『リ・バース』第一部 第2話 Death Angel②
② リクト・レボルンス
「お前……フォルトゥナ騎士団のリーダーになったのか?」
ライガは、リクトの勲章──帝国に於ける騎士団の由来だ──を指差しながら尋ねてきた。
それはかつて自分が彼を討った功績から与えられたものだったので、リクトはやや罪悪感を覚える。が、彼の様子は何処までも無邪気で、心から友の立身出世を祝福しているかのようだった。
「まあ、ね……称号もそれで頂いたんだ」
「聖光士っていうのがそれか。なかなか格好良いよ、隕命君主なんかよりずっといいじゃないか」
ライガはそれからヤーラルホーンに目を移し、しみじみとした表情になった。
「蝸牛も、お前が引き継いだんだな。こいつもさぞ本望だろうぜ。そうだ、おじさんはどうしてる? 俺、会って挨拶しなきゃ」
何気なく紡ぎ出された彼の言葉に、リクトはびくりと硬直してしまう。
一瞬の後、感じたのは胸郭の内側の微かながら鋭い疼きだった。
(君は……やっぱり、覚えていないんだ)
「莞根士は──デルヴァンクール騎士長は、亡くなられた」
絞り出すように言うと、今度はライガの方が虚を突かれたような顔になった。
「そう……なのか。それは、寂しいな」
「後で墓参りに行って差し上げてくれ。本当は君から、一度でいいから父上と呼ばれたがっていたんだ」
「父上か……でも、やっぱり俺にとって、おじさんはおじさんだ」
「あの──」
ジフトの密偵を拘束したエロイスが、恐る恐るというように声を出す。リクトはそれで、はっと我に返った。「あ、ああ」
「こいつらを尋問しないと。ガラル少年に除霊を行って、ライガ・アンバースを目覚めさせた事は確かなんですから」
「エロイス」
リクトは、首を振りつつ彼を窘めた。
「ライガは確かに今まで故人だったが、私の同期だった男だ。お前たちの先輩にも当たるのだから、敬称をつけろ」
「敬称を? しかし、彼は帝連への反逆者で──」
「失礼しました」
エロイスの肩を軽く叩き、ニースが開口した。彼はエロイスのように手で物理的に捕虜を押さえつけるのではなく、いつの間にか降霊術を発動して相手の両手首を腰の後ろで縛めていた。
「危機を救って下さった事、遅ればせながらお礼を申し上げます、ライガ殿」
「い、いやいやいや、そんな」
ライガは、慌てたように両手をふるふると動かした。
「むしろ助けて貰ったのは、俺たちの方というか──」
「隕命君主!」
遮るようにして、エロイスに拘束されている「蠍」の魔剣士が叫んだ。
「望み通りに語ってやる、お前が何故蘇ったのかを!」
「大人しくしろ──」
「お察しの通り、お前を蘇らせたものは禁術、境界転生だ! 目的は語るまでもないだろう、ジフトの再興の為だ! お前の力は強すぎた、お前はやりすぎた! お前は人間が──降霊術者が可能としながら、須らくプログラムに服うべきジオス・ヘリオヴァースの民として越えてはならない一線を越えた! 禁秘を解いてしまったのだ! だから……」
「大人しくしろと言っているだろうが!」
「……有限の魂の数とやら、これから俺たちジフトが数えさせて貰う! 万歳、ジフト!」
「ヤベえ、こいつ!」
エロイスが、自らの腕を「蠍」の口に突っ込もうとした。
「俺たち諸共自決する気じゃねえだろうな!?」
「ふざけている場合か」
冷ややかな声が介入したのは、まさにその時だった。
リクトもライガも、騎士見習いの二人も彼らに拘束された密偵二人も、ふと口を噤んで声の飛んで来た方を見る。
倒壊しかかった一軒の民家の屋根だった。裏手の山にでも潜んでいたのか、リクトたちが集まっている村入口からかなり離れた場所に居るにも拘わらず、入って来る様子が確認出来なかった。
「あんたは……」ライガが、呆けたような声で呟く。
女だった。薔薇磁石色に染め上げられた、結んでいない長い髪を夜風に靡かせ、ぴったりとしたツナギの鎖帷子を身に着けている。両目はバイザーのようなもので隠され、手に握られているのは赤紫色の細剣。
リクトはその正体に気付き、あっと叫びかけた。が、それより早く、囚われの密偵たちが声を上げた。
「浮遊霊姫!」
その称号で間違いはなかった。浮遊霊姫イブン・ソニア、新生ジフトの「蠍」を統括する二人の魔剣士「双頭」の片方。オリジナルの降霊術「吐魂術」を使用する要注意人物。
彼女は見えざる視線を部下たちに注ぐと、「何というざまだ」と吐き捨てた。
「分魂を成功させたはいいが、催眠術を施す前に自分たちが魔物に殺されかけるとはな。催眠術は降霊術でない、ごく一般的な文法だ。剰え貴重な魔導具を紛失し、村人の殲滅も果たせぬまま俘虜とされるか」
「申し訳ございません、イブン様!」
イブンの舌鋒に、悔しそうに歯噛みしながら沈黙していた地属性使いが叫んだ。しかし、その声音には屈辱だけでない、激しい怒りが感じられた。ニースに拘束されている雷属性使いが逸早くそれを察したらしく、「フー」と咎めるように相方の名前を呼んだ。
フーと呼ばれた彼は、噛みつくような顔で相方を振り返る。
「アノニム! 我々はまだ、帝国に屈した訳ではないぞ!」
「フー・ダ・ニット、アノニム・アノニマス──」
「イブン様、今一度我々に機会を! 必ずや隕命君主を我らが陣営に引き入れ、この帝国の犬どもを討ち! 汚名を挽回してご覧に入れましょう!」
「フー、イブン様のお言葉に対して」
窘めかけた相方に対し、彼はそれを遮るように言った。
「アノニム、俺を捕らえているこの男に麻痺化を! こいつは雑魚だ!」
「雑魚!?」
エロイスが、自分に捕まっている相手の言い草に目を剝き出した。「てめえ、俺に捕まっておきながら何て台詞を──」
「……なるほど」アノニムが、微かに口角を上げた。「そういう事か」
「おい! よくも俺の事を──」
「ナム・バインド」
エロイスの言葉は、最後まで続かなかった。アノニムの詩文と共に飛んだ麻痺化の魔術は彼に状態異常を課し、彼は声を中断して土の上に尻餅を搗く。彼による物理的な拘束から解放されると、フーはすかさず
「エクソシズム」
アノニムの手首を縛めている降霊術を終了──霊力である魂を境界へと解放──させた。
彼の拘束は解け、リクトはしまった、と思った。
一瞬のうちに立場が逆転した。アノニムは黄水晶色の剣を抜き、剣技を繰り出しながらニースへと肉薄する。
「退魔剣!」
「リキッドショット!」
ニースもはっきりと「しまった」という表情を浮かべていたが、再起するのは早かった。水属性の文法を発動し、水弾を飛ばしつつ後方へと跳び退る。アノニムが繰り出した袈裟斬りを空振る頃には魔術の技後硬直は解けており、
「舞い踊れ……スプラッシュ!」
すかさず、敵の目の前で水飛沫を散らした。
水属性魔術のうち、最下位の技。威力こそ先の水弾に劣るものの、詩文の簡潔さと発動前、発動後の隙の短さは文法の中で最高クラスに属する。
アノニムは仰反りつつも、ポストモーションから立ち直るや否やすぐに次の剣技を繰り出そうとしている。
剣士は、前科者を含め降霊術の心得がない者でも──布衍して言えば、魔術全般を会得していなくても──剣技を使用する事が出来る。その依り代は魔素でも魂でもなく、使用者自身の感応だからだ。
剣は、持ち手を選ぶ。持ち手は剣に魂の感応を込め、剣を自分の一部──否、第二の自分として〝使役〟する。ジオス・ヘリオヴァースで剣士が「使い手」と呼ばれる所以だった。
「鬼神殿!」
リクトも、動かねばと思いながらイブンの方に視線を戻す。
イブンは反撃に転じ始めた部下たちを黙って睥睨していたが、やがて蜂の針の如きその細剣をこちらに向けた。
「……私も、このままでは殿下に顔向け出来ぬからな」
囁くように言い、鍔元付近に唇を当てる。それが僅かに離れた時、吐息のような音と共に薄紫色の気体が零れ出した。
「リクト」ライガが囁いてくる。「あの女──ご婦人は?」
「イブン・ソニア、新生ジフトの……女王蜂みたいな魔剣士だ」
彼にも伝わるような喩えで説明すると、途端に「げっ」と引き気味な顔を浮かべられた。
「ジェムシリカの再来かよ……」
「ジフトの女傑というニュアンスで言っただけだ。使ってくる降霊術も全然違うから要注意だぞ、イブンは──死霊化者なんだ」
その魔術が、今まさに発動しようとしていた。
彼女の口から零れ出した霊力が、霧状になって大気に溶ける程希釈される。途端にその体は、細剣の刀身を発光させたまま微動だにしなくなった。代わりに、彼女の屋根に立っている建物の周囲で地響きが轟き始めた。
「何だよ、また魔物か?」ライガが呟く。
リクトはそれを実際に目の当たりにした事はなかったが、次に現れるものに関しては情報を持っている。
魔物ではない──少なくとも、生きている魔物では。
脳裏でそう呟いた刹那、建物の周囲に無数の魔方陣が展開された。来る、と思うか思わないかのうちに、その中から幾つもの人影が湧出する。
彼らの肉体は、皆腐敗していた。