『リ・バース』第一部 第22話 Kur Nu Gi A②
② アルフォンス・デルヴァンクール
「──どうだ、ライガの様子は?」
食堂に戻って来たヴォルノに尋ねると、彼はゆっくりと首を振った。
「部屋に籠ったきり、出て来ません。中からはずっと、詩文めいた独り言が延々と聞こえてくるばかりです。……もう、十日になります。恐らく、夜もろくに睡眠を取っていないのではないでしょうか」
「リクトは、何と言っている?」
「居心地が悪く、部屋に居られない、と。無論彼は眠りますし、彼が食事を部屋まで運ばなければライガは栄養失調を起こしてしまうでしょう。しかし──気持ちは分からなくはありませんけれど」
「そうだな……」
アルフォンスは机上で指を組み、俯き気味に瞑目した。
ジェムシリカの夜襲を受け、リクトがスクリュー・バウカーによって感応を奪われてから、早くも二週間が経過しようとしていた。
最初の数日間、リクトは廃人のような状態で過ごしていた。戦闘に出る事も、自主訓練を行う事すら出来なくなってしまったので、定時に起床し、朝食を取るやすぐに部屋に戻ってしまい、以後はライガに引っ張られるようにして食事を取る時と点呼の時に姿を現すだけだった。
ライガも、騎士としてのアイデンティティを喪失してしまった友人に対してどう付き合えばいいのかずっと呻吟し続けていた。アルフォンスもそれは同じだったが、結局彼らに何も言えない自分にもどかしさを覚えた。
しかし、やがてライガは意を決したように懊悩の態度を消すと、部屋で何やらひたすらに作業に打ち込み始めた。
この間、ジェムシリカが軍を率いてまた日中に攻めて来る事もなかった。一年間に渡って兵力を消耗し続け、向こうにも限界が訪れているのかもしれない。故にライガがそのような状態である事による戦闘時の弊害はまだ発生していないものの、現在の彼の様子は誰の目にも常軌を逸していた。
それ程までにして、彼は何の作業を行っているのか。
やがて、リクトの方が不安になったのか、アルフォンスらに彼のしている事について教えてくれた。
「ライガは──降霊術の開発を行っているんです。取能者の固有降霊術と、対になるような術を」
リクトの言葉に、それを聞いた時アルフォンスらは一様に息を呑んでしまった。
ライガは、感応を復活させる魔術を開発しようと試みていたのだ。本人が面と向かってリクトにそう言った訳ではないが、その目的が彼の為である事は火を見るよりも明らかだった。
彼はその事に、酷く心を揺さぶられたようだった。
「取能者のあの術自体、固有降霊術で過去に類似する魔術がない。反対魔術が作れるようなものなのか……?」
ヴォルノは、厳しい表情でそう言っていた。
「ものを完全に消滅させる魔術ならば、過去に例がない事はない。だが、無から有を生み出す術など……生成魔術とて、魔素から状態の不安定な仮想物質を一時的に顕現させるので精一杯だというのに」
「しかも感応──センスは、物質でも現象でもない。強いて言うのであれば、霊媒師がプログラムから受け取る神言のような霊的直感だ」
イザークが呟く。
「転写術の例を鑑みるに、再現が不可能なものではない。だが、感応の形は一人一人の人間によって異なる。既にそこにない、過去の肉体の記憶を再現し、尚かつそれが恒久的に渡って育成可能な状態で肉体に宿り続けるような方法……些か、荒唐無稽すぎるな」
「リクト、君はどう思っているんだ?」
アルフォンスは、彼自身に言わせるのは酷だろうとは思いながらも、聞いておかずにはいられなかった。
「ライガが、君の為にそのような事をしている事について」
「私は……何と言えばいいのか、分からないのです」
リクトは俯き、拳を握り締めた。
「彼が私の事を想い、行動してくれる事は嬉しい。しかし、イェーガー殿や先生が仰るように、それが極めて厳しいものである事も理解しています。再起する見込みのない私の為に、彼がこの先消耗し続けるのだとしたら……私は、そのような事は望みません」
「君なら、そう言うだろうと思った。けれど──」
アルフォンスとリクトの声は、自然に重なった。
「ライガは、やってみなければ分からない、と言うはずだ」
──しかし、前例のない事について、何を以て「不可能だ」という判断が下せるのだろうか?
それが分からない限りは、ライガは決してやめようとしないだろう。
彼は今、デルヴァンクール隊の一員として、アルフォンスの指揮の下で戦場に出ている。自分がやめろと”命令”を下せば、彼も諦めるのではないかとは思う。彼の事なので、隠れて密かに研究を続けたりはするだろうが、睡眠時間を削ってまでそれに没頭するような事はなくなるかもしれない。
だが──アルフォンス自身も、ややもすれば、と思ってしまう自分を否定出来ないのだった。
彼は自分よりもずっと、魔術の才に秀でている。彼であれば、リクトを再び騎士にする事も可能なのではないか、と。
それに、アルフォンスはリクトも同様に思っているであろう事が痛い程によく分かった。彼は今まで、騎士であるという事を己の全てとして生きてきたのだ。そう在れなくなってしまった彼が、この先どのように生きていけばいいのかと悩んでおり、ライガの研究はそれに対する唯一の希望かもしれないのだ。
「リクトを、ユークリッドに送り返すべきだと思います」
イザークが、言いたくない事を無理矢理口に出した、という風な抑えた声でそう言った。
「そうすれば、ライガも諦めざるを得ないでしょう」
「しかし、それはあまりにも──」
「残酷な事かもしれませんが、リクト自身の為でもあるのです」
弟の口調は、感情を押し殺しているかのようだった。
「現在は、敵の軍としての動きについては小康状態が保たれていますが、いつこれが崩れるかは分かりません。こちらの戦力も削られている事には違いないのです、モルガンからの補給も、到着まで最短でもあと一週間は掛かります。
またこの街にジフト軍が現れた時、我々は戦う事が出来ますが、リクトはそうではない。戦場に置いておく事は危険です」
「イザーク殿、ならば街の住民たちは……」
ヴォルノが容喙する。イザークは頭を振った。
「リクトは、彼らとは違う。自分がここに居るべき人間ではないという事を、誰よりも感じている」
「イザークの言う事ももっともだ。だが、今単独で彼を脱出させる事は難しい。外敵はジフト軍だけではないのだからな。ソレイユと帝国の国境を越える際には、魔物の出没する山も越えねばならない。彼には今、戦える術がないのだ──精神的な事については、我慢して貰うしかない」
アルフォンスは、そう絞り出した。
結局は、自分たち大人は日和見しか出来ないのか、と思った。ライガは、彼自身に限界が訪れる前に魔術を開発出来るかもしれない。彼が疲労している間に、ジェムシリカ隊は再び攻めて来ないかもしれない。「かもしれない」ばかりだ。希望といえば聞こえはいいが、希望的観測と言い換えた途端、何故これ程無責任な言葉に思えるのだろう。
指揮官たる者、想定せねばならないのは常に「最悪の場合」だ。それを鑑みて、僅かなリスクの芽でも残さず完全に摘み取る、という事をしていたら何も出来なくなるが、少なくともそのリスクを冒すのに見合うだけの効果が期待出来ない試みを安易に容認する事は出来ない。
──自分は、ライガの親代わりでもあるのだ。
そう思い、アルフォンスは自らがあらゆる面で、人間として未熟である事を突きつけられたような気がした。
(フリナガン……)
亡き部下の名を、心の中で呟いた。
お前の息子は優秀だ、と伝えたかった。後を引き取った自分よりも、遥かに。しかし、その優秀さ故にこの迷いは生じている。更に言えば、リクトが誰よりも騎士道を重んじる若者だった事も。
不幸な偶然といえば、そうともいえる。だが、それらの事象自体は決して不幸な事でも、悲劇的な事でもないのだ。
牴牾に苛まれながら、自分はいつまで部下たちの前で、騎士長としての仮面を被り続けられるだろうか、とアルフォンスは考えた。




