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短い人生、都合よく考えた方が楽だろう

作者: ほな

 ちょうど今から一か月前、わたしと一生を共にしていた猫が旅に出た。

 長い長い、何十年も会えない旅を。


 寂しいけど、嘆いてもどうにもならない。

 だから普通に。

 いつも通り。


 生きた。


 夢中にいつも通りを演じていたら、卒業して。

 高校に入学して。

 新しいクラスメイトが出来た。


 今日は入学して次の日。

 久々にちゃんとした授業を受ける日。


「いってきます」

 お父さんも、お母さんも先に出て、誰もいない家に向かって。

 いつも通り。

 お出かけの挨拶を放つ。


 誰もないから当たり前に返事は来ない。

 でも大丈夫。

 のらちゃん、雨の日はいつも返事してくれなかったもん。

 いつも通りだ。


 いつも通りに、家を出る。

 頭上の雲はところどころ黒く、焦げたようになってて。

 雨はしとしと。アスファルトを濃い灰色に塗り替えていた。


 幸い、雨はそう強くない。


 今日は一日中、雨で大変になるってお母さんが言ってたから。

 早く学校に行った方がいいだろう。

 雨が嫌いって嘆いても雨は止まないものだ。


 傘で空を隠して、一歩、一歩。

 前に歩く。


 高校は家からすぐ近くだから、ちょっと歩くとすぐ前だ。

 家から出て一回角を曲がればすぐ見える。

 この角を曲がれば、すぐ。


 走ってくる車に注意しながら、角を曲がれば。

 昨日も歩いた道がぱっと現れる。

 これから三年間歩く道でもある。


「うぁっ」

 ほんの少し、傘を握る力を抜いただけなのに。

 雨が頭の真ん中をとん、と。

 叩いてしまった。


 立ち止まる暇があれば前に進めって意味なのだろう。

 全く、無情な雨だ。


 もし、雨に情があるとしたら。

 人の情とは違うものなのだろうか。

 なんてことをぼんやりと考えながら道を歩く。


 春の、草むらの匂いが雨に混ざって。

 すごく広がっている。

 いやなくらい、今が春だってわかってしまう。


 春の匂いに鼻が詰まっていてたら、ふんわり。

 ちょっといい匂いが現れた。

 ここのパン屋さんはいつもこの時間に新しいパンを作るみたい。

 昨日も同じ匂いがしてたもん。


 でも、朝ご飯は食べたから。

 いい匂いが漂うパン屋を後ろに、道を渡る。

 パン屋の匂いがしたら、学校はすぐ近くだ。


 ここを通れば、すぐ。

 まともな道ではないけど、こっちの方が短い。


 猫たちの隠し道みたいな通路を通って、学校の中に入る。

 もう朝練で励んでいる人が何人か見える。

 雨の日で、入学に次の日なのに。


 ここの部活って厳しいのかな。

 ゆるいのがいいな。

 お茶とか飲みながらゆったり、わいわい出来る部活が好き。


 校舎の中に入って、下駄箱で傘をしまって。

 階段をのぼる。


 ここの一年生はいちばん高いところで住んでるんだって。

 冗談っぽく、お母さんが言ってくれたことが思い浮かんだ。

 まだわたしがのらちゃんと同じ長さだった頃に聞いた、お母さんの話。


 昨日も思い出したんだけど。

 ここにきたら毎日思い出すのかもね。


「ふぁ……」

 四階まで上がってきて、ちょっと息が絶え絶えになる。

 これを毎日やったら少しは楽になるのかな。


 クラスが階段のすぐ近くでよかった。

 廊下の端っこにクラスがあったらわたし、登校中に倒れるかも知れない。


 乱れた息を整えながら教室の中に入る。


 わたしが入ってくる音につられて、見慣れない顔だちがわたしを眺める。

 それににっこり微笑みながら、ゆらゆら。

 軽く手を振って返した。


 何人かは同じく手を振ってくれた。

 何人かはわたしを見てすぐ視線を逸らす。

 照れてる子もいて、単に興味がなさそうな子もいる。


 挨拶した子も、しなかった子も。

 わたしが席についた頃にはすっかり無関心に戻った。

 初めましての集団はだいたいこんな感じだろう。


 この中には誰かと話したいけど何を話せばいいかわからない人もいて。

 がんがん人に声をかける人もいて。

 周りに興味がなさそうな振る舞いをする人もいて。

 本当に興味がなさそうな人もいる。


 ちょうどわたしの左で、机に伏せている子がそうだ。


 入学式の時も、ぼんやり。

 自己紹介の時も、ぼんやり。

 どこかぼーっとしてて、落ち着いた雰囲気の子。


 わたしもぼんやり、ぼーっと。

 机に伏せた後ろ姿を眺めてみた。


 ぼさぼさの、真っ黒い髪が。

 風に身を任せて。

 ゆらりゆらり。

 ひらりひらり。

 揺らぐ。


 それがなんだか――しっぽのようで。


 なんとなく、席から起きて、その子に近づいてみる。

 のらちゃんを驚かす時のように。

 後ろからそーっと。


 近づいて、顔を覗いてみると。


「ぁー……」

 眠気に沈んでいるような顔が見えた。

 欠伸のような、喚きのような、曖昧な音もした。


「ん…」

 今度は自分の腕に顔を擦っている。

 目は少し、うるうるしてる。


 その顔が、なんだか。

 旅立つ前の……のらちゃんみたいで。


「神崎さん、体でも痛いの?」

 つい、声をかけてしまう。


 急に声をかけられて驚く気配もなく。

 さも当たり前のように。

「うぅん。」

 って。

 喉を鳴らしながら首を振る。


「ちょっとぼーっとしてるだけ。」

 そして一言。

 猫みたいな振る舞いとは違って、まるで人間のような話し方。

 人間だけどね。


「そうなんだ。もし痛くなったら言ってね?」

「うん。」

 答えもちゃんとできるし、体に問題はないみたいだ。

 よかったね。


 でも、なんだか。

「ねね、隣座ってもいい?」

 気になるな。


「いいよ。」

 この子、雰囲気がめっちゃ猫。

 特にのらちゃんとそっくり。


 名前が確か、神崎鞠絵だった気がする。

「神崎さんって、わたしの名前覚えてる?」

 向こうはわたしの名前なんて覚えてないんだろう。

 周りに全く興味なさそうな顔してるし。


「今言ってくれたら絶対忘れないと思うよ。」

「覚えてないんだ。やっぱり」

 普通の、周りに興味ないタイプの子とはちょっと違うな。


 自分から踏み入るのはしないけど。

 向こうからがんがん入ってくるのは許してくれそうな感じだ。


「川崎朱莉だよ、わたし」

 それで、仲良くなったらめちゃくちゃ甘えてくるとか。

 まるで猫のような性格なんじゃないかな。

 わたしが知ってる猫はのらちゃんしかないけど。


「朱莉ちゃん。」

 うわ、急に名前で呼ばれた。

 それもちゃん付けで。

 この子なりの距離の詰め方なのだろうか。


「なぁに?」

 にっこり笑って、答えて。

 数秒。

 なにも言わずにわたしの顔をじっと眺める。

 どうしたんだろう。


 ぼーっと、わたしを眺める顔に合わせてぼーっと。

 わたしも眺めていたら。


 上歯を見せ付けるように。

 唇の上だけ持ち上げて、にひひ。

「ひひ、ちゃんと覚えたよ。」

 笑った。


「わぁ。すごい顔」

 めっちゃ、色っぽい笑みだな。


 胸がきゅんってしちゃうくらい、魅惑的な笑みだ。


「なによすごい顔って。」

「今の神崎さんみたいに笑う人初めて見た」

 本人は全然そんな気ないかもしれないけど。


「そうなの?」

 ちょっとどきどきしたり。


「映画とかではたまに見てみたけど、実際にそんな笑い方する人ないから」

「いや、意外といるよ?」

 しなかったり。


「わたしの周りにはいなかった」

 もっかい見たいな。


 と、思っていたら。

「川崎は私の名前覚えてる?」

 話題を振ってきた。


「朱莉ちゃんでいいよ。それにもちろん、覚えてるもん」

 自分からでも話せるんだ。

 これはちょっと失礼か。


「神崎鞠絵でしょ。わかりやすいから」

「わかりやすいの?」

 ちょっと目を見開いて、口が少し開かれた。

 驚く顔かわいいな。

 猫っぽい。


「顔とそっくりだもん」

「そうなの?なんで。」

「なんか似合う!って感じ」

 この子、声もいいな。

 聞いてて落ち着く。


「ただの勘じゃん。」

「そうだね」

 猫がごろごろ言ってるの聞くのと同じ。


 もしかしてこれ、一目ぼれってやつかな。

 じゃないと、初めましての人がこんなに魅力的に見えないんだもん。


 もっと知りたいって思っちゃうの。

「ねね、神崎さんの名前ってどう書くの?」

「手鞠花の鞠に、お絵かきの絵で鞠絵だよ。」

 恋とかしたことないけど。


「どういう意味?」

「絵に描いたように育って欲しいと、絵に描いたような縁を結んで欲しい、と。」

 わ、いい意味だな。


「二つあるの?意味」

「お父さんとお母さんがそれぞれ違うの。」

 いい意味だなぁ。


「一つ名前に二つの願いかぁ。なんかロマンティック」

「そうでしょ。」

 のらちゃんも、野良猫ののらと、のらりくらりののらでのらちゃんだったな。

 この子みたいに、お父さんお母さんで違ってた。


「神崎さん、鞠絵って呼んでいい?」

「どうぞ。」

 今度はにっこり笑ってくれた。

 目を細めて、唇が三日月のように上がって。

 のらちゃん、『お笑い』って言われたらこんな顔してたね。


「鞠絵」

「なぁに。」

 こうして見てると、なんか。


「…なーんか、ねぇ」

「なに。」

 めちゃくちゃのらちゃんじゃん。

 生まれ変わりって言っても信じるくらい。


「君ってよく、猫っぽいって言われたりする?」

「よく言われるね。目の前で猫じゃらし振られた時もある。」

 目の前で、猫じゃらし。

 普通の人が目の前で猫じゃらしをぶんぶんされるんだろうか。


 いや、そんなわけないな。

 てことは。

「やっぱり」

「なにやっぱりって。」

 この子はのらちゃんの生まれ変わりだ。


「似合うなーって」

「似合うの?」

「鞠絵って猫みたいな顔してるから似合う」

 のらちゃんが行った時と、この子の歳は全然あってないけど。

 まぁ。


「褒め言葉だよ。可愛いって意味」

「そうなんだ。」


 生まれ変わりって言葉自体が矛盾だからね。

 都合よく考えた方が楽だろう。

 それに夢中にならなきゃいいだけさ。


 ほんのり、心の中でだけ思えばいいの。


 だから、今日から。

 この子はのらちゃん。

 うちの猫の生まれ変わりだ。

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