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1-41 鎖縛の螺旋1

 


 手を重ねて繋がった深淵の向こう。

 そこで幼女は緋色の謎を知る。



 ◇



 レインとは別の実験体――『さなぎ』に刻まれた幾重もの呪詛。それは予想以上に高度であり、「今の」ミゼラティには少々手に余る複雑なものだった。

 そこへ突如現れたは赤い髪をした男。息を飲む、いや呼吸を忘れるほどの美しさと、たっぷりの謎と不審を纏った男は、災禍を名乗る偽魔女と暗愚たる王をあっという間に拘束し、王座より引きずり下ろした。

 暴君以上の暴君。

 新たな敵の出現かと周りが警戒する中、男はにっこりと笑いかけてきたので、ミゼラティは考えた。どうやら敵対者ではないようだ、と。何となくではあるけれど。

 その判断がただの的外れでも願望でもなかったと分かるのは、ミゼラティを襲った魔女の火による傷を、男が癒した時だった。完全なる治癒はけれど、とんでもない方法ではあったが。

 詳細までは語るまい。ただ、端的に説明すればこうなる――「怪我の事象を食べられた」と。


 その後に幾らかの紆余曲折を経て、舞い戻った我が家――迷いの森の魔女の家で、赤髪の男と二人、共に残されていたものの解呪を行った。

 ミゼラティは男の補助を受けながら、共に呪い渦巻く混沌の中へと浸かっていったのだが……。

 その際に共鳴した副作用だろうか。

 深層の世界、混濁たる海の中においてミゼラティは男の名を見つける――見つけてしまった。

 確定させてしまったのだ、違和感の正体を。深淵もまたこちらを見つめて待っていた。


 見い出したる名はアズマ。

 手を貸してくれた赤髪の男の名であり、その正体は――大よそ察していた通り――妖魔、しかも「上級」が付く存在だったのだから堪らない。


 上級妖魔は性別で強さが変化することがなく、無性別に分類されている。

 そんな上級種であるアズマが男性型にて接触してきたわけだが、これは単なる気紛れ、もしくは趣向の一種だろう。

 さながら仮装に戯れる無邪気な子供。

 けれど、その無邪気さは純粋でも無垢でもないことをミゼラティは知っている。

 脳裏を過ぎったは赤い箱の中で串刺しにされた、早贄の男女。愚かな王と偽の魔女の成れの果て。

 結局、あの美しい赤水晶(レッドクォーツ)の芸術品はどうなったのだったか。


(行方は――聞かないほうが精神的に良いんだろうな)

 ミゼラティは上級妖魔の男――アズマを、そっと窺い見る。

 怯える子羊がいるばかりの檻の一つにいた、美しすぎる子供。

 遭遇時に抱いた奇妙な違和感は間違いではなかったが、危機感のほうは上手く働いてくれなかったのが悲しいところ。

 それでも、後に我が身に受けた魔女の業火を思えばこの上級妖魔との接触は正しかったのだと思いた――「眉間の皺」


 間近で艶めく声。

 気配なく隣にいたそれは、この上なく美しく微笑みながら囁いた。

「僕といるのにまた余所見かい?」

 そのまま、ひょいと片腕で抱き上げた幼女に顔を近づけて、妖しく見据える。

 ミゼラティは、あまりにも親しげに――馴れ馴れしく――接してくる相手から僅かに視線の焦点をずらしつつ、心中で溜め息を吐く。

 この妖魔は何故か、ミゼラティが長く考え込んでいたり、意識を逸らしていたりするとこのように注意を投げてくる。

 構って欲しい、という素振りとはまた違った種の何か。

 だがミゼラティには上級妖魔の思考を看破する術はない。

 そもそも、上位存在というもの自体が解けるわけもないのだ。

 ただ分かっているのは――傲岸不遜。

 実力者である証拠は既に提示されているので、後に続く自信過剰という表現は取り下げておいた。

 ともかくそんなアズマに対しての感想を脳裏に並べ、ミゼラティが無意識に眉を顰めていれば――「ほら。また、それ」

 伸びてきたしなやかな指先が、幼女の眉間をちょんとひと押し。

 否が応でも視線をアズマに戻すことになったミゼラティは、細められた緋色の瞳を見る。

「未熟なんだから、無駄な散漫をしない。でないと、また見逃すよ」

「……未熟であるのは自覚しているが、見逃すというのはどういう」

「僕は君の質問箱じゃないんだけれど?」

 アズマが柳眉を僅かに上げて、ミゼラティに笑みを向ける。冷ややかながらもとびきりに美しい微笑みを。

 親しげに謎を散りばめ、鮮やかに突き放す高慢たる上位存在。

 ミゼラティは眉間に皺を寄せる代わりに、うんざり顔で息を吐く。

「何をしても艶麗に魅了するところは君たちの美点だな」

 はぐらかされたことに対する皮肉を隠さず零せば、アズマが目を瞬かせ――少し驚いた?――やがて緩やかに口端を持ち上げる。

「ふふ、言うね。見惚れたかい?」

「余所見にならぬ程度には」

「あっは、不遜な子だ。やはり君は――おっと。着いたね」

 ミゼラティを抱えたアズマが、優雅に地面へと降り立つ。


「懐かしき魔女が城――ああ、偽物の、と付けるべきかな。それか無貌の城とか……いや、もうアレは居ないんだから、どうでもいいのか。あはは」

 アズマに名を呼ばれ、その妙なる声にて空席を咎められた建物がぶるりと震えた――ように感じたが、いやいや城は城。無機物が応じるはずもない。ましてや己を恥じたようだったなどとは。

 幼女を抱えた妖魔は、美しい嘲笑を浮かべながら、滑るような足取りで再び城の中へと舞い戻る。

 ミゼラティの問いに対する答えは、結局明かさぬまま。

 それでも、望んだ場所へこうして丁寧に運んでくれるのだから、それなりに気に入ってはいるのだろう。名を見つけた功績として。


 もっとも、気に入られた当人は堪ったものではないのだが。



 ◇



 悪しき主が消えた城は、空っぽの檻と化していた。

 何人かいた召使いはどこへやら。恐らくは、早々に逃げ出したのだろう。散り散りに。

 だが、果たして生きて町から出られたかどうか。

 着の身着のままならば見逃されやすいが、少しでも金品を持ちだしていたり悪事に加担していたなら、生存率は低いだろう。

 その辺りは神か業の天秤に祈るしかない。聞き入れられるかは知らないが。


 そのようにして出来上がった、君主なき王城。

 見捨てられた檻の残滓。だが内部はまだあちこちに悪趣味な罠の名残があり、二次災害が起きかねない状態だ。

 それを懸念したは、大娼館の主ヴェルジェ。

 暗愚王と偽魔女に代わり、一時的な統治者に治まった真緋の薔薇。

 彼女は、浅ましい大人はともかく子供に被害が及ぶのは忍びないと考えて、城に立ち入りを制限する魔法を掛けた。勿論、入り口の正門に警告を張り出して。

 文頭に「魔女の残香あり」、そして「侵入禁止。自己責任」という言葉を文末にしたものがその内容。短くも曖昧な注意書きだが、それだけで充分だったのだ。

 何故なら、サーペンスの人々は暗愚王と災禍の魔女の――後に、あれらは偽者だったとヴェルジェが訂正したが――その悪行を知っている。

 土地柄、業が悪に傾いている者が多いサーペンス。それでも偽魔女の為した行いは凄まじく、彼らの心に暗い影を落とすほどに深い爪痕を残していた。

 それ故に、彼らは警告に従い城へは近づかない。

 いつの間にか悪しき王と魔女が溜め込んだ財宝があるのだという噂が流れていても、足を踏み入れることはしない。

 暗い血の匂いが消えない限りは、決して。

 消えた子供の泣き声が聞こえなくなるまでは、絶対に。


 そうした事情もあって、サーペンスの城は荒らされることなく無人の状態を保っている。

 しんとした世界。静寂で満たされ、他には何の気配もない――はず、だったのだが。


「裏手の隅。破られた跡があるね」

 くすんだ色をした赤い絨毯が続く廊下を進みながら、アズマが息を吐くついでのように言った。

 靴音や布擦れといった音を一切立てずに歩く姿に、片腕にて抱えられたままの――下ろしてくれと告げても、微笑でもって無視された――ミゼラティは感心しつつ、問い掛けには眉根を寄せて答える。

「そうだな。壊れ方からして、犠牲か代償魔術の類だろうが……どちらを使用したんだか」

 それは防壁の瑕疵を感知した為に為された会話であった。

 不快げに顔を顰めたミゼラティを見て、アズマが喉奥でくつくつ笑う。

「一人分の血痕があるから、犠牲のほうだね。ふふ。わざわざ奴隷でも携帯してきたのかな」

 にこにこと微笑みながら。胸の悪くなる事実を、この妖魔はあっさりと口にする。

 ミゼラティは軽く溜め息を零し、眉間の皺をそっと指先で抑える。

 感性や価値観が違う存在であるというのは、いい加減に解っていた。

 そもそも種族が――位階が違う存在なのだから、いちいち気にしていたら付き合えない。

 ここは自分が引いておこう。ミゼラティは気持ちを切り替える。

「目的は……出所が分からない例の噂か?」

 侵入者についての考えをぽつりと零せば、アズマが退屈そうに肩を竦める。

「ああ、財宝がどうとかいう。――でも、そんなことはどうでもいいじゃない」

 ふっと鼻先で笑ってアズマが続ける。

「真相はともかく、僕たちの目的は宝物庫だろう? このまま真っ直ぐ向かうだけだよ」

「だが、噂を立てた相手と鉢合わせる可能性が――」

「……君は本当にどうでも良いことを気にするね。どうでもいい、と言ってるだろ」

 幼女の懸念を掃い落すように、アズマは空いている片手を軽く振る。

「でも」と、まだ何かを言い募ろうとした小さな声が無人の廊下に流れたが――。


「対峙したとて何の問題にもならないよ」

 そう笑う妖魔の声を最後に二人の姿は消え去り、音もふつりと途切れて後に残るは静寂ばかり。



 ◇



「あっは。やはり貪欲だったね」

 血の色をした呪いが複雑に絡みつき、彩りを添えている扉のある部屋があった。

 重厚な大扉の、不穏なまじない。

 それは強力な封印。災禍の魔女を騙った女の、せめてもの置き土産。

「随分と頑丈に仕上げたものだ。ふふ……僕たちが一番乗りのようだよ」

 それを見上げながら、アズマが楽しげな声を零した。美しい髪を揺らし、分厚い扉に片手を当てる。

「手つかずというのは良いね。混じりけのない新雪を汚すようでさ」

 ふわりとアズマが微笑むのに合わせ、内開きの扉が音も無く開いた。

 跪いて出迎える下僕が如く、静かに。厳かに。

 重い扉が静かに滑り、緋色の君を出迎える。偽魔女の刻印は跡形も無く消えて。


 ミゼラティは「本当にとんでもない存在だな」という顔をして妖魔の行いを眺める。

 言いたいことは多々あれど、口にしたところで意味は為さない。代わりに「片手であの呪をあっさり解いたのは凄いな」と素直な感心を抱くだけに留めておいて、歩を進めるアズマに抱えられたまま室内へ。


 そこは、宝物庫というに相応しい数多の財宝で溢れていた。


 部屋のあちらこちらに点在する、眩い金や銀細工の置物。

 床の上に積み重なっている、何かしらの獣の毛皮。毛足の長いものは絨毯で、見事な毛並みのものは衣装だろうか。

 上質なドレスが数点、これもまた各所に点々と脱ぎ捨てられている。クローゼットから外されたかつてのお気に入りが、今は無造作に床の上で色の水溜まりとなって放り出されていた。

 悪趣味な贅沢の置き場。そんな室内をウンザリした顔で見回していたミゼラティだったが、ある一点に目が留まり――置かれたそれに気づき、眉を顰めた。

 視線の先にあるのは、口の開いた宝箱。中には宝石が溢れんばかりに詰まっており、燦然とした腸を曝け出している。

 中の石はどれも奇妙な光を帯びて輝き、非常に美しく見えた。

 しかし、それを凝然と見つめるミゼラティの表情は徐々に険しいものへと――「癖になるよ」

 きゅ、と眉間の皺を押され、軽くつままれた。

 美しい妖魔が幼女を見て苦笑する。

「全く。君は己の容姿に無頓着すぎる」

 アズマがミゼラティを揶揄するが、その視線を追いかけた先にある箱を、宝石を見て、笑みを歪めた。苦笑ではなく嘲笑を。

「はは。生贄の魂石(サクリファルマ)か。よくもまあ、たくさん作ったものだ。さて……何人分なんだろうね?」

「……」

 ミゼラティは無言でアズマを睨むも、溜め息を零しただけ。ゆるゆると首を振ると、箱と石から目を離して別の方を見始める。

 つれないなあ、とアズマはおどけるように肩を竦めたが、それ以上の軽口は零さなかった。

 そのうちに彼もまた他へと視線を流し、退屈そうにしながらも小さな幼女の小さな用事――ちょっとした探し物に、付き合ってやるのだった。



 ◇  ◇  ◇



 赤い絨毯広がる廊下を、幾つかの人影が進んでいた。

 前に低く沈むような姿勢は、まるで素早い肉食獣。

 その数、五名。砂色をした布で口元を覆い、顔を隠している。

 影は警戒の為か視線を交わすことで会話の代わりとしており、なにかを確認しながら廊下を疾駆していた。

 小部屋だろう扉の前をいくつも通り過ぎ、階段を駆け下りる。

 時々、赤い血溜まりや何かを引き摺った血痕を目にしては、僅かに顔を顰め、舌打ちし、それでも足を止めずに進み続けた。

 やがて先頭を走っていた者が、ある一点を指差す。後続もまた無言のまま首肯を返し、やがて足を止めたは大扉の前。

 石か金属か、はたまた何かの合成物か。

 扉は分厚くそびえ、巨大な城壁を思わせる重い雰囲気を漂わせている。

 表面に描かれた緋色の呪印はまるで生き物の目のように鈍くも炯々と輝き、目の前で呆けるように佇む侵入者たちを睥睨しているようだった。

 先導の者が扉を睨み返して警戒していたが、ふと隙間があるのを見止めて顎を引く。

 そろりと顔を近づけて耳を澄ますも、無音。中の様子を窺おうにも、隙間はどうにも細すぎた。

「魔女の残滓が」「血の呪いが」――そう囁く後続たちを、肩越しからの視線で制して黙らせる。

 立ち止まっていても仕方がない。

 先導者は肚に気を溜めて、深呼吸をした。

 周囲の空気が張り詰める。

 やがて分厚い扉の僅かな隙間に両手の指先を抉じ入れると、何事かを呟いた。

 すれば扉の隙間が、ゆっくりと――ひどくゆっくりとではあったが、確実に開かれていく。

 その幅が一人分を作ったところで影は両手を引き戻し、前を見つめたまま片手を挙げて、前進するという仕草を見せた。後続がそれを見て頷き、抉じ開けられた宝物庫の中へ入る先導者に続く。


 そんな侵入者たちを迎えたのは、煌々と輝く財宝の洪水であった。


 煌めく黄金、白銀、星々の欠片のような見事な宝石の海があちこちで煌めき、侵入者たちの目を、意識を引き付け、奪う。

 それは魅了のような眩み。五つの影は不可思議な煌めきに気を取られ茫としたものの、一人が懐から何かを取り出し、影たちの周りに円を描くようにサッと撒いた。

 気つけ薬か、呪いを忌避するまじないか。

 影たちは我に返り、すぐに緩んだ気持ちを、解けかけた意識を引き締め――かけたのだが、それも一時しのぎであった。


 室内、奥まった陰の行き溜まり。

 壁に沿って並べられた幾多の本棚の前に、ぽつんと人影がある。

 燦然とした宝の中に埋もれることなく、ひっそりと。それでいて確実に視線を引き付ける雰囲気を纏った人影は、侵入者に気づいているのかいないのか、背を向けた格好で本棚を見上げている。

 その長身痩躯を包むは深い色合いをした黒衣装。後ろで長く編まれた緋色の三つ編みが、蝋燭の炎のようにゆらりゆらりと揺れていた。生命の火。誘われているその先は?

 よくよく見ると右腕に何かを抱えており、時折それに向かって言葉を交わしている様子。


 こんな場所になぜ子供連れが? 魔女の一味の残党? 

 まあ、捕らえて吐かせれば済むことだ。閉鎖領域にいるのだから、まともではあるまい。

 そう考えたのだろう。自らのことは棚に上げ。

 侵入者たちは互いに顔を見合わせ、目配せし――床に落ちた自身の影に、すうっと溶け込んだ。

 背後より襲いかかる獣が如く身を潜めて、謎めいた緋色の人影へと忍び寄る。無防備な姿を床上の影より見上げる限りでは、気付いている様子はない。

 ある者は毒を塗った黒き石の刃を、ある者は麻痺の効果がある捕縛用の太縄を握る。

 感情を殺していた双眸に一種、残酷な光が滲んだのは接近した相手の美貌が見えたため。

 ――口を割るついでに、少々野暮用を済ませてもいいかもしれないな。

 潜む影の中で舌舐めずりしたのは、さて何人いたか。

 きらびやかな部屋のきらめく獲物に向かって、影がひっそり、ぞろりと這い寄って行く。

 包囲陣形を組んでの接近は、悪くない。

 物理、精神の両方に対する捕縛手段を備えているのも、悪くない。


 ただ、そこまで慎重ならば、もう少し――あと少しだけ、重く沈んだ胸中の警告音に耳を傾けるべきであった。

 地面から五つの影がぬるりと這い出し、射程距離に入った獲物へ一斉に飛びかかる。

 上空より舞い降りる猛禽類が如く動きで、緋色の髪の人物に真っ直ぐ振り下ろされる黒い刃。円形に取り巻く荒縄が踊る。


 その時、影たちの獲物である男がゆるりと振り向いた。その口元に、あるかなきかの薄い微笑が浮かんで。

 美しく冷たい薔薇の微笑。

 それが、影共が見る最後の光景となった。



石に咲くは彼岸花

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