1-7 末々の果てに、一撃(止め)
「君、さっきから元気ないよね。あ、もしかして何かやらかしちゃった? だったら、素直に謝っといたほうが良いよー。ヴァイス兄さん、怒ると怖いから」
「ふむ。確かに覇気が無いな。だが安心しろ。怖ろしくみえるが、ヴァイス兄貴は子供には優しい方だ。素直に謝罪すれば許してくれる」
「無駄に恐怖を煽るな、ロゼ。それからシュヴァ、お前も勝手な想像で罪を作るんじゃない。……済まないな、少年。我が愚弟たちは姦しくていけない」
「は、あ……いえ、はい……」
左右を双子の次兄たちに挟まれ、対面には長兄殿。
これで子供らしく振る舞うのは少々難しくなかろうか。
災禍の魔女を破滅へと導きたる、運命の四騎士。
その三人がここに、私のすぐ側に居る。
――レクスミゼル家。常に四騎士を生み出す大貴族が名家。
まずは、長兄ヴァイスことヴァイスリヒト。金目と長い銀髪を持った、冷たい美貌の四騎士筆頭殿。
悔しいことに、現時点では逃げ切れるか怪しいくらいには実力差がある。勿論、相手が上だ。ここは認めよう。私はまだ歯牙ない子供なのだということを。
それから次兄であり双子でもある、長兄殿を「兄さん」喚びしている口調と態度が軽いのがロゼウス。猫のような金茶の髪の主で、オッドアイ。金茶と柘榴色の目をしている。
生真面目ながらもやや雑な口調で「兄貴」喚びしているのがもう片方の次兄、シュヴァルツェ。彼もロゼウスと同じ髪色をしたオッドアイで、ボルドー色と金茶の目をしている。
この場にまだ四人目が居ないことが、救いではある……と思いたい。
それでも彼らは四騎士の冠に相応しくそれぞれが優れた剣士であり、また魔法にも非常に長けている為に、油断はできない。
そんな彼らに三方をしっかり囲まれている私は、世界の敵かつ災禍の魔女カッコ仮。
よもや己の運命を自覚した矢先に、こうも早くに追い込みを掛けられるとは思わなかった。
(――そもそもおかしいだろう!?)
こちらはボロ(に見せかけた魔力の外套)を身に纏っただけの、平々凡々な子供なのだ。
しかも、皇女誘拐未遂を防いだ一般人。
感謝薄謝はあれども、その返礼が軟禁まがいの行為とはどういうことなのか、と声を大にして言いたい。
前世の因果、因縁、業はさておき、高位なる騎士様方が六歳のいたいけな子供を取り囲んで何をしているんだとお尋ねしたい。
「ほーら、眉間にシワ寄っちゃってる。可愛い顔が台無しだよー?」
右側に座るロゼウスが、ひょいと顔を覗き込んできたかと思うと笑いながら頬を突いてきた。
ぷにぷにと人差し指で軽く突かれるが、私の表情は笑みを作れない。むしろ「無」だ。
そこには戸惑い、緊張、恐怖――が原因ではなく、疲労それも精神的なものが多大に影響している。
なにせこちらは、客室に案内されたら後はもうぐっすり眠るだけだと思っていた。
しかし予想は外れ、上の兄弟三人が談笑しながらなし崩しに部屋に入って来たかと思うと、そのままソファに座り、私は座らされて――そうしてさり気なく包囲されたのだから堪ったものではない。
客室に客を案内したのだから、そろそろ出て行けと言いたい。
子供が寝る時間はとっくに過ぎている。
珍しい動物か何かだと思うのは勝手だが、無遠慮に距離を詰めるな、触るな、とにかく離れろ――!と、癇癪すら起こしそうだったが、まだ様子を見たほうが良いかと思い直して耐えてみる。
それでも、こちらが反応するまでは続けるのか、ぷにぷにと尚も頬を突いてくるロゼウス。……私は犬猫じゃない。
対し、反対側のシュヴァルツェもまた同じように、反対側の頬を、ぷにっ、ぷにっと突いてくる。……私は音が鳴る玩具じゃない!
そして止めは、最上の宿敵ヴァイスリヒト。笑み一つ浮かべない生真面目な顔で、「夜間着を用意するが、どうする」だの「一人寝が怖いなら、君が寝付くまで付き添うが」などと提案してくる始末。
右から左――どころか、雲散霧消の境地で聞き流しつつ、私は心中で大きな溜め息を吐く。
私は災禍の魔女カッコ仮で、君たちは私の一生涯の宿敵だ。
しかしながら当世の私は、それなりに清く正しく生きようとしているのだから、構わないでくれ。どうか関わらないでくれ。
そう声高に叫べたら、どんなにいいだろう。
……いや。なんならもう叫んでみるか?
素性本性は当然ながら明かしはしないが、先に仕掛けてきたのは相手方。今も無遠慮に構い倒してくるので、そろそろ反撃してもいいだろうと思う。
彼らの心に盛大な罪悪感が湧くように、せいぜい「子供らしく」「悲壮感を持って」「お家に帰して」と泣き叫ぼう。
なに、恥は捨てる覚悟でいく。むしろ、恥ずかしいと思ったら負けだ。
よし――と心の中で意気込み、背筋を伸ばして丸まった姿勢を正したその時だった。
コツコツ、とドアを叩く音がして私と兄弟たちは動きを止める。
「誰だ」と誰何の言葉を投げたのは長兄殿。
すれば、ドアの向こうで小さな声が答える。
「あの――アズです、兄様」
それは子供らしく可愛らしい声だった。
だが私は両手で顔を覆い、がくりと項垂れる。
開いたドアの隙間より顔を覗かせたのは、こちらよりも年下の男児。綺麗に切り揃えられた灰水色のおかっぱ髪が、さらりと揺れた。
――末弟、アズラシェル。
まだ五歳だが、彼もまた数年後の元服を経て四騎士となる未来を持った、我が宿敵となる少年だった。
こちらの嘆きなど勿論知る由も無く、彼は控え目な動作で部屋に入って来て長兄に話しかける。
「お客様が来ている、と聞いたので、その、僕もご挨拶を、と」
幼くも既に明晰な少年はアメジスト色の大きな目で、こちらを見つめて一礼する。変わりない優秀さの片鱗を見せつけられた私はというと、乾いた気持ちで視線と肩を下に落としていた。
――とうとう四騎士が揃ってしまった。
三方どころか四方を敵に囲まれた状態で、どうしろというのか。
いやもうなんか、酷い。
色々と、酷い。
(――なりふり構わず出て行くか!)
心の中で、ぽんと手を叩く。
長兄殿が一番の難関だが、そこはもう蜥蜴の尻尾切りよろしく代償覚悟で逃走しよう、そうしよう。
なに、手足の一本くらいで済むなら安いものだ。そこはあとで錬成でもして代替すれば良い。
破滅への運命をなぞりつつある当世。加えて、子供の身が故か睡魔に襲われ始めて鈍くなった思考から、私は外套下の愛剣に手を添える。
眠い。緩やかに眠い。
目を閉じれば途端に眠ってしまいそうだが、ここで繋がりを絶たねば面倒になる。
私は災禍の魔女。
敷かれた確定の運命に抗う為に、かつての宿敵たちに刃を向け――。
◇ ◇ ◇
コツ、と短く戸を叩く音が聞こえた。
長兄殿がサッと振り返ってドアの向こうに声を投げるのと、私が短剣から手を離すのは同時だった。
「どうした」
「近衛兵が来ております。――下手人を引き渡せ、と」
その言葉を受け、柳眉を顰めた長兄殿が立ち上がる。
「漏洩したか。……やはり獅子身中の虫がいるようだな」
呟いた声は低く、微かな怒気が篭められていた。
それを皮切りにロゼウスが「あーあ」というように天井を仰いで吐き捨てる。
「というか、手柄の横取りじゃない? アイツら弱いくせに役立たずだから、今度総入れ替えされるとかなんとかって聞いたし」
「ああ。それは俺も兵舎で耳にした」
ロゼウスに呼応したのは双子のシュヴァルツェ。長兄のように顔を顰めて、両腕を組む。
「あの近衛兵団は、元々がコネで入隊した人間ばかりだ。……皇女が抜け出したのにも気づかなかったんだろう? 総取っ換えも止む無しだな」
「その醜聞とこちらの方と、どういった関係が?」と会話を継いだのはアズラシェル。
こちらの方、とは私のことだろう。……とりあえず、いつの間に私の側にいてその膝を枕にしているのかを聞きたいところではあるが、それよりも――「下手人を引き渡せ」?
参考人として話を聞きたいのならばともかく、下手人として? 引き渡せ?
言い間違いかと思ったので、私は軽く片手を挙げて会話に参加する。
「詳細を知りたいのなら、私が当事者ですので対応しますが」
よそ行きの態度を装いつつ、そう言って立ち上がろうとすれば末弟が私の外套を掴んで引き止めた。
彼はこちらを見上げ、眉を下げて困った顔を見せる。
「ダメ、ですよ。濡れ衣着せられて、始末されちゃいます」
「しまっ、……私は子供だぞ? こんな子供を誘拐犯にしても、手柄には――」
「――しますよ。アイツら、愚者の集まりですから。見っとも無い真似をしてでも、今の地位に居たいバカばっかりなんですから」
可愛らしい顔と声とは裏腹に、その口が紡いだのはえげつない罵詈雑言。
それほどに悪評が目立つ集団なのだろうことが彼らの会話から窺い知れたが……そう言えば、と自分も思い出す。
――帝国近衛兵団。
一見すると、選りすぐりのエリート集団――かと思いきや、実態は貴族のコネと見栄より設立された騎士団であり、それなりに見栄えが良いので式典や祭典などには重宝するものの、実力はあまり芳しくはないお飾り人員だ
それでも、彼ら子息はそこそこに顔立ちが良く、それなりの礼儀も備えており「お飾り」としては優秀なので、解体はされない。ただ……「入れ替え」があるだけで。
ああ、そういえば夢魔を放ったら見事その罠に掛かってくれて、「バカ王子」と共に淫蕩行為に耽って機能を停止してくれていたのもこの集団だったか。
精神耐性があまりなかったのか、彼らはとても素直で良い集団だった。
……四騎士たちも、これくらい容易ければもっとずっと助かったのだけどなあ。
過去の成果と苦渋とをしみじみと噛み締めていれば、ぽん、と頭に軽い衝撃があった。
目を上げればそれは長兄殿で、片膝をついてわざわざこちらと視線を合わせた上で口を開く。
「君は私が護る。だから、そう怯えずともいい」
すっかり黙り込んでしまったことで、何やら妙な勘違いをされたようだ。
彼ら近衛兵に怯える? 誰が。私がか。
いやいや、ないない。それは、ない。
私は膝枕をしている末弟をそっとどかし、長兄殿に苦笑を返して立ち上がる。
「先ずは、対話をしてみましょう。……もしかしたら、報告書を作成するのに詳細な情報が欲しいだけなのかもしれないですし」
「アイツらが報告書を作るー? あっはは、ないない!」
「ああ、雑事などは他人任せの連中だ。迷惑先は下っ端か使用人だろうしな」
ロゼウスが笑いながら片手を振って否定し、シュヴァルツェも肩を竦めて同意する。
「対話、なんて無駄ですよ。あんなバカたちは、言葉が通じるかも怪しいんですから」
毒舌は、アズラシェル。
兄弟それぞれがとかく自国の守り人(「役立たず」だと彼らは言う)を扱き下ろすので、つい長兄殿に視線を向ければ彼はその端正な美貌に気怠げなものを混ぜて、溜息を吐く。
「……君の実直さは美点だが、アレらにさしたる希望は抱かぬ方がいい」
そこまでか。
そこまでなのか、帝国近衛兵団。
これはこれで大丈夫なのかと他人事ながらも頭を抱えつつ、それでも自身の目で確かめてみようと思い――なにせその活躍を見る前に、いつの間にか彼らは「いなくなっている」ので――そんなわけで、私は玄関へと足を運ぶことにした。
当然のように四兄弟がぞろぞろついて来たが、そこは気にしない。こそこそされるよりは、このほうが精神的にずっといい。
玄関を開けて近衛兵隊が待つ門前へと歩み出れば、夜空に浮かぶ満月が出迎える。
やがて私は、思い知る。兄弟たちの審美眼が正しかったことを。
そして私は、甘く見る。近衛兵たちのその性格が、どうしようもないことを。
決まり定まる運命らしいが認めない。