”に過ぎないという事を忘れるな。まずは騎馬(ブロンティング)と同じように、魔術なしで連中の調教を行う。信頼関係が十分に築かれたと俺が判断し、連中が君の(もと)で自分たちが戦いたいと心から望むようになった、と思われた時に詩文(ヴァース)を教える」

 それでいいな、と念を押され、ライガは躊躇う事なく肯いた。

「分かりました」

「よし、それでは早速素敵な仲間たちとのご対面と行こう」

 ルークは立ち上がり、数歩歩いてから振り返って

「あ、でも罰則中に俺が連れ出した事は先生に言ってくれるなよ?」

 と付け足した。

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