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1-36 緋色の枷1

 


 艶やかな灰青。霧色の髪をした男が変わらぬ姿で前方にいるのを、魔女は恍惚とした表情で見つめる。

 上等な素材であることが遠目からでも窺える、複雑な色合いをした膝丈の黒の外套。下はきっと、実験塔の時によく見かけた長袖のシャツに袖なしのベスト姿だろう。脚はスマートな長ズボンでいて。

 灰や鉄屑などで汚れた白衣やくすんだ貫頭衣しか身につけない同僚たちの中で、存在が際立っていた美しい男。

(綺麗な髪をしているのだから、後ろで三つ編みにしないで下ろしていればいいのに)

 赤い絨毯の向こうに立つ美しい同僚の冷たい目を見つめ返しながら、魔女は――ファランユは、心の中で不満を零す。


 ――ヒューグウェンリル。

 ある日、魔術師たちが集まる実験棟にふらりとやって来た出自不詳の青年。

 身分だけしか取り柄のない醜い同僚たちは「フール」と揶揄して蔑んでいたけれども、それらを全て冷ややかな態度と視線で跳ね付け、寄せ付けず、孤高の中で至高の研究成果を出し続けていた「偉大なるもの(ヒューグ)」。

 彼の技術は、いつも書物の向こうにあった。優秀を飛び越えた奇跡として。


 塔に来てひと月も経たぬうちに、難易度の高い人造生物の創造に成功していた。

 三角の天秤、丸いフラスコ、細い試験管。それらで見たこともない素材を混ぜ、練り合わせ、出来上がったのは美しい精霊や醜い魔物といった多種多様の合成生物。

 造物主であるヒューグウェンリルの命令に従う絶対の下僕。けれど、主人が飽きっぽいのか研究成果を書き終えた傍から破棄されていたので、どれも残ってはいない。闇市の商人辺りにでも売れば、良い資金源になったかもしれないのに。


 いや、一つだけ残していた。

 人型の人造生物……だったように思うそれは、まるで包装紙のように黒い外套がその身を包んでいたせいで相貌は窺えなかったものの、美しい黒髪が外套の隙間から零れて見えていたのだけは覚えている。

 しかし、それ以上は「覗き見る」ことが出来なかった。

 冷酷なヒューグウェンリルの一瞥と共に、扉の向こうを虹色の膜で覆われてしまったので。透視の鏡の代金分はここまでだとでもいうように。

(……あの道具、結構高かったのに。まあ、いいわ。あれくらいはすぐに稼げたし)

 町外れの酒場の二階。その一室。煙草と安酒と男の匂いが籠もったそこは、ファランユがその身ひとつで容易く金銭が得られる稼ぎ場であった。錬金術では無価値なものしか生み出せなかったファランユが、価値あるものとして売り出せた場所。

(宝石を作ることさえ出来ていれば、あんな薄汚い男の相手など――)

 当時の屈辱を思い出して少し頬を膨らませれば、視線の先にいる麗人が眉を顰める。

 ファランユはそれを、自分の美貌を向けなかったことに対する抗議だと捉えた。素早く魔女として美しい微笑みを投げ与えたのだが、彼の麗人ヒューグウェンリルはいっそう顔を顰めて冷ややかな視線を返したのみ。

 魔女の思考は当然ながら的外れであった。

 ヒューグウェンリルからすれば、偽魔女の百面相など興味も無い。

 ファランユはそれでも「そんなつれないところも素敵」などとうっとりして、ヒューグウェンリルの頭から爪先までを視線で愛でる。


(服装は当時と全く同じだと思ったけれど……よく見れば、衿の線が金糸から青に変わっているわ)

 高度な技術によって織られた特殊な衣服は、何かしらの防御魔法でも練りこまれているのだろう。低俗な同僚たちのつまらない「嫌がらせ」がある度に、塔のどこかで「チクショウ! 呪いを跳ね返して来やがった!」という叫びが時々聞こえてきたのも懐かしい思い出の一つ。


 だから、一年後に「ヒューグウェンリルが賢者の石を完成させたらしい」と聞いた時は大して驚きはしなかった。

(だって、彼なら当然だもの)

 音もなく静かに事を行う様はまるで暗殺者のようで、美しい彼に似合う偉業だとファランユは納得していたのだが、他の同僚たちはそうではなかったらしい。

 偽りがどうだの誤魔化しがどうだのと声を荒げ、賢者の石を見せてもらおうと騒いでいたのを煩く思った覚えがある。

 媚びを売り、賄賂を贈ろうと擦り寄ってきた同僚たちに、ヒューグウェンリルが惑わされることは決してなく、自分の研究室へ立ち入らせたりはしなかったし、成果を訊ねられても無言の蔑視だけを返していたので賢者の石についての真相は霧の中。

(あの馬鹿な男たちは、彼が不在の時に無理矢理に部屋に入ろうとしていたようだけど……結局、どうなったのかしらね?)

 鍵も無いのに何故開かない!だの、見えない壁が魔術を跳ね返してくる!だの、部屋の前で無様に喚いていた男たち。結局は、帰宅したヒューグウェンリルの、ゴミ以下の何かを見るような目を与えられただけだったけれど。

 やがて、他者の技術を羨み、妬み、妨害するか盗み出そうとしか考えない愚かな同僚たちに、彼がすっかり無関心になり、遂には完全に見限ったのも想像に容易い結末ではあった。


(出て行くなら、事前に声を掛けてくれればついて行ったのに)

 ヒューグウェンリルが塔から出て行った当時、ファランユは生暖かいシーツの上にいて、平凡ではあるが財産だけはたっぷり持っていた男のところにいたので何も知らなかった。

 その不幸を聞いたのは、平凡な男の資産を半分以上も頂いてから。

 ヒューグウェンリルが消えて半年余りが過ぎていたことを、ファランユは古巣である実験塔に帰還してから知ったのだった。

 実験塔に戻るなり急いで彼の部屋へと向かったが、強固な「鍵」が掛けられていたのでどうにもならなかった。

 腹立ち紛れに部屋の戸を滅茶苦茶に叩こうとしたその時、ファランユは隠し書庫の存在を思い出す。常習化しつつあった覗き見行為の中で知った、愛しい人の欠片。

 大したものは置いていないからと思ったのか、それとも単なる手抜かりか。施錠されていなかったそこへ、一人忍び込んだ。躊躇いなく。

 他の同僚たちは知らぬ場所。自分だけが知る秘密の園へ足を踏み入れたファランユが見つけたのは、胸の高鳴る宝石――などではなく。

 塵一つ、埃すらもない無機質な空間がそこにあった。がらんどうとして。

 ファランユはそこで施錠されていなかった意味を知り、顔を赤に染めた。怒りと羞恥で。

 そのまま立ち去るのは屈辱だったので、何かないかと部屋を見回し、隅々までを探り――血走った目が見つけたのは、小さな箱。

 手の平に乗るくらいの小箱は、温かいようで冷たいような不思議な感覚があった。

 これには「鍵」が掛けられていたので、ファランユは解錠を試みる。期待と失望と半々の気持ちで。開けられずとも、記念品として側に置いておこうと考えて。


 結果は――開いた。何の因果か、開いてしまった。

 ファランユは、その中身が鍵であるのを見て一瞬ばかり失望する。宝石でも賢者の石でもない、ありふれた形をした鍵しか見つからなかったのだから。

 けれども、不意にあることに思い当たる。

 至高の錬金術師ヒューグウェンリル。そんな彼の巣で見つけた箱の中に入っていた鍵が、つまらぬものであるわけがない。


 ――これは奇跡を喚ぶ「鍵」だ。


 愚かながらも錬金術師の端くれであるファランユが見出したのもまた奇跡の一つであったのかもしれない。

 そんな彼女の願いを叶えたのもまた、何かの因果であったのか。

 とかく錬金術師のなり損ないであるファランユが、災禍の魔女ファラーシャになりえたのはひとえにその奇跡であったのは確かな真実である。


 その魔女の目の前に、かつて望んだ宝石が――ヒューグウェンリルがいる。

 自分以外は下等生物だとでも思っているのか、温度のない視線は不偏のまま。

 昔ならきっと手が届かなかった。

 けれど――今は違う。

 回想を止めた魔女は、右手首にはめている複雑な作りをした腕輪を指の腹でそろりとなぞり上げて微笑む。


「お久しぶりね、愛しい人。どうぞこちらへいらして。高級なお酒をご馳走いたしましょう」

 そう誘いかけたのに、彼は何も答えない。

 その眼差しをますますキツイものにして溜め息を吐くと、うんざりとした態度を隠しもせずに、ふいと顔を逸らした。

 そんな彼の視線の先――その足元には、小さな影が一つ。

 青年二人と少年一人だけと思っていた魔女は、そこでようやく四人目がいたことに気づく。

 ヒューグウェンリルは、その小さな影と話している。距離があるせいで魔女には聞こえない何かを。

(何を話しているのかしら。こんなに美しいアタシを差し置いて?)

 どこまでもつれない人。――だからこそ従属させがいがあるというもの。

 魔女の瞳が怪しく光るも、四人目の小さな影――少女と呼ぶには小さな子供だった――と目が合った途端にそれは霧散する。

(あら。綺麗な子。でも……よく見れば女だわ。ザンネン。あの人の妹? ううん、違う。「玩具箱」に入れていた子供の一人かしら?)

 整った容姿の子供ばかりを入れたあの特別室には、一晩中愉しめるようにと厳選した玩具を入れた鉄の箱が置いてある。ヒューグウェンリルの側にいる幼女がその一人だとすると、あの箱は空っぽになってしまったのだろうか。

 折角集めたキレイな玩具が無くなってしまった? 

 魔女は眉を寄せて不機嫌になる。

(しっかりと「鍵」を掛けていた筈だけれど……、ああ、でも、あの人がいるなら仕方ないのかしらね)

 至高の錬金術師の手に掛かれば、難解な鍵も意味をなさなかったのだろう。

 そう考えて、魔女は機嫌を直す。愛しい男の手によって開かれたことに対する悦びとして。

(ふふふ。やっぱり素敵。いいわ、それくらい。目を瞑ってあげる。だって――)

 幼女を守るようにして立っている青年二人に視線を流し、淫靡な笑みを深める。


(だって、とびきり綺麗な玩具が二つもやって来たんだもの)

 魔女は己が椅子代わりにしている男には最早目もくれず、高級酒の代わりになるものを振る舞おうと右手首の腕輪に指を滑らせる――。



 ◇  ◇  ◇



「魔女のご指名だ、『凶鳥』。自ら進み出て、首でも機嫌でもとってくると良い」

「騎士殿は随分と歪んだ目をお持ちのようだ。そのような愚物は自ら抉り出し、そこらの傍石と交換してはいかがでしょう」

「喧嘩するほど仲が――」

「――良くねえだろ。逃避すんな、チビ」

 王座の間。視線の先にいる暗愚王と「災禍の魔女」を見ながら、ミゼラティたちは他愛のない軽口を交わし合う。

 余裕からではない。むしろ警戒はいっそう強まり、冗談とも戯言ともとれる言い合いをしながら身構えて相手方を観察していた。

 彼らが警戒しているのは、当然ながら魔女のほう。肩書は偽りだが、偽物ではない力を手にしているのは事実ゆえ。

 見せびらかすようにしている魔女の右手首にはめられた腕輪を見て、溜め息を吐いたのはミゼラティ。

「やはり本物か……、……面倒なことになったな」

 囁きに近い独り言ではあったが、その声は周りに立つ三人にしっかりと拾い上げられる。

「申し訳ございません、我が君。私の管理が不行きであった為に、斯様な失態を――」

「君のせいじゃない。『奇跡』の出現を人などがそうそう予想出来るものか。……だから軽く自害しようとするのは止すんだ」

 謝罪を述べながら自らの首に手を掛けようとした青年を軽く制しておいて、ミゼラティは『鴉』に視線を向ける。

「君も、迂闊に飛びかかろうとするんじゃない。ああ見えて、災禍の力はとんでもないぞ」

「……お見通しかよ。よく見えてるな、チビ」

 さりげなく影に沈んで魔女に接近しようとしていた『鴉』は、ミゼラティに袖を掴まれて足を止めていた。

 急襲を阻止された『鴉』は僅かに苛立ちを抱いたが、ミゼラティの忠告を受けて素直に引き下がる。落ち着いて観察したその魔女の腕――右手に、とんでもなく凶悪な黒炎が見えた為だ。

「オマエ、先読みか千里眼でも持ってんのか?」と『鴉』が苦笑から訊ねれば、「それがあれば何度も苦労はしていない」と頭の中に疑問符が浮かぶ答えが返された。

「そうだ。念の為、君たちにはいま防御殻を重ねておくよ。無いよりはマシだろう」

 そう言ってミゼラティは聖獣の白杖を取り出し、それで軽く床を突く。

 たちまち彼らの足元に複雑な模様が次々と浮かび上がり、重なり、大輪の花のような形を咲かせ――すっと消えた。

 それは瞬きの間に行われたまじない。

 あっという間に行使された守りの魔法を見て、目を丸くしたのは闇色の鴉。ミゼラティに、訝る様な目を向ける。

「チビ、オマエ……何者だ」

「多重の苦労を生かせなかったただの子供だよ」

 頭に浮かんだ疑問符が増える。一体どんな苦労をしてきたんだと『鴉』が口を開きかけたそこへ、別の声が割って入った。


「おしゃべりするのはいいが、いつまでも膠着状態ではいられないぞ、お嬢さん。ここからどうする」

 身を屈めて小声で話しかけたのはヴァイスリヒト。長い銀色の髪がさらりと肩口を滑り落ちるのを目で追いかけてから、ミゼラティは彼に視線を戻す。談笑していたわけではないんだが、と思いながら。

「先ずは対話で――」

「無理だな」

「無理だろ」

「無意味です、我が君」

 ヴァイスリヒト、『鴉』、ヒューグウェンリルの順に否定の言葉を重ねられて、ミゼラティは苦笑いを浮かべた。そうだろうな、というように。

「じゃあ、他に良案があるなら教えてくれ」

「魔女を倒す」と真っ先に『鴉』が言った。ミゼラティは首を振る。

「契約譲渡されたものだと、強制解除したところで報復攻撃が来る。しかも上級妖魔クラスだから、下手をすれば即死だ」

 何だよ。それって不公平だろ、と子供らしい顔で不平を零した『鴉』にミゼラティは苦笑だけを返す。

 契約譲渡もそうだが、そもそも上級妖魔には平等もへったくれもないのだ。そう割り切るしかない存在であるが故に。


「具申致します。自ら契約を破棄させるというのは如何でしょうか」

 次に答えたのはヒューグウェンリル。ミゼラティが答えようとした矢先、話を継いだのはヴァイスリヒトだった。

「無駄だな。あれは力に魅了され、すっかり溺れた者の目をしている。説き伏せることなど不可能だ」

 きっぱりと却下した騎士の言葉を受けて、ヒューグウェンリルは口元を歪ませる。だが吐いて出た言葉は敵意ではなく。

「……貴方に同意するのは非常に遺憾ではありますが、その通りでしょうね。……申し訳ありません、我が君。犠牲なく済ませたいと願う貴方様の御心に添う答えをどうにも見いだせぬ愚者を、お許しください」

 そう言って深々と頭を下げた下僕感の強い錬金術師に、ギョッとしたミゼラティがその行動を止めようと手を伸ばした時だった。


「アタシの愛しい人に何をさせているのお前はあぁあぁああぁあぁっっ――!」

 広い空間に響いたのは、割れ鐘を思わせる凄まじい絶叫。

 魔女ファランユの白い指先が、ミゼラティに突き付けられる。

 射抜くような憎悪を目にしたミゼラティは何が起こるかを瞬時に理解し、杖で強く床を叩いた。


 走る閃光。

 ヴァイスリヒトたちは自分たちの視界が一瞬消え、次に広間の入り口付近に移動したことを知る。


 そして――先程までいた場所で、ミゼラティが業火に包まれているのを見ることになるのだった。


 ひ、と。

 たった一言だけが零れたそれはまるで小さな悲鳴のようでいて。



氷炎の諍い輝石を得ず

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