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1-43 鎖縛の螺旋3

 


 自分のほうへ駆け寄ってくる一筋の銀星。夜の中でも映えるそれは、常に忌避する天敵であるはずだった。

 けれども、今のミゼラティが近づいてくる白銀へ留める視線、表情には戸惑いの色がなくなっている。

 必死な顔をした白銀――ヴァイスリヒトへミゼラティが返すのは、何をそう急いているのだろう?とでも言いたげな、赤の他人を見る眼差し。


「ああ、お出迎えが遅れまして申し訳ございません、我が君……!」

 続いてもう一人、教会から出てきたのは灰青髪の錬金術師。後ろで纏めた三つ編みを揺らしつつ、ゆったりと、けれどやや足早に歩いて来る。

 すっかり慣れた側仕え然とした、その振る舞い。主従契約など全く交わしていないのだが、いつの間にか主と従僕になっているこの関係については、一度きちんと話し合ったほうがいいだろう。

 そんなことを考えながら、ミゼラティはこちらの従僕(非正規)には反応する。

「なんだ。君はこっちにいたのか、ヒューグウェンリル」

 口元に微苦笑を浮かべ、相手が近づくのをじっと見つめてミゼラティは待つ。

 同じ速度にて駆け寄るもう一方は、気にもせず。――抱いていた恐れは一体どこへ?


「ミゼラティ、君はこんな時間まで何をし」

「お帰りなさいませ。あれらの件はもう片付いたのですね」


 先に声を掛けたヴァイスリヒトを遮るようにして。

 自らの台詞をかぶせたヒューグウェンリルは、ミゼラティの前まで来るとその場ですぐさま片膝をついた。

 恭順たる姿勢をとり、眩しいものでも見るように顔を上げる。

「お疲れ様でした。……ご助力頂きましたこと、私からも御礼申し上げます、緋の貴き御方」

 敬愛を含んだヒューグウェンリルの視線は、まず小さな主君へ――それから傍らにいる赤髪の男へと流れ、その姿を認めるなり即座に頭を垂れた。

 自然な動作で行われた回避行動を見て、アズマが僅かに片眉を上げる。細められる緋色の目には興味。

「成程。僕が何かを理解しているのか。聡い子だ」

 まるで子供を褒めるような口調でそう言って、傅くヒューグウェンリルを見下ろす。

「良い子には飴玉をあげるのだったかな?」

「……っ……お気持ちだけ頂戴致します」

 謙虚な姿勢、分別弁えたものに対して、上級妖魔は一握の関心を見せるもの。息を飲み、頭を上げることなく応えたヒューグウェンリルに、アズマはますます笑みを深める。

 面白い玩具を見つけた子供か、もしくは鼠を前にした猫か。とかくアズマの関心が、「良い子」へと向けられる。

 灰青の髪へアズマの興味が伸びて触れるその寸前――横から出てきた小さな手が、アズマの視線を遮った。

 接触への行動は止まり、アズマは抱えている幼女へ視線を流す。

「うん? 嫉妬かな?」

「まさか。……障りになるものを増やさないで欲しいだけだ」

「あっは! 障りときたか。酷いな、僕を伝染病か何かとでも?」

「相似していないこともない。それと、用があるのは彼じゃないんだ。――ヒューグ。復元させたい子供がいるなら連れてこい、と『鴉』に伝えてくれ」

「斯様な時分ではみな眠って――いえ。はい、承りました。直ちに」

 疑問を口にしかけたヒューグウェンリルではあったが、すぐさまミゼラティの意図を読んで教会内へと駆け戻る。

 幼女を抱えて微笑む妖魔の視線を背に受けて。

 背筋を伝う悪寒には、気づかぬ振りをしておいて。



 ◇



 ――そうして後に残されたは、妖魔と幼女。それと、白銀の騎士の三人。

 けれど幼女は相変わらず騎士を見ず、従僕然とした男が向かった教会を見つめるばかり。


「……ミゼラティ」

 長い沈黙と無反応に耐えかねたのか、口火を切ったのは騎士のほう。

 ミゼラティからの無関心さに怯むことなく近づき、話しかけた。

「君に触れているそれが何か、知っているのか」

 やや剣呑な声で訊ねるヴァイスリヒトの利き手は、腰に下げた剣の柄に添えられている。

 問いかけを聞いた当の「何か」が正体しれぬ微笑を浮かべる一方で、ミゼラティは不思議そうな顔をしてようやく質問者を見た。

 首を傾げて、答える。

「勿論、知っているが?」

 それがどうした、と。

 眉を少し顰めたのは、その「何か」に対しての好感度が白銀の騎士を上回っている為か。


 そもそも、ヴァイスリヒトがアズマを警戒、もしくは嫌悪している意味がミゼラティには分からない。

 なにせ、この妖魔には既に偽魔女の件で命を救われているし――そら、騎士殿も見ていたじゃないか――その上、力を借り受け難解な問題を解決へと導いてくれた協力者でもある。

 いうなれば、ミゼラティにとってアズマは恩人だ。(人かどうかの分類はさておき。)

 しかしながら、上級妖魔独特の性格(性質か)を考えると、警戒するのもやむを得まい。

 だが、それを差し引いてもやはりミゼラティはアズマに悪い感情を持てないのだ。――初対面時に抱いていた畏怖や警戒は、さてどこへ行ったのやら。


 けれども、そのような心情など当然ながらヴァイスリヒトは知らない。険しい顔をして身構えたまま、ミゼラティのみに視線を留めて語り掛ける。

「その魔は、人を惑わし歪める存在だ。それから離れるんだ、ミゼラティ」

「ふふ。何とも健気な番犬だね。………僕が躾けてあげようか?」

 前半はヴァイスリヒトに聞こえるように、続けた後半はミゼラティのみに囁き声で告げて、アズマが笑みを深くする。

 友好的では決してない微笑を浮かべ、空いている手を揺らめかそうとすれば――「止せ」

 小さな手がやはり制し、アズマの裾を掴んでちょっかいを咎める。声は潜めておいて。

「気に障ったのなら私が謝罪しよう。だから、あれは放っておいてくれ。……業がややこしくなる」

「……あっは。優しいね。分かったよ」

 肩を竦め、それでも素直に引き下がったアズマは腕に抱える幼児に微笑み、コツリと頭をぶつけてみせた。

 戯れからの軽いじゃれ合い。だが、それはヴァイスリヒトの眉間に更なる皺を刻む。敵意と共に。

「……彼女に何を吹き込んでいる。その子を置いて立ち去れ、妖魔」

「僕がその言葉を受け入れる理由はどこにもないな」

 アズマは冷笑し、わざとミゼラティに擦り寄る動作をする。向けられる敵意に対しての意趣返しとして。

 ピリッと短い静電気のような気配が、騎士と妖魔の間を走った。

 一触即発の雰囲気を見て、ミゼラティが溜め息を零す。仲裁しようと行動に移しかけたその時、白い教会から何か駆けて来るのが見えてそちらへ顔を向けた。


「チビ! ひとまず連れてきたぞ! それで、どうすれ、ば……っ!?」

 小さな子供を横抱きにして息せき切って近寄ってきた『鴉』は、目の前の雰囲気にぎょっとし、それからミゼラティを抱えている存在に気づくなり瞬時に足を止める。

 警戒と畏怖の眼差しで近づくのを躊躇う『鴉』たる少年に、アズマが目を細めた。機嫌のいい猫が目で子供を見つめ、ゆるりと手招く。

「構わないよ。気にせずおいで」

「……あ、ありがとう、ございます」

「良い子は嫌いではないからね」

 彼の妖魔の、ずば抜けた能力を『鴉』は既に見知っている。

 故に、ぎこちない動きで――直視しないよう視線を下方へずらしつつミゼラティの前までやって来ると、連れてきた子供を見せた。

 包帯で体の大半を包み、痛々しい姿をした少女は薬を使ったのか眠りに落ちている。檻の中にいた、双眸を抉り取られた生贄。

「信じて……いいんだな?」

 縋る声にてミゼラティに訊ねた『鴉』に、返されたのは苦笑と首肯。

「ああ。できる限りのことはしよう」

「出来るよ。僕が手を貸すのだから」横から割って入ってきた妖魔の笑う声に、ミゼラティは肩を竦め、『鴉』は頭を下げる。

 ヒューグウェンリルもまたミゼラティの側に傅いたまま、そのやり取りを静観する中、ただ一人、剣のように鋭い目をした騎士だけが輪から外れていた。


 果たして治療は成功する。

 もとより失敗などあり得ないのだ。こと上級妖魔と災禍の魔女が業の前では。


 あちこち欠けていた少女は、あちこちを埋められていた。

 ただし、”何が行われたのか”は分からない。ミゼラティが傍らのヒューグウェンリルに「目隠し」をしてくれるよう依頼した為に。そのせいで、治療中は玉虫色の膜で包まれていたので。どこか誇らしげに膜を手繰る男は、主の命を受けて喜悦の表情を浮かべていた。


 瞳の再生に伴い、少女は目を覚ます。淡いシトラスの瞳。薄い黄水晶の視線を向けられた『鴉』は安堵の息を零し、目元を拭う素振りを見せた後で少女に話しかけた。

「痛いところはないか?」

「……ぃ、ぶ」

 大丈夫、と小さく掠れた声が答えた。

「どう? 君が知ってるものと同じかい?」

「ああ……いや、目の色が少し違う――あ。いえ、違うくらい、です。……もう少し眠ってろ」

 短く相違の有無を訊ねられた『鴉』は、そう答えて妹同然の少女の頭を撫でた。よく頑張ったな、というように。

 たった一人、生贄となって他の子供を守った少女。家族として誇らしくもあり、無茶はするなと叱りたくもある。――結局は、褒めるだけに留めたけれど。

 一方で、少女もまたアズマに気づいた。

 そちらへも目を向けて、口を開こうとしたが――「耳障りな音を聞くつもりはないのだけれど」

 冷淡に切り捨てられ、言葉を噤む。

 しかし、少女は微かに笑みを浮かべていた。相手が気遣ってくれたのだと思ったようだ。

 治療を終えたばかりの身は、まだまだ休息が足りない。

 例えそれが過剰な思い違いにすぎないとしても、少女の眼差しは感謝を告げていた。そして、鴉たる少年も、また。

「ありがとうな、チビ。……貴き緋の君も、ありがとうございます」

 畏怖はすれど敵意は持たず。素直に感謝を述べた『鴉』の柔軟な態度は、妖魔に気まぐれな親切心を提示させる。

「整合性を確かなものにしたいなら、もっと近い色を探してくるけど?」

『鴉』は少し青褪めたが、首を振って頭を下げる。

「ありがとうございます。ですが、これ以上の下賜は過分になりますので」

「おや。その年で引き際が理解出来ているのか。いいね」

「受け取らぬ無礼をお赦し下さい」

 ぞっとする微笑を浮かべたアズマを、『鴉』は頭を垂れることで回避した。掃き溜めの中で生きてきた知恵、本能にて。

「それでは、俺はこれで下がらせて頂きたく存じます。この子を落ち着かせてやりたい」

「そう。好きにするといいよ」

 妖魔の手を丁寧に潜り抜けた『鴉』はもう一度丁寧に頭を下げておいて、少女を抱き上げると教会の方へと走っていった。風のように真っ直ぐに。ともすれば脱兎が如く。

 それをすっかり見送ってから、アズマが腕に抱える幼女に目を向けた。


「さて、と……これで用事は済んだかな? この場を離れてもいい?」

 訊ねてきたアズマに、ミゼラティが返答しようとしかけた――そこへ、鋭い声が割って入る。

「――去るのはお前だけだ、妖魔。いい加減、彼女を解放しろ」

「……番犬が吠えているけれど?」

 敵意露わに身構えている騎士を冷ややかな目で見つめながら、アズマがミゼラティのみに囁く。

「ここまで盲目だと面倒だね、あれは」

「すまない、騎士としての性分かもしれない」包帯だらけの少女を癒した行いを見ても態度を変えないヴァイスリヒトに、さすがにミゼラティも溜め息を吐く。

「騎士殿。君は今少し、きちんと目を開いて見るべきだな」

「……ミゼラティ?」

 やや強い声で叱責に似た言葉を投げたそこには、ぞんざいながらも呆れと微かな苛立ちが含まれていて、ヴァイスリヒトは面食らったようにミゼラティを見返す。

 だが、返されたのは冷めた目。


 その瞳、感情の色が無い様は丁度、側にいる緋色の男と同じような――。


「……っ……彼女に何をした?」

「うん?」

 問われた言葉の意味を計りかねて、アズマは首を傾げる。すれば、更に視線をきつくしたヴァイスリヒトが自ら補足する。

「彼女の様子がおかしい。雰囲気、気配がお前と似通っているのは何故だ」

「僕と似て? ――ああ。重なっていた時間が少し長かったから、それでかな」

「重なっ……――彼女に何をした!」

「言葉の通りだけど? おや。剣なんか抜いて何をするつもりかな」

「彼女を、ミゼラティを傷つけたのか」

「侵食まではしていないよ。そんな、容易く崩せるはずが――、っと」

 目の前を過ぎた音無き剣閃。

 アズマは難なく身をかわし――そして、薄く哂う。

「危ないな。この子に当たったらどうするんだい」

「彼女を傷つけることはない。我が剣が落とすのはお前の首のみだ、妖魔」

 刀身に添って手が滑り、刃が煌めく。銀の光、退魔のしろがねとして。

 緋色の瞳が細められる。僅かな喜悦と嘲笑と共に。


「……おや、神剣だ。もう契約しているとはね」

「アズマ!」

 刃の襲撃を警告するミゼラティに、彼の妖魔は片目を瞑って微笑する。

「問題ないよ」

「彼女から手を離せ!」

「ははっ。真実を見ないままに向かってくるか。全く、純粋というか、愚直というか」

 縦横無尽に斬りかかられる中、アズマは笑みを崩さずに全てを回避する。

 踊るように、嘲る道化師さながらに跳ね、跳ねて――やがて軽やかに飛び降りた先は、自身に向かって振り下ろされた剣の上。

 アズマの重みは人のそれではない重力を以ってして、ヴァイスリヒトの剣を地面に沈め、振るう当人ごと縫い留める。

「あはは。良い舞踏だった。でも、稚拙だな」

 アズマが笑い、すいと指先を揺らめかせる。


「――ぐっ!」

 ずしり、と「上」から何かに押さえつけられるのをヴァイスリヒトは感じた。

 膝をつきかけたのを辛うじて踏み耐え、アズマを睨み付ける。

「ミゼラティを……返してもらおう……っ」

 喉元へ食らいつく獣が如き気迫で、重力を受けて軋む腕を伸ばし――掴んだのは、小さな手。ぎしりと体を動かし、軋ませながら更に腕を伸ばしてその矮躯を捕まえる。

「え」

「あ」

 強奪に気づいたアズマが手を伸ばしかける。

 だが、そのせいで加重の天秤が崩れてヴァイスリヒトの硬直が解けてしまう。即座に走った剣の一筋がアズマの首めがけて放たれ、アズマはそれでミゼラティを掴み損ねる。

「驚いた、全能力上昇のスキルか。あっは、見事に盗られてしまった」

 腕に抱えていたものの喪失、空白に、アズマが少しも残念そうではない声音で笑う。

「盗みを働くものは確か……ああ、そうだ――泥棒猫、というのだっけ」

「……黙れ、妖魔」

「あっはは。怖いな。――ともあれ、奪還おめでとう泥棒猫くん」

 両手をひらひら振って、アズマが飛び上がった。寸前にいた場所へ斬撃が下ろされ、地面にそれなりの裂線を刻む。

「いやいや、これは恐ろしい。戯れはここまでにしようか」

 空中に靴裏を固定させ、芝居じみた口調と手ぶりでおどけながら、アズマは自分を見上げているミゼラティに目を留める。

 何かを言いたげにしている幼女の瞳の奥にあるのは、引き留める光。

 この状況で置いていかないでくれ、という切望に対し、アズマは微笑を返しただけ。


 ――殺気だった騎士殿の相手をするのは嫌だ!

 ――僕には関係ないよ。まあ、頑張って?

 そんなやり取りが交わされたかはさておき、アズマは地上から見上げている三人へ向かって片手を振る。


「饗宴はここまで。悪くはなかったよ――ではね。おやすみ」

 月光を背に、美しい妖魔はそれだけを言って静かに消えた。初めから何もなかった雰囲気を後にして。


 確実に残ったのは、幼女と錬金術師、それから険しい顔をした騎士が一人。



危うき累卵奪うはしろがね

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