『リ・バース』第一部 第21話 Chivalry Spirits⑤
④ ルシウス・イスラフェリー
「──そうか」
側近からの報告を聴くと、ルシウスは息を吐き出した。
援軍として派遣した兄イスラフェリオを、ジェムシリカが拒絶したという旨の報告だった。つい先程、現地に居るイスラフェリオ本人からの連絡がゲイロッド城に届いたらしい。
ジェムシリカは何故、あのように意固地なのだろう、とルシウスは思う。剣の腕や魔術がなまじ優れているだけに、余計に質が悪い。身内という事もあり、安易に切り捨てる事は出来なかった。
「イスラフェリオ殿下には、どのように伝令をお送りしましょうか?」
「そのまま、カヴァリエリで待機だ。万が一ジェムシリカがフォルトゥナ騎士団に討たれるような事があれば、即座にイスラフェリオ兄が指揮権を継承し、街を防衛するように伝えろ。それまでは、ジェムシリカが暴走しない限り二個大隊は決して動かさないようにと」
「暴走……でありますか?」
「兄上を差し置き、残存兵力を死地に追い込むような事をするという意味だ」
「御意、ヴォートル・アルテス」
側近は答えてから、しかし、と躊躇いがちに視線を彷徨わせた。
「ジェムシリカ殿下が、そのような事をなさるでしょうか?」
「するな、妹はきっと」
ルシウスはそういった意味で、ジェムシリカを信用してはいなかった。それどころか、内心では彼女にそこまでの権限を与えた事自体が間違いだったと苦々しい気持ちを感じていた。
個人の能力では、ヘルムダルと並び現在のジフト軍の中で双璧を成す彼女。彼女を喪う事は、軍にとって相当な痛手だ。しかし同時に、彼女が無理な玉砕を兵士たちに強いる事で、一年のうちにヴァイエルストラスに控えていた兵力の多くが損耗した事も事実だ。
彼女を喪う事による損失と、彼女が生きている事による損失。両者を秤に掛けて考えた時、ルシウスは後者の方に重きを置いて判断すべきだと思った。彼女は強力な魔剣士ではあるが、帝連軍の魔剣士たちに比べて圧倒的に優れ、一人で戦局を左右しかねない程の実力者かといえば、決してそのような事はない。実際に、彼女は彼女自身が標的と定めた者たちを未だに一人たりとも討てていないのだ。
大軍を損ない続けた責任を取らせ、ヴァイエルストラスに呼び戻して軍事裁判に掛ける。その決定を許さないのは、父親である公皇ブラウバートだった。
──子供たちには甘いのだ。
ルシウスは思い、皆中途半端だ、という苛立ちが募った。
自分たちイスラフェリーがジフト公国を興し、帝連に対して目下の独立戦争を挑んだのは、一体何の為か。何よりも先に、大義があった為ではないのか。
人を想うが故──それは、身内だけに向けられたものではなく、民全体に向けられたものであったはずだ。だからこそ父は盟友であったジフト・ビギンズをも切り捨てる事を選び、政権を簒奪したのではないのか。
矜持の為──これも、目先の敵に傷つけられるような個人の名誉という意味ではなく、旧き時代の主族たるビャルマ族の末裔、イスラフェリー家の血筋という大きな矜持を指すものであったはずだ。ジェムシリカは、自身の小さなプライドに囚われてその事を忘れてしまったのか。
(このまま都のみを守り続けても、何の意味もない。独立を求めて出師したのは我々の方だ。ぎりぎりの鎬の削り合いの果てに目下の脅威を退けたとて、その先に待ち受けているのはソレイユ、シャリオ連合による防衛線と、帝国本土で待ち受ける皇帝本人の軍だぞ)
ジフト軍が帝連軍に挑み得る程まで戦力を揃えた事は、半ば突貫工事のようなものだった。旧同盟に参加した国々から、搾れるだけの戦力を搾って結集させた結果に過ぎないのだ。
ここで一度でもジフト軍が壊滅に追い込まれれば、ソレイユは前例を作った、彼らに続いて、他の併合した国々も次々と造反するに違いない。
そのような事を考えていた時だった。
「ルシウス殿下」
執務室の外から、ノックと共にまた別の側近が呼ばう声が聞こえてくる。また状況に変化があったのか、と思いながら、そろそろ自分たちも帝連軍が用いるHMEのような遠隔地からの通信手段を編み出してはどうだろうか、という考えがちらりと脳裏を過ぎった。
すぐに「入れ」と声を掛ける。失礼します、と断りながら、側近の一人が専門の魔術師二人を引き連れて入室して来た。
「殿下にご報告を申し上げます」
「何だ? 帝連軍の動きに変化でもあったか?」
「いえ、北方──帰らずの地に関する事柄にございます」
その言葉を聞き、ルシウスは自然に姿勢を正していた。
「帰らずの地だと?」
ランペルール地方最北端に位置する、統一されざる地、ビャルマ族居住地との国境の森。帝国建国戦争の末期、史上最悪の死霊化者アリフ・ジーク・バルドバロアの引き起こした「地獄の季節」で発生した怨霊の溜まり場。旧公国時代から国内の名立たる魔術師や聖職者が特殊な結界を張り、ヴァイエルストラスへのそれらの移動を防遏し続けているものの、その怨念は凄まじく、森そのものも間伐などの手入れを行う者が居ない為年々拡大を続けていた。
よく見ると、側近と共に入室して来た二人の魔術師は、その帰らずの地の結界を管理している者たちだった。森番の一員である事を示す賞牌──帝国騎士団の勲章に似ている──を首に掛け、天文時計を模した紋章のあしらわれた羊皮紙色のローブを着用している。
「今朝、現地の生ける屍によって結界の一部が破られるという事がありました。即座に対応に当たりましたが、今回のケースは過去にない規模です。タルタリア平原への生ける屍の流出が発生しましたが、現地の魔剣士によって討伐されました。尚、現在結界の修復は完了しております」
報告を聴き、ルシウスは眉を上げる。
「何がきっかけだ?」
「はっ、現在原因を究明中ですが、魔素知覚術等の各種検査でも現時点でこれといった異常は検知されておらず……恐らくは、慢性的な怨霊の勢力拡大が、閾値を超えたものかと」
「となると、いよいよという感じだな」
ルシウスは卓上で指を組み、唸った。
「旧公国時代から、隅の方に押しやる事で見て見ぬ振りを続けてきた旧世紀の負の遺産が、最早無視出来ない程にまで膨れ上がっているという事か」
「現在は、結界の出力を上げる事で対応しています。しかし、明日以降も同様の事が続くようであれば──」
何故、ジフトがここ一番という戦を行っている最中に、という思いが、ルシウスの胸裏に萌した。しかし、よく考えればこのような事は、いつ起こってもおかしくはなかったのだ。
ランペルールが肢国だった頃、その「負の遺産」の管理に関する責任は究極的には帝国にあった。しかし、独立を決めた以上、自分たちジフト政府は──イスラフェリー家は、それを自国の問題として背負わねばならない。
帝国の初代皇帝である獅子心王──帝祖テオドールは、建国直後に帰らずの地の攻略を考えなかった訳ではなかった。しかし、今よりも遥かに死霊化術に関する知識がなかった時代、その山のような怨霊を生み出した死霊化者アリフと同様、魂の総数を減らし人類を破滅へと導く禁術を生ける屍たちも使用するのではないかという恐れなどが要因となり、結局作戦は頓挫した。また、当時はバルドバロア王朝との戦いに勝ったばかりでソレスティア人たちが疲れ切っており、敵の規模も分からない危険極まる戦いに兵力の大部分を投入するには新たな国家の地盤が安定していなかったという事も理由にあった。
それから九十年近くが経過しても尚帰らずの地攻略作戦が再計画されないのは、その後散発的に世界各地に出現した死霊化者たちの活動に伴い、怨霊が「死の呪い」という状態異常──通常の呪いと異なり、聖職者による祝福でも治癒しない上、受けた者は死後必ず怨霊となる──を使用する事が明らかになった事がその理由の最たるものだった。しかし、大義はどうあれ、たとえ帝国騎士団が全滅し、その魂全てが怨霊となって消滅する事があったとしても、世界全体の魂の総数がゼロになる訳ではないので、実行しない理由としては合理性を欠いている。
今後、今日起こったのと同様の事が起これば、軍を動員して帰らずの地の制圧を実行せねばならない。
側近は、そう言おうとしたに違いなかった。
ルシウス自身もそう思う。だが、現在の状況ではその為に割ける余力などジフト軍にはなかった。
ヴァイエルストラスの防衛と、ヘルムダル隊、更には西回りのルートで帝国領を目指し、デスタン騎士団と交戦している部隊。それらに動員すべき戦力を除き、約半年の間に動かせるだけの戦力は殆どジェムシリカへの援軍に回してしまった。一方で各地の監督府は、今年四月にクラレッタ夫人が死去した事により、ブラウバート公皇がその莫大な遺産を相続して財源が確保された為に運営が再開され、徴兵と訓練の制度が復活していた。
ジフトは今や、人間をも資源の一種として補給しながら戦っている。特に、監督府の運営が開始された昨年の年明けの頃にはまだ未成年であり、徴兵年齢に達していなかった者たちが動員出来るようになった事で、今を凌ぎきれば軍を再編成出来るという希望は潰えた訳ではない。
但し……
(同盟軍出身者の中でも、元から剣士でなかった者はそうであった者と比較して実力が落ちる事は否めない)
次に編成される軍は、現在の兵士たちと比べて質が悪いものとなるだろう。現時点で実戦に参加している者たちを極力損なってはならないという事には、変わりはないのだ。
「今回のタルタリア平原への生ける屍流出について、森番以外で知っている者は誰か居るか?」
再び開口し、尋ねると、報告してきた側近は「いえ」と頭を振った。
「森を出てすぐの地点でこの者たちが討伐しました。周囲に部外者の姿はなく、報告も陛下と、現在こうしてルシウス殿下に行っているもののみでございます。陛下は情報の扱いについては、殿下にお任せすると」
「場合によっては軍を動かす事になる。イスラフェリオ兄、それにヘルムダルとジェムシリカには伝達し、彼らからは部下に対しては主立った者のみに共有するように伝えておけ。極めて慎重に扱うべき事柄だ、今回は大きな事態には発展しなかったものの、この手の話題は実際以上にセンセーショナルなものとして拡散しやすい。前線に出ている一般兵たちの間で不要な動揺を誘発する事は避けたい」
「御意、ヴォートル・アルテス。それから──」
側近は何かを言いかけ、言い淀む。
「何だ?」
「いえ、ほんの些細な事なのですが……」
「構わん。言ってみろ」
「森番の結界師の中から、ある提案が──無論、公国の役人としては言語道断だと厳重注意したのですが。……曰く、死霊化術の使用の為に過去に逮捕され、投獄されている者に帰らずの地の生ける屍たちと契約させ、それを破棄する形で消滅させてはどうか、という」




