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『リ・バース』第一部 第22話 Kur Nu Gi A⑨

  ⑧ ライガ・アンバース


 暗い──そして寒い。

 ルシウス・イスラフェリーらが去って行った後、自身の自由を(いまし)めていた拘束術は間もなく自動解除された。ゲイロッド城の牢に収監されてからここに連れて来られるまでの間は、最後に投げ出されたくらいでそこまで手荒な扱い方はされなかったので、肉体に怪我をしている事もない。

 ジェムシリカに捕縛された際、戦闘で負った傷も、ヴァイエルストラスに運ばれるまでの間に治療されていた。だが、右肩の砕けた骨だけはまだ完全に繋がってはいないらしく、薄い石膏(ギプス)が拘束具の如く巻きつけられている。

 ライガは立ち上がると、森を平原の方に出ようとした。しかし、木立を抜ける辺りまで来ると、空間に(いびつ)な波紋が生じ、ぶつかった体に麻痺化術(ナム・バインド)を受けた時のような痺れが走った。

 死霊化術の刻まれた魂の持ち主は、通過出来ない。使うか否かではなく、それを修めてしまった時点で自分は既に死霊化者なのだ。プログラムから、そのように見做された──。

怨霊(ルブナン)どもに破れるなら、俺にも出来ないはずがない……んだよな)

 胸中でそう呟き、実感が真に脳に届かないのは何故だろう、と思った。

 この森に放り出されてから、時間が経過するに連れて次第に気持ちが沈み込むのを感じた。

 諦念──ではない。このような場所で死んで堪るか、という気持ちはあるし、ジェムシリカやルシウスに恨みを返してやりたいという昏い衝動が鬱勃と湧き上がってくるのも感じる。しかし、それらとは全く別に、否応なく絶望的な気分が心の片隅から自らを支配しようとするのだ。

 土地柄(ロケーション)が良くないのだ、と思った。この土地には、帝暦が始まって以来、古人(いにしえびと)たちの積み重ねてきた数多の怨念が渦を巻き、熟成され続けてきた。それがどうしようもない程に、足を踏み入れる者たちに感応するのだ。

 ライガは踵を返すと、とぼとぼとした足取りで森の中を進み出した。このまま何もしないでいると、余計に気分が悪くなり、押し寄せる孤独感に()し潰されてしまいそうだった。

 冬の寒気とは異質な寒さが、身を苛んだ。薄く漂う霧が、有害な瘴気(ミアズマ)のようにも感じられてくる。未だ視界には現れていないが、森を徘徊する生ける屍(リビングデッド)たちの嘆きの声が(こだま)し、まさに鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)といった形容が相応しい。何よりも、間伐が適切になされず木々が鬱蒼と生い茂っている為、まだ完全に日没を迎えてはいないはずなのに、太陽光線はほぼ地上に届いていなかった。

 その為、丈の短い下草は生育を妨げられ、褐変して枯死していた。それ故、魔物も動物も食糧を得る事が出来ない為か──或いは狂乱する生ける屍(リビングデッド)に殺されてしまう為か──全く姿を見せない。周囲の木も、よく見ると(ほとん)どが有毒植物の馬銭(ホミカ)であるようだ。

 今に、自分は動けなくなるだろう。このままでは怨霊(ルブナン)たちと相対する前に、恐らく数日も持ち堪える事が出来ないまま死ぬ。体温の低下と、食糧を得られないが為の飢えによって。

 下草こそ枯れているものの、周囲には茂みも見られる。探せば果実は手に入るだろうし、大型の動物こそ居ないが鼠程度なら乏しい食糧で生きられる為生息しているかもしれない。動けるうちにそういったものを得られる場所を確保しておけば、すぐに死ぬ事もないだろう。

 ──死ぬものか。

 その一念を、胸中で繰り返した。絶え間なく自らを苛むこの森の空気感に、抵抗し続ける為に。

 ルシウスは、自分が死ぬ事──衰弱死でも生ける屍(リビングデッド)に惨殺されるのでも──を前提に、この流刑を行った。彼らの中では、自分は生きていてはならない死霊化者という事になっているのだ。たとえ、自分がこの場所に居る怨霊全てを調伏し、消滅させる事に成功したとしても、生かしてここから出される事はない。ならば、自分が今すべきは力を蓄え、結界を破って脱出する事だ。

(出来ない訳がない……俺に、出来ない訳がないんだ……)

 幾度、その暗示を唱えただろう。

 最早その意味が失われ、何時間が経過したのかも分からなくなった頃、ライガは耳に、微かに小川のせせらぎのような水音を捉えた。

 はっとし、音のした方へと駆ける。常緑の有毒植物が落下させた葉の腐葉土と化した地面を駆け、何度も転びそうになりながら目的地を目指して行くと、すぐにその音源へと辿り着いた。

 まさしく、小川だった。何処かから岩清水(しみず)でも湧き出しているのか、雨水の溜まった泉でもあるのか、密林のなけなしの光を凝集させたかのように玲瓏と澄んだ流れがそこにある。

 ライガは屈み込み、その水を両手で掬って口に含んだ。それが喉を伝い、体内を滑り落ちて行くのがはっきりと分かる。身を切るような冷たさだったが、その瞬間、体に掛かっていた重さがふっと蒸発するように消えた。

 ──死にたくない。

 死ぬものか、という暗示が、そこでより実感を伴った言葉へと変化した。

 リクト、シアリーズ、アルフォンス──自分が死んだら、本当に悲しむだろうと思う者たちの顔が浮かんでくる。しかし、もしも彼らが居なかったとしても、自分はきっとここで、自分自身の為に「死にたくない」という思いを抱いていただろう、と確信出来た。

(何だってしてやるさ……俺自身が、生き残る為に)

 川面(かわも)に映った自らの顔を睨むと、その眼光は炯々として火の玉のような赤い光を放ていた。


          *   *   *


 頭蓋の中で警音(ブザー)が鳴り、目を覚ました時、すぐに()()()の姿を見た。

 眠る前に、約十メートル四方に警告術(アヴェルティスマン)の結界を張っていた。怨霊(ルブナン)たちが自らを殺しにやって来る事は分かっていたからだ。

 起き上がり、徒手のまま立ち上がる。アルターエゴは、ジェムシリカに捕まった際に取り上げられていた。

 月は出ているはずだった。しかし、樹冠が頭上に厚く重なり、その光線の(ほとん)どを遮断しているので、辺りの暗さは変わらない。夜空本来の群青色(ウルトラマリン)すら、満足に見られない。

 立て込めるかのように四方に揺蕩(たゆた)う闇の中、生ける屍(リビングデッド)たちが狂乱の声を上げながら接近して来ていた。蝙蝠(こうもり)の如き眼光だけが、無数に浮かんでいる。

 ライガは両の瞳の上で「閃光(フラッシュ)」を薄く発動し、赤く輝かせた。

「ビョオオオオオオオオ……ッ!!」

 身の毛も弥立(よだ)つような、嘆きの雄叫(おたけ)びだった。

 しかし、ライガの心は不思議な程に穏やかに凪ぎ、自分でもおかしいと思う程に恐怖は感じられなかった。

 来るべきものが来たのだ、という気分だった。

 顔を上げ、先頭の生ける屍(リビングデッド)を見る。口元に、微笑みすら湛えながら。

 足が自然に前に出、その個体へと進み出した。こちらが近づけば近づく程、亡者たちの叫びは昂っていくようだった。

 彼らの方でも、距離を詰めてきた。彼らはライガを取り囲み、何かを待つかのような、そして待ちきれずに自分たちの方から迎えに行くかのような素振りで嬉々として接近して来る。

 双方が(いざな)われているかのように、その距離は着実に縮まっていった。

 第二十二話「Kur Nu Gi A」はこれにておしまいです。これから何が起こるのか……は、もうお察しの通りだと思われます。『リ・バース』前半は残り二話となりましたが、後半も全二十四話になる予定なのでまだまだ続きます。

 ライガが作中で「センス・オブ・ワンダー」という言葉を使用します。これはレイチェル・カーソンが「自然に触れた時の感動(を生じる感性)」というニュアンスで用い、専らこちらの用法で多く使われますが、従来の意味はSF小説を読み終わった後の感覚だそうです。大野万紀氏がこの語を書評に用いた際に「異化(=日常的言語と詩的言語を区別し知覚の自動化を避ける)作用」がそれを誘っていると述べていますが、正直なところ私もどのような感覚なのかよく分かりません。

 ライガはこの言葉を「プログラム(作中に於ける世の理)への感応」として用いていますが、物語の序盤で『リ・バース』の舞台である世界の名前「ジオス・ヘリオヴァース」が「詩文(ヴァース)=言葉」の集合を意味し、詩文を詠唱するとプログラムが魔術的作用をフィードバックするという事から、彼が「世界は言葉に飢えている」と考える場面があります。これは、上述した「異化」を暗示したものです(多分間違った解釈です)。この設定を考えた時から作中の何処かで「センス・オブ・ワンダー」という言葉を登場させようとはずっと考えており、今回ようやくそれが果たされました。

 と、いつものトリビアを入れて終了します。お読み下さりありがとうございました。

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