『リ・バース』第一部 第22話 Kur Nu Gi A⑥
⑤ リクト・レボルンス
「ライガ、また起きていたのか」
深夜の食堂でライガと鉢合わせた時、リクトはそう声を掛けた。
また、悪夢を見た。あの夜襲を受けた夜から悪夢を見る事など珍しくなくなり、もうその夢が覚醒時に鮮明に残るという事もなくなったが、起きて脈が速くなり、口の中が渇いている事に変化はなかった。
九月末の教訓から、深夜に目を覚まして再び眠る事が出来なくなっても、外に出る事はしなくなっていた。部屋から出て来たのは、水を飲む為だ。
「まあな。……心配するなよ、もうあんな無理はしない」
ライガは、苦笑しながら言う。
二ヶ月前に諍いを起こしてから、自分たちが和解するのは早かった。アルフォンスに仲裁して貰ってから、それでも気まずい思いは消しきれず、その日の夕方までにこちらから声を掛ける事は出来なかったが、その時もこうして自分たちはそれぞれに夜中に起き出し、たまたま鉢合わせた。その日ライガは別室で眠っており、リクトは彼が起きている事を知らなかった。
リクトは、一年以上に渡って自らの中で続いていた葛藤について、ライガに打ち明けた。ライガもアルフォンスと会話して冷静さを取り戻しており、素直にそれに対して謝ってきたが、「でも」と付け加える事は忘れなかった。
「危ない事はやらない。けど、俺は俺の考え方を変えるつもりはないよ。それで行きすぎた時、お前は自分が俺を止めるって思っていたみたいだけど……止めた上で、ちゃんと話し合おう。今こんな事を言うのはあれだが、お前が絶対に正しいとも、俺は思っちゃいない」
「いいよ、それは」
リクトは肯き、返した。
「また、喧嘩する事になるかもしれないけどね」
翌日からライガは部屋に戻って来、一度は中断を宣言した感応の復活に関する研究も再開したが、その様子はそれまでのように自らの心身の疲労を顧みない程のものではなくなっていた。
リクトもアルフォンスたちも、その事にはひとまず安堵した。
「……それで、どんな調子なんだ、研究の方は?」
「最初程、訳が分からない状態ではなくなった。感応は、魂の記憶だ。といっても魔術とかのように、後天的に刻まれるものじゃない。肉体情報のように、過去世から転生した時に既に刻まれているものだ」
「肉体? だけど──」
「すまん、語弊があった。例えば魔心者とか、獣心者とかが引き継ぐ魔物や獣としての心象のように、自分が自分であるっていう大前提の部分だよ。それが普通の記憶として忘却される事がないように、感応も基本的にはある一生の途中で、何かがきっかけで消える事はない。
だからこそ、取能者の降霊術は恐ろしいんだ。あいつは、感応を相手の魂から引き剝がして、消す。この『消す』っていうプロセスが重要なんだ。降霊術の媒体として使用された魂が使い尽くされず、ある一定のエネルギーを放出した後は境界に還るように、魂の材質の結合は基本的に、一時的に破られるような事があってもすぐにまた自動的に修復される。余程のイレギュラーで一度乖離した感応も、消されさえしなければすぐにまた魂の本体が引き寄せる」
ライガは言ってから、「それが分かってもな……」と表情を曇らせた。
「リクトの場合は、その条件が成り立たない。取能者に引き剝がされた感応は、その場で消滅させられてしまった」
「感応を一から作り直す必要があるって事だね……だけど、魂の材質を人工的に作り出すなんて」
「不可能に近い。だから、俺は別な方法からアプローチを考えている」
「別な方法?」
リクトは聞き返す。だが、ライガはその先を口にする事はなかった。暫し唇を噛んで黙り込んでから、「まだ理論の域は出ていない事だが」と言い、不意にこちらの目を見つめてきた。
「リクト。お前のHME、少し借りてもいいか?」
「HME? 何に使うの?」
「それはまだ言えない。だが、そうだな……何週間か、俺に預けて欲しい」
それ程長い期間なのか、と思ったが、支障は来さなかった。自分はもう戦闘には参加しないのだし、この宿舎に居る間はライガやその他の騎士から直接連絡事項を聞かせて貰えばいいのだから。
ライガは、ただ勿体ぶっている訳ではなさそうだった。現在の状況が、それを許さないものである事は彼も理解しているはずだ。という事は、何か余程の理由があるに違いない。
「……分かった」
リクトは肯き、端末を取り出して彼に手渡した。
「信頼しているよ、ライガの事」
* * *
荏苒として時が過ぎ、年が明けた。
帝暦八八年、一月。ライガは、リクト一本の巻き物を手渡した。それは、彼がガルドラボークの一ページを破り取ったものだった。
「セレニテ・パッショネル──か」
「今の俺には、これが限界だ」
彼はそう断った上で、その降霊術について内容を語った。
「誰かの感応を魂から乖離させ、別の魂に移植する。取能者の術が『奪う』ものであるなら、こっちは『与える』ものだな。乖離した感応が、再び魂本体に引き寄せられる現象を応用した降霊術だ」
「だけどそれは、与える誰かの能力という事になるんじゃないか?」
リクトは、その実態に驚きながらもそう尋ねずにはいられなかった。
「失われた対象者の能力を復活させる事には、ならないんじゃ?」
「いつか、オルフェが斬撃術を喰らって死にかけて、ノレムから輸血をした事を覚えているか?」
ライガは、根気強く説明してくれる。
「あの時オルフェの中に入った血は、もうノレムのものじゃない。肉体が代謝を繰り返すうちに、少しずつ細胞が本人のものに置き換えられていくからだ。本人固有の細胞を肉体に作り出すように命じているのが魂の記憶なら、剣や魔術に込められて放たれる感応も、徐々に本人のそれに置換される可能性はある。……実践した事がないから、あくまで理論だけどな」
「そういうものか……だけど、仮にそうだったとして」
リクトは身を乗り出す。
「僕にその”移植”を行った後、提供者となってくれた誰かはどうなる?」
「剣も魔術も使えなくなるよ、勿論」
ライガの声は、言い出しづらい事を無理矢理絞り出したように強張り、力を孕んでいた。
「それに、弱点はもう一つある。移植する感応の持ち主は、される者の魂が真に求める者でなければならない。乖離した感応を、本人の魂に戻る以上の力で引かなければならない訳だからな」
「魂が、真に求める者……?」
リクトはその言葉を繰り返し、やがて尋ねた。
「僕が、心の底から大切だと思う人の事か?」
「ああ」
「精神的すぎる」首を振った。「そこで『魂』という言葉を使うのは、あくまで比喩的な表現じゃないか。『運命』とかと同じように……」
「いや、そうでもないんだよ」
ライガは言う。
「霊媒師は、プログラムからの神言や境界の魂を自らの魂に引き寄せる。きっと誰にでもあるんだ、そういった『神秘への感応』は」
「神秘への感応……」
聞き慣れない言葉だった。彼の造語なのかもしれない。だが、それは不思議と、すっとこちらの胸の中に納得を伴って落とし込まれてくるようだった。
刹那、リクトは気付いて目を見開いた。自分の魂が、真に求める誰か。そのような感情を抱いた人──巡り会うべくして巡り会ったのだと、魂が強く惹かれている人など、一人しか思い浮かばなかった。
ライガはこちらが気付いた事を悟ったらしく、ゆっくりと肯いてからそれを口に出した。
「リィズに、この術を使って貰う」
「駄目だ!」
リクトは、堪えきれずに叫んでしまった。「彼女に、そんな重みを背負わせるなんて……僕の為に、彼女が犠牲を強いられるなんて」
「犠牲というのは違う」
ライガの口調は、淡々としていた。「彼女は戦わない」
「だから、魔術すら使えなくなってもいいっていうのか? 僕はそんな──」
「いいから最後まで聴け」
彼は、両手を伸ばしてこちらの両肩を掴んできた。
「リィズは、だからこれが自分の戦いだって言ったんだ。敵を倒す事だけが戦いじゃない、今は誰もが、大事なものの為に自分に出来る戦い方をしているんだって」
「言った? だけど──」
「これを見ろ」
ライガはHMEを取り出し、着信履歴を見せてくる。そのいちばん上に表示されたメッセージが開かれた時、リクトは言葉を失った。
『あなたからお手紙を頂き、正直に言ってびっくりしました。やはりあなたは卓越した降霊術者なのだと思うと同時に、きっと私が不承の意を表する事はないだろうと見てこのお願いをするのだという一文を見て、少々ずるい人だと思いました。
私は、あなたとリクトの事がとても好きです。アルフォンスらの出撃が決まってからこうして会えない日が続く事をとても辛く思い、一日たりともあなたたち二人の事を考えない日はありませんでした。ライガは私よりもずっと、リクトの事を傍で見続けていたのだと思います。私が想像するよりもずっと厳しい現実を共にし、叶う事なら彼の苦しみを肩代わりしてあげたいとすら、思っていたのかもしれません。あなたは、とても優しい人ですから。
不謹慎かもしれませんが、私はそんなあなた方を羨ましく思いました。
私は皇女で、あなた方と一緒に戦場で戦う事は出来ません。けれど、何も出来ない事にもどかしさを覚え、果たして本当にそうなのだろうか、とずっと悩み続けていました。そしてあなたのお手紙は、それが今なのだと告げていた。
リクトは幸せです。あなたという腹心の友を得た事は、彼の何物にも代え難い財産だと思います。私は彼に、彼の存在の為にはあなたが必要なのだという事を教えてあげたい。それが今の私に出来るせめてもの事なのでしょう。
リクトにお伝え下さい。私は、彼が私を想ってくれている事を重荷に感じたりはしない、と。むしろ、それ程までに自分が想われている事を幸せに思っている、と。私は彼が望むのであれば、この魔術を以て彼に私の感応を譲渡する事を躊躇ったりはしません。
彼からのお返事をお待ちしています。 Seres de Generaté
追伸 ライガからアパデマクちゃんたちと仲良くなる魔術を学べなくなるのは、ちょっとだけ残念な気もしますけれどね』
「リィズ……ライガ、これは」
リクトはその時、ライガが自分にHMEを借りたいと言ってきた理由を悟った。彼は、それを手紙と共にシアリーズに送り、自分への感応移植のレシピエントとなる事の可否について返事を求めたのだ。恐らくは、この文面で彼女が言っている通り、彼女が恐らく断らないだろうという事を見越した上で。
ライガはそれについて、言い訳をしなかった。ただ、無言でこちらを見つめ続けていた。
「勝手な事を──」
無意識のうちに食い縛っていた歯の隙間から、声が漏れ出した。
「リィズだったら、絶対に『重荷になる』なんて言わない。だけど、彼女がどれだけ不安になるか、君も分からないはずがないだろう……前例がない魔術で、しかも実験のしようもない、いきなり実践に移すしかない事だ。失敗する可能性だって、大いにある」
「ああ、その通りだ」
「それなら何故!」
声を上げたリクトの肩を握るライガの手が、力を強めた。
「本当はフォルトゥナの長に相応しいのは、俺じゃない。お前だ」
「だから──」
「リィズも、そう思っている」
ライガは遮り、真剣な眼差しでこちらの瞳を見据えた。
「俺もリィズもその事については、考えを一致させているんだ。お前は、ここで騎士としての生命を断たれてはいけない。お前自身だけじゃない、皆がお前にそう在って欲しいと願っている」
──それが、今まで自分には重かったのだ。
そう思ってから、はっと気付いた。それこそが、真の意味で自分が騎士である事の終わりなのだと。
自分は、自分一人で騎士だった訳ではない。シアリーズの言った通り、自分自身の存在の為にはライガが必要だった。彼だけではない、シアリーズやアルフォンス、皇帝にアウロラ、多くの者たちの存在があって、自分は初めて「そう在りたい」と思う自分になれるのだ。
自分は、どう在りたかったのか。
そしてその為に、皆が自分に何をしてくれていたのか──。
「……リィズ、ライガ」
リクトは一度目を閉じ、やがてゆっくりと開いた。
「僕は……フォルトゥナ騎士団の騎士見習い、リクト・レボルンスだ」




