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1-38 緋色の枷3

 


 すらりとした長身を少し前に傾けて、男は幼女に微笑んでいる。悪辣な王と魔女がいる王座へ、背中を向けた格好で。あまりにも無防備な姿で。

 今の状況を解っていないのだろうか?

 不審な乱入者ではあるが、こうして接触した以上は教えた方が良いかもしれない――そう考えたミゼラティが声を掛けようとした矢先、男が目を細めて囁くように言った。


「実に美しい人型の黒炭だ。持ち帰って、側に置きたいくらいなんだけど?」

「……」


 秀麗な男の口から出てきたのは、とんでもない台詞。

 静かな声で告げられたそれは、唐突な男の出現で静まり返っていた王の間では実に良く響いてくれた。

 ギョッとした気配が、ミゼラティの後方と前方から伝わる。もっとも、例の『魔女』だけはうっとりと喜悦の笑みを浮かべていたが。

 そんな奇妙な男の妙な問い掛けに対し、ミゼラティは首を緩く横に振っておいた。曖昧に頷き返すのは危険な予感がした為だ。

 男はというと、「そう。残念」と含み笑いを滲ませただけ。

 ちっとも残念がってはいない声音で。

 何かを楽しむ光を緋色の瞳に湛えて。

(……からかっただけ、か。……いや、この感じだと二割くらいは本気だった気がする)

 焼け焦げた幼女を見て「黒耀石(オブシディアン)」などと言い放った男だ。頷いていれば、即座に「お持ち帰り」されていたかもしれない。

 面倒くさがって適当な返事をしなくて良かった、と心底思う。


(そういえば……誰も割り込んでこないな。長兄殿たちはどこへ――ああ、いるな。移動させた場所にそのままだ)

 王座の間にはミゼラティ以外もいるというのに、他の声が聞こえてこなかった。

 赤い髪の男と入れ替わるようにして、皆は消されてしまったのではないか?――自分でも馬鹿らしいとは思ったが、そんなことを考えて不安になったミゼラティは、つい高位の魔術である『怠惰の鏡(プレギサ)』を使用してしまう。

 それは『災禍の魔女』としての力の片鱗だったが、焦燥に駆られたのだから仕方ない。用心の為に、四騎士であるヴァイスリヒトに気取られないよう、しっかりと力の調整はしておいたが。

 そうして『鏡』を使用した結果、彼らの存在と位置が確認できたので不安は解消される。

 どうも、ヴァイスリヒトたちは男の正体を探る為に、それぞれ言動を窺っているようだった。

 舞台の観覧客にでもなったかのように、動きや言葉の一つ一つを拾い上げ、掻き集め、何かないかと静かに秘密を手繰ろうとしている様子。ミゼラティの狂信者であるヒューグウェンリルですらもその場に留まり、ヴァイスリヒトと協力体制をとっている。


(……犬猿の仲っぽいのに、珍しい。……いや、まあ、仕方ないのか)

 恐らくは互いに顰め面をしているだろう二人を想像し、ミゼラティは内心で苦笑する。

 それから、目の前に意識を戻して――やはり、苦笑する。

(容姿の凄さもさることながら……、……とにかく気配が凄まじいな)

 赤い髪の男は変わらず道化めいた笑みを浮かべたまま、ミゼラティをじっと見つめている。

 引き込まれそうな美貌と、重厚な威圧感。この為に、観客たちは失態を侵さぬよう慎重になっているのだ。

 杖で体を支えながら、ミゼラティは短く息を零す。

 しかしながら、その吐息は憂鬱からのものではなく感嘆として。ミゼラティもまた他の者と同様、男から視線を離せない一人であったが、抱いていたのは畏怖でも恐怖でもない。

(混じりけのない緋色……明るいようで、暗くも見える。……不思議な色だな)

 乱入者はヒューグウェンリルと同じく腰まである長い髪を三つ編みにしているが、そこには格別な美しさがある。

 炎を閉じ込めたような鮮やかな赤は、宝石にすれば見事なものが出来るだろう。

 また、その髪は手で梳けば指の間を滑らかに通るが、無遠慮に触れれば酷い火傷を負わされかねない、そんな危うさがある美貌。

(背の高さは……ヴァイスリヒトと同じくらいか)

 しなやかな弓を思わせる細身は複雑な色をした黒衣で包まれており、飾り気がないのに豪奢に見えた。生地の仕立ても素材も良いのだろう。髪の色と相まって、一つの絵を見ているようだ。

 死の時間すら今は停滞している。

 艶やかな緋色に傅くが如く。


(……魔力の揺らぎや痕跡が全く見えないな。本当に、どうやってここに来たんだ。高位の魔法か、魔術か……、……まさか失伝辺りじゃないだろうけど)

 先程に使用した、千里眼にもなる『怠惰の鏡(プレギサ)』でも、男の正体は探れなかった。ミゼラティは焦げた枯れ枝が如く髪の間から、自分を見下ろして笑みを浮かべる男を見返す。

 美しい緋色。

 ミゼラティが忌避する炎の色彩。

 それらの持ち主である男の眼には、同情や憐みの類はなく――そこは別に構わないのだが――むしろ、強い好奇心の色が浮かんでいる。

 少なくとも、業火に焼かれた幼女に向けるものではない。

 遭遇直後に投げ掛けられた言葉を思い出したミゼラティは、焼けて強張った眉根を寄せる。僅かではあるが。

(それにしても……なんというか、気まずくなるくらいに見つめてくるな)

 ミゼラティは男に見惚れているが、あくまでも鑑賞行為であり正気を失ってはいない。

 強すぎる存在感と美貌は毒にもなる。今の満身創痍状態ならば、なおさらに。


「何を思案しているんだい、黒耀石(オブシディアン)

 男が更に上体を屈めて、ミゼラティの顔を覗き込んできた。強い不意打ち、美の強打を受けてミゼラティはぎくっとする。

(距離が! 近すぎる! なんなんだ、この対人距離感は! ……少し離れよう)

 居心地の悪さに堪りかねたミゼラティが、重い体を引き摺るようにして動きかけた時だった。

「――……っ!」

 焦燥のあまり、杖に寄りかかる角度と体勢とを見誤った。

 聖獣の角は硬質な床の上を横へ滑り、みじろぎしたミゼラティの体は大きく傾くことになる。

「し、まっ……っ!」

 息を飲んだのは誰だっただろう。

 ヴァイスリヒトが短く息を飲んで駆け出す気配と、ヒューグウェンリルが魔術を発動させようとする気配が、ひどくゆっくりと横へ流れる景色を見るミゼラティへ伝わる。

 焼け焦げた今の体は表面上は硬いものの、緩衝効果はほとんどないに等しい。

 このまま床の上に倒れ込めば、砕けるかもしれない。


 ――こんな形で灰になるのは初めてだ。

 まるで他人事のような感想を思い、失笑を零しながらミゼラティが近づく地面を見ていたそこへ――その炭色の体へ、何かが巻き付いた。


「そんなところで寝るのはどうかと思うよ」

 ミゼラティの耳元で、呆れた声が聞こえた。

 真夜中の夜色をした服と揺らめく炎色の髪が、視界を埋める。男がミゼラティを抱き留め、支えていたのだった。

「あ、……あ、ぃ」

 距離をとろうとした結果はどうあれ、助けられたのは事実。

 ありがとう、と礼を返そうとすれば男がちょっと肩を竦める。


「無理矢理に言葉を紡がないでよ。聞き苦しいから」


 呆れた様子で突き放した青年に、ミゼラティは二回目の絶句をした。

 いや、もう既に何度か言葉を失った状況を体験した気がしないでもない。

 ふと後ろを見遣れば、駆けつけようとしていた男二人は足を止めており、苦い顔でミゼラティと男を見ていた。手持ち無沙汰になったこともあり、憮然としている。

(……心配かけてばかりだな、私は)

 ミゼラティが心の中で手を合わせて謝罪していれば、赤髪の男が首を傾げて冷笑を思わせる笑みを向ける。


「もしかして、彼らに支えて欲しかった? 間に合わないのに? ああ、それとも……砕けて粉塵になりたかったのかな」

「そっ、……ことっ……」そんなことはない、とざらつく声を上げようとすれば、目の前に向けられる手の平。

 制止の意味を含んだ仕草に気づいたミゼラティが口を閉じれば、男が艶然と笑みを浮かべて頷く。

「うん。理解が早いね。そう、不快は重ねないほうがいいよ」

 そんな事を言いながら、男が唐突にミゼラティを横抱きに抱え直した――そこへ、高らかな嘲笑が一つ。


「どこからやって来た小鳥なのかは知らないけれど、とてもキレイなのね、お前。名は何と言うの」

 男の背後、王座から投げかけられたのは居丈高な魔女の問い。

 しかしながら、男は振り向かない。

 ミゼラティに視線を留めたまま、軽く首を傾げて会話を続ける。

「随分と深くまで焼かれたものだ。でも、生きているのだから見事だよね」

 あはは、と笑う男は変わらずミゼラティだけを見つめており、魔女を全く気にしていない。

 魔女ファランユは、当然ながらそれを侮辱だと受け取った。

 口元を歪め、手首に填めた腕輪をなぞる。

「遠くて聞こえなかったのかしらね? チャンスをあげるわ。そこのお前、こちらを振り向きなさい。そして、名を言うのよ」

 声に明確な苛立ちを混ぜて、魔女が王座から――暗愚王の膝上から下りた。かつり、かつりと靴音を立てながら大理石の床を歩いて向かうは、いまだ背を向けている男のもと。

「耳が聞こえないわけではないでしょう?」

 男から返事はない。振り返ることもなく。

「…………そう。軽くお仕置きすれば聞き分けが良くなるのかしらね」

 ぎりっと歯を噛みしめる音すら聞こえそうな形相で、かつかつと歩いていた魔女は警戒も兼ねて男から数歩離れたところで足を止める。

 そして、宣言と共に腕輪を填めた手を男に向かって突き出した。


「そこの炭娘みたいに、お前も焦がしてあげるわ――焼けておしまい!」

「……っ」

 苛烈な魔力が収縮し、地面に集まるのをミゼラティは感じた。

 自分が攻撃を受けた時と同じ状況に、あぶない、とミゼラティが男に警告を出そうとすれば――。


「――不快は重ねないほうが良いって、言ったよね?」


 男が、ぞっとするほどに綺麗な微笑を浮かべるのをミゼラティは見る。

 それと合わせて、感知していた熱源が、魔力が消失した。ふうっと蝋燭を静かに吹き消したように。跡形も無く。

 焼けて歪んだ顔に疑問符を張り付けているミゼラティに、男は深く妖しい微笑を崩さないまま口を開いた。

「ああ、そうだ。君を雁字搦めにしていたものは、全て白い家のほうへ放り出しておいたよ。これで君の枷は外れたんだよね? 僕と一緒に出て行けるね?」

「え、っ……ぁ、……の?」

「うん? まだ何か?」

 白い家とはもしやシスター・フィリアのいる教会のことか。白い花の咲く小さな聖庭。

 しかし……放り出す? 枷? まさか救助者たち全員を転送してくれた? ……なぜ?

 矢継ぎ早に告げられた会話の転換に、ミゼラティは強張った瞼を震わせて戸惑う。そんなミゼラティの表情の変化に気づいた男が、どうしたのかと訊ねかけたその時――ごうっという音と共に、すぐ横を何かが横切った。


「…… 火矢(ファイアダーツ)?」

 男はそれを見もせずに回避したものの、自然と横へ流れた髪が、三つ編みの先が、火に少し掠めてしまい軽く灼けた。

 男の眉が微かに動く。そこでようやく、ゆらりと魔女の方へと振り向いた。

 腕にミゼラティを抱えたまま、奥の王座にいる暗愚王から手前にいる魔女へと視線を流し、溜め息を零す。

「さっきから何なのかな、君は。僕はこの子と会話をしているんだけれど?」

 柔らかで退屈そうな声音。だが、緋色の瞳に冷たい炎が揺らめいていることに果たして魔女は気づいただろうか。

 いやいや、気づかぬわけがない。

 この場を支配するが如く展開されている、冷たい気配。

 災禍の魔女を仕留める四騎士、至上の剣であるヴァイスリヒトでさえも酷く警戒していて動けないこの揺らめく妖気。

 偽魔女ファランユは開花しなかった錬金術師のようだが、今は妖魔の装飾具を扱えているのだ。


 だから、この凶悪な危険性を感知出来ている……はず、なのだが――。


 男の眼差しの意図を、されど魔女は読み取らず――読み切れず?

 しなやかに動かした手で口元を押さえて、くすくす笑った。

「お前に相応しいのは、このアタシ。そんな、路地裏の隅に転がっているような薄汚い子供なんか放っておいて、コチラへおいでなさいな。アタシと遊びましょう」

「……薄汚い子供、というのは何のことだい?」

 冷えた目で、男が魔女に訊ねる。相変わらず柔らかな声で。

 魔女は上辺の親しみに気を良くしたのか、唇の両端を持ち上げて深く笑む。

「お前が腕に抱いているソレの他に、何か醜いものがあって? ……あら。まだ息があるようね」

 黒く凝った髪の間から覗いているミゼラティの視線にわざとらしく気づいた振りをして、魔女が腕輪をそろりと撫でる。

 煉獄の気配。鼠をいたぶる猫の瞳が嗜虐にて輝く。

 魔女ファランユは煤けた子供を見据え、すいと指先を突き付けた。


「目障りだから塵散りにしてあげるわ、お嬢ちゃん。――今度はもっと強い火でね」

 ギクリとしたのは、ミゼラティ――ではなく、様子見をしていた男たち。

 ヴァイスリヒトとヒューグウェンリルがひっ迫した形相で再び動き出し、魔女に向かって攻撃を仕掛けようとした。


 ――ふうっ、と。

 溜め息のように深く青い闇が広がった。


 ミゼラティは自分を抱き上げている男の腕の中で、男の美貌が凄惨なものに変わる様を見る。

 灯りひとつない闇夜の中で一瞬だけ覗いた月を思わせる、冷たい微笑。

 男が軽く首を傾げて赤い髪を微かに揺らし、魔女に向かって嗤ってみせた。


「実に不快で不愉快だな、君は」

 青い闇を滑る一直線の真緋。引き絞った矢が放たれるようにして向かった先には、一人の女がいて。


 トスッ、と音がした。

 魔女ファランユに対する男の存在価値を表すが如く、軽い、軽すぎる音だった。


「え」

 音と衝撃を追って視線を下げた魔女は、自身の心臓がある辺りから真っ直ぐに伸びる緋色の一線を見つける。

 それを確認したのか、赤い髪の男がまた、ふうっと息を吐いた。

 青く深い闇が引き、元の王座の間の色を取り戻す。

 茫然とした様子で佇む魔女の串刺しの姿が露わになり、声を上げたのは王座にいた男。


「ファランユ!」

 血相を変えた暗愚王ドゥラクが魔女の元へ駆け寄る。

 途中の段差で躓き、転びかけながら串刺しの人型に辿り着いたドゥラクは、こわごわと魔女に突き刺さっている緋色の槍を抜こうと手を伸ばしたが――「ヒッ!」と悲鳴を上げて手を引っ込める。鈍い色をしたその槍はとんでもない高温でいたので、不躾に触れようとしたドゥラクの手の肉を簡単に焼いたのだ。

「あなた、なにを…………あら? これは、なに? なんなの?」 

 ドゥラクの行動を見ていた魔女ファランユは眉を顰めて侮蔑の表情を浮かべたが、その原因が自分の胸を貫いている緋色だと気づいて訝しむ声を零す。

「いつの間に、こんな……お前、何をしているの。とっととこれを抜きなさい」

 魔女が、王の顔をすっかり失った暗愚なる男に命令を飛ばす。ドゥラクは赤黒くなった自分の手の平を一瞥し、首を横に振る。

「無理だファランユ。わ、俺には無理だ。熱すぎて掴めない!」

「……この、役立たず」

 ドゥラクの無能さを早々に悟った魔女は舌打ちでもしかねない顔で睨み付け、己の力の源でもある腕輪に指先を滑らせる――が。


 ぱきりと小気味のいい音が響いたのに合わせて腕輪にヒビが走り、そうして――あっという間に砕け散ってしまった。

「え?」と同じ言葉を繰り返して、ファランユは腕輪をなぞろうとするも、ただ自分の肌に触れただけ。自分の肌を撫で上げただけ。


 魔女の力は跡形も無くなり、後に残ったのは魔女――ではなくただの女と男が、一人ずつ。

 ファランユもドゥラクも驚きの表情でお互いを見つめていたが、そこへ静かで柔らかな声が届く。

「なんだ、君たちは番か」

 男と女が同時に声のしたほうへ視線を向ければ、冷酷な目をした赤い髪の男が美しい緋色の瞳を笑みの形に細めて優しく告げる。


「じゃあ、お揃いにしてあげないとね」


 ドゥラクは、トスッという軽い音をすぐ近くで聞く。

 音の発生元は心臓がある箇所だと分かってはいたが、脳が現実を拒絶した。それ故にしばらくの間その視線はあちこちを彷徨っていたが、やがて恐る恐る目を落としたそこ――自分の胸を緋色の槍が貫いている光景――を目にして発狂する。

 遅れて、力を失ったファランユも同様の悲鳴にて追いかけ、赤髪の男に最上の愉悦を捧げた。



一つを殺して得るのは多いなる生

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