『リ・バース』第一部 第20話 Homme Fatale⑦
堂内から「おおっ」という政治家たちの声が上がり、ウィーズルの苦悶の声が聞こえてくる。
(父上……!)
ドーデムは、胸中で膨れ上がる不吉な未来を必死で振り払おうとした。
クロヴィス・レボルンスがどのような死に方をしたのか、実際に目にした訳ではないので分からない。しかし、その訃報を聞いた時のリクトの事を思い出し、嫌だ、という思いが脳内を埋め尽くした。
親の方が子よりも先に生まれたのだから、何事もなく生きていれば先にこの世を去るのは当たり前の事だ。しかし、父は政治家であって、軍人ではない。敵の手に掛けられて命を落とすなどというのは、絶対に間違った最期だ。
「貴公ら──」
リパップ・テリオットの声がする。
「私はもう、戦う必要はないと言ったのだ。貴公らの隊長にも、行政からの指示があるまでマクスウェルで待機するように伝えた。何故従わないのだ?」
「テリオット伯。あなたこそ、今更イスラフェリー家を裏切るなど、精神が錯乱したのではありませんか?」
兵士が、脅すような声を出した。
「お逃げ下さい、ヤーツ議員、テリオット伯!」
ウィーズルの声が叫び、
「逃げろといっても、何処に行けというのだ──」
父の声が、狼狽の中ではっきりとドーデムの耳に届いた。
──その瞬間、マロンが剣を振るった。
「夜空刃!」
彼が建物の中へと消えると同時に、どさりという音が響く。父やテリオットらに襲い掛かろうとしていた兵士たちが、一瞬のうちにその剣に斬り捨てられ、倒れたのだろう。
そして、マロンは叫んだ。
「この場をお借りしたい!」
「マロン!」
ドーデムは彼に追い着くや、同じく屋内へと入り込もうとした。しかし、入口から政治家たちを前にして毅然と立つ彼の背を見た途端、足が竦んで壁の陰に隠れる事しか出来なくなった。
彼が自分より、遥かに先に居るような気がした。
「君は──」
「匍匐獅子の称号を持つファタリテ騎士団の長、エルヴァーグ侯ロディの子、マロン=エキュレットです。突然のご無礼をお許し頂きたい」
テリオットに答えたマロンは、ちらりとナサニエルの方を向く。ナサニエルは呆気に取られたように彼を見つめたが、やがて口を引き結び、微かに顎を引いた。マロンも肯き返し、再び言葉を紡ぎ出した。
「あなた方は、もう十分すぎる程イスラフェリー家の危険を知ったはずだ。そして当然ながら、ジフト・ビギンズがジフト公国を興したのでない事も。ジフト・ビギンズは我らが帝国にとっては、反逆者との呼び方を免れない人物だった。しかし彼の目指したものは、現在のイスラフェリー家のように、私欲に由来するものではなかったと明言する。
我々帝国が彼を認めず、旧ランペルールに対して経済制裁を課すなどの弾圧を行った事は、責められるべき事であったのでしょう。しかし現在のイスラフェリー家が彼の名を騙り、同盟に加わった国々の実権を私物化し掣肘している事は、誰の目にも到底看過すべからざる事実である事にお気付き頂けるはずだ」
ソレイユの者たちもドーデムも、一切容喙する事なくマロンの語る言葉に耳を傾け続ける。
「あなた方にとって、本当に大切な事を今一度考え直して頂きたい。あなた方はブラウバート・イスラフェリーの主導した監督府を経験し、職業軍人でもない民が徴兵される苦しみを知っている。一方的な併合により、祖国がなくなるという屈辱を強いられた事も記憶に新しいはずだ。
一国家の民としての自覚、及びその事に対する矜持。究極的にはそれが、あなた方がソレイユ人であるという証左だ。しかしイスラフェリー家は、それすらも奪い去ろうとした。
帝国はかつて、同じ事を行った。肢国という単位記号である事を各国に課し、無際限な領土拡大を行った事で、統一国家たる帝国連邦自体が力を強大化させたと勘違いしてしまったのだ。フレデリック二世陛下の第二間征期体制とは、肢国たる事を承認させた国々に、帝国が主国たる謂れを示す為のものだった。帝連の民であって良かったと人々が思えるようなものでなければ、戦が終わった後にその爪痕を残したまま責任を取らなければ、我々は単なる破壊者です。
そして、その第二間征期体制はまだ続いている。恥ずかしながら帝国は、まだ自分たちの破壊した都市の復興を完全に成し遂げられてはいない。それをする事こそが革命を起こした者の責任であり、調和者たる騎士の新たな在り方なのだ。それを成し遂げた上で尚もあなた方が肢国としての統治に不満を持ったのならば、その時は抜けても構わないのだ。
私は、帝連の征服運動について弁明しようとは思わない。いたずらに美化するつもりもない。しかし、ジフト公国がこれから行おうとする事には、恐らく第二間征期はない。イスラフェリー家はあなた方に、それを見極めた上で抜けるか否かという選択肢も与えないだろう。
或いは、あなた方は主など必要としない、ソレイユが完全自治権を持った、ソレイユという名の国家であるという事こそが矜持であり、人々の精神的支柱であると仰るかもしれない。だが、あなた方の統べるべき民が今何を望んでいるのかを、第一に考えて頂きたい」
マロンは、訴え掛けるように両手を広げた。
「民は、ついこの間まで他国であった旧ランペルールの者たちが平気で今まで国境だった場所を通り、自国に侵入する事を望んでいない。一刻も早く、同国人から結成された旧国防軍がジフトの兵でなくなる事を求めている。その時になって尚、何故あなた方は選抜歩兵部隊にジフトへの残留が正当であるかのような態度を匂わせ、付け入る隙を与えようとするのか?
この者たちは、あなた方ソレイユの固有の戦力として武器を取った。形はどうであれそれは、紛れもなくソレイユ人としての矜持の為だったはずだ。しかしその彼らは今、こうして自国を策略により乗っ取ったジフトに自らを捧げ、ジェムシリカに命じられるがまま殺戮の為に剣を振るっている!」
「彼らは……」
テリオットたちは視線を落とし、マロンの剣に斃れた足元の兵士たちの亡骸を見つめた。ナサニエルとウィーズルは顔を上げ、マロンの顔を驚きに打たれたように眺め続けていた。
マロンは政治を知らない。ドーデムもそれは同じだが、本来代々政治家の家系である自分よりも、彼の方がその度合いはずっと著しいだろう。
しかし、彼はその上で、外交を知らない者であるからこその大胆な弁舌でソレイユの政治家たちの心を動かしていた。ナサニエルが一言ずつ、綿密に計算しながら薄皮を積み重ねるように紡ぎ出していく言葉を──ある意味では虚飾とすら呼べるかもしれない言葉を──、思い切って取り去るかのように。
肢国として征服された国々が、帝国に対して抱いているであろう不満。復興政策の遅れと、それが育んだ北方の独立運動。目下の状況で、帝国の外交官たちがなるべく交渉の場では回避しようとするであろうデリケートな事柄について、マロンは避ける事なく口に出していた。
それこそが、或いは政治家たちに通っているのかもしれない。本音でしか通り得ない、騎士としての彼の言葉──。
(マロン=エキュレット……君は一体……)
ドーデムは、心の中で彼に語り掛ける。
何故か、胸奥が疼くような気がした。
「イスラフェリー家の非道はこれで明らかだ! 選抜歩兵部隊の者たちはこのような状況でも、ここに本来自分たちの仲間であるあなた方が居るにも拘わらず、攻撃を行ってくるのです! 他国のものである権威の象徴から命じられたという、それだけの理由で!」
──彼こそ、ファタリテの騎士の鑑だ。
そう認めてしまう事が、ドーデムには怖かった。
匍匐獅子の後を継ぎ、ファタリテの筆頭騎士団としての立場を掴むのは自分だ、という自信が、彼の前では揺らいでしまいそうだった。そして、それも仕方がない事なのかもしれない、と思ってしまう事も。
ライガにリクト、オルフェにマロン──学問所に通っていなかった自分が昨年まで知らなかった、現時点で自分よりも上に居る者たち。何より忸怩たる事は、彼らの存在を知らない自分が、今まで多少周囲より優れていた自らの能力をあたかも比い稀なる才能のように思い込んでいた事だ。しかし、それでも自らを凡俗だと認める事はプライドが許さなかった。
自分はこれからも、この姿勢を貫くだろう。いつか、その”振り”が現実のものとなる時まで。
マロンを目標として追い駆けるのでは、決してない。そう思いながら、ドーデムは彼から視線を外し、父の方を見た。
父は、様々な感情が同居した表情を湛えてマロンを見ていた。助かった、という安堵、ドーデムと同じく、真のファタリテの男を目の当たりにした、というような畏敬の念、そして、自身の計算では打開出来なかった状況を、論理を超越した感情的な言説によってあっさりと覆された事への悔しさ。
彼は、ドーデムがここに居る事には気付いていないようだった。




