『リ・バース』第一部 第2話 Death Angel③
③ ライガ・アンバース
「何だよこいつら、屍鬼か?」
地中から突如として現れた生ける屍たちは、ライガの使役するそれらとは一線を画していた。
皮膚が糜爛し、肉が溶解しかかった体。関節部から飛び出した骨。眼球は神経ごと飛び出していたり、既に眼窩が空洞になっているものまで居る。
自分が死霊化術で生ける屍を作り出す時は、既に肉体を離れてしまった魂を元の器に戻す事は出来ないので、生きている間にその魂を怨霊化させる。それ故に隕命君主の力は忌まわしく、悍ましいものとされた訳だが、必然的に生成された生ける屍の状態は良好で──死霊化術を施される前に重傷を負っていた場合などを除く──、その後も栄養摂取を断たれた事による肉の削痩こそすれ、ここまで酷く腐敗するような事はない。
墓から掘り出された死体がそのまま動き出している。眼前に現れた”存在”たちからは、そのような印象を受けた。
「イブン・ソニアだ」
リクトの応答に、思わず「はあ?」と声が漏れた。
「イブンは、あの女の名前だろ?」
「だけど、こいつらはイブンなんだ。彼女の吐魂術は、自らの肉体から魂を取り出して他の肉体に移す力。他者を強制的に層状孤児にして主導権を奪う技と考えて貰っていい。取り出した魂は分割する事も出来て、ああしてあらかじめ用意しておいた死体に宿す事も可能だ」
「よく調べているみてえじゃねえか」
また、初めて聞く声が背後から飛んで来た。
もう勘弁してくれ、と思いながら振り向くと、やはりそこには新たな闖入者の姿がある。
今度は男だ。黒い僧衣を纏い、イブンを除いて今ここに居る者たちの持っているものと同じ片手直剣タイプの剣を吊っている。聖職者のような出で立ちだが、その口調は粗暴で、髪も脱色され攻撃的に逆立っていた。
「また『蠍』か?」
「イブンと同じ双頭だ。絶霊喰鬼キルヒム・アサップ、嚥魂術の使い手」
リクトの説明に、ライガは頭痛を覚えた。
「色々居すぎだ。吐魂術の次は嚥魂術? それも死霊化術なのか? 俺の死んでいる間に、一体何がどうなったんだよ……」
「やっぱり言う事が違げえぜ、隕命君主様はよ。死んでいる間、ときやがった」
キルヒムと呼ばれた彼は、嘲笑うように口の端を歪めた。
「どうやら首尾良く蘇ったようだな。けど、リクト・レボルンス、てめえはせっかくのライガに悪い影響を与える。俺たちが何の為に、わざわざ魔物を集めたと思っている? 魔除けの結界を突破出来るくらい、あんなヤベえ魔物をよ。……イブン、遊んでいる暇はねえぜ」
端からそのつもりだ、というように生ける屍たちが唸る。魂を分割しすぎると精神力が弱まるのか、或いは保存状態の悪すぎる死体たちの声帯が損傷しているのか、言葉は発されなかった。
だが、それでもライガには、それらに宿ったイブンが「分かっている」「当たり前の事を言うな」と言っているように感じられた。
「ま、強力な魔物っていうのはただ暴れさせるだけじゃねえ。多分まだ、そのデカブツの魂はここに漂っているだろうし──」
キルヒムは言いつつ、先程ライガとリクトが倒した巨獣グーロの亡骸の方に視線を移していた。
騎士見習いの若者たちはイブンの部下二人と渡り合いながら、現れた双頭たちの間で視線を往復させる。助けを求めるようにこちらを見てくるので、ライガはやれやれと首を振った。
(ジフトの奴ら、自分たちの戦力に死霊化術を取り入れたか……俺を復活させたのもきっと、その一環なんだな。公国を滅ぼした俺が、本当に自分たちに協力するとでも思っているのか? しかも、その方法が催眠術? 買い被られているのやら、舐められているのやら……)
「リクト」
キルヒムに顔を向けたまま、傍らの彼に囁いた。
「お前、こいつらのやろうとしている事を知って城から来たのか?」
「確証はなかったけれどね」リクトが答える。
「先手を打って止めようとした訳だ。けど、もしお前たちが先に、この子供に──俺が今体を使っているこの子だよ──俺の魂が宿っているって突き止めていたら、どうしていた?」
「えっ……?」
「除霊して、俺を境界に還そうとしたか?」
「それは──」
彼が極まり悪そうに言葉を濁したので、ライガは慌てて言った。
「ああ、別に薄情者とかって言いたいんじゃないさ。お前は今や騎士長、私情より公共の福祉を優先させなきゃならない立場だもんな。いいよ、多分俺、忘れちまっているけど……皆に酷い事したんだろうしな」
そういえば、と思い出す事があった。
この肉体の主、ガラルは運命石のペンダントを持っていた。罪業に反応し、石英の如く濁るという石だ。
──今の俺の魂の色は、何色なんだろう?
一瞬だけ確かめようと思ったが、現在の自分は変身術を使っていた。この魔術では身に着けたものまで変じるので、一度ガラルの姿に戻らないとペンダントを見る事は出来ない。
仕方がないので諦め、再びリクトに言う。
「可哀想だが、ガラルの魂はもうこの世から居なくなってしまった。俺をどうするのかは、お前が決めてくれ。どういう結果になっても……煉獄に堕ちる事が分かっていて境界に還したとしても、俺はお前を恨まないよ」
「ライガ……」
「何をくっちゃべってやがる!」
キルヒムが、虚空に手を伸ばしながら叫んだ。
「いつまでも睨めっこしててもしようがねえ、始めようぜ。ライガ・アンバース、てめえは何としてでも、俺たちと一緒に来て貰う。そしてリクト・レボルンス、てめえは殺す! 帝国最強の魔剣士、聖光士が居なくなりゃあ、イスラフェリオ殿下にとってもプラスだ」
「ライガ、勝手な頼みかもしれないけど」
リクトが、再び硬い声の調子を取り戻して言ってきた。
「君をどうするかの前に、まずこいつらをどうにかしなきゃならない。力を貸してくれるか?」
「水臭せえよ、リクト」
ライガは間髪を入れず肯いた。「さっきも、一緒に戦ったじゃんか」
「……ありがとう」
「見せてやるよ、俺の嚥魂術を! ボナペティ!」
キルヒムが叫んだ瞬間、掲げられたその手に黒い霊力が集まり始めた。それは渦を巻きながら、次第に球体の形に錬成されていく。それが怨霊と化した魔物の魂である事は、わざわざ確かめるまでもない。
どうやら彼の術は境界転生と同様、既に肉体を離れた魂を指定して呼び寄せる事が出来るようだった。
彼は掌に結集したそれを、喉仏の辺りに押し込む。途端に、彼の左腕が膨れ上がり、先程のグーロと同等の太さに変化した。
「嚥魂術っていうのは──」
「魂を取り込んで、その情報を自らの肉体にフィードバックするんだ」
リクトが説明してくれる。
「異種族なら、直前に宿っていた肉体の形質を含む記憶を。境界にある魂だけじゃない、生きている相手からも奪う事が出来る。魂に刻まれる魔術の使用も思うがままのようだ。弱点は、喰らった魂は一度の戦闘で使い切られるってところかな……異なる魂を二つ同時に吸収する事も出来ないみたいで、その時は上書きされる形で一つ前の魂は消える」
「さすがだねえ。もし取り込んでからいつまでも使えるなら、俺がライガを食っちまいたいところなんだが」
キルヒムは言い、左腕を地面に付けた。
「行くぜっ!」
──ビョオオオオオアアアアアッ!!
彼と競り合うように、イブンの魂を宿した生ける屍の群れも動き出した。ライガはリクトと背中合わせに立ち、前後から襲って来る死霊化者たちに対して迎撃の構えを取る。