1-37 緋色の枷2
とっさに体が動いた。守ろうとして。
それは退魔の白銀であり、運命の宿敵であったけれど。
それでも、彼が偽りの『災禍の魔女』に殺されるのは許せなかった。
◇ ◇ ◇
(せかいがあかい)
自身を包む緋色を、ミゼラティは他人事のように見つめていた。
高温の火によって筋肉を硬直させられている為に、すぐには動けない。
許されているのは、轟々と自分の体が焼けていくのを眺めることだけ。
懐かしい光景が、陽炎がかった視界の向こうに浮かぶ。
(あつい――)
何度も見てきた逆さ十字の磔刑場。
けれども、石や十字架は飛んでこない。
他人からの罵声や嘲笑も、聞こえない。
ぱちぱちという、喝采に似た火の爆ぜる音が聞こえるばかり。
何度も繰り返したあの時のように、一人きりで燃えている。
(……いつもとおなじせかい)
声は上げなかった。――上げられなかった。
何故なら、体を貫いた火によって焼かれた喉から零せたのは、ひゅうという一息のみ。
(…………にいさま――)
誰からも手は差し伸べられず、何にも手が届かない。
火が包む。悲に包まれる。
――ああ。どうしてこの手はすくえないのだろう。
(あかいせかいがきえている)
嘆願も哀願も届かなかった過去を懐かしんでいる内に、燻っていた火は鎮まっていたらしい。
後に残ったのは炭色の人型。ボロボロになったそれはぐらりと前のめりに傾いたが、辛うじて掴んでいた杖で支えることで転倒を防いだ。
――がつん、と。
床を突いたその音が合図となったのか。
ミゼラティは現実へ意識を戻し、我に返る。また、愕然と佇んでいたヒューグウェンリルとヴァイスリヒトも大きく息を吸い込み、叫ぶことが叶わなかったミゼラティの代わりに絶叫した。
「我が君っ……!」
「お嬢さん――っ!」
「チビ、――っ、……っ!」
珍しく蒼白な顔をした二人の過保護者が、もうもうとくすぶる炭の像へ駆け寄ってくる。悲痛な声を上げながらも、警戒の為に名は明かさないということを守って。
鴉たる少年も二人と同じ行動をとろうとしたが、すぐに口元を引き結ぶと地面に足を縫い付けたようにして、その場から動くことはしなかった。
それは監視の目を引き継いだが故。鼻先を掠めた肉の焼ける匂いに眉根を寄せつつ、忌まわしき魔女を睨み付ける。仲間を傷つけたことに対する怒りを込めて。
当の魔女といえば『鴉』の殺意など意にも介さず、嘲笑を浮かべていたけれど。
「私の声は聞こえるか、お嬢さん。いま治癒を――」
煤色をした人型に騎士が近づき、焼けた表皮に触れようと手を伸ばす。
「――……る、な」
しかし、その手が触れる前に人型は――体勢を整えたミゼラティは杖を持たぬほうの手を上げ、壁を作ることで相手を制した。
ゆらりと顔を上げ、業火にて枯れ枝と化したかつての黒髪の隙間から覗く瞳が示したは接触への拒絶。
「君は、……っ、ああ、私は……」
ヴァイスリヒトはその反応に悲痛な表情を浮かべる。
けれど、ミゼラティの警告に思うところがあったのか伸ばした手を引いた。
自然発火ではなく魔力火だと、一部の高級品を除いて治療効果がない上に、火による怪我は早々に治療に取り掛からないと痕になって残ってしまう。
だからこそ、ヴァイスリヒトは急いでミゼラティを治療しようと手を伸ばしたのだが――視線の警告を受けて、我に返ったのだ。
なにせ杖を握るその手は辛うじて形を成しているが、もう片方は黒ずんだ棒切れになっているので勢いよく掴めば崩れてしまっただろう。
そんな事すら見落として、自分はその腕を掴もうとした。制止した彼女を叱責しようとも考えた。
そのような姿勢で治療に取り掛かろうとしていたのだ。自分の心配を強引に押しつけるようにして。
(私は愚かにも彼女を傷つけてしまうところだった――)
誓約を破ろうとした己に、騎士は静かに打ちのめされる。
◇ ◇ ◇
(……今のは何の幻視だ? これもあの魔女の攻撃だった? いや、それよりも――)
ゆるゆると息を吐いて正気を取り戻したミゼラティは、反射的にとった己の行動を思い出して臍を噛んだ。
(……少し露骨すぎたな。でも――仕方ないんだよ、長兄殿!)
ヴァイスリヒトを見れば、治療行為を拒否されたせいか眉を寄せている。
優しい騎士殿。ミゼラティは罪悪感から目を逸らし、心の中で両手を合わせた。
(四騎士の特性上、君の治癒魔法は私には効かないんだ――なんて、言えるわけがないからなあ)
気遣いを無下にしたので申し訳ないとは思うものの、かといって妙な勘繰りをされては敵わない。
――なぜ治癒魔法が効かない?
――なぜこの状態で生きている?
――この子は一体、何者だ?
数珠つなぎに湧き出た疑問が収束し、最悪な答えを――災禍の魔女という真実を――導き出されでもしたら、どうなるか。
そんなのは決まっている。この身の破滅だ。
封印からの浄火によって炭から灰になり、そしてまた一から繰り返す。
それならば、せめて嫌な態度をとろう。
そうして、すっかり嫌われしまおう。
今のように可愛げなく好意を撥ねつけていれば、いつしか彼も構うのを止める……はずなのだが、どうにも上手くいっていないのが悲しいところ。
(でもまあ、これは『差異』の誤差だろう。私はいつも長兄殿や他の兄弟たちには嫌われていたから、覆りはしない筈だ。これが片付いたら、調整できる方法を考えよう)
そんな予定を立てながら、ミゼラティは視線をもう一人のほうへと向ける。
そこには、ヴァイスリヒト以上に沈痛な面持ちをした錬金術師――途方に暮れているヒューグウェンリルがいた。
片手を胸に当てて恭順の姿勢をとってはいるが、その端正な顔は青褪め、指先が震えている。
どうも、庇われたことに対して酷く憂いているようだ。
主を守れなかった下僕。ミゼラティの視線に気づくと、すぐさま頭を垂れた。
「お許し下さい我が君。我が身を即座に盾にすべきだったというのに、無様な木偶の棒でしかなかったこの愚者に、どうぞ罰を……っ」
「だ、っじ、……どっ、か……っ、間に、合……っ」
大丈夫だ、どうにか防御が間に合ったからな――と。
紡いだ言葉とは裏腹に、その結果は全くに正しくはなかったけれど、生きてはいるので間違いでもないだろう。どうにか絞りだせる程度には、声も出すことが出来ているのだし。
それもこれも、自分の危機感が実に良い仕事をしたお蔭だ。
ああ、三十六回も繰り返した死は無駄ではなかっ…………いやいや、この考えは間違っている。
そもそも、死にたいわけではなかったのだし。
ミゼラティは間違いかけた思考を整えながら、ヒューグウェンリルに笑みらしきものを向ける。
対しヒューグウェンリルはというと、ボロボロの格好のミゼラティが、それでも気遣う言葉を投げてきたことにますます表情を歪めていく。
眉を下げ、泣きそうな顔で首を振った。
「寛大なる我が君。ですが、貴方様を守れなかったことは大罪です。どうぞ過分なる罰を頂ければと思います」
「……そ、ぅ……っ、か、なっ……たし、とて……き、……っな」
そう悲観しなくていい。私とて、咄嗟に反応できたのは奇跡だ。だから自死で償おうとするな。
慰めと叱咤をどうにか紡いだ言葉は断片的なものだったが、うまく届いてくれたかどうか。
この錬金術師は狂信めいた忠誠心を持っているので、読み解いてくれるだろう。これ以上の戦力の低下は防いでおきたいが故に。
ともかく不穏な謝罪に釘を刺しておいて、ミゼラティは思考対象を切り替える。
(しかし……結構ぎりぎりだったな……)
魔女ファランユに指先を突きつけられた瞬間に、気配を察知して防御魔術を発動させていなければどうなっていたことか。
ヴァイスリヒトたちに施したのと同系の、それでも用心を重ねた更に上の強固なものでも、この有様だ。
絶対致死は回避出来たが、殺意が籠もった為か、それとも装飾品の効果か。
とにかく凄まじい威力の炎は防御殻を貫き、大損害を与えてくれたのだから怖ろしい。
(流石は上級妖魔の装飾品……無限の防殻をも貫通するときたか……。――さて、どうしたものだろうな)
落ち着いた思考とは裏腹に、実際の外見は焼け焦げ、爛れ、酷く乱れている。
掠れた呼吸が聞き苦しい。杖を握る手が見っとも無く震えている。
状況は違えど自身が受けたものは火刑であり、そのせいで過剰な特攻になってしまったのが痛い。
幾多も経験してきたというのに、火に対する恐怖を未だに拭えない己が腹立しいと思う。
体が、特に左半身の痛みがひどい。
どうも防御魔術を行使する際に立ち位置がずれたようだが、しかしそれ故に魔女の直撃を避け、火の即死を防いでくれたのだった。
ちっぽけながらも確かな幸運に、ミゼラティは焼けて強張る口元を歪ませて微笑らしきものを作る。
(腕は……動かないこともないな)
灰になるにはまだ早い。
絶望にもまだ遠い。
(こんなことなら、長兄殿たちもついでに移動させてもらえば良かったか)
ヴァイスリヒトたちと合流する前にした「密談」を不意に思い出す。
密談相手は、輝く火のような美しい髪をした子供。
彼は今頃どうしているだろう。
城内の雛と親鳥とを、全ての檻から出し終えてくれただろうか。
火に忌避感を抱くミゼラティが、逆にその緋色に見惚れるくらいには警戒心を解いてしまった不思議な子供。
交わした約束に強制力はないので、果たされなかったとしても仕方がない。子供の気分は気紛れなものだから。
利益や報酬といった話もしていないので、とっくにどこかへ行ってしまっていても責めることはしない。子供の性分は移り気なものだから。
(でも、あの子の場合は何だか許せてしまうな)
あの妖しくも美しい微笑を思い浮かべると途端に鬱屈した気分が晴れたので、出会い自体は無意味でもなかった。そう、思いたい。
ミゼラティは俯き加減だった顔を持ち上げ、顎を引く。
見るものは下ではない。
目の前、王座に居座る――『災禍の魔女』だ。
◇ ◇ ◇
「あらあら。素敵なお顔になったわねえ、キレイだったお嬢ちゃん」
顔を上げたミゼラティに、魔女が王座より投げたのは嘲弄。ボロボロになった幼女を眺め、その焼け爛れた半分に視線を留めて唇を吊り上げる。
「お前はそれでいいのよ。ヒューグウェンリル様に生意気な態度をとったのだから」
アハハ、と白い喉を仰け反らせて笑う魔女ファランユに、真っ先に反応したのはミゼラティ――ではなく、左右にいた過保護者たちだった。
「…………図に乗るなよ、醜悪な愚物が」
ヒューグウェンリルの声は静かではあったが、地の底を這うような冷たい殺気が籠もっていた。
「……魔女よ。お前の境遇に同情はしよう。だが――情けをかけるつもりはないと知れ」
ヴァイスリヒトも氷の刃が如く声で、魔女に対する殲滅宣告を口にする。
「ま、……っ、ふた、も……き、……っでは、……っ」
待て二人とも。君たちでは上級妖魔の力を防げない。
焦がされた気管に混じる灰と血の味に顔を歪めながら、ミゼラティは声を絞り出した。
そんなミゼラティにしかし二人は優しい笑みを見せ、それぞれ武器を構えて立ち向かう準備に取り掛かる。
――それは死の覚悟した者が見せる表情のようでいて。
(いやいやいや、待て、待て待て待て! 君たちが灰になってどうする……!)
今のミゼラティの状態では先程のように素早く魔術を扱えないので、彼らの補助をすることが難しい。
多重の防御殻すらも貫いた、あの核熱。
ヴァイスリヒトには四騎士の加護と特効があるが、相乗された上級妖魔の力までは防ぎきれない。
ヒューグウェンリルのほうも格別な魔術を持っているようだが、玉虫色の美しい膜はあの火を包み込めず、焼き払われてしまう。
そんな予測を確定する程に、あの力は凄まじかった。実体験者が言うのだから間違いない。
(せめて上級妖魔の名前が分かれば。そうすればまだ、勝てる見込みもあるんだが)
実は契約の解除ではなく、契約の解放ならば「報復」は発動しない。
解放した場合は、上級妖魔の力を「理解できた」という証明になる為に、赦されるのだ。
弱者救済に似たその抜け道は、至高者の残した戯れ。
だが「解放」は怖ろしく難解で、とてつもない集中力が必要になる。
(魔術だと練度不足だが、智慧のほうならば確か練度は関係ない筈――っ、マズイ、ヴァイスとヒューグを止めないと)
ミゼラティは覚悟し終えた二人が死出に向かおうと動いたことに気づくと、思考を中断して慌てて引き止めようと口を開く――。
その時、ぞっとしたものが身体を、その場を駆け抜けた。
「待ったかい、黒耀石」
魔女と幼女の正面、ちょうど中間点にそれは姿を現した。
突然に、前触れもなく。
――気配は全くになかった。
凄まじい美貌を持った男が、ミゼラティのほうを振り返る。
そんな男を見て、ミゼラティは口を空けたまま固まる。
死へ対峙しようとしていた男たちもまたミゼラティと同じく、呆気にとられた様に動きを止めていた。
止まる時間。
男の赤い髪が、まるで炎のように揺らめく。
生は難く死は易くとも足掻くもの




