『リ・バース』第一部 第20話 Homme Fatale⑥
⑥ ドーデム・ヤーツ
「これは明確な裏切りだ!」
敏捷性に突出した選抜歩兵の中隊を相手取りながら、ドーデムは誰からの返事を求めるでもなく叫んだ。近くでマロン=エキュレットが剣を振るいつつ、「いい加減な事を言うな」と窘めてくる。
「それなら最初から、会談など申し込んでは来ない。俺たちが警戒に当たる事は分かり切っていただろうし、ヤーツ議員一人を狙った作戦とも考えにくい」
「父上は匍匐獅子のパトロンだぞ!」
ドーデムは叫び返す。
「父上が居なくなったら、政界とファタリテの結びつきが弱まる!」
「そんな事情を、リパップ・テリオットが知っているものか! そもそも、親書を送ってきた時点でこちらから誰が派遣されるかなど、ソレイユの者たちは知る由もなかったんだぞ」
マロンは言い、また一人の敵を斬り伏せた。
「憶測でものを言えば、ヤーツ議員の尽力も水の泡だ。お前も息子ならば、その事を理解しろ!」
「……優等生め!」
ドーデムは毒吐き、眼前の相手を落下星で倒すと同時に口を噤んだ。
大音楽堂をすっぽりと収めるように展開されている防御結界の内側で、その維持を行っているウィーズル副騎士長が浮かべている表情は苦悶に満ちたものだった。現在障壁因子の帳には、引っ切りなしに撃ち込まれる敵の飛び道具型の魔導具、フェイルノートによって甚大なダメージが与えられている。如何にウィーズルが卓越した結界術の使い手だとしても、爆発による攻撃をこれ程大量に浴びせられれば耐えきるのは至難の業だろう。
ゼムン、エッガが、同期のフォースタス・ハントの後に続き、彼の仕留めきれなかった敵兵に止めを刺して回っている。正騎士たちはというと、やはり目覚ましい活躍を見せているのはロディ騎士長だった。彼の固有降霊術「潜伏術」は自身と自身の身に着けている衣服や武器、装飾品を透明化する技であり、外界からの情報収集を視覚に依存しがちな人間との戦いで効力を発揮する。
沼地や砂上など、足元の状態が変化しやすい場所ではあまり有効でなく、また一対一での戦闘に於いて、敵に自身以外に注意を払う必要がない場合などは足音で位置を悟られる事もある。しかし乱戦状態では自身に狙いをつけられる事なく自分からは敵を正確に狙って接近出来る上、諜報や暗殺には非常に適している。エルヴァーグ家には特に相伝の術などはなく、先天的に彼がセンスを持って生まれた技だが、周囲からは「あまり騎士道らしくない」という声もある。
しかし、称号に含まれる「匍匐」の由来でもあるこの能力を、ロディ騎士長は自身がプログラムから与えられた正当な才能として恥じる事なく使い続けていた。敵兵たちの首筋で燐葉石色の光芒だけが閃き、それが走ると共に彼らは何が起こったのか分からない、という表情のまま絶命していく。
敏捷性が優れた選抜歩兵にとって、奇襲はその長所をまるで活かさせない攻撃手段だった。
「魔素出力の向上を行える者は、ウィーズルを支援しに行け」
ようやく姿を現したロディ騎士長が、部下たちに指示を出した。「ヤーツ議員の会談終了まで、結界を破らせるな!」
ドーデムはその言葉に、体の奥の方から得も言われぬ焦燥感が込み上げてくるのをぐっと堪えねばならなかった。
選抜歩兵部隊が攻めて来てから自分がずっと苛立っている理由について、ドーデムは自覚していた。建物の中に居るのが、自分の父親だからだ。自分が守り切れなければ、父が死ぬ事になる。クロヴィス・レボルンスと同じように。
マロンは先程、今回の会談に当たって、ソレイユの者たちはこちらが警戒に当たる事は分かっていたはずだ、と言った。それは、レボルンスが以前同じような状況でジェムシリカに殺害されたという事もあるが、ファタリテの騎士がこれ程の人数を動員されているのには別の理由もあった。
ロディは語らなかったが、ドーデムはそれを、ソレイユの政府要人たちに圧力を掛ける為だと捉えていた。
こちらの主張を通させる為ではなく、抑止力としてだ。
交渉が決裂した際、目下の戦局を鑑みて、ソレイユの地が帝連軍によってジフトから奪還され、以前の肢国時代よりも厳しい占領政策を行われる事は明らかだった。それを理解した上で、彼らは交渉を持ち掛けてきたのだ。相手に調子づかせ、今後の帝連にとって都合の悪い条件を出させる事がないようにする為に、それは必要な圧力だった。
──しかしロディ騎士長は、その為に自分たち騎士見習いたちをも動員させる必要があったのだろうか?
ドーデムは考える。最初に彼から今回のベズーでの警備について同行を命じられた時、自分もゼムンたちも、それが一人でも多くのファタリテの騎士たちに手柄を立てさせる為ではないか、と解釈した。しかしよくよく考えてみれば、それでは些か不自然な感が否めなくはある。
実際にイレギュラーが起こり、戦う事にならなければ手柄は発生しないからだ。そして無論、ロディが、この戦の今後の為に皇帝から託されてナサニエルが臨んだ会談を危うくするようなイレギュラーなど──たとえそれが起こる可能性がどれ程高いと思っていたとしても──望んでいたはずがない。だとすれば、単純な手柄、即ち戦い自体を目的としていた訳ではない事になる。
そう思った時、ドーデムは「もしかしたら」という考えが頭を擡げた。
ロディはややもすれば、ナサニエルに、武門であるエルヴァーグの正統は本家である自分たちだという事を示したかったのではないか。その為に、本当に戦いが起こるのかはともかくとして、マロン=エキュレットが彼を守っているという状況を作ろうとしたのではないか。
政財界の有力者を代々輩出してきたヤーツ家と、ファタリテの長を代々世襲してきたエルヴァーグ家。ファタリテがフォルトゥナに代わって筆頭騎士団の座に就くというのは悲願ではあるが、ナサニエルはそれと同時に、再び武家であるエルヴァーグの名を取り戻す事を願ってもいる。過去に名が変わったとしても、本来ヤーツこそが正統なエルヴァーグであり、建国の英雄の直系なのだと。
政治と軍事に於いて、ナサニエルとロディは互いに持ちつ持たれつの関係だ。だが同時に、両者は良きライバルでもあるのだ。
(けれど、それだけじゃない)
ドーデムは、黙々と隣で戦い続けるマロンを横目で窺い、自らに言い聞かせるように胸裏で呟いた。
(今父上を守っているのは、僕も同じだ)
そのような事を考えているうちに、ややマロンの方に気を取られすぎてしまっていたようだった。
突如、後方から矢が飛来した。フェイルノートか、と思い、反射的に跳び退いてから、足元に突き立ったそれが普通の弓矢の矢である事に気付く。安堵した瞬間、斜め後ろからまた別の敵兵が奇声と共に飛び出して来、ドーデムの頭上から剣を振り下ろそうとした。
「断落双!」
「何をする!?」
ドーデムは剣を振り上げ、流金色の刀身に手を添えて二本の手でそれを受け止めた。そのまま押し退け、すかさず反撃を繰り出す。
「退魔剣・割陸!」
地属性剣技、単発袈裟斬り。通常の袈裟斬りより重量が加わっている為、防御しようとすると重攻撃のそれのようになる。敵兵はやや動揺の色を顔に浮かべたが、すぐに本当の重攻撃で対処してきた。
「特両断!」
垂直斬り下ろし。両手用大剣のカテゴリだが、例によって片手直剣は斬撃系統であれば殆どの剣技を繰り出せる。これは相手の頭部に当たらないと威力が大幅に減殺される技だが、ドーデムが繰り出しかけていた剣技の右斜めの軌道を乱すには十分だった。
力で捻じ伏せるような攻撃。骨の髄まで響くような震動を受け、一瞬動きが遅延したこちらを、敵兵は刃合わせの状態から押し込んできた。ドーデムはずるずると押され、やがて背中が何かにぶつかった。
視界の端から、無数の光の粒子が立ち昇っている。どうやら、防御結界に押しつけられたようだ。
比較的小柄な者から選出された選抜歩兵とドーデムの体格差は、ほぼないに等しかった。が、その場合体重を掛けられたこちらの方が不利だ。どうにか離脱せねば、と思っていると、相手が自由になっている左手をこちらの腹へと差し込んできた。その位置に、硫黄色の魔方陣が生じる。
「地を伝え、電光の花……」
雷属性魔術、ゼロ距離で肉体に撃ち込まれれば、下級技であったとしても心臓麻痺などを誘発しかねない。
詩文の詠唱を聞きながら、不確実な方法だが、無言で身体強化術を使用して耐えるか、などと考え始めた時、
「震空破!」
敵の「電光」が発動するよりも早く、その項に突きを繰り出した者が居た。
血液が、敵の喉から覗いた剣の切っ先を伝ってドーデムへと降り注ぐ。奇襲を掛けた誰かが剣を抜くと、こちらに電撃を浴びせようとしていた兵士は首筋から血を飛沫かせながら横ざまに倒れた。
「しっかりしろ、ドーデム・ヤーツ」
「マロン……」
呟いてからはっとし、ドーデムは差し出された彼の手ではなく、自らの剣に縋って立ち上がった。
マロンは気分を害した様子も見せず──それを言うのであれば、彼は常に不機嫌そうな顔をしている──、ただ関心を失くしたかのように視線をこちらから敵兵たちの方に移した。
「……礼を言っておくよ、マロン」
何となく悔しいような気分になりながら、ドーデムは口に出した。マロンはそれには答えず、敵の観察に専念する。
彼に釣られて何となく無言になっていたドーデムの耳に、不意に結界の内側から声が届いた。建物に接近しすぎ、中に居る父やソレイユの者たちの会談が聞こえてきたらしい。
このような状況であっても、父は泰然自若としているようだ。さすがは彼だ、と思ったドーデムだったが、そこで話の流れがおかしい事に気付いた。
「……あなた方は──わざと、ここに選抜歩兵部隊が来るように情報を流していたのではありますまいか?」
政治家の一人と思しき誰かの声が、そう言うのを聞いた。すかさず、
「何を仰るのか!?」
ナサニエルの声が響いた。
ドーデムははっとする。それ程狼狽に満ちた父の声を、ドーデムは聞いた事がなかった。
マロンも気付いたらしく、敵の居る方に剣を向けたまま振り返ってくる。
「テリオット殿、我々は我々の土地に於けるこれ以上の流血を回避する為、帝連に和解を申し出ました。しかし、彼らはそれすらも利用し、我々の国を実質的に乗っ取ろうとしている!」
「ネッケル殿……」
「違うと仰るのならば、ヤーツ議員。エルヴァーグ殿に投降の意思を示すよう促されよ。その上で、我々は改めて帝国と交渉を行う。さすれば選抜歩兵部隊も、我々の決定によるメリットを理解し、戻って来るはずだ」
「おい、マロン──」
ドーデムは、何故だか自分でもよく分からないうちに、マロンにそう呼び掛けていた。「どういう事だよ、これ……?」
「俺に聞くな」
マロンはぶっきらぼうに言うが、彼もまた何処か押し殺すような声色だった。
問わずとも、明白だった。ソレイユの政治家たちが、目下の選抜歩兵部隊の襲撃に乗じて、ナサニエルに責任を押しつける形で事を有利に運ぼうとし始めたのだ。それを理解した瞬間、体がかっと熱くなった。
「俗物どもが……!」
「ドーデム!」
またしてもいきなり、マロンが少し離れた場所を指差した。
「何だ!?」
噛みつくように返事をしながらそちらを見た途端、爆発音と共に震動がびりびりと結界を震わせる。やがて結界は破れ、そこから侵入した爆風が建物の外壁を大きく崩壊させた。
破れた結界が、数度瞬いて消滅する。それと同時に、マロンの指し示す先でウィーズル副騎士長ががくりと膝を突いたのが見えた。
彼に向かって、騎士見習いたちと交戦していた兵士たちの中から分離した数人が突進を掛ける。それを見たマロンが、いきなり駆け出した。
「待て、マロン!」
ドーデムも、彼を追って駆ける。しかしそれと同時に、結界の消滅を見て取った敵のうち射撃兵たちが一斉に左手の手首に装着した弩を建物に向けた。紅玉の光が閃き、無数のフェイルノートが射出される。
が、
「常闇よ、鮮やかなる終焉を導く者よ……有限を忘れし生命に、能う限りの懺悔を促さん事を! リトリビューション!」
マロンが走りながら左手を伸ばし、闇属性文法の最高技を放った。特大の闇の球体を放つ技──しかしそれでは、広域を飛ぶフェイルノート全てを撃ち落とす事は出来ない。
それも、彼には想定済みのようだった。
「ドゥクスアニムス!」
雨の如く降り注ぐ矢の一部が今し方の魔術によって誘爆を起こすや、最高技特有の長い技後硬直が終了した。待っていましたとばかりに彼は物体操作術を使用し、流体の運動状態の変化の効果を使用する。
爆発によって生じた、過熱した空気が大蛇の如く横滑りに移動した。それは交戦する敵味方の頭上を横断し、最高到達点から下降軌道に入りかけていたフェイルノートを一瞬にして全て呑み込み、建物の外壁にその衝撃の及ばないような空中で全て爆散させた。
直撃すれば、建物の半分は崩れていたかもしれない。しかしマロンはそれを防いだ事で、無茶の反動で動きの止まっているウィーズルへと迫っていた兵士たちへの対処が間に合わなかった。
結界の解除と外壁の崩壊から僅か数秒後、マロンが驚異的な方法での完全防御を成功させる僅か一、二秒前、兵士たちはウィーズルに向かって火球を射出していた。丁度、マロンが「復讐」の詠唱を終えたのと同時くらいの時点だ。
「ウィーズル殿! ……畜生、遅かったか!」
副騎士長が、吹き飛ばされて崩壊箇所から建物の中へと転がり込んだ。選抜歩兵たちは手に手に剣を構え、彼を追って侵入を開始する。
マロンは増々速度を上げ、ドーデムは彼を懸命に追った。




