『リ・バース』第一部 第21話 Chivalry Spirits①
① PHASE〈1〉
「ご無沙汰しております、クラレッタ様」
公皇ブラウバートの次男ルシウス・イスラフェリーはその屋敷を訪うと、自ら迎えに出た車椅子の女性に挨拶した。彼女の歳の程は今年で満五十だが、その弛んで骨の秀で、皺の寄った頰や痩せた首筋は、六十代か、ややもすればそれ以上にも感じ取れるものだった。
精一杯自らを美しく見せようとするかのように、蛍光桃のドレスを纏い、宝石のアクセサリーで貴族らしく装っているが、それもミスマッチで、却ってグロテスクな感じすら与える。
老醜という言葉が、彼女と相対した者が第一印象として最もよく思い浮かべるものだった。実年齢の割に彼女がここまで老いて見えるのは、ひとえに彼女が二十数年に渡って嫉妬と憎悪を澱の如く自身の内に蓄積させ、精神を摩耗させていた為だ。
「ルシウス」
女性──クラレッタ・ファゼンデイロは、血色の失せた漬物のような顔をふっと綻ばせ、訪問者の名を呼ぶ。彼女にとって、このルシウスと対面する時だけが、唯一心に安らぎがもたらされる時間だった。
「ここに居るのは私だけですよ。どうかそうではなく、母と呼んでおくれ」
「では──ご無沙汰しております、母上」
ルシウスは、無表情を崩さずに言う。彼の鉄面皮が変わらないのは、公務を行っている時も同じだ。
彼はブラウバートの子供たちの中で唯一、正室のラケルではなく側室のクラレッタが産んだ子供だった。出産の時期は長男イスラフェリオとほぼ同時であり、イスラフェリオの分娩があと二ヶ月遅れていれば、ファミリーネームに由来する名を与えられたのは彼の方だったであろうと言われている。
イスラフェリオに固有降霊術「纏鎧術」が発現したのは、彼が思春期に入ってからだった。それ以外の魔術センスも、文法、降霊術共に乏しく、幼少期は前科者であり降霊術が使えないのではないか、という噂もあった。エンズ公爵家が治めていた肢国となる以前のランペルールで武官であったブラウバートにとって、後継者である長男が前科者かもしれないという事は致命的であり、相伝の降霊術の一つである転写術を継いでいる事がその時点で明らかになっていたルシウスは、嫡男と偽られてイスラフェリー家に迎えられた。
結局その後、イスラフェリオも、弟妹のヘルムダルやジェムシリカも武人としての道を歩み始め、真っ先にそうなる予定だったルシウスのみがイスラフェリー政権で内務を担当する事になったのは皮肉な話ではあった。
クラレッタ夫人からすると、それは単に息子を取り上げられたという事だった。その後ラケルはヘルムダルやジェムシリカを出産し、ブラウバートはクラレッタの元へ通う事はあったものの、こちらはルシウス以降子が出来る事はなかった。特に、五年前クラレッタが若くして難病に罹り、快復後も時折心臓に発作が起こるようになってからは、ブラウバートが彼女を夜の相手とする事すらもなくなった。
ルシウスがラケルと法律上の養子縁組を行った時から蓄積されていたクラレッタの黒い感情は、ここ数年で一層濃縮された。
彼女は今やラケルをというより、若く健康で誰かから愛されている女性全てを目の敵にするようなところがあった。ブラウバートがジフト・ビギンズを暗殺し、未亡人となったユージェニー夫人を政界から遠ざける為ファゼンデイロ邸で事実上の軟禁を行った時、監視役となったクラレッタは彼女を苛め抜いた。最終的にユージェニー夫人は、家臣セラードの手によってイスラフェリー家から逃れるべく亡命させられた子供たちを守る為に自害したのだが、セラードを焚きつけてブラウバートに背かせたという咎でその亡骸を通りに逆さ吊りにするよう言ったという話もある。これについては、ブラウバートの筋書きは「ビギンズ兄弟は帝連の者の手によって誘拐された」という事であり、表向き彼はジフト・ビギンズの理想を継いで摂政をしている為先代の印象を貶めるような身内の扱い方は出来ない、という事で結局実行には移されなかったが。
一方で彼女は、ブラウバートを未だに深く愛していた。彼女は貴族出身者ではないが、ファゼンデイロ家は旧公国時代から続く資産家で、ビギンズ公の側近として新たな肢国政府に参画する事となったブラウバートにとっては財政面に於ける支援者でもあった。
既に彼女の両親は他界し、たった一人となった彼女は屋敷で雇われていた使用人の全員に暇を出した。その時はまだ病気に罹ってはおらず、足腰も衰えていなかったので、躊躇う事なくそれをする事が出来た。最近では再び介護人兼家政婦を一人だけ雇ったが、自分一人の為に大勢を召し抱えているのはいたずらに財産を浪費するだけだと判断したのだ。どうせ自分を最後の代として家が断絶するのならば、そのような事で財産を蕩尽するのではなく、ブラウバートの仕事の為にそれを使いたいと彼女は考えていた。
* * *
帝暦八七年三月七日。
ジフト公国の建国から、間もなく一年が経過しようとしていた。しかし、早くも公国には存続の危機が迫っていた。
クラレッタ夫人に屋敷の中に招き入れられたルシウスは、それに関する事を──帝連との戦の現状について、彼女に詳しく語って聞かせた。
「それじゃああの娘は……半年以上も掛けて、デルヴァンクールの部隊に対して何の戦果も挙げられていないというの? その、アンバースとかいう騎士見習いにかかずらって?」
彼女は話を聴き終えると、グロスを厚く塗った唇をわなわなと痙攣させた。
「あの女の産んだ子供は役立たずばかりだわ。あの方から預かった兵を、無駄死にばかりさせて!」
「異常なのは、昨年度騎士団入りを果たした見習いたちの方なのです。シアリーズ姫の婚約者であり皇帝に見初められたリクト・レボルンス、更にはヘルムダルもロバチェフスクで自身に対して善戦する程の戦いぶりを見せたフェート騎士団の少年の事を語っていました。モルガンにてソレイユ方面部隊の主力オーティエンヌ・ギガンを破ったのは、その騎士見習いだという話もあります」
ルシウスは、自分は報告された通りの事を伝えているに過ぎない、というかのような口調で淡々と言う。
「莞根士デルヴァンクールの養子たるライガ・アンバースには、オリジナル降霊術の心得もあるとの事です。そしてややもすると、死霊化者ではないかという疑いもあるとか」
「下らない。負け戦を言い訳する為の出鱈目に決まっているわ」
クラレッタは吐き捨てるように言った。
「第一死霊化者だったら、デルヴァンクールが軍に置いておく訳がないじゃない。それどころか、問答無用で死刑よ」
「ええ。ですので、私もその疑いまでは鵜呑みにしている訳ではありません。しかし騎士見習いたちに非凡なセンスの持ち主が多い事は、一考する必要があります」
「そんな事は言い訳にはなりません。相手がどのような力を秘めていようと、それに勝つ事が出来ないのであれば実力不足には違いないわ。軍団を統括するに相応しくない指揮官なら、更迭しておしまいなさい」
「誠に遺憾ながら」
ルシウスの声音は、変化せず冷たいままだった。
「ジェムシリカ、ヘルムダルを措いて彼ら以上に有能な指揮官など、我が軍には存在しません。ジフト軍が急造の軍隊である事は、母上もご存じの通りでしょう」
「……そうね。いいでしょう」
仕方がないというように息を吐いたクラレッタは、爛々と燃えるような眼差しでルシウスを見つめる。
「ならば、今ある戦力で何としてでも都を守りなさい。出せる戦力は惜しまず出すのよ。傭兵団を雇ってでもいいから」
「はい。つきましては母上にお願いがございます」
ルシウスは言うと、「ここからが実際には本題なのですが」と切り出しつつ卓上に巻き物を置いた。クラレッタはそれに目を通し、ぴくりと眉を動かす。それから数秒後、再び唇が痙攣を始めた。
「これは……遺言書じゃない」
「ええ、五年前のご病気の時に、母上が作成されたものです」
「そんな覚えはないわ」
クラレッタは首を振り、ルシウスによる代筆という旨が明記された一文に目を落とし続けている。
その文面には、彼女の死後、ファゼンデイロ家の遺産は全てをブラウバートが相続するという内容が記されていた。そこだけは本人が書かねばならないサインの欄のみが空欄となっている。
「母上。私は表向きには、ラケル様の子という事になっております。母上が亡くなられた後に財産を自動的に相続する権利はありません。父上が相続されるのは半ば当然の事ですが、ここで明確な証拠を残しておかねばファゼンデイロの関係者がいざとなってから現れ、不要なトラブルを招く恐れがあります。母上も、父上の仕事の為に残りの財産を投資されるおつもりだったのでしょう?」
「それは、そうだけれど……」
彼女は唇を噛む。実際に彼女はそのつもりだったが、こうしていきなり眼前に、自らの「死後」についての事を突きつけられるとは思わなかったようだった。
ショックの大きさの為か、心臓がぎゅっと絞られるような感覚が走った。息が詰まりそうになり、彼女は激しく咳き込んでから慌ただしく空気を貪る。呼吸が落ち着くと、紅茶を一息に呷ってほっと息を吐き出した。
「大丈夫ですか?」
「ええ……落ち着いたわ、ルシウス」
クラレッタはまた溜め息を吐く。
「確かに、自分がいつ死んでもおかしくない事くらいは分かっているけれど」
「私は公の場で口にする事は許されないながらも、由緒ある血を引いた母上の実子である事を誇りに思っております。母上は自らの意志で、父上の大義の為に可能な方法で助力をなさろうとは思われませんか?」
ルシウスは、身を乗り出して母の顔を真っ直ぐに見つめた。
「父上は、母上の献身に感謝しているのです。子を守り育てる事のみが女の生き方ではないという事を、きちんと理解されている」
「ルシウス──」
「母上の軍政に寄付された財産は、今でもきちんと運用されています。最後のファゼンデイロとして、ジフトの勝利に貢献した女になっては頂けませんか?」
彼の言葉に、クラレッタは微かに顎を引いて沈黙する。
突然の事に動揺しただけであり、彼女の心自体は最初から決まっていた。彼女はやがて卓上のペン立てから羽ペンを抜き、署名欄にサインを行う。ルシウスはそれを見届けると、
「ありがとうございます」
椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
* * *
翌月、四月十三日、クラレッタ夫人は自宅で静かに息を引き取った。
死因は持病の心臓発作とされている。
本日より第二十一話「Chivalry Spirits」が開始です。第十八話と第十九話がラテン語、第二十話がフランス語のサブタイトルでしたが、ようやく英語に戻りました。帝国(ソレスティア人)の文化が何となくフランスっぽいので、最初は本連載のサブタイトルは全部フランス語にしようか、などと考えていましたが、私がフランス語にそこまで詳しい訳ではない(大学で選択した外国語は中国語でした)事と、第一話をどうしても「Happy Unbirthday」にしたかった事により没になりました。
今回のサブタイトルは「騎士道精神」の意味ですが、本連載でこの言葉に象徴される人物はやはりリクトです。前回最後の「後書き」で述べた通り、今回は彼の抱えた問題が暴かれる話になります。前回から互いの正義を巡ってぎこちない空気になっていたライガとリクトですが、それからどうなったのかに乞うご期待です。
そして今回は、冒頭を含めて帝暦八七年三月上旬から同年九月下旬まで、一話の中で半年以上の時間が経過します。前回の最後の場面が前年の十一月上旬なので、飛ばしに飛ばしての進行です。開戦以降、ライガたちの居るデルヴァンクール隊は基本的にジェムシリカに攻撃を仕掛けられては撃退する、を繰り返しながら公国首都ヴァイエルストラスを目指して進んだので、本文中で描写されなかった戦いはどれも似通ったパターンです。長期に渡る戦争は現実でも恐らくそのようなものでしょうし、創作物としての戦記ものはそれらのうち大きな出来事の抄録というのがやはり一般的だと思われる為、そこまで不自然ではないはず……と思いたいです。
では、明日からも引き続きお楽しみ下さい。
追記 「未分類」の方に短編小説を投稿しています。今日から三日間に分けて載せる予定です。BLですので、プラトニックではありますが大丈夫な方だけお読み下さい。




