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『リ・バース』第一部 第22話 Kur Nu Gi A⑧

  ⑦ ルシウス・イスラフェリー


「何、ジェムシリカが?」

 執務室に入って来た側近の言葉に、ルシウスは椅子から腰を浮かせた。側近は困惑したように、曖昧な肯き方をする。

(くだん)の死霊化者、ライガ・アンバースを俘虜にしたと仰っています。取能者(プランドラ)も一緒です。……如何(いかが)致しましょうか? 陛下からは、皇女殿下の帰還命令は出されていないのですが……」

「会おう」

 ルシウスは、間髪を入れずに言った。

「彼女は玄関先(アプローチ)に居るのか? 案内せよ」

 ──一年以上時間を費やし、やっと彼女が目的を達成した。

 一体何をしているのだ、という気持ちがない事はなかったが、殺さず生け捕りにしたという事が引っ掛かった。昨年の十月、自分が彼女に報せた件の事もあり、もしかしたら、という予感が込み上げる。

(死霊化者……一騎士見習いが、まさかとは思うが)

 胸中で呟きながら、ルシウスは側近の後を追った。


          *   *   *


 ジェムシリカは、ゲイロッド城を出てすぐの所に跪いていた。その後方には護衛の兵士が二人同じように跪いており、彼らに挟まれるようにしてスクリュー・バウカーが居た。彼は、両手を後ろ手に縛り、猿轡(さるぐつわ)を噛ませた一人の若者を押さえつけ、地面に押し倒している。

「ジェムシリカ・イスラフェリー、只今帰還しました」

 彼女は、頭を下げたまま謙虚な態度で言う。しかし、その声音(トーン)が抑え難い自尊心と陶酔を孕んでいる事に、ルシウスはすぐに気付いた。

「ジェムシリカ……カヴァリエリの指揮はどうした?」

 無意識に、口調が咎めるような響きを帯びてしまう。

「イスラフェリオ兄に、留守中の指揮をお任せて来ました。問題ございません、事が済み次第、すぐに戻りますれば」

「事?」

「お分かりでしょう? こちらをご覧下さい」

 ルシウスは、スクリューに拘束されている若者の方を見た。ジェムシリカは、こちらがいいとも言わないうちに立ち上がり、地面に押しつけられた若者の頰を爪先でつついた。

「私がソレイユとの国境付近で捕らえました、莞根士(ラーディッシュ)デルヴァンクールの養子にして死霊化者、ライガ・アンバースです」

 彼女の言葉を聞いた途端、若者が激しく唸りながら首を振った。死霊化者という紹介のされ方に対して抗議の意を示したようだ。その様子はごく平凡で、ルシウスにはとても妹が言うような禁術(フォビドゥン)使いとは思えなかった。

 だが、この男が手練れの妹を一年半に渡って手こずらせ、俄かには信じ難い程の執着を起こさせたのは事実のようだ。彼女がヤング、ベッセルで苦戦を強いられ、その原因を莞根士(ラーディッシュ)ではなく、無名の一騎士見習いの為であると報告して来た事からも明らかだ。プライドの高い彼女が、格下に後れを取ったなどという屈辱的な作り話を敢えてする理由が見つからない。

 それを裏づけるかのように、ジェムシリカの喜色はあたかも幾星霜の果てに悲願を達成したというかの如く、やや大袈裟とも思える程にあからさまだった。

「何故、その場で殺さなかった?」

 薄々予感を抱きながらも、ルシウスは尋ねた。

「捕虜にするとしても、何故他の者のようにカヴァリエリに留めず、この者一人だけをここヴァイエルストラスに拘引して来たのだ?」

「我が公国が目下直面している危機を、この者であれば解決してくれるだろうと愚考致しました次第」

 ジェムシリカは、城を透視して更に北を見るような目つきをした。

帰らずの地(クル・ヌ・ギ・ア)の一件です、兄上」

「……やはりか」

「昨年九月に異変が発生してから、かの地に跳梁する怨霊(ルブナン)の勢力は強まる一方だと聞き及んでいます。いずれ、森番(レンジャーズ)の間だけで情報を留めておく事にも限界が訪れましょう。しかし、かの地の怨霊全てを掃討する為に、目下の戦を勝利に導くべき戦力を削る訳にも行かない──」

 彼女は言いながら、ライガの髪を鷲掴みにして持ち上げた。

「そこで、この男です。彼を三途結界フブル・パーティションの内側に閉じ込め、かの地の掃除を行わせては如何(いかが)でしょう?」

「対怨霊(ルブナン)用の結界の内にか? だが──」

「問題ありません、彼は従いますよ。さもなくば、自身が怨霊に取り殺される事となるのですから。しかし無論、駆け出しの死霊化者一人が手に負える量でない事もまた事実。それはそれで構いません。適度に数を減らし、あとは結界を出る事も(あた)わぬままこの男はかの地に骨を(うず)めるのです。

 この戦が我々の勝利に終わるまでの間、怨霊どもは我々の手を煩わせるような事をしなければいいのです。公国の独立が達成されれば、その後は我が軍も国内の問題に神経を回せるようになりましょう」

「……ジェムシリカ」

 ルシウスは、低く妹の名を呼んだ。

「確かに、私は焦眉の急に対応する為、禁忌(タブー)である死霊化者の登用を視野に入れない事もなかった。だが、お前が考えているのは本当にそれだけか?」

「と、仰いますと?」

 彼女は、こちらの言わんとする事は分かっているであろうに、しらばくれた様子で聞き返してくる。

「お前の恨みの深さとは、どれ程のものなのかと思ったのだ」

「最早、その問いに意味はないでしょう」

 ジェムシリカは鼻を鳴らした。

「彼は恐怖に慄きながら、孤独な帰らずの地(クル・ヌ・ギ・ア)の森の中でじわじわと命を削られ、死を迎えるのです。それこそが、私の矜持を繰り返し蹂躙してきた罪業(クリム)に相応しき裁きであり、末路だ……楽に死ぬなど、私が許しはしない」

「……なるほど」

 ルシウスは、改めて若者の顔に視線を向ける。

 ジェムシリカに掴み上げられた時はぐったりとしていたライガが、微かに痙攣しながら頭を(もた)げた。髪の毛の隙間から片目が微かに覗き、上向けられた視線がルシウスの顔を捉える。

 その視線と自らの視線が交錯した時、ルシウスは思わずはっとした。

 彼の真っ赤な瞳は、激しく血走り、それでいながら底知れない闇を孕んでいた。それは全てに絶望しきったような闇ではなく、昏く、残忍な衝動が静かに燃えているような性質のものだった。こちらを呪い殺さんとするかのような復讐鬼の目、或いは致命的な罠の中で、自らをそれに掛けた狩人を睨み、尚も逃れようと試みる獣のような目──。

(これが……)

 ルシウスの心に、恐ろしい、という感情が萌した。

 ──これが、ジェムシリカが一年半もの間相対してきた敵なのだ。

 単なる名もなき若者ではなかった。そう思わせる片鱗を、ルシウスは確かに見て取っていた。この男であれば、彼女が苦しめられたという話もあながち大袈裟とはいえないような気がした。

「いいだろう」

 今すぐ、彼の首を刎ねて息の根を止めてしまいたい。

 その衝動を()し、そう言った。

森番(レンジャーズ)の結界師に連絡(つなぎ)をつける。次にデルヴァンクールと会ったら、この者は死んだと伝えるがいい。……莞根士(ラーディッシュ)は子を作る事が出来ないという風聞を耳にした事がある。目を掛けていた養子が死んだとあれば、彼もさぞ意気消沈し、フォルトゥナ全体の士気も下がる事だろう」

「感謝します、兄上」

 ジェムシリカは一礼し、再び酷薄に嗤った。


          *   *   *


 ヴァイエルストラス以北、タルタリア平原。

 その最果て、統一されざる地ノンユニフィエ・テリトワールとの境界に位置する帰らずの地(クル・ヌ・ギ・ア)の空には、厚く(にび)色の雲が垂れ込めていた。雪として地上に落ちて来るにはあと僅かに水分の足りない、重い雲。それは、傾きかけた太陽の光を彼方で拡散させ、蒼鉛(ビスマス)のような不気味な赤褐色の光線を隙間から降り注がせている。

 怨霊(ルブナン)及び死霊化術の刻まれた魂の持ち主を遮る特殊な結界「三途(フブル)」は、魔除け(タリスマン)結界と同じく不可視の魔術だった。黒々と佇む森をすっぽりと収める形で展開されたその内側はいわば死の世界であり、邪悪なものの溜まり場となっている。

 不可視の天蓋(キャノピー)の内側に渦巻くそれらの怨念は、外側に居るルシウスにもひしひしと伝わってきた。同じ気配を感じているらしく、同行した側近や衛兵たちが、誰からともなく二の腕を擦って鳥肌を宥めていた。

「ルシウス殿下」

 羊皮紙色(パーチメント)のローブを着た結界師たちが、自分たちが到着するや否やこちらに歩み寄って来た。ルシウスは、ちらりと彼らを見る。

「待たせたな。今着いたところだ」

「連絡にあった、死霊化者というのは……?」

「この男だ」

 振り返った先で、二人の衛兵がライガを引っ立てて来ていた。現在のライガは、麻の粗布で編まれた囚人服を纏い、体側にぴたりと密着させた両腕ごと胴を拘束術(リストリンゲレ)で縛られている。拘束術は時間経過で解除される為、結界の内側に閉じ込められて(しば)らくすれば自由な活動は可能となるだろう。

 猿轡(さるぐつわ)は外されていた。しかし、ゲイロッド城で一時的に収監されている間も、平原を輸送される時も、彼は一言も口を利かなかった。

 ジェムシリカに捕縛され、ヴァイエルストラスに運ばれる間は、彼は相当な抵抗を見せたらしい。しかし、ルシウスが彼の帰らずの地(クル・ヌ・ギ・ア)への放逐を宣言してからは、諦めきったように沈黙し、顔すら上げなくなった。

 しかし、ルシウスは彼が外見通り、全てを諦めたとは思えなかった。城の前で対面した際の僅かな時間、こちらに照射された彼の眼差しを、どうしても忘れる事が出来ない。

 しかし、もう彼が自分たちにどのような憎悪を抱いていようが関係はない、と、ルシウスは自らに言い聞かせた。

「本当に、少年ではありませんか……」

 結界師の一人が、驚きも露わに呟く。その声に少々憐憫のような響きを感じ、ルシウスは小さく(かぶり)を振る。

「死霊化者には、以前の肢国自治法でも未成年法(ジュブナイル)の適用はなかった。大人も少年もありはしないのだ……プログラムへの反逆者という点ではな」

 結界の一部を開け、と指示を出した。結界師たちは、この地に渦巻く怨念をこちらよりも顕著に感じ取っているらしく、まだやや躊躇うような素振りを見せたが、事前に連絡した限りではルシウスの決定に異を唱える事はなかった。

 彼らが動き出し、森の木々との境界に近づくや掌印を結び、空中に魔術印(ガルド)を出現させた。途端に、不可視だった結界が、淡虹色(オパール)の微かに小波(さざなみ)立つ光の膜として可視化され、球形に浮かび上がる。

 その一部が、ナイフで切り裂くようにすっと開き、通行を可能とした。同時に、その内側から待っていましたとばかりに亡者たちの呻き声が上がる。早くも、自分たちと外界を隔てる障壁が開いた事を感じ取り、脱出しようとこちらに向かって来始めているらしい。

 急がねばならない、と思いながら、ルシウスは衛兵たちに手で合図を出す。ライガは、半ば引き摺られるようになりながら近づいて来た。

 三途結界は降霊術ではなく文法(グラメール)であり、媒体は魔素(エアル)だ。故に、死霊化術の使い手が術に使用されている霊力(オーラ)を、自身の術を以て変質させたり消滅させたりするといった事は出来ない。

 擦れ違う一瞬、ライガが微かに顔を上げ、首を動かした。

 こちらを睨むような視線から、ルシウスは自然に目を逸らして逃れる。

 衛兵たちは、突き飛ばすようにしてライガを結界の中に押しやった。すかさず、それに破れ目を作った結界師たちが再び閉じに掛かる。

 閉じていく結界の中から、俯せに倒れたライガが膝だけで身を起こそうとしながら振り返ってきた。

 血石(ヘリオトロープ)のような双眸が爛々と燃え、やがてその唇から声が紡ぎ出された。

「地獄に堕ちろ、ジフトめ」

 その言葉を最後に、結界が完全に閉じ、再び見えなくなった。

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