1-35 罪満たされし蜜と罰5
子供たちをつめた檻が、まるでオブジェのように置かれた部屋の中。
それらの檻を開け――正しくは魔術にて解き――中にいた子供たちを解放したミゼラティは、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
原因は、三つ。
先ずは一つ目。それは宴用の供物――もとい、子供たち(内一人は瀕死の様子)と、傀儡魔術にて未だ放心状態となっている中年の男を合わせた総勢十名を、安全かつ偽魔女の魔手が及ばない場所へと退避させること。
一応、移送先は決めている。黄金色の髪をした修道女フィリアがいた、あの町外れの修道院。二種の強い加護があり、また孤児院も兼ねている(裏手に出るドアの向こうに在るらしい)ので、最適ではないかと考えた為だ。
無許可ではあるが、よもや追い返したりはすまい。
ああ神よ、憐れな子羊たち(と親羊)を救い給え……とでも祈っておけば大丈夫だろう。多分。
さておき、続いては二つ目。それは彼らの移送方法。
ミゼラティは子供らしからぬ気難しい顔で、あれやこれやと考える。
(恐らくは別棟側にも子供たちがいるだろうから、そちらもまとめて移動させたいんだが……さて、どうするかな)
生贄の子羊。けれども、そう多くもないだろう。
少人数の方が「鮮度」を保ちやすいと、かつて聞いたことがある。教えてくれたのは人ではなかったけれど。
(……さなぎの子やレインはまだ耐性があったから運べたけども……そうだ、レインたちもマズい状態だから早く帰って治してやらないと)
ミゼラティが扱う移動魔術の一つである『幻線管路』の対象は、基本的に「個」である。
勿論、多数用としても行使は可能で、ヒューグウェンリルがしたように微細な式の重複化などをすれば、使用した痕跡も対象者への負担も無い。
けれども、子供たちは誰も彼もが等しく衰弱して酷く怯えていたし、それ以上に面倒な問題があった。
いや、問題を起こされていたというほうが正しいのか。
あろうことか、頼みの綱である「お守り」――神の加護が、剥がされていた。
七歳未満の子供に対する「七つ神の加護」は、魔女の宴においては邪魔だったのだろう。子供たちからは柔らかな守りの光が消えており、彼らの四肢には呪詛が描き込まれている始末。
逃走防止か、いたずらに嬲る為の刻印か。
どちらにせよ、酷いものでしかないだろうことは子供らしさを失った彼らの表情から見てとれる。
だが、この加護は本来、そう簡単に剥がせるものではない。軽い「お守り」とはいえ、神の確かな守護ゆえに。
(……上級妖魔の力を使ったか。理由も同意も無くそんなことをすれば、守護元の怒りに触れるというのに、よくもまあ……。しかし、冷静に考えるとこれは怖ろしいな)
異界、それも上位存在ならば「神」の理も容易く覆せるという事実。
余計なことに気づいてしまった己を殴りたくなったが、今は救助者の問題を解決しようと思い直す。現実逃避として。
ミゼラティは、部屋の中央にて身を寄せ合い、震えながらもこちらを気にしている子供たちを一瞥する。
(……一言も喋らないな。もしかして精神系の魔法でも――いや、「正常」だ。魔女の仕打ちのせいか)
透視系の魔術を使用するまでもなかった。強い恐怖にさらされたことによるその瞳は、正気を失う一歩手前。
解放したミゼラティに対してもそれは変わらず、警戒するように動向を窺っている。
(すっかり人間不信になっているな。野良猫みたいだ。……分からなくもないが、それでも加害者と同列扱いされるのはなあ)
ミゼラティは子供たちの態度に嘆くも、溜め息を吐くだけに留める。
優しい言葉を掛けたとて届くまい。
彼らにとっての真の救いとは、『災禍の魔女』(偽者だが)を打ち倒すこと、その一点のみなのだから。
よもや「本物」が目の前にいるなど知る筈も無く。
面倒なことをしてくれたものだ、とミゼラティは眉間に出来ているだろう苦悩の皺を軽く揉む。いまや子供たちは心身共に硝子細工と化し、慎重に扱わねば砕けてしまう子羊となっている。
(私の基本魔術だと、今の彼らには強すぎるな。そうなると、別種の魔法になるが……しかし――)
ここで眉間から手を離し、胸の前で両腕を組んで考え込む。
(こうまで魔力耐性が無いと、人力のほうが手っ取り早いか。丁度、男手もあることだし)
騎士と錬金術師と暗殺者。七才未満の子供たち九人と、壮年男性が一人を押し車のようなもので運べばどうにかなるのではないだろうか。原始的な手段ではあるが、耐性の心配は一先ず解消する。
(不可能ではない……かな、うん。けど、そうなるとやっぱり「魔女」をどうにかしないと駄目だ)
悪逆の限りを尽くしている例の女――『災禍の魔女』を騙るファランユへの対抗策は持ち合わせていたが、今は使えない死に札となっている。
(大罪魔法で「災禍」の名を強奪したところで、すぐさま長兄殿の手にかかるだろうしなあ…………私が)
ここで出現する、三つ目の問題。
それは――運命が天敵であるヴァイスリヒトのこと。
例の『災禍の魔女』(偽)の所業を知ってからというもの、表立っては落ち着いた態度でいる彼の騎士殿だが、魔女ファラーシャことファランユの非人道的行為に静かな怒りを抱いていることを、ミゼラティはしっかりと気づいていた。
激しい業火ではなく、静かに燃える青い炎。それが薄氷の向こうより透けて見えている。
これは自身こそが真たる『災禍の魔女』であるが故に察知できる、四騎士への防御反応。生と死を繰り返した経験からの生き抜くために発現した能力ともいえる。
三十六回全ての死を運んできた、冷徹無慈悲な麗人。
鮮明に焼き付いている己の末期が脳裏を過ぎり、ミゼラティは思わず寒さから身を守るようにして無意識に両肩を擦る。
(あの騎士殿が「魔女」に強い敵意を抱くのは想定済みだったよ。ああ、予想はしていたけど……けども、魔女違いとはいえ傍目からでも充分に怖いのは何なんだろうな!)
現時点では正体は露呈していないのでヴァイスリヒトの敵意は偽魔女へ向けられているわけだが、ここで重要なのはヴァイスリヒトが「四騎士として『災禍の魔女』に明確な敵意を持った」ということ。
真たる四騎士となる試練の前か後かは知らないが、もし後者だとすれば側にいるだけで正体を見破られる可能性が高い。
いや、もしかするとすっかり看破されていて、泳がされているのかもしれない。
そして、偽者と本物の『災禍の魔女』が揃ったところで、まとめて始末するのだ――というのは考え過ぎだろうか?
(…………あの人はどうにも行動が読みにくいからなあ)
義妹であった頃も、『災禍の魔女』として敵対した時も、意図が読み切れなかった唯一の人物。
うっかりボロが出る前に、一人でこっそり片をつけたい。
しかしながら、この身はまだまだ幼女さながら未熟である。経験も知識もあるが、肝心の練度までは引き継げていない為に少々の粗が目立つ若輩者なのだ。
故に「好き嫌い」をしている場合ではない。
個人行動に限界を見たミゼラティは震えを止めて、素直に他者の力を借りることにした。
(――よし。一先ず、彼らと合流しよう。子供たちは……申し訳ないが、少し待機していてもらおうか。部屋のほうに隠蔽魔法を掛ける分には、そう影響もないだろう)
心の中で悩み、考え、ようやく答えを纏めた時だった。
「ねえ。いつまで石像の真似事をしているんだい」
すぐ側、真横から声が聞こえて――気配は全くなかった――ミゼラティはビクッと肩を跳ねさせ、そちらを振り向く。すれば間近に例の赤髪の子供がいて、ミゼラティの顔を覗き込んでいた。
両手を腰に当て、不機嫌そうに言う。
「僕を放置したままで、まさか微睡んでいたんじゃないだろうね」
「さ、流石にそんな面白いことはしていない」
少年が「本当に?」というように首を傾げるので、その赤い髪が揺れる。炎のように、ゆらゆらと。
火はミゼラティが忌避するものだが、この子供の持つ色は美しいなとぼんやり思いながら少年に説明する。
「色々な問題が出てきたから、それで悩んでいたんだ。けれども、もう解決――」
「じゃあ、僕が話を聞くよ」
正体知れぬ不思議な子供は、ミゼラティの言葉を遮ってにっこり笑う。
「君を悩ませているものは何なのか、僕に明かしてみなよ。片付けてあげる」
己の胸に片手を当てると、もう一方の手をミゼラティに差し出したそれは、まるで踊りにでも誘うような。
道化師めいた微笑。
ミゼラティは逡巡する素振りを見せたものの、一拍を置いてから少年の望むとおりの行動をとる。
つまりは、悩みの種である内容を素直に明かしたのだった。
「別行動をとっている同行者がいるんだが、一旦そちらと合流するべきか、それとも先にここの子供たちを移動させておくべきかで悩んでいたんだ」
「そんなことで?」
下らないなあ、という声音で少年が言い返し、肩を竦める。
「用があるのは魔女だろ。答えなんか一つきりじゃないか」
「……その魔女と対峙しようにも、先に捕虜の人々を安全圏に置いておかないと、肉の盾、もしくは人質として扱われるだろう。……厄介な魔術でも使われたら、いっそう面倒になるし」
「そうかなあ…………捕虜と君とは、どういう関係?」
「え? いや、どうって……関係も何もないけど――」
「じゃあ、放っておきなよ。無関係の人間がどうなろうと、君の罪にはならないよ。君が直接手を下すわけじゃあないんだし」
ね?と小首を傾げて、赤い髪の少年が笑う。実に無邪気に、美しく。
そこに慈悲や情けはない。
切り捨て御免、と海向こうの島国では言うのだったかと、どうでもいいことを思いつつ、ミゼラティは緩く首を振る。
「いやいや、良くないから。ちっとも良くない。……酷な目に遭った子供とその親を、このまま見捨ててはおけないだろう、人道的に考えて」
「人道的、ときたか」
少年が鼻先で笑う。
「そうやって、何もかもを掬おうとするから雁字搦めになるんだよ。愚かだね、君は」
心の底から呆れたという声をミゼラティにぶつけ、赤髪の少年は興味を失ったように離れた。けれどその顔に美しい微笑を浮かべて、すぐさま言葉を繋ぐ。
「でも、その愚かしさは嫌いじゃない。……いいよ、手伝ってあげる」
「え?」
妙に機嫌良く微笑んだ少年が、踊るようにくるりとその場で回るのをミゼラティは見た。
「お嬢さん?」
「我が君!?」
「……え?」
「チビ、オマエどっから出てきた!?」
「…………ええ?」
視界の暗転は、瞬きの内に消え。
気づけばミゼラティは知らない部屋にいて、ヴァイスリヒトとヒューグウェンリル、そして『鴉』の酷く驚いた顔にて迎えられる。
「え、あれ、ここは……――っ!?」
混乱のままに周囲を見回したミゼラティは、そのまま背後を振り返ったことで酷く驚く羽目になる。
それはミゼラティだけでなく、合流したヴァイスリヒトやヒューグウェンリル、そして『鴉』も同じ反応になった。
――視線の向こうにあったのは、穢れた王座。そこに、男と女がいた。
豪奢な王座に座っている男の膝上には、女が一人。
一見すると二十代に見える若い女だがその瞳は淫靡な光を宿しており、毒花のような淫らさを漂わせている様は正に魔女を名乗るに相応しくもあった。
上等な絹のドレスを身につけてはいるが、かなり薄手なので布地の向こうから肌が透けて見えている。その両肩は剥き出しにしており、首から下げた装飾品を見せびらかすようにしていた。
節操なく重ね着けている為に、ごてごてとした宝石が胸元で揺れている様はまるで出来損ないの果樹。
魔女はそのオモチャにしか見えない高価な石をほっそりした指先で摘み、愛しげに撫でていた。
そんな女の細い腰に腕を回しているのは、耳元にかかる長さの埃を思わせるくすんだ灰色をしたごわついた髪の男。
狡猾まではいかないものの、小賢しそうな瞳は髪の毛と同質の埃のようにくすんだ青灰色。両手指には、魔女がつけているものと同じく飴玉めいた大きさの宝石がついた指輪をはめている。
その太く短い首には、不必要にピカピカ光る金のネックレスが細いものから太いものまで何本か。筋肉ではなく脂肪だろう体を包む上質な絹の服は、いつボタンが弾け飛んでもおかしくない程度に伸びきっていた。
上等な毛皮で出来たマントを羽織り、王座にだらしなくふんぞり返った顔は醜悪で、成程これが暗愚王かと納得するものがある。
ミゼラティたちを見て口を開いたのは男の方で、醜い微笑を浮かべながら淀んだ声で高らかに言った。
「よくぞ来た、我が為の麗しき供物たちよ。さあ、こちらへ来い。存分に愛でてやろう――」
◇ ◇ ◇
魔女は、王を名乗る男が語る言葉の羅列をつまらなそうに聞き流していた。
事実、男の話は退屈だった。
魅了を掛けた女を散々に痛めつけ、一晩中凌辱してからどこかへ廃棄したことを語られた。
行為の詳細は聞き苦しかったので、魔女は自分の首飾りについた宝石だけを眺めて聞き流すことにした。見知らぬ女が投棄されたのは、荒野か薄汚れた路地裏か。
ともかく、今頃はきれいさっぱりしていることは分かる。どちらでも悲鳴は聞こえないだろうし、肉もすっかり無くなっているだろうから。綺麗に片付くのはいいことね、とだけおざなりに答えておいた。
恋人らしい男女の二人組を、それぞれ下級妖魔の檻に放り込んで見物したことも聞かされた。
下級妖魔は美しいものを好む。男女関係なく。朝から始めたその鑑賞作品は、夜の帳が落ちる頃にはすっかり静かになっていたと言って、男は下劣な笑い声を上げた。
男女がどうなったかについては興味も無いので、魔女は自分の耳飾りの滑らかな感触だけを楽しみ、男の話はそのまま右から左へ聞き流した。
これなら子供を弄って遊んでいた方がマシだったわ――魔女はそんなことを考えながら、首から下げている宝石をいじくる。
(キレイな石。これよ、求めていたのは。あの子に感謝しなくてはね)
猫目石を思わせる造形をしたその宝石は、紛れもない人間の目。子供から抉り出し、神の装飾具にて加工した一級品だ。
昔の自分では到底届かなかったもの。人体錬成術。神秘の秘法。
けれども、加工したものはまだこれだけ。これまでに何人もの子供――純粋無垢な年頃であれば一番いい――を見てきたが、自分の目に適う美しい「石」はなかなか手に入らなかった。
そう考えると、あの瞳を見つけられたことは幸運だったろう。
なにせ、こんなにも美しい石になったのだから。今は檻の部屋に転がしてある、空っぽになった子供。
錬金術。幾つもの書を読み、幾多もの実験を手伝ってきたというのに、彼女には全く身につかなかった。適性が無かったのか、才能が無かったのか――それとも、両方か。
(――いいえ。教え方が下手だったのよ。あいつらも、あの人も)
実験塔にいた同僚たちの不揃いな顔を思い浮かべて顔を顰め、それから最後にとびきり美しかった同僚を思い浮かべて――妖艶に微笑む。
(あの人も、もう少し丁寧に教えてくれていれば。四六時中つきっきりで、じっくり教えてくれていれば、きっと会得出来ていたのに)
薄暗い実験ばかりの箱庭。灰色の世界の中、それでも憎らしい程に飛び抜けた美しさを持ち、誰よりも優れていた至高の錬金術師。
ある日を境に同僚たちの輪の中から抜けてしまったので、彼女は別れの挨拶をしそびれたことを今でも悔やんでいる。
もしかしたら、引き止めてくれたのかもしれない。
もしかすると、共に行くと言ってくれたのかもしれない。
そんなことを考えて。そればかりを考えて。
時々はその顔を、眼差しを思い出しては淫靡な妄想を愉しんでいたが、まさか、まさか――。
「――逢いに来て下さるとは思いませんでしたわ、ヒューグウェンリル様」
魔女ファランユは妖艶に微笑み、灰青髪の青年は端整な顔に凄惨なものを浮かべる。
それは好意的なものでは決してなく。
魔女へ捧げる豆鉄砲




