『リ・バース』第一部 第2話 Death Angel①
○登場人物
・ドーデム・ヤーツ…ファタリテ騎士団の長。
・ネクアタッド・エミルス…デスタン騎士団の長。
・オルフェ・イェスネット…フェート騎士団の長。
・ノレム・ピックルス…カルマ騎士団の長。
・アルフォンス・デルヴァンクール…フォルトゥナ騎士団の先代の長。
・ロディ・エルヴァーグ…ファタリテ騎士団の先代の長。
・アレイティーズ・イェスネット…フェート騎士団の先代の長。
・キューカンバー・ピックルス…カルマ騎士団の先代の長。
・フレデリック二世…先代皇帝。
・テレサ・スモレンスカ…その正室。先帝妃。
・アウロラ・ド・ゲネラッテ…第二皇女。シアリーズの妹。
・シャルル=ジュリー=ド・ジブリ…帝国宰相。
・ヴォルノ・イェーガー…フォルトゥナ騎士団副騎士長。
① シアリーズ・ド・ゲネラッテ
ソレスティア帝国、首都ユークリッド。
帝城ペンタゴナ・パラス、玉座の間。
「聖光士からの連絡です!」
フォルトゥナ騎士団副官ヴォルノ・イェーガーは、入って来るや否や言った。
急逝した先帝フレデリック二世に代わり、七年間政を司っている先帝妃テレサとフォルトゥナのごく限られた者たちの間では、今回のネイピアの少年の一件に関する疑惑は極めて慎重に扱い、決して他言せぬようにという事になっていた。自ら「最も信頼を置ける」とする二人の騎士見習いにのみ詳細を伝え、現地に赴いたリクトは事実の確認が出来次第ヴォルノにHMEを送り、ヴォルノはそれを直接テレサに知らせる、という手筈だった。
先代騎士長アルフォンス・デルヴァンクールの頃から騎士団のナンバーツーである彼は、あくまで取り乱さずはきはきとした口調で言葉を発した。が、その顔はさすがに血相が変わっている。
「短く報せなさい」
シアリーズの横に座す母は、あくまで冷静に言う。
現在玉座の間に居る人間は四人だけだ。ヴォルノ以外の三人は、玉座に身を落ち着けたシアリーズと、母である先帝妃テレサ、宰相のジブリ公シャルル=ジュリー。彼は皇族二人の横に控えていたが、いつもの事ながら微動だにせず緘黙し、マネキンのようだった。
「隕命君主ライガ・アンバースが復活しました」
ヴォルノは言葉を選ぶようにやや俯き、結局きっぱりと口に出した。
シアリーズは黒いレースの指貫に包まれた手で、玉座の肘掛けをぎゅっと握り締める。母はそんな娘の様子を見、微かに目を細くしてから副騎士長に向き直り、言葉を続けた。
「やはり、境界転生の術が使われたのかしら?」
「そのようです。既に件の子供の魂はジフトの『蠍』によって除かれてしまった模様ですが、肉体に特に変化はないと……但し現在、彼は変身術で生前の姿を纏っているようです」
「『蠍』については?」
「双頭の介入があり、捕獲には至らなかったと……詳細は帰還の後、直接両陛下にお伝えするとの事です」
「そう……彼は、ライガの魂を宿すその子供を連れて帰って来るのね?」
母の台詞を聞きながら、シアリーズは堪えきれずに呟いた。
「ライガ……」
「姫様──」
自分の声の調子があまりにも悲しげだったからだろう、ヴォルノはごく自然に言葉を発しかけてから、はっと我に返ったように「失礼致しました!」と訂正した。
「陛下」
わざわざ言い直さなくてもいいのに、とシアリーズは苦笑する。
父フレデリックの死は突然すぎた。元々の予定では、シアリーズはそれ程早く即位する事にはなっておらず、その前に婚約者のリクトと式が挙げられるはずだった。彼は皇家に婿として入った後に皇帝としての教育が施され、ゆくゆくは彼が帝位に就く予定だったのだ。
しかし、誰も思いも寄らなかった先帝の薨御の後、いつまでも玉座を空席にしておく訳にも行かず、シアリーズが戴冠する事となった。本来であればそのタイミングでリクトとの結婚は行われるはずだったが、シアリーズもリクトも、ある事情からそれを拒んだ。
リクトはその後、帰らずの地の戦いでライガを討ち、帝国の英雄となった。同じ戦いで呪いの状態異常を受けたアルフォンスは三年も経たないうちに死に──怨霊に受けたそれは、従来とは異なり聖職者による祝福でも解除出来なかった──、彼に騎士団のその後を託したので、彼が皇配となるべくシアリーズと婚姻を結ぶ未来は増々遠ざかった。一応まだ婚約者という関係は続いているが、それが段々有耶無耶になりつつある事も二人は分かっている。
──恐らくこのまま婚約は解消へと向かい、自分は帝位を妹に譲って退位する事になるだろう。
そのような漠然とした予感があった。
シアリーズに、先帝の死の直前まで専門の帝王学は学ばせられなかった。十代の頃の教養は、他の貴族の子供たちと同じく玉座の間のある天秤宮の学問所で学んできていた。故に、電撃的な即位を果たした後、フレデリックに代わって実質的な政治を行い始めたのは母だった。
今、城の多くの者たちが「陛下」という言葉を使う時、その殆どはテレサを指すものになっている。そしてシアリーズに対しては、皆何の悪意もなく「殿下」が自然に飛び出す。シアリーズもまた、それでいいと思っている。
ライガの死後、シアリーズは六年間に渡って肌の殆ど露出しない黒いドレスを纏い続けてきた。それが喪服を意図した装いである事を、母もリクトも言わずもがな理解している。
(ロディにアレイティーズ、キューカンバー……アルフォンスを皮切りに、帝国最強の騎士たちが次々に死んでいった。だけどそれは絶対に、ライガの呪いなんかじゃない……)
母は、娘の内心には敢えて触れようとせず「情報は」と再度開口した。
「魂の正体がライガであるという事ではなく、層状孤児であった子供の事です。五大近衛宮にはどのように通達されているの?」
「具体的な事は、我らが白羊宮と獅子宮のファタリテ騎士団にのみ。磨羯宮のデスタン、宝瓶宮フェート、双児宮カルマには、聖光士が現地に向かったという事すらまだ伝わっておりません」
「処理は? リクトは彼を、どうするつもりなの?」
「処理って、お母様……」
シアリーズは、機械的な母の台詞に思わず容喙した。彼女はちらりとこちらを見ると、「あなたの気持ちは分かるけれど」と言った。
「リクトがどんな思いで彼を殺したのか、分からない訳じゃないでしょう? 蘇った彼が何をするのか、まだ確信の形では言えない。けれど、今になって彼の生存を認めたら、あなたたちの六年間は何になるの?」
「………」
シアリーズが何も言えなくなると、ヴォルノが咳払いをした。
「それなのですが、どうも──」
「どうしたの?」
言葉を濁した彼に、シアリーズは初めて自分から声を掛ける。ヴォルノは少し考え込むような顔になってから、「実は」と続けた。
「聖光士によりますと、現在隕命君主は──帰らずの地の戦いから一年程前までの記憶を、失っているようなのです」
「記憶を?」
シアリーズは鸚鵡返しする。
「ええ、丁度先帝の──ヴァイエルストラスでの悲劇の頃からです」
「それも……死霊化術の反動なの? あの頃から彼は、禁忌の力を御しきれず、呑み込まれて行くみたいだった」
──ごめんな、リクト。俺に出来る事といったら、こうやって何かを壊す事だけなのかもしれないな。
ヴァイエルストラスの悲劇の直後、ライガの言っていた言葉が蘇る。あの時点で既に、彼にはその"予兆"が現れ始めていたのだろうか。
「聖光士はそれ故に、彼に関しては暫し経過観察が必要だという考えを示しております。ここユークリッドに連れ帰り、白羊宮で身柄を預かると……当然ながら、素性はごく一部のみにしか明かさずに」
「……ファタリテのドーデムと、一悶着ありそうね」
テレサは溜め息を吐くと、傍らに佇む宰相の方を見た。
「ジブリ、ソレイユ王国へ出兵した彼からは?」
「獅子宮には、異常なしの報告のみが送られ続けているとの事です。小規模な交戦は日々続いているようですが、ドーデム・ヤーツが赤峨王イスラフェリオと直接会敵したという報せは、まだ」
「でしょうね……もし本格的な戦闘状況が開始されたら、直接私に報告が来ないのはおかしいもの。だけど、イスラフェリオが何を考えているのかも今一つよく分からないわね」
母は眉間を揉み、遠くを見るような目になった。
「膠着状態でのこちらの消耗を狙っているのなら……ファタリテ騎士団に機会を与えたのは、間違いだったかしら。フォルトゥナだけに様々な事を押しつけすぎるのもどうかと思うけれど。事によれば、リクトをソレイユへ派遣しなければならないかもしれないわ」
「それは──ライガ・アンバースの魂を宿したあの子供を、聖光士の目の届かない場所に置く事になるのでは?」
ヴォルノが懸念を口にする。シアリーズはその調子に、現在年下の騎士長に仕えている彼は、ライガを危険人物だとする考え方がまだ抜けてはいないようだ、という印象を受けた。
テレサは首を振り、「だからね」と言った。
「現在蘇ったライガが、晩年の危険な彼なのか、実地テストが必要だと思うの。ドーデムたちの所に、リクトと一緒に彼を派遣する事も考えておくわ」
「えっ?」
シアリーズは、思わず母の顔を見る。
「ドーデムと一悶着ありそうって、そういう事? 彼は死霊化者になったライガを疎んで、何度も処刑を訴えていた……何も、彼の目の前で力を使わせるような事をしなくたって」
ファタリテ騎士団は貴族出身者が多く、全体として血筋と伝統を重んじる保守派の傾向にある。今回、城から里子に出された子供に層状孤児かもしれないという疑いが出た時も、騎士団としての対応──保護か抹殺か──を巡ってフォルトゥナと意見の衝突があった。
ライガ本人の復活という事実を隠すにしても、死霊化術を使用する術者という事を敢えて彼らに明かす必要があるのか。
母は「忘れてはいけませんよ」と答えた。
「ライガの魂の状態が不明という事でリスクを負うのは、私たちも同じ。それも、ジフトによって蘇らせられたとあってはね。本当なら、リクトの意思に関わらず抹殺という措置を採る事も有り得たのよ」
「それは……」
「詳細な情報は、まだ白羊宮にも伝わっておりません」
ヴォルノが、議論が先行しすぎるのを押し留めるように言った。
「聖光士は帰還の後、直々に陛下へと今回の一件の次第を申し上げると述べております。フォルトゥナ、ファタリテは無論、層状孤児の出現はデスタン、フェート、カルマも含めて対応を協議せねばなりません」
「……そうね。まずは、リクトたちの帰りを待ちましょうか」
気が気でないでしょうけれど、と言い、母は副騎士長とシアリーズを交互に素早く見た。
シアリーズは胸に拳を押し当て、現時点では無意味な言葉を呑み込む。
テレサは「ジブリ」と宰相を呼ばった。
「ライガ・アンバースの復活は伏せた上で、層状孤児が城に連れて来られるという事のみを磨羯宮、宝瓶宮、双児宮にも共有して。新生ジフトの動向について改めて現在分かっている情報を整理して、イスラフェリオの傘下に入った地方群との全面衝突の可能性も含めて元老会議の準備を」
「御意、ヴォートル・マジェステ」
宰相の応答を聞きながら、シアリーズは胸中でライガに語り掛けた。
(ライガ……あなたは、世界を壊す為に戻って来たんじゃないでしょう?)
本日より第二話「Death Angel」を連載します。ここまでが現代編で、第三話からが過去編なのでもう暫らくの間は人名だけ登場する人物が多くなります。序盤で詰め込みに詰め込んだ設定ですが、そろそろ何となく全体像が掴めてきたかと。
今回の終盤にある「ウイ、ヴォートル・マジェステ(Oui, Votre Majesté)」は英語の「Yes, your Majesty(はい、陛下)」に相当するフランス語のようです。「Votre」も「your」と同じく「あなたの」という意味で、何故「我が(my)君」じゃないのだろう、と疑問に思った私ですが、「あなたの威光に敬意を表して」というニュアンスだとか。