1-9 それでもとにかく悪足掻き
重力操作の魔力が働いたのを感じた。
月見をしながらふんわり落ちた先は、美丈夫の腕の中。
結局、良案浮かばず慣性に従った魔女カッコ仮は、落下地点にて待っていた――待ち構えていた宿敵ヴァイスリヒトに、容易く抱き留められる羽目になった。
「全く。随分と無茶をするな、君は」
覚えのない「魔女の下僕」に単身で斬りかかった子供にまず掛けられたのは、非難の声。
しかし眉を寄せた表情には心配げな色があり、その身を確かに気遣っている様子が感じられた。
「怪我はないか?」
問い掛けながら首を傾げたその拍子にさらりと流れた銀の髪を横目に、黙って頷く。色々な面では「大丈夫ではない」のだが、現状に限って言えば「大丈夫」ではある。
なにせ思っていた以上に魔獣が魔力を保有しており、それで迷宮の森で使用した自宅分をすっかり補充出来た為だ。
ありがとう、見知らぬ下僕。お蔭で欠けた破片が満たされた。
何と僥倖な収穫か。……まあ、その幸運も使い果たしてしまったのだろうけども。
ああ、と悲観の溜め息を吐いて、落下を受け止めてくれた運命の敵を、そっと見る。そうすれば相手は視線が合った途端に緩く首を傾げて「どうした?」となんとも優しい声音で問いかけてきたので、すぐに視線を外す羽目になった。
真綿で包まれた銀の籠。
檻になる前に、とっとと出なければ。
◇ ◇ ◇
「……自分の足で歩けます。降ろして下さい」
今更に怯えた子供を装っても遅いだろうが、それでもか細い声で懇願すれば相手が「分かった」とだけ答えてその通りにしてくれた。
ほっと、一安心……したのも、束の間。
地面に足をついた際、ぐらりと揺れた――気がしたがそれは自分の方だったようで、傾いだ上体は側にいたヴァイスリヒトに支えられることになる。
(しまった、魔獣の魔力を馴染ませるのを失念していた!)
「大丈夫ではなさそうだな」
台詞と共に、足は、体は、地より離れて再び抱き上げられたは彼の腕の中。
出戻りだ。
「い、いえ、少しよろけただけで――」
「少し、には見えないな。今は大人しく運ばれ給え。大丈夫だ。私は、ぐらついたりなどしないから」
それは嫌味ですかとうっかり口が滑りかけたが、彼の性格を考えるにそこに悪意はないので我慢した。
抱き上げた子供は世界の敵になるかもしれない(予定)だというのに、愚かなこと。……などと吐き捨てて笑えたならば、どんなに良かっただろう。
それにしても、ここまで見知らぬ他人に優しくするものなのか?と思う。「ただの子供」ならまだしも、とっさの判断とはいえ単身で魔獣を仕留めた怪しい子供だというのに。
「兄さん、こっちは片付けといたよ。褒めてー」
「おう。これで全部だと思うぜ。兄貴、確認してくれ」
門前に戻ると、笑顔を浮かべて片手を振るロゼウスとシュヴァルツェがいた。
彼らの足元には、昏倒し、拘束された近衛兵たちの姿がある。……捕縛しているそれが亀甲縛りのように見えるのだが、知らぬふりをしておこう。私はまだ六歳の子供なのだし。
捕縛兵から視線を逸らした子供を抱き上げた長兄が、彼らに問う。
「護法隊に連絡は」
「連絡蝶で簡単に。そしたら向こうから速攻で返信があって、なんか文言に疲労感漂ってた。どうも常習的に素行不良だったっぽいね。アッハハ!」
「あの様子だと、『交換』確実だな。魔石も、恐らくは保管庫からだろうし……報告無視からの単独行動に、横領と素行不良でトリプルアウトだ」
ロゼウスが失笑して両手を叩けば、隣に立つシュヴァルツェも苦笑しながら両腕を組む。
護法隊とは、護衛、諜報、暗殺、なんでもござれな王家直下の私兵団のことであり、彼の四騎士よりは劣るものの剣技、魔法共に腕が立つのに加えて、精神汚染への耐性をそれなりに持つ、しっかりと強い優秀な兵士たちを指す。
彼らは確かに誠実な組織であったはずだから、「お飾り」たちが交代するのも時間の問題だろう。
ついでに選別と運用方法も見直して欲しいところではあるが、この辺りは魔女の私が気にすることではない。
「門の外に置いとけば、適当に持って帰ってくれるって。やっぱり本家は仕事が早いよね」
「そうだな。流石は王家直下の役職だ。――では、屋敷に戻ろうか」
「了解した」
手際よく用件を片付けた報告をするロゼウスに、ヴァイスリヒトは頷いて他の弟たちに帰還を促す。
シュヴァルツェは片手を軽く上げて返答すると、ロゼウスの隣に並んで歩き出し、末弟のアズラシェルに至ってはとっくに玄関のほうに辿り着いていた。
先を歩く双子の後方、殿たるは長兄殿。
抱えた子供に視線を向けて、話しかける。
「君にとって、今日は散々な日となっただろうが疲れてはいないか?」
「あー……あはは」
なんとか返せたのは、乾いた笑みと曖昧な答え。そんな反応をどう受け取ったのか、彼は柳眉を寄せて言う。
「今宵はもう何も起きないだろう。部屋に戻ったら、ゆっくり休むといい」
「……ははは」
いつの間にか、彼らの屋敷に泊まることが確定となってしまっている。
ああ、遠くなる。
迷宮の森に拵えた我が家への帰還が遠くなる。
「施錠」はしておいたが、内装や細かいところはまだ乱雑なので早く戻りたいところ。
しかしながら、策を練り切らずに動いて勘付かれるのはまずい。今日のところは大人しく一泊しよう。それで翌朝、こっそり帰宅すればいいのだ。
夜もすっかり更けてしまった。
……覚醒したばかりだというのに、なかなか一日が終わらない。終わってくれない。
◇ ◇ ◇
ヴァイスリヒトに抱えられて、兄弟たちと屋敷に戻る。
人前ならぬ宿敵の側で眠るものかと睡魔で重い瞼を擦り擦りしていたところ、玄関ホールにて待ち構えていた人物がいた。
四兄弟も彼の存在に気づいたようで、まず口を開いたのは末弟アズラシェル。
「ああ。こんばんは、父様」
「うわ、久し振りの父さんだ。いつ振りだっけ」と続けたのはロゼウス。
「親父殿を見たのは二月……いや、三月前では?」合わせるように言ったのはシュヴァルツェ。
「一年ぶりではなかったか、父上」と最後にヴァイスリヒトが静かな声で締めくくったところで、壮年の男が顔を歪めて嘆く。
「お前たち……あまり父さんを苛めないでくれ。一週間だ。たった一週間、家を空けただけじゃないか」
そういえば――というか今更だが、彼ら兄弟には親がいるのだったか。赤焦げ茶の短髪をオールバックにした壮年の男の出現に、私は記憶を引っ張り出す。
彼らの父であり、かつて私の養父でもあった現レクスミゼル家が当主、アウデオ・レクスミゼル。
一見すると顔立ちの良い紳士然とした男。
だがしかし彼にはなんと四人の妻がおり、別邸に住まわせている彼女たちのところへ日々通いに行っている始末。「家を空けた」というのはそういうこと。
(確か、自立性を高める為に早くに母親と引き離すのだったか?)
見方によっては可哀想だの非道だのと言われがちな行いだが、しかしこれはレクスミゼル家の掟。
女は全てを承諾した上で嫁ぎ、子を為し、五歳まで育ててから本邸に「奉納」する。
七つまでは神の内、というがここではその期限が少し早いだけ。
神であるうちに教育し、鍛え上げるのだ。まるで鉄は熱いうちに打て、というように。幼い頃から徹底的に。
(それで彼らは強いのか? ……いや、しかしなあ)
情操教育に悪い影響がありそうだと思うが、当の妻子たちは気にしていないのだろう。
現に、一週間ぶりの父親を見た子らが投げた言葉はそれなりのからかいだけだった。
そこに、憎悪や軽蔑といったものはない。――ついでに畏敬も無いようで何よりだ。尊厳は、まあ、妖しいところではあるが。
そんな彼らの父アウデオは、情けない顔をしながら四人の子に視線を向け――ゆっくり流れて止まった先は、長兄が腕に抱えた子供のところ。
ボロを纏った黒髪の存在に対し、一瞬覗いたは統括者の顔。
狡猾なヘビの凝視、賢者のカラスが如く眼差し、博士のフクロウたる慧眼で、正体知れぬ子供を見つめるもそれは瞬きする間に消え去り、再び浮かぶは情けない父親の顔。
頼りなくも人好きのする笑みを浮かべて、口を開く。
「こんばんは、勇敢な方。面倒事に巻き込まれて災難だったね」
「……どうも」
こちらを子供扱いしていない。外見で判断していない上に、見くびってもいないのだ。
成程、先程感じた三種の視線は勘違いではなかったか。
しかしながら、ヘビもカラスもフクロウも魔女の眷属だ。何を恐れることがある?
浮かびかかった苦笑を、どうにか噛み殺す。このような反応は子供として似つかわしくない故に。
早々にこの場から離れたいところだが、先ずは当り障りのない答えを返そう。
「こちらこそ、彼らにはそれなりに助けて頂いたので……感謝、して……います」
……それなりに、は不要だったか?
子供らしいとは言い難い返答に内心で臍を噛んでいれば、アウデオが肩を揺らして苦笑する。
「ははは、賢い方だ。魔獣に止めを刺したのは君だと聞いている。見かけに寄らず、強いのだね」
「……いえ」
裏の読み合い。腹の探り合い。
睡魔が酷い時に、こういうのは勘弁してほしい。第一、子供に仕掛ける会話ではないだろうに。
しかも、さり気なく私の背中をポンポンと叩いてあやす長兄殿が止めを刺しにきているので、本当にえげつない仕掛けだと思う。
親と子の挟撃。ついぞ苛立ってヴァイスリヒトを睨み付ければ、相手は何を勘違いしたのか穏やかな声で言う。
「君はもう限界だろう? 父上の戯言になど構わず、眠ると良い。後の面倒事は、私がすっかり片付けておくから」
「だ、……っ、……」
誰もそんなことは頼んでいないし、大きなお世話だ!と強気に言い返そうにも、背中を叩くヴァイスリヒトの手が絶妙なリズムでいて、なんと巧妙な罠かと私は更に歯噛みし――遂には眠りの海に落ちてしまう。
落ちる。
落ちていく。
深い底まで、真っ直ぐに。
私は、災禍の、魔女……。
子供だから、三大、欲求に……抗いきれなく、とも……しかたが、ない……だろう……。
どうにかならぬか、どうにもならぬか。