1-40 緋色の枷5
薄闇に包まれた森は、変わらぬ姿でそこにあった。
何ものの気配も無い迷いの檻。
中心部にある魔女の家も変わらず――いや、今回は少しばかりの差異があったか。
ちっぽけな家の側に、家よりも大きな肉塊めいた何かがある。
木々に遮られた上空よりゆっくりと下降しながら、異物を見とめた男は赤い髪を揺らして笑う。
「おや、かなり侵食が進んでいるね。まるで腐肉大花だ。凄い凄い」
喝采でもしかねない声にてそんな事をのたまい、ミゼラティに視線を向ける。
「突いたら盛大に割けて花を咲かせてくれそうだけれど……。ね、どうかな?」
「……悪趣味な冗談はお止めください。……それと、彼の側に下ろして頂けると助かります」
「おや。冷たいな。ふふ……――承りました、我が黒耀石」
「…………戯れも程々にして頂きたい」
そんな軽口(片方のみ)を交わしながら降り立ったは、家の前。
おどろおどろしい肉塊の近く。
「これは……膨張しすぎて停滞魔術が解けたのか」
舌打ちするのを寸前で堪え、ミゼラティは眉間に深い皺を刻む。
「外道とはいえ、それなりに錬成スキルはあったようだな……こちらの見積りが甘かったか。失態だ。……ん? そこにいるのは――」
傍らに、別の小さな肉塊が一つ。
それはミゼラティの気配を察知したのか小さく震え、音を零した。
≪オ帰リナサイマセ、黒耀ノ君。気配ヲ感ジマシタタメ、オ出迎エニ参リマシタ次第デス≫
水の中で聞くような、倍音めいた不思議な音。
ミゼラティは塊の正体に気づいて、笑みで応える。
「ああ。ただいま、さなぎの子。君のほうは停滞が解けていないな、良かった……いや、良くはないか。すまない」
≪オ気遣イニ感謝致シマス、黒耀ノ君。我ガ身ハ防殻ガ多重デアリマスノデ、呪ノ増大ヲ抑エテオリマス。斯様ナ場所ヨリ声ヲ掛ケルゴ無礼、失礼致シマス≫
「無礼などではないよ。そうか、防殻が……それは――」
「――珍しいな。こんなところにも落ちているんだ」
赤い髪の男が不意にミゼラティの背後から顔を覗かせ、同じように『さなぎ』を見た。
小ぶりの肉塊を見下ろして薄く微笑する姿は、一見すると穏やかな好青年。
けれど、浮かべる笑みとは裏腹に緋色の瞳には感情の熱が全くない。
無機質な眼差しは西国の王城にて偽魔女に向けたのと同じもので、冷酷な一瞥を受けた『さなぎ』は、ぶるりと震える。
≪…………御前ニ醜キ我ガ身ヲ晒ス無礼ヲ御許シ下サイ、真タル紅緋ノ君≫
一回り小さくなったように竦んだ『さなぎ』の様子に、ミゼラティは横へ動いて『さなぎ』に対する男からの視線を遮る。
それは以前、焼き菓子店でロゼウスがした、さり気ない気遣いの仕草。
そのさり気なさを装ったまま、ミゼラティは男に訊ねる。
「貴方は、この子をご存知なのですか」
「話し方。……ああ、コレは『黄金の』――いや。いま教えることじゃないかな。コレよりも先に触れなければいけないものがあるよね?」
「ですが、……っ。……そうでした」
話の矛先を逸らされたミゼラティは更に問いかけようとしたが、深呼吸をすることで気を静めた。
男の言うことは尤もだ。
手持ちの時間は既にギリギリ。
なので、この好奇心が殺すのは猫ではなく二つの存在――元に戻すと宣言したミゼラティの帰還を信じ、死の淵で待っていたレインと『さなぎ』となる。
ここまで生き耐えていた彼らを、自身の欲を優先させて見殺しにするなど許されるはずがない。
(……危うく愚行を重ねるところだった。もう少し好奇心を抑えないと)
ミゼラティは内省しながら、怯えて竦んだままの『さなぎ』の前にしゃがみ込み、声を掛けた。
「悪いが、レインのほうが侵食被害が進んでいるので、君の解呪は後になる。許してくれ」
≪心得テオリマス、黒耀ノ君。謝罪ナドナサイマセヌヨウ。我ガ身ハ、ココデオ待チシテオリマス≫
「ありがとう」
震える『さなぎ』を軽く撫でて、用心として呪詛を停滞させる魔術を重ねておく。それから腰を上げると、大きな肉塊のほうに向き直った。
「遅くなってすまない、レイン。今から不純物を取り除いていく。解呪の間、不快感があるだろうが今少し耐えてくれ」
呼びかけに、肉塊が僅かに悶えるように動いた。
すっかり原形が失われてしまった姿でいるが、意識はあるらしい。
その反応を見たミゼラティは、胸元でぎゅっと拳を握る。
(こんな状態でもまだ正気を保っている――耐えていてくれたのか、狂気に)
どんなに不安だったことだろう。
ミゼラティが戻って来たのに家族の姿が見えないのは、既に遺言でも伝えたのか。
レインの妻であるルーンとその子アルの気配は、家の中にあるまま。窓には遮光性の高いカーテンが下ろされているので、中の様子は窺えない。
(変わりゆく姿を見えなくしたか、それともレイン自身が見ないようにと言ったのか)
憐れな様をこれ以上、見せぬように。
残酷な最期を、焼き付けないように。
誰にも看取られずにひとり、彼のエルフは死の向こうへ沈もうとしていた。
未確定の希望を抱えたまま。静かに、独りきりで。
(……もっと急ぐべきだった――私は馬鹿だ)
ミゼラティは眉根を寄せて、唇を噛み締める。
彼らは約束が果たされなくても、きっとミゼラティを赦すだろう。一度目は偶然に救われた命であり、二度目は奇跡でしかないと諦めていたのだから。
「彼らの危機を知らせて下さり、ありがとうございます」
心からの礼をそっと口にしたミゼラティに、男が側で笑った。
「言葉を紡ぐ暇があるなら、早々に取り掛かった方が良い。時間は有限だよ」
「……っ、はい。直ちに」
男の言葉にミゼラティは苦い顔で頷くと、かつてレインだった肉塊の元へ歩み寄り、表面に片手を添えて話しかける。
「……残酷な状態にしていて悪かった。我が真名に懸けて、君は必ず元に還すと誓おう」
すれば、すぐ近くで笑い声が上がる。
「あっはは! 真名に懸けると来たか!」
呆れと関心を含んだ声だった。
「馬鹿なのかな、君は。そんな硬い姿勢では解けるどころか余計に絡まってしまうよ」
そう背後で囁かれた――と思ったら、肩に手が置かれる感触がした。
「面白いものを見せてくれたから、戯れついでに僕の手も伸ばしてあげよう」
囁きが続き、肉塊に触れる小さな手にも男の手が重ねられる。
「さて――共にこの醜悪な呪を解いていこうか?」
「……っ……貴方の慈悲に、深い感謝を」
肉塊を見つめたまま礼を告げたミゼラティに、男はひっそりと微笑みだけを浮かべた。
◇
傲慢、強欲、嫉妬、怠惰、憤怒。
大罪を思わせる暗く淀んだ思念が、肉塊の中で渦巻いている。それが組織の奥深くまで食い込んでおり、呪詛を撒き散らしながら美しいダークエルフを汚している元凶だった。
錬金術師たちの欲望の捌け口。
掻き分けても掻き分けても、露わになるのは胸の悪くなる呪いばかり。
ミゼラティはそれを一つずつ解き、確実に消していく。後遺症として跡が残らないように。
――あのような錬金術師たちの生き様など、欠片も遺すものか。
実験塔で目にした造物を思い出し、ミゼラティは顔を歪める。
成功しているものは一つもなかった最下層の廃棄場。
ならば上層には確かに成した造物があるのかと思えば、やはりどこも失敗作ばかりだった実験室。
ここまで多くの道具を駆使し、材料を消費ているというのに、何も成せていない広大な建物を見回り、抱いた感想は「碌な錬金も出来ないのか」という怒りと失望。
特に、あの希少なダークエルフの錬金術。手にしたならば、その美しさを伸ばし拡げる造物を錬成するべきだと思――「余所見しない」
耳元で艶めく声。
ミゼラティは、ハッとして意識をそこへ戻す。
肩越しに一瞥すれば、赤い瞳がミゼラティを見据えていた。
「少し意識が逸れていたね? 君は今なにをしているのか分かっているのかな」
冷ややかな声に問われたミゼラティは一瞬、言葉を詰まらせる。
指摘の通り、別の事を考えていたのだ。
それも、解呪ではなく塔の錬金術師たちと同じ行動へ至る愚かな思考。
自分を信じ、耐えていてくれた者を冒涜する、呪いのように悍ましい――。
ぺちっ、と音がした。
ひやりとした手が両の頬に触れている。
背後にいる男が、ミゼラティの頬を両側から挟むようにして叩いた音だった。
「あ、の」
「余所見はダメ」
前に向いたままの状態で顔を固定された為、ミゼラティは動けない。その背後で男が溜め息を吐く。
「全く……ああ、人は未熟だと集中が散漫になるんだっけ? 面倒だな。じゃあ、僕が先達するから君は後についておいで」
「すみま」
「無駄口。――ほら、解いていくから後始末して」
「……はい」
ミゼラティが自身の不手際と不出来さに項垂れれば、男がまた溜め息を零し、ついでのように言った。
「学び、不足している練度の足しにすると良い。そうすれば、君の歩みも早くなる」
「――はい」
消沈から一転、強い声で答えたミゼラティに男は失笑する。
それでも重ねている小さな手を軽く撫で、ミゼラティの標として肉塊の呪いを解いていくのだった。
◇
どれくらいの時間が経ったのか。
迷いの森は鬱蒼と薄暗く、時間の流れが分かりにくい。
けれども、魔女の家よりも大きな肉塊がその場から消えていたので、確かに時は過ぎていたのだろう。
後に残ったのは、ぬめる膜で覆われた人型の塊。
少し動いて膜の一部を破ると、繊維らしきものを覗かせた。
べとついたそれは、シルバーブロンドの色をした髪の毛先。かつて肉の塊でしかなかったものが、元の姿へ戻り始めている証拠。
地面に横向きに伏した人型の上半身側に、幼女と男とがいた。
肉塊だった人型の肩口に幼女は両手を、男は片手だけを当てて、各所に刻まれている呪いを消滅させているのだ。
ゆるゆると、塊が人の形を成していく。
男は少し首を傾げてそれを眺め、目を細める。
向けた眼差しは睥睨。だが瞬きする間に消え、代わりに道化めいた笑みを浮かべた男は幼女に話しかける。
「……うん、人の形は成したね。そのまま僕が模った輪郭をなぞれば、明確に外見が整うよ。さあ、残りをすっかり消していくといい」
幼女は頷きだけを返し、男の言葉に従ってまだあちこちに食い込んでいる細かな呪を取り払っていく。
そうしているうちに肉の塊から人の相貌が浮かび上がり、濁った膜も淀んだ澱も失せた後にはダークエルフとしての形が現れる。肉塊ではなくレインという名の存在として。
肩が僅かに動き、睫毛が震え、ゆっくりと閉じていた瞳が開かれる。
「……ぅ、あぁ………っ、こ、こ、は」
ざらついた声だったが、目には正気があった。右へ左へと眼球が動き、小さな存在と見知らぬ男が自分の肩口に触れているのを見つける。
「お、まえ、たち? ……っ!」
レインの胡乱な眼差しはけれど相手の正体に気づいた途端に醒め、まだ血色の悪い顔を更に蒼褪めさせた。
「急に動かない」
跳ね起きようとするその肩を、軽く押さえて制したのは赤い髪の男。
力を込めているふうには見えないのに、怖ろしく強い圧力を受けたレインは横臥状態に戻る。
「まだ完全に固着していないんだよ。覚醒早々に崩れたいのかい?」
「も、……っし、わけ……、……ま、せ」
その顔は依然として蒼褪めたまま――どころか、いっそう蒼白と化して。
正体を完全に見透かすことはできずとも、魔力感知にて即座に男が何かを理解したのだろう。現に、赤い髪の男はレインにしかと意識を向けていたので、威圧感は凄まじいものになっている。
「……黄泉あがりのものに、貴方の気配は重すぎるかと。もう少し何とかなりませんか」
苦笑を浮かべたミゼラティは、レインを見つめたままでそんな願いを口にした。
ミゼラティの背後に立つ元凶たる当人が、呆れた声で答える。
「嗜虐したつもりはないんだけどね」
――ふうっと。
溜め息のような空気の流れがあった。
荒く浅い呼吸をしていたレインが落ち着くのを、ミゼラティは見る。やはり、赤い髪の男の「認識」は、かなりの恐怖を抱かせたらしい。
「ありがとうございます」と背後に礼を投げれば「どう致しまして、我が黒耀石」と軽口が返された。
後半の揶揄は苦笑で飲み込んでおいて、ミゼラティはレインに訊ねる。
「戻って来られたな、レイン。どこか具合の悪いところはないか? 君の全ては元通りか?」
「は、……っ、は……い」
目を瞬かせて首肯を示したレインはまだ少し血の気が引いていたが、そのうち戻るだろうと考えてミゼラティは顔を上げる。
視線を向けたは魔女の家、遮光カーテン下ろされし閉ざされた窓。
「ルーン! アル! レインの解呪は終わった。もう再会しても大丈夫だ!」
そう声を投げればカーテンが揺れ、少し開いたがすぐに閉じられ――やがて、戸口の方が騒がしくなった。
「レイン!」
「父上っ!」
わっと飛び出してきたのは、レインの妻子。
地面に横たわるレインを見て歓喜の表情を浮かべ、ミゼラティに感謝の礼を向け――その背後に立つ男の存在に気づいた途端、畏怖の姿勢を見せて固まった。
短く息を飲んだ母子が、すぐに地面に平伏しようと身を屈めたが――「必要ないよ。君たちはそこで再会に興じておいで」
男が静かな声音に冷たい圧力を込めて告げた為、母子は膝をつくのを止めたが、それでも深く頭を下げて一礼してから、レインの元へと駆け寄った。
「やれやれ。騒がしいことだね」
「仕方ありませんよ。家族があれほどに酷い呪詛に晒され、変貌させられていたのですから」
「でも、中は変わっていないだろう? 肉塊であっても、家族なら歓喜で迎えるべきなんじゃないのかな」
「……彼らは、呪詛なき元の姿を望んでいたのだと思いますよ」
「ふうん? 理解できないな……まあいいや。――じゃあ、次は黄金のほうを解こうか」
「え? ……ああ、さなぎの子のことですね。……ん、君はそのままでいい。大丈夫だよ」
もじもじと身動ぎして何かしらの礼法をとろうとしていた『さなぎ』に気づき、ミゼラティが苦笑を浮かべる。
やはりこちらも、赤い髪の男には即座に平伏する程の畏怖を抱いているのだろう。
その体を撫でて宥めてから、レインにしたのと同じ姿勢をとり――今度もまた背後に赤い髪の男を添えて――小さな肉の塊に刻まれた禍々しい呪いを、一つずつ解いていくのだった。
◇ ◇ ◇
魔女の家の軒下に吊られたカンテラが、小さな影に重なる大きな影を照らしている。
日はすっかり沈み、辺りが闇に包まれた為にアルがそろりと置いたのだ。
声は掛けなかった。少しのことが邪魔になるかもしれなかったので。
父であるレインは家の中で静養しており、母であるルーンが様子を見ている。手の空いているものが必然的にアルのみであったので、合間を見ては外にいるミゼラティたちの補助をしていた。
とはいっても、灯りを用意する程度しかなかったのだが。
膨張して巨大化したレインの時とは違い、それはまだ小さな塊だったから早く終わるだろうと思っていた。
けれども日が傾き、夕暮れから夜になってもミゼラティと見知らぬ男は家の外にいて、さなぎめいた塊の傍らで呪詛を解いている。
「……深く潜り過ぎ。今の君では溺れるよ。僕の側から離れないで」
「――下らない音に共鳴しない。足が付くうちに戻って」
「解いた塵が目障りだな。……君、一度上がっておいで。浮滓を片付けよう」
泳ぎを教える兄妹かな?
遠巻きに眺めるアルは、ミゼラティたちのやりとり――とは言っても、話しているのは男のほうだけだが――を聞いて、つい小さく笑ってしまった。
その時、ふと男の髪が揺らめいて視線が動き――アルに緋色の瞳を留めると、美しい笑みを浮かべる。
壮絶なまでに美しい微笑に、アルは見惚れ――次の瞬間、勢いよく顔を背けた。
男の直視には、どうにも耐えきれないものがあることを、この時になって初めて知った。思い知らされたのだ、たった今。
(い、息が、苦し、い)
何かに捉えられたのを、アルはその身を以って体験していた。視線を逸らしているのに、喉を、体を、四肢を、何かが絡みついているような――締め付けているような感覚がある。
事前に両親から言われていたのを思い出す。
それは、黒髪の幼女はまだしも、あの赤い髪の方には決して自ら触らぬように、という厳しい声での忠告。
アルは頷いたものの、少しなら大丈夫だろうと深く考えなかった。
際立つ美貌。目を瞠る鮮やかな赤い髪。
見ないなんて勿体ない。見るだけなのだ。何もしなければいいのだろう。そう考えたからこそ、呼ばれもしないのに周囲をちょこまかとうろつき、雑用ついでに男を盗み見ていたのだ。
浅はかな好奇心を抱いた子供に与えられたのは、壮絶なまでに美しい微笑。
求めていた美の欠片。ただし、そこに熱はなく。
肺腑を絞める冷たい気配。アルはガタガタと震えながら、謝罪の言葉を述べる為に口を開く――。
「――そこまでにしておかないか」
幼女の声がした。
瞬間、アルを取り巻いていた鎖が、冷気が霧散した。そのままガクリと地に両膝をついたアルは、荒くなった呼吸を必死に整える。夢中になって酸素を貪る子供を男は冷笑を浮かべて眺め、それから制止の声を投げた幼女に視線を向けた。
「目障りだから取り除こうとしただけだよ」
そこで眉を下げて苦笑に変え、幼女に顔を近づけて囁く。
「それなりに気遣ってみせたのに。僕を責めるのかい、君は?」
「……相手は子供なんだ。そう威嚇せずとも、少し『叱る』だけで良かっただろうに」
「子供というなら、それは君もなんだけれどね? ――ああ、そこの。ダークエルフとエルフの子、だったかな。君は、この『さなぎ』を連れて家の中へ戻るといい。解呪は済んだけど、かなり消耗しているから適度に看てあげて」
「そ、……」男に話しかけられたアルは若干青い顔で頷き、それからミゼラティを窺うように見る。
「ああ。この子を頼む。呪詛は完全に消してあるから、伝染の心配はない」
震えの残るアルに拾い上げた『さなぎ』を手渡しながら、淡々と話す幼女――ミゼラティは、日が沈む前とはどこか違っているように見えた。
微かに覚えたのは、違和感。
だが、何に対してなのかは分からない。
「わ、……わかり、ました。あ、あの、……ミゼラティ様!」
「……何だ」
「俺たち、貴方の食糧庫を開けて、中のものに手を付けてしまいました! ……すみません!」
「ん? ああ……、……ああ、そうか。やはりエルフの技量だと解錠されていたか」
「すみません、盗むつもりはなくて! でも、母上の体調が悪くて、俺、手持ちとかも無くっ」
「謝罪は要らない。腐らせずに済んで良かった。……開けたのは全部か? 五つあっただろう」
「いえ……一つだけ、です。残りは母上でも解錠が難しかったらしくて……」
「そうか……成る程」
申し訳なさそうにアルは項垂れるが、ミゼラティは胸の前で両腕を組んで別のことを考えていた。
出掛ける際にミゼラティは実験も兼ねて、食糧を小分けして保存庫に置き、それぞれに五種類の異なる『鍵』を掛けていたのだ。
一つは、自身の技量を上げる為。
もう一つが、一応の盗難対策として。
結果、それらは測定器の役割を見事果たし、現時点における自身の技量を教えてくれたのだから咎めるつもりはない。
そもそも、彼らに待機を命じたのはミゼラティであるし、解除出来なかった分、彼らは食糧が足りずにひもじい思いをしたかもしれないのだ。
故に、今ここで返すべきは一つ。
ミゼラティは軽く息を吐き、アルに告げる。
「残り四つはこちらで解除しておこう。中身を君たちに進呈するから、消費しておいてくれ」
「え、で、ですが、ミゼラティ様……たち、の分は」
「別の後始末が不完全だから、こちらには戻るのはもう少し後になる。水は外にある泉――というか水溜まりだが、清水で無限に湧くようにしてあるから、そちらを使用してくれていい」
「あっ、ありがとうございます! あの、何か手伝うことは」
「特には。適度に家の掃除をしておいてくれると助かる。棚の方には一切触れないでくれ。あとは……路銀の足しになるものや、外界に繋がる扉を――」
「――水と食料だけで結構です、高貴なる御方」
声は家の方から聞こえた。
視線を向ければそこに立っていたのは、長い髪をした美麗なエルフ。アルの母、ルーンだった。
ミゼラティがそちらに視線を向けるのと同時に、ルーンが恭しく跪く。
深く頭を垂れたルーンに、ミゼラティは薄い微笑を浮かべる。背後に立つ赤い髪の男と同じ笑みを。
「怪我の方は良くなったみたいだな。……レインのほうは?」
「疲労困憊しておりますが、安らかに眠っております。この度は有難うございました、高貴なる御方。……真たる紅緋の御方にも、御礼を申し上げます」
アルもまた、今度は――今度こそはその場へ傅いて、頭を下げた。既に思い知っていたが故に。
我が子の礼儀に目を細めつつ、ルーンが顔を上げて告げる。
「金銭はこちらで調達致しますし、呪言無き今は魔法を行使出来ますので、ミゼラティ様たちはどうぞ我らに構わずご自由になさって下さいますよう」
「……そうか。分かった――」
ここでミゼラティが背後を見遣る。
視線を受けた男が赤い髪を揺らし、微笑みながら首を傾げた。
「その目は何かな?」
「…………君も同行するのか?」
「しないと思う?」
「……」
はあー、とミゼラティが疲れたように息を吐いた。
前に向き直ると、独り言のように零す。
「置いては行けなさそうだな。仕方ない」
片手を振って、錬成し直した黒外套を出現させる。それを羽織ると、赤い髪の男に向かって口を開いた。
「では、共に行こうか――アズマ」
「そうだね黒耀石」
「その呼称はどうにかならないのか」
「はは。良いね、その嫌そうな顔」
そんなやりとりを交わしあった次には、ミゼラティと赤い髪の男――アズマ、とミゼラティは呼んでいた――は、その場から霧のように姿を消していたのだった。
埋木に咲きしは解語の花




