『リ・バース』第一部 第21話 Chivalry Spirits⑦
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原野にぽつりと佇むベッセルの街に、そこまで高い建物はない。夜遅くまで営業している店などもなく、街灯の灯りすらユークリッドやモルガンなどの大都市と比べると疎らだ。
街の中にある二期作の麦畑を貫く道には、街灯は一本もなかった。しかし、余計な灯りがないからこそ、晴れて空気が澄んだ日には月や星の灯りが却って明るいものに感じられた。それは何処か、昨年の今頃、ヤングに駐屯していた頃の夜を思い出させる光景だった。
馬車の轍が刻まれた麦畑の道を、頭上に淡水色の月を戴きながらリクトはゆっくりと歩いた。アルフォンスは夜間外出をそこまで厳重に戒めてはいないが、あまり宿舎から離れすぎるのはいざという時の為に良くない。
歩きながらリクトは、戦時下とは思えない程静かだ、と思った。
年度が替わった頃からジフト政府は再び徴兵制度を再開していたが、デルヴァンクール隊の駐在しているこのベッセルにジフト軍からの使いはやって来なかった。最初こそ街に入って来た騎士団に対し、自分たちの土地を占拠する為に現れたのではないかという怯えを見せていた住民たちだったが、アルフォンスが彼らを奴隷にする事はない事、ジフトの反乱に直接的に加担した訳ではない者たちは罪に問わない事を説明すると段々安心してきたようだった。
男手が戦に取られる事もなく、こうして農作物も例年通りの収穫量が見込まれる状態となっている。
──こういった人々の暮らしを守る事が、騎士団の役割なのだ。
その為に行われる自分たちの行為は、騎士道に基づくものだ。そこだけを切り取れば単純な言葉なのに、何故そこに自らの価値観というものが介在した途端、訳の分からないものになるのだろう?
(僕は本当は、何に悩んでいるんだ……?)
言い訳をしないと自分のしている事が正しいかどうか判断出来ないから、ライガに嫉妬しているだけではないのか。どのように考えても、夢の中で考えたその結論に落ち着いてしまいそうな事が、リクトは怖かった。
結局、結論はそういう事ではないのか。もうとっくに、答えは出ているのではないのか。それで納得が行かないというのであれば、自分は最終的に、どうなれば満足だというのだろうか。
(ライガに、僕と同じ道を歩いて欲しいのか?)
彼は、リクトの「騎士道」を否定しない。だが、リクトであれば決してしないような力の使い方をする。
自分はそれを、彼が自分を否定しないでいてくれるように、何故受け入れる事が出来ないのか。それは畢竟、彼への一方的な依存のように思う──。
「ライガ……」
無意識のうちに、彼の名を呟いていた。
その時、突然並び立つ麦の穂の陰で何かががさりと音を立てた。
トゥールビヨンは、宿舎を出る時に持って来ていた。騎士団は戦地に於いて、僅かにでも持ち場を離れる時には剣を帯びるように厳命される。リクトは反射的にそれを抜き、音のした方に向けていた。
象牙色の刀身の切っ先で、凝集した月光が金珠の如く煌めく。
一秒、二秒、三秒……と時間が経過した。
転瞬、
「やはり気付かれたか! ハイドロブレード!」
声と共に、リクトが剣先を向けている辺りの麦の穂が宙に舞った。
水属性術の刃が、こちらに向かって飛来する。リクトは渾身の力でそれを受け止め、弾いた。それは畦道の真ん中に落ち、白煙を上げた。
間髪を入れず、潜伏していた者が矢の如き勢いで飛び出して来た。
「止水閃!」
「彗星衝!」
リクトも剣技を繰り出し、振り下ろされた双剣を防ぐ。二筋の瑠璃色の光芒が、こちらとぶつかった刀身に収束されていく。
そのすぐ後ろ、至近距離に女王蜂の顔があった。
「ジェムシリカ……!」
「運が良かったな、リクト・レボルンス。我が愚兄から、もう私への援軍は出せないと言い渡されてしまった。そこで、今回は趣向を変えて夜間の奇襲を狙ったのだ。私は、自らの手で貴様とライガ・アンバースを討てればそれでいい。後の者たちに対してはイスラフェリオ兄が指揮を執って、カヴァリエリで防衛戦でも何でもすればいいのだ──思うがままにな」
彼女は獰猛に嗤ってから、ふと真顔になった。
「という事は、貴様にとっては運が悪かったのか……このような夜更けに一人で出歩いていたばかりに、私に機会を与える事となった。単身で猛獣どもの巣穴に忍び込むリスクを冒さなくて良くなった」
という事は、ジェムシリカ以外のジフト軍の者は来ていないのか。
リクトは考え、それもそうか、と思った。もしももっと大人数で来ているのであれば、街に侵入する時点で気付いたはずだ。
しかし、彼女も単独で敵の集まっている場所に忍び込み、自らが拘束された時の事について何ら考えなかった訳ではないだろう。腹心の取能者くらいであれば、連れて来ているかもしれない。
スクリューが何処かに潜んでいるのだとすれば厄介だ。彼に奇襲を掛けられ、対処が間に合わなかったりすれば一巻の終わりとなる。
(まずは応援を呼ばないと──)
リクトは鍔迫り合いの状態を維持したまま、腕状霊魂を招聘してポケットからHMEを取り出そうとした。相手は二刀を使っているので、両手でのガードでなければ押し切られる。
その動きを素早く察し、ジェムシリカが跳び退りざま叫んだ。
「エクソシズム!」
招聘されかけていた腕状霊魂が除霊され、すぐさま消滅する。ポケットから引き出されかけていたHMEが直前で放され、土の上に落下する。しまった、と思い剣先で掬い上げようとすると、彼女がそのタイミングを狙い澄ましたかのように低姿勢で突進を掛けて来た。
「青海波!」
──駄目だ。拾う隙がない。
リクトは剣を構え直し、同じく三連撃技で相殺を図った。
「璧龍爪!」
絶え間ない剣戟と共に、ジェムシリカの刀身から発された飛沫のような光果が飛び散る。余所見をしていた訳ではないが、その合間に彼女がすっと足を伸ばし、こちらの足元に落ちた端末を反対側の麦畑に蹴り込んだのが見えた。
彼女は右手の剣での連撃が終わるや、左手の剣を振り上げた。こちらは剣技を繰り出したのではなかったが、眼球に程近い位置をすっと撫でるように斬られ、心臓が竦み上がった。
連絡手段を奪われた。独りで対処するしかないという事か。
ジェムシリカが、酷薄な微笑を湛えた。矢庭に声を張り上げ、「スクリュー!」と呼ばう。
「背後を突け!」
咄嗟に振り返ろうとしたリクトは、すぐに思考を取り戻し、右横に跳躍した。ただ振り返っていれば、そのタイミングで無防備になった背中をジェムシリカに突き刺されていただろう。
しかし、やはりスクリューが同行して来ているというのも嘘ではなかった。背後でHMEの蹴り込まれた辺りの麦が騒めき、殺気が接近して来る。
ジェムシリカの間合いから出た事で、ようやくリクトはそちらを向けるようになった。低姿勢の取能者が左手に薄赤い霊力を纏わせ、麦の穂の間から猫の如く姿を現そうとしていた。
リクトは急く胸を宥め、精一杯に平気を装う。
「あなたの手で私とライガを討つのではなかったのか、女王蜂?」
「見解の相違だ、リクト・レボルンス」
ジェムシリカは笑みを唇に貼り付けたまま言った。
「私はその男が自らに付き従っている事を、自らの力の一部ではないなどと思った事はない」
「……っ!」
その言葉が合図だったかのように、取能者が飛び出した。こちらの頭を鷲掴みにしようというかの如く、五指の関節を曲げ、下方からアッパーカットを繰り出すような動作で左手を振るって来る。
リクトは、直前での怯みを誘発させようと試み、自分の目の前で「閃光」を炸裂させようとした。
しかし次の瞬間、横から滑り込んで来た者の姿があった。
「新月の荒野、血肉に飢えし王獣は穢土の中、本能の傀儡となりて恐るるを食い裂く……ディーパーファング!」
火属性の黒魔術──獅子の顔の形をした炎が、突き出されかけていた取能者の左腕に喰らいつく。ぱっとそれが炎上し、彼は眉を潜めつつも冷静に感応奪取の降霊術を発動し直し、それを消火した。
その隙に飛び込んで来、剣を突き出したのはライガだった。防御が不可能な状態に在ったスクリューは、後方に大きく跳躍してアルターエゴの切っ先を逃れ、道と麦の境界線辺りに着地する。
「ライガ……?」
「もう大丈夫──かどうかは分からないけど、とにかく来たぞ」
彼は油断なくスクリューに剣先を向けたまま、リクト、そしてジェムシリカへと順に視線を移した。
「おじさんたちに助けを呼ぶ暇がなかった。空メールでもいいからHMEを送れれば良かったんだろうけど、取能者が出て来たからそんな時間もなくなった」
「それじゃあ、君は──」
何故ここに居るのか、と続けようとしたが、それよりも早く彼は言った。
「気付くだろ、急に出て行ったら。一人じゃ危ねえんじゃないかって思ったから追い駆けたけど、まさか本当にこんな事になるなんてな」
「起きていたの?」
「まあな。でも、何で声を掛けなかったかって?」
ライガはそこで、やや複雑そうな表情になった。
「お前があんなに取り乱して目を覚ますとこ、初めて見た。……いや、見ちゃいなかったけど、一瞬マジで敵襲かと思ったぜ。けどまあ、お前だって、聞かれたくない事があるから一人で出て行ったんだろ?」
「………」
リクトは唇を噛む。
他でもない君の事でこのような始末になったのだ、とは言えなかった。否、言ってはいけなかった。問題があったのは、自分の精神の方なのだから。
「……メルシー、ライガ」
助けて貰った事に対して、リクトは礼を言った。彼と背中合わせに立ち、スクリューに剣を向けるライガとは反対側のジェムシリカに向き合う。彼女は驚愕を色濃く湛えていたが、やがて笑みを取り戻し、双剣を構え直した。
「これはこれは。リクトを殺した後で宿舎に向かう手筈だったが、予定変更だ。わざわざ足を運ぶ手間が省けましたよ」
「リクト」
ライガが、顔の向きをスクリューに向けたまま囁いてくる。
「それぞれに、もう標的がつけられている。何をするかは分かっているな?」
「ああ、ライガ」
リクトは彼の意図を察し、顎を引く。
「これで、寝込みを襲ったなどという言いがかりをつけられずに済む。……いざ参るぞ、騎士見習いたち! 瀛渦侵逆門!」
水属性剣技の必殺技を繰り出しながら、ジェムシリカが地面を蹴った。スクリューもまた、左腕の霊力を肥大化させながら──あたかも腕自体が巨大化したかのようだった──ライガへと飛び掛かる。
背中越しのそれを確認出来たのは、その時リクトが、
「一、二、三!」
ライガと共に合図を交わし合い、くるりと場所を替えた為だった。
自分はスクリューの方へ、ライガはジェムシリカの方へと。
「何!?」
ジェムシリカが、動揺したような声を出した。背後で、それを呑み込むかのようにライガが剣技を発動した音──炎の燃え上がる音が響いた。
「赩焉百華断!」
二刀を駆使したジェムシリカの必殺技に対抗するには、必然的にそうなるであろう反撃だった。水と反属性となる、火属性の必殺技。それが炸裂し、水蒸気爆発が起こったらしい音が谺したが、リクトはそちらを見てはいなかった。
一、二メートル程の距離に迫ったスクリューに対し、リクトは除霊術を発動して術を解除させる。すかさず、トゥールビヨンで突きを放った。
「閃光破!」
──今は、結論の出ない自身の在り方や、ライガとの間に生じた蟠りについて考える事はやめよう。
リクトは、頭の片隅でちらりとそう考えた。
先程、自分は間違いなく危機に陥った。ライガはその時、一切躊躇う事なく自分を助けに来てくれた。価値観など超越し、その関係性だけは変わる事のない無二の親友として彼はそうしてくれた。
それ以上に、今自分が彼に望む事など、何があるだろうか?
(ライガ……ありがとう)
胸中で彼にそう語り掛けると、リクトはトゥールビヨンを突き出し、一直線に眼前の取能者へと反撃を繰り出して行った。




