『リ・バース』第一部 第20話 Homme Fatale④
③ マロン=エキュレット・エルヴァーグ
「マロン」
カントールにて、軍が手配した宿屋で係留している時、父である匍匐獅子ことファタリテ騎士長ロディが部屋を訪れて声を掛けてきた。その後ろには、同期のドーデムやゼムン、エッガが並んでいる。
「はっ、エルヴァーグ騎士長」
戦術書を開いていたマロンは椅子から立ち上がり、命令拝受の姿勢を取る。たとえ父親であっても、騎士団で行動している時には上官として扱うようにと日頃から厳命されていた。
「元老院からの通達が届いた。ソレイユ地方代議士リパップ・テリオット伯爵より打診された、帝連側との会談……その交渉役として、ナサニエル・ヤーツ殿が抜擢される事となった」
ロディが言った。マロンは表情を引き締める。
先月九月十日、カントールに到着する直前、ジェムシリカ隊への援軍であった戦列歩兵連隊を追っていたカルマ騎士団の紅潔伯から、それらをソレイユ北部の商業都市モルガンにて撃破したという連絡が入った。その上彼らはモルガン駐在部隊であった元ソレイユ国防軍の槍騎兵隊をも自分たちの軍門に降し、この地方に於ける最大の戦略的重要拠点を手中に収めたという事だった。
二日後、フォルトゥナ、ファタリテ両騎士団がカントールに入った時、ジェムシリカ隊は既に北へと撤退を開始していた。追撃は可能だったが、総指揮官である莞根士は敢えてそれをせず、帝国侵攻に際して南下するジフト軍に対する新たな最終防衛ラインの構築を優先した。
それから約一ヶ月もの間、マロンたちはカントールでの駐屯を強いられた。
莞根士が、ソレイユに居るジフト軍に対してこちらから攻撃を仕掛けないのは、カルマによるモルガンの攻略及びジェムシリカの撤退開始を境に地方政府の間で起こり始めた動きを敏感に感じ取った為だった。
そして彼の予想を裏づけるように、先日、旧ソレイユ王国政府を前身とする地方議会から帝国に対して親書が提出された。
その内容は、ソレイユがジフトとしてではなく、自分たち「ソレイユ」として帝連側と会談を行いたい、というものだった。
「ヤーツ殿が?」
「彼はトゥルダ公を除き、現在元老院で最も発言力を持った議員だ。交渉術にも優れている。任命はトゥルダ公からの直々のご推薦だったらしいが、フレデリック陛下もこれをご了承された」
ロディは続ける。
「会談の場所は、ここから北西十キロ地点にあるベズー。日時は、諸々の準備と移動を閲して三週間後、十月三十一日。この頃には恐らく、ジェムシリカ隊も完全にソレイユからは撤退しているだろう。了承の返答を受け、テリオット伯は現在各地の元国防軍に戦闘停止を呼び掛けているという。
ヤーツ殿は、二週間後一旦我々と合流し、それから共にベズーへと向かう事になっている。その際の護衛及び会談中の会場の警備に、我々ファタリテ騎士団がご指名を受けた」
マロンは微かに息を呑んでから、ヤーツ議員が事に当たるのであれば、まあそうなるだろうな、と考えた。ドーデムたちは既に聞かされているのか、大役を仰せつかって晴れがましいような表情を湛えている。
「マロン。お前も我々と共に、警備に参加しろ」
「……ご質問、宜しいでしょうか」
マロンは、声を低めつつ父に問うた。ロディは「何だ?」と応じる。
「正騎士の方々は、どなたが参加されるのですか?」
「まず私とウィーズルは無論、トリュフォー、タッドポール、セル、ハント、その他騎兵少佐以下の階級の者が百人以上だ。こちらにはボルヒエナを残して行く」
思ったよりも多いな、と思った。政府要人が敵地にやって来るのだから当然かもしれないが、重要なのはそれが皆騎士という事だ。恐らくそれ以外にも、護衛の兵団がユークリッドから付けられるだろう。
五ヶ月前、今回と同様ジフトの関係者がイスラフェリー家の意思とは関わりなく帝連側と交渉を行おうとし、それを阻止しようとしたジフト軍によって元老院議員が殺害されるという事が既に起こっている。ヤーツ殿は、その事を懸念しているのだろうと思われた。
「それ程の人員を配置し、敢えて我々騎士見習いをも動員される理由についてお聞かせ頂けますか?」
命令に対する不満を零しているように受け取られないだろうか、と、口に出してから少々不安になった。しかし、それに対してはドーデムが「分かり切った事じゃないか?」と口を差し挟んだ。
「父上は──ヤーツ議員は、ジフト軍がこれ程大きな動きを見過ごすはずがないとお考えになっている。現地に残ったのが元国防軍のみだとはいえ、彼らも皆が皆自分たちが脅されて戦っていたなどとは考えていない。本気でブラウバート・イスラフェリーの思想に共感して、ジフトの為に命を捧げる気でいる者だって、少なからず存在するんだ。
会場の周辺で、戦いが起こらないはずがない。だけどそれは、僕たち次世代の騎士たちが武勲を挙げる好機でもある。莞根士と共に行動出来るのは心強い事ではあるけれど、そのせいで今までの手柄はフォルトゥナに全部持って行かれてしまっているじゃないか」
「ドーデム・ヤーツ」
お喋りが過ぎるぞ、というように、ロディが咎める声を出した。
「申し訳ありません、匍匐獅子」
「正騎士であろうと騎士見習いであろうと構わん、優秀な戦力を一人でも多く動員したいのだ。しかし、この連隊に居るファタリテの者全てを連れて行く訳には行かないだろう?」
ロディは言ったが、ドーデムの説明を否定する事もなかった。
なるほど、とマロンは思う。父の、エルヴァーグ一族の悲願である、ファタリテの筆頭騎士団としての立場の回復。非承認国家であるジフトの反乱というこの未曾有の戦いは、その為に必要な名誉をファタリテの騎士たちが挙げる──ある意味では絶好の機会ともいえるのだ。
ロディがそれを目的に動いているのなら、それが果たされていない事もまた事実だった。ファタリテは出撃して早々に足止めを強いられ、一ヶ月間これといった成果も出せないまま莞根士によって救出された。
(だが……)
マロンは内心で独りごつ。
──ファタリテにとっては、既に自分たちの中からも多くの犠牲者が出ているこの戦ですらも、”好機”なのだろうか。
──或いはドーデムは、父親が危険に晒されるかもしれない会場周辺での戦いを本気で心待ちにしているのだろうか。
考えてから、何を馬鹿な事を考えているのだろうか、と自ら否定した。ファタリテが伝統と名誉を重んじ、その為にはどのような機会であっても逃す事なく全力で獲りに行くのは当然の事ではないか。
「マロン、私はお前に期待しているのだ」
ロディの声音が、急に柔らかいものとなった。孕まれた空気感も、上官が部下に対するものというより、親が子に話し掛けるような雰囲気に変じる。
彼は室内に入り、こちらに歩み寄って来ると、マロンの肩に手を置いた。
「お前は、英雄の末裔たるエルヴァーグの──ファタリテの男だ。来る将来、我々がフォルトゥナから軍事に於ける主導権を取り戻した時、騎士団を牽引して行くのはマロン、お前だと思っている」
「……はい、匍匐獅子」
マロンは声を低めたまま返事をする。
「この任務で、お前自身の名誉を作れ」
ロディは「励めよ」と言うと、金色のマントを靡かせて身を翻した。
名誉、と胸中で彼の言葉を繰り返した時、本国に居るアウロラ姫の事がちらりと脳裏を過ぎった。
④ カルロス・チャーチ
「──これで全員だな?」
半壊した自宅の、二階の窓のカーテンに隙間を作り、カルロスは広場を見下ろしていた。そこには、騎士団の出発後、街に残された帝連軍の兵士たちが集められて中央に固められている。
周囲を取り巻いているのは、武装した街の自警団だった。一度は帝連軍に従い、ジフトに下るくらいならばと街から出て行った彼らだが、最早彼らの心には、帝連軍の者たちを同志だと思う気持ちなど微塵も残っていないようだった。皆、一様に冷然とした表情を浮かべて兵士たちを見下ろしている。
「ヤング方面軍、生き残り八三七名。最後の報告書に書かれていた人数からさっき死んだ数を差し引いたのと、ちゃんと一致しているな」
自警団のリーダーが、彼らから奪ったらしい資料に目を通しながら言う。
「こんなに減っちまっていたんだな、一個大隊程度しか残らなかったなんて。どうりで頼られる訳だ──こっちには、街一個分の人数が居るんだから」
「気付かなかったよ。俺たち、この程度の人数を恐れていたんだ……まあ、それも仕方ないか。騎士団が居たんだから」
「お、おい」
広場に繋がる通りに群がる群衆の中から、総督アグナム・オーアがよろめくような足取りで出て来た。
「大丈夫なのか、こんな事をして……もし、騎士団に通報されていたら」
「させませんでしたよ。HMEは全部回収しましたが、送信済みのメッセージもありませんでした」
「貴様ら、ただで済むと思うなよ!」
両手を縛られた兵士の一人が、噛みつくように叫んだ。
「別の部隊が来れば、貴様らのやった事は明るみに出る! 皆粛清されるぞ!」
「構わねえよ」
リーダーは言うや否や、その兵士の喉笛を掻き切った。
「あんたらに借りを返せるなら、後なんかどうなったって構わねえ」
「守ってやっただろう!」
別の兵士も叫んだが、それもまた別の自警団員に心臓を突き刺された。
「俺たちは自分たちで戦ったんだ」
カルロスは、もう見たくない、という思いを強く抱きながらも、視線を逸らす事が出来ない。それは、ややもすれば自分もまた、帝連軍の者たちが下されようとしている制裁に「因果応報だ」という気持ちが禁じ得ない為であるかもしれない。
騎士団が去って行った後、ペルティエによって強制的に退去させられた自分たちは街への帰還を許された。しかし、戻ってみると街は先の作戦で酷く破壊され、すぐに元の生活に戻れるような状態ではなかった。家屋を全壊させられ、街を出る時に置いて行くように言われた財産の殆どを失った者も居た。
莞根士は、この街に残った帝連軍に、以後住民たちからの食糧や物資の徴発はやめる事、破壊した街の復旧作業に尽力する事を命じていた。しかし、住民側が退去させられてからの一ヶ月間に蓄積させてきた怒りは、それだけで解消される程浅いものではなかった。
騎士団が居なくなるや、まず自警団が動き、元進駐軍庁舎だった建物に入ったヤング方面軍を襲撃した。
数の利と、突然住民たちが暴動を起こした事に戸惑った帝連軍は、呆気ない程の短時間で制圧された。ペルティエが逃亡を図った末に崖から落ちて死亡していた事が明らかになった事により、莞根士は出発前に新たな指揮官を任命していたが、その者が真っ先に殺害された事もその原因となった。
自警団とその協力者たちは、投降した兵士たち全員を武装解除させ、両手を拘束してこの広場に連れて来た。
兵士たちが連行される間、この一件を聞いた住民の多くが押し寄せ、口々に彼らを罵ったり、投石を行ったりした。中には、自警団の行動によって街が再び帝連軍に目をつけられる事、ジフト軍が再びやって来て自分たちが先の戦闘で帝連側についた事の”報復”に出ようとした時、守ってくれる者たちの居なくなってしまう事を憂えた住民も居たが、そういった少数の意見は黙殺された。
ペルティエと騎士団、二つの枷がなくなった事により、人々は募りに募らせた怒りを爆発させていた。
「ペルティエは、俺たちを見捨てて逃げた」
自警団に協力した隣人のディーンが、今し方の団員の台詞に同調するように言葉を放った。
「もう、お前たちに守って貰う必要なんてねえよ。お前たちは、前例を作っちまったんだ。この先もきっと、俺たちから搾れるだけ搾っておいて、いざとなったら平気で見捨てるんだろう、ってな」
「知らない! 逃亡は、ペルティエ卿が勝手にやった事だ!」
「俺たちは最初から、ジフト軍に投降するつもりだった! それなのにお前たちが戦いに駆り出したせいで、もうジェムシリカはそれすら認めないだろう! どうしてくれるんだ!?」
群衆の中からも、再び声が上がり始める。
「帝国の犬!」「人殺し!」「息子を返して!」
「マルソ」
広場を離れていた団員の一人が戻って来、リーダーに声を掛けた。
「ヤ・テ・ベオがいい具合に葉を開いていたぜ」
「そうか」
リーダーは肯き、手を挙げる。兵士たちを取り囲んでいた団員たちが、一斉にその包囲の輪を狭め、彼らから取り上げた武器を抜いた。
「腹が減っているのは、お前たちだけじゃないんだ」
彼は言った。
「ペルティエが落ちたせいで、肉の味を思い出しちまったんだ。あの食人草どももさぞ満腹する事だろうな」
「やめろ!」
何をされるのかを悟ったらしく、兵士たちが狼狽の声を上げ始めた。
「頼む、やめてくれ! こんな事をした罪は許そう、賠償も払う! 食糧も、俺たちが食った分ユークリッドから運んで来る! だから──」
「信用出来ないって言っただろ」
リーダーは、その懇願を冷然と切り捨てた。
「じゃあ、どうすれば信用して貰える……?」
「お前たちが俺たちの信用を取り戻す事なんて、もう絶対にねえ」
言いざま、彼は上げていた手をさっと振り下ろした。それに続き、団員たちも一気に各々の手にした武器を振り下ろす。ザクッ! という湿った音が幾重にも重なって響き、やがて静かになった。
カルロスの位置からは、折り重なった兵士たちの体の下から、石畳にじわじわと血が広がり出すのがはっきりと見えた。
観衆がわっと沸き返る。
カルロスはよろよろと窓辺から後退し、刹那、立ち眩みを起こして背後のベッドに倒れ込むように座り込んだ。無意識のうちに、乾いた笑い声が小刻みに喉の奥から零れていた。
──自分も皆も、おかしくなってしまったようだった。
おかしくしてしまったのは、一体何だったのだろう、と思った。




