1-39 緋色の枷4
狂気じみた絶叫はすぐに消えた。
何故なら、赤い髪の男がそれらの一声を耳にした途端にうんざりして、魔術による隔離を行ったが故に。
人をすっぽり覆った長方形の箱は赤水晶で出来ており、煌々と赤い。
血の色を思わせる箱の表面は半透明で、中にいる一対の男女が凄まじい形相をしているのが水晶越しに見える――思いの外、はっきり見せてくれていた。
箱の中身の彼らは、心臓を貫通している槍の痛覚――表情から、激痛であることが窺える――を受けて、大きく口を開けた格好で空を見上げている。
生きたまま串刺しにされている姿は、まるで鳥の速贄。
槍が刺さった箇所からは、血が一切噴き出ていない。どうやら箱の方にも何かの術が掛かっているらしく、内部は清潔さを保ったままで、それが一層強い不気味さを感じさせる。
美しくも禍々しい芸術品。
ミゼラティは苦い顔で箱の外側のみを見つめ、内心で愚痴を零す。
(絶対に用途を間違えてるよなあ……、……勿体ない)
しかし、抗議する声を今は持ち合わせていない。言いたいことは多々あれど、そこまで通したいものでもないので傍観に徹しておこうと考えた。
(術の構成が複雑すぎて、今の私では手に余るしな。そもそも、彼らを解放したところで……)
嫌々ながらも箱の中身を一瞥し、直ぐに視線を逸らした。
中身である魔女と暗愚王の状態は変わらず、非業の死手前の表情で絶叫している。
自業自得の結末ではあるので、同情はあまり湧かない。彼らの手に掛かった大人と子供の数を考えれば、まだ甘いほうなのだから。
それにしても、とミゼラティは箱に意識を向ける。
(本当に綺麗だな……欠片でもいいから、譲ってもらえないだろうか)
現実逃避したくなるほどの美しい水晶に、ミゼラティがつい向けるのは純粋な興味。けれど「中身」のほうは決して見返すことはせず。
危うきに近寄らず。そう思い、気配を潜めて静かに美術品(外側のみ)を鑑賞していたミゼラティだったが、その「潜伏」も残念ながら失敗に終わる。
興味対象から外れてはくれなかったらしく、男が箱から視線を移して話しかけてきた。
「うん、こういうのは良いよね。無血開城――と言うのだっけ」
無邪気そのものといった声音で、男が微笑む。
「合ってるよね?」
子供のように首を傾げて問いかけてきた目に、悪意や敵意はない。
ああ、そういうことか。
ミゼラティは得心する。
魔女ファランユが赤髪の男の危険性に気づかなかったのは、この男のほうが彼らを「見ていなかった」からだ。ミゼラティは、自分のほうに親しげに微笑みかけている相手の様子を、そっと窺う。
この男は、彼ら――特に『魔女』のほう――に対して不快感を示したが、そもそも大して興味はなかったのだろう。
それだけの関心しか持っていないからこそ、あのような形で片付けたのだ。
昆虫をピンで留めて標本にし、箱に入れて飾る……という思考であったなら、まだマシだった。「人」として興味対象になった、ということなのだから。
だがこの男は一握の関心すら抱かず、魔女と王を単なる「物」として見ていた。
結果、彼らはこの緋色の箱のオブジェとなる。
赤槍で貫いたのは、そこへ留める為。
箱に入れたのは、煩くて邪魔だったから。
外装が赤水晶なのは、ただの趣向。
そんな雑な理由で作られた芸術品であるからこそ、男はもう見返すことなく、気にも留めていない。苦悶する男女が赤い髪の男を見るやいなや激しく首を振り、脚を踏み鳴らし、箱の内側から何かを必死に訴えかけているというのに一瞥すらもせず、ミゼラティにのみ話しかけてくる。
どこか価値観の違う、未知数の存在。
偽者とはいえ凄まじい魔術を揮った『災禍の魔女』を、いとも容易く「大人しく」させた美しい男。
煌々とした妖艶たる緋色。
――そこまで考えた時、抱いていた謎が拓けたミゼラティは「あ」と声を上げそうになった。
(違和感の正体はこれか! ……そうか、だから――いや、待て。じゃあアレも……!)
見つけたばかりの真実を前にそのまま顔を覆いたくなったが、火傷以上の重傷を負っている状態では難しく、顔を僅かに顰めるだけしか出来ない。
(だとすると、私は……いや、今は後だ。それにしても……何故だ? 何故、偽魔女の『奇跡』などにわざわざ……幾ら気紛れにしても……)
芋づる式に湧いて出てきた、起因や奇縁。ミゼラティが思考に集中して黙り込んでいれば、赤い髪の男が訝しげな顔をする。
「……君、どうしてそう静かに――ああ、そうか。そうだった」
反応しない相手に、男が柳眉を顰めて諌めようとするも、ふと何かに気づいたらしい。
焦げて赤黒くなっているミゼラティの左半面にその手を伸ばし、手の平をぺたりと押し当てた。
「……っ!?」
冷たく滑らかな感触に、ミゼラティは身を強張らせる。
輝く赤い箱。その中にいる凄まじい形相の男女を視界の端に捉えつつ、何をされるのかとミゼラティが息を詰めていれば、無遠慮だが繊細な手つきにて軽く撫でられたので驚く。
え?という顔を向ければ、男が目で笑って囁いた。
「じっとしていて」
何を、とミゼラティが問うより早くに男が顔を近づけ、あろうことか焼けた左半面に唇を寄せてきた。
反射的に身を引こうとすれば――「ほら。動かない」と、まるで子供に言い聞かせるような口調で咎められる。
静かな声音の叱責。それと同時に全身が固まるのを感じて、ミゼラティは息を飲んだ。
不自然に強張る自身の体を見下ろすも、そこには何もない。……何も無いのだが、真に目を凝らせば薄っすらと赤い鎖らしきものに拘束されているのが見えて、天を仰ぎたくなった。
(あああ……これは失伝の『縛鎖貫牢』! いや、まあ、予想通りなら納得――いやいやいや、それよりもこの方は一体なにをし)
――かつり、と。
何かを噛むような、もしくは食むような音が聞こえた気がした。
硬直するミゼラティの耳に、不可思議な音は続く。
かつ、かつ、かつ。
乾いたものを剥がすような。
しゃく、しゃく、しゃく。
細かく噛み砕くような。
聞き間違いでなければ、それは咀嚼音。
(なっ、たっ……食べっ……!? いやでも痛みはないっ、がっ……!)
痛苦の類は一切ない。それよりも間近からの不可解な咀嚼音は怖気を呼び、ミゼラティを混乱させるのには充分でいた。
状況を把握しようにも、見えない拘束を受けている為に視線を彷徨わせることだけが唯一の手段。
なので、どうにか自由の効く顔を動かそうとすれば――。
「まだダメ」
顎を軽く掴まれ、すぐ耳の横で妖しく声が響いて止められてしまう。
「すみ、っ――」
「声もまだダメだよ――いや、そうだね。そっちからいこうか」
どこへ。なにを。
心の中でしか問えない疑問は、直ちに解決された。
「ぇぐ」
顎を掴む手に、上向かされる。
そうして軽く仰け反ったミゼラティの喉に、触れるものがあった。
思わず漏らした自身の声は無意味な音でしかなかったが、ミゼラティは自分の耳が拾い上げるそれとは別の、全く違う何かが、喉に食らいついたらしい男の立てる咀嚼音だと気づくのに遅れる。
――それは表現しがたい音だった。
悍ましい音がしている。
水音、粘着質の何か、骨を噛み砕く音に似て。
呼吸音は聞こえない。せめて獣が肉を食らうようなものでいたなら、どれほど良かったか。
「う、ぁ……っ」
奇怪な音を聞きながら、ミゼラティはヴァイスリヒトたちの気配を探る。さすがにこの状況をどうにかしてもらえないかと合図を送ろうと考えたからなのだが、すぐに断念することとなる。
視覚感知に、赤い点が三つ。彼らもまたミゼラティ同様、赤い拘束を受けてその場に留められているのが、感知した魔力の流れで窺い知れた。
ミゼラティは一重だが、彼らは頑丈に巻かれているのか絡んでいる魔力が多い。
(……何重巻きだろう。長兄殿とヒューグが特に酷いのは、警戒でもしているのか? この方が? ……しかし、こんな拘束状態だと動きたくても動けないよな)
気配感知で伝わる、彼らの焦燥と苛立ち。このような目に遭っているのは自分だけではないのだと理解したミゼラティは、それを知って安心――しかけて、そうじゃない、と緩く首を振る。
一先ず自分の拘束だけでもどうにかしよう。
そう考えたミゼラティは、赤い鎖に意識を向けた。不快な音が気にならないよう深く集中しよう、と意気込んで拘束呪に触れたのだが、その決意は無意味となる。
(失伝魔術だが……うん、式は見えるな……綺麗な構築だ。それに、無駄なく敷いている……)
拘束術を調べ、眺めるミゼラティからはいつしか焦燥も怖気も失せ、夢中になって呪を眺めていた。
ただただ赤い髪の男の仕掛けた呪縛の見事さに感嘆し、構築された箇所をゆっくりと眺めるついでに解いていく。
(小さい構築なのに、それでこの威力か……なるほど、相似している箇所を二重で括って……容量の削減……そこへまた固定する式を……はあ、凄いな……そうか、こういう書き方もあるのか……)
一つ一つ呪鎖を解きながらミゼラティが鑑賞に溺れていれば、不意に咀嚼する音が途切れる。
「何か面白いものでも見つけた?」
ぞっとする程に色気のある声が、ミゼラティの耳元で響く。
しかしミゼラティは身震いもせずただ素直にそれを受け取り、声のした方へ視線を向けて微笑んだ。
「ああ。貴方の魔術の中にある、美しさを」
すれば男が目を丸くして――「ははっ」と短く笑った。
眉は下がっていたので、苦笑したのだろう。ミゼラティの目尻を指先で撫でると、顔を近づける。
「そうか。それは良いものを見つけたね。……体や声に違和感はないね?」
「え? ……あ」
問われて、ミゼラティは左半面の火傷どころか魔女の火によって受けた被害の全てが、すっかり無くなっていることに気づかされる。
これは癒しの類ではない。事象の消失とでもいうのか。
「……やはり、貴方は――」
謎の正体を口にしようとしたその時、男がミゼラティの唇を指で押えて止めた。
「今は、明確な真実は必要ないだろう。……じゃあ、今度こそ移動しても?」
「え?」
「君はよくよく訊ねて返してくるね。うーん……もしかして、まだ完全ではないのかな――」そんな事を呟きながら、男はミゼラティの顎を掴んで持ち上げると、再び喉元へ唇を寄せ――かけた、が。
ごきっ、と。
何か――骨のような?――硬いものが折れるような音が聞こえた。
ミゼラティは、反射的に音が聞こえた方角――ヴァイスリヒトたちがいる場所からだった――を振り向き、「ひっ」と短い声を零す。
どのようにすればそうなるのか。
とかく、彼らは強引に拘束呪を壊したのか解いたかしたらしかった。
凄まじい雰囲気を纏った男ふたりが、拘束を解いた状態で留められていた場所にいる。
彼らの腕や脚に見える、服飾のものではない赤黒い模様。合流した時には無かったそれは、もしや血ではないだろうか。彼ら自身の。
「なっ、んで、あんな……いつ、いつの間に怪我を」
茫然と呟いたミゼラティに、答えたのは赤い髪の男。
「僕の術を強引に砕いた結果だね。『報復』で骨が折れたんだろう。いや、自ら折ったのか……代償魔法でも使用したのかな。はは、凄い凄い」
「どっ、どうしてそんな危険なことを」
「うーん。僕が、君に何かするのではないかと思ったんじゃないかな」
今更遅いのにね?と苦笑する赤い髪の男の腕の中で、ミゼラティは酷くゆっくりとした動作で歩いてくる男二人を、引き攣った顔で見る。
その目には殺意を、表情には敵意を剥き出しにして。
片方は剣を、片方は黒杖を手にして臨戦態勢で距離を詰めてくる男二人の後方では、鴉たる少年がミゼラティに片手を振って安否を確認している。なので、一先ずそちらに対しては「大丈夫だ」と小さく頷き返しておいた。
それを見た『鴉』が胸を撫で下ろす仕草をしたので、ミゼラティは失笑する。側で男が笑う声も続いた。
「ふふ。あの子供は大人しくしているね。それとも、本能で理解しているのかな……理性で行動しないと、見誤るってことを」
「…………彼らは確かな慧眼を持っています。ですが、先程のは誤解しても仕方ないものだと思いますよ」
ヴァイスリヒトとヒューグウェンリルは馬鹿だと言われた気がして、ミゼラティは彼らを擁護する。
なにせ、彼らはミゼラティがこの男に「喰いつかれている」光景を目にしていた。
回復手段の一環として見るのはどうにも難しい、むしろ誤解しか招きかねない行動を見ていたからこそ、武器を手にして向かってきているのだ。
現状に回復してもらったミゼラティは、その真実を知っている。
故に、己が身を傷つけてまで自分を助けようとしに来た彼らに、憐憫の溜め息を吐く。
「取りあえず、誤解を解かないと。申し訳ありませんが、貴方と移動するのは彼らに説明してから――」
「話し方」
「……すみませ――すまない。だが、貴方の魔力に見惚れたものとして、幾許かの敬意を示すのは許してもらいたい」
「あっは。言うね。――良いよ。許してあげる。じゃあ、僕と一緒に出て行こうか?」
「え? あ、いや、あの二人の誤解を解いてからだと言っ」
「君の家で侵食が進んでいるものが、二つ。そろそろ危険だよ。下らない魔女とのやりとりで、時間を消費したからね」
「私の家で侵食、とは……――っ!」
何のことだ、と男に問い返すまでも無かった。
ミゼラティの脳裏を過ぎったのは、実験塔のレインとさなぎ。早く戻ってやりたいと願っていた存在。
ミゼラティは顔を上げると、応戦しようと近づいてきている男たちに向かって叫んだ。
「すまない、君たち! 私には火急の用がある故、この方と共に行く! 城内の救助者は全て解放しているので、君たちもここで一旦解散してくれ!」
「お待ち下さい、我が君! その方は危険かと!」
「その男と共に行くのは止めたまえ、お嬢さん! それは危険な存在だ!」
「はは。危険、ときたか。……あれらが、慧眼だと?」
くすくす笑いながらミゼラティを見る男の瞳は、美しい緋色に輝いている。妖しい色合いを見せて。
ミゼラティは男の肩口を軽く掴むと、己の額に手を当てつつ項垂れる。
「その辺りは……どうか、ご容赦を。私の身を案じる余り、己が愚言に気づいていないだけなのです」
「……話し方。……はあ。もう良いか。――うん、もう良いや。僕と一緒に行こう」
「はっ、はい。――鴉の子! すまないが、そこの二人を頼む! 私は別行動をと――」
最後まで語らせてはもらえなかった。
赤い髪の男がスッと横に引いた一文字が開き、男と共にその向こうへと消えたので。
「我が君!」
「ミゼラティ!」
悲痛な叫びが大広間に響く。いつの間にか赤い箱も消えており、後に残っているのは騎士と錬金術師と少年だけとなっていた。
「あー……なんというか、魔女の奴らも居なくなったんだしよ。俺たちもここから出ようぜ。チビなら大丈夫だろ。火傷とか治ってたようだしさ。…………俺の勘で悪いけど、チビは大丈夫だよ」
悲愴な雰囲気を纏ってその場に立ち尽くす男二人に、『鴉』の少年が慰めの言葉を掛ける。
(何で一番年下の俺がこんな気い遣ってまで、こいつらを宥めてるんだろうな)
いっそ、彼らは放置して自分だけでも城から出て行くか、と。
一瞬思わなかったわけではないが、それでも想像以上に気落ちしている年上組を置いてはいけず、どうにかこうにか宥めすかして大娼館へ戻るよう促すのだった。
死灰復燃え花が咲く




