1-34 罪満たされし蜜と罰4
冷たい檻の向こう側で、子供が微笑んでいる。
この歪な城の中において唯一の異物と言ってもいいだろうそれは、他の檻にいる子供たちとは違って怯えた様子が全くない。
淡い薔薇色の瞳で真っ直ぐにミゼラティを見つめ、微笑む姿は一見すると大人しい子供。
いいや、死と恐怖の中においてこれは落ち着きすぎている。
そのせいもあってかミゼラティは当初、この赤髪の子供が実は静かな狂気に陥っているのではないかと考えて、警戒心を抱いていた。
けれども子供の目の焦点は合っており、また明確な理知さが窺えたものだから正気であると考え、こわばりを解く。少しだけ。
なお、ミゼラティが欺いた親切な案内役の男はというと、この部屋に入るなり表情を無くし、ふらふらと歩きはじめたと思ったら横向きに置かれた檻の前で足を止めていた。
なので「どうしたのか」と声を掛けようとしたところ、男は無言で格子を掴むとそこへ頭をぶつけながらずるずるとへたり込んで、動かなくなってしまう。
(えっ、なっ、死んだ!?)
流石にギョッとしたが、時折ゆらゆらと微かに上体を揺らすので生きてはいるようだ。
突然に表情を、言葉を失い、覚束ない足取りで動くもやがて停止した男。その様子はさながら、ぜんまい仕掛けの人形が如く――と、そんな表現が浮かんだミゼラティはここで、男に遅延式の魔術が掛けられていたのだと察知する。
しかし、誰に? 魔女に? いや、もしかすると――?
思い当たるものがあり、そちらへ意識を向けようとしたその矢先のことだった。
鉄格子に額を押しつけた男の前には、子供がひとり。
冷たい床の上に力無く横たわったこちらもまた動く様子がないものの、肩の辺りが微かに――しっかり目を凝らさないと分からない程度には――上下しているので、死んではいない様子。
その頭部、目の辺りには、包帯……と呼ぶにはどうにも粗末なボロ布の端切れを巻いており、黒ずんだ赤い色が染みている。
既に卓上に供された後なのだろう。切りっぱなしの布で出来た粗雑な服から覗く細い手足には、遠目からでも分かる酷い嗜虐行為と強い呪法の跡があった。
包帯下の瞳は、きっと何も映さなくなっているだろう。前菜として捧げられたが故に。
(供物の材料として使われたのか。……外道錬金術師のやりそうなことだな)
ミゼラティが顔を顰めて見知らぬ子供に憐憫の情を抱いていれば、檻の前に膝をついている男の横顔を、何かが伝っているのが見えた。
頬を伝い流れているそれは涙。虚ろな表情のまま包帯巻きの子供をじっと見つめ、滂沱の涙を地面に落としている。
(あの子はもしや……家族、か? ……そうか。だから――)
だからこの城で働いていたのか。
乱暴な言動はやはり偽りだった。
攫われた子供を救い出す為に、色々なものを押し殺してここに来た優しい父親。
もしかすると、密かに機会を窺っていたのかもしれない。
そして再会は果たされた。――だが、望んだ結末では決してない。
ミゼラティはますます顔を顰めてその親子を見つめていたが、すぐ近くでわざとらしい溜め息の音がしたのでハッとする。
そうだ、今は……。
己の正面に視線を戻せば、微笑する赤い髪の子供と再び目が合う。
「僕の前で余所見かい? 浮気性なんだな、君は」
前半は微かな咎めで、後半はからかいを交えて。
まるで秘密でも囁くような声で。
くすくすと笑いながら、子供にしては妖しい色を含ませて。
そんな子供の態度に、ミゼラティはついムッとしてしまう。
(浮気も何も、案内してくれた人間を気にしただけだ! …………いやいや、そうじゃない。焦点はそこじゃない。――この子は何者だ?)
檻越しにミゼラティを掴む子供の手はひんやりと冷たく滑らかで、どこか爬虫類を思わせる。
身につけているのは、上等な生地で作られた袖口までをぴったりと覆った黒い服。ただし純粋な黒ではなく、暗い青色が混ぜ込まれているそれはちょうど夜の海のような色合いでいて、長く眺めていると引き摺り込まれそうな気がした。
その為、さり気なく目を逸らしたところでクスッと笑う声。
思わず視線を戻してしまったミゼラティは、口元に蟲惑的な笑みを浮かべた子供を見ることになる。
「ここは陸だ。溺れたりなんかしないよ」
心の中を覗いたわけでもないだろうが、子供の言葉にミゼラティはギクッと身を強張らせる。
気圧される――いや、惹きつけられる?
とかく妙な感覚に、ミゼラティは身を引くようにして――掴まれた手がどうにも解けないことに眉を顰めつつ――心持ち距離をとりながら、子供に問い掛けた。
「君、は……――貴方は何者ですか。どうして、そのような場所に」
恐らくは同い年の、容姿が人形のように整いすぎている美しい――少年、だろうと思う――子供。
知らず口調が丁寧になったのは、溜め息が零れる程に鮮やかな赤の為。ミゼラティを包んだ火のような。
「僕が聞きたい言葉は、それじゃない」
ミゼラティの問いかけには答えず、自らの不満だけを囁いて少年が笑い、更に顔を近づける。
「探し物があるんだろ? 手伝ってあげるから、これを開けてよ」
ね?と小首を傾げる拍子に、後ろで太い三つ編みにしている少年の赤い髪が、その身を包む黒い服の端から覗く。
その赤と黒の対比は美しく、ミゼラティは視線を外したいのにいつの間にか戻してしまうというのを何度も繰り返している。
少年が更に深い笑みを浮かべて「ほら、早く」と囁く。
笑う音の底には、微かな圧力があった。不思議なことに不快感はなく、それどころか「仕方ないなあ」と観念してしまうような親しみを覚えたので逆に困惑する。
(な、何だ? 妙に感情が不安定に……洗脳、魅了……いや、精神汚染や侵食の類じゃない、が……)
少年を見つめたままでミゼラティは己の中に生じた感情を解読しようとしたものの、どうにも混乱は酷くなるばかり。
それを見ていた少年はミゼラティの戸惑った表情に目を細め、きゅうっと口端を持ち上げた。
「見っともなく狼狽える君も、悪くはないな。けれど、今はこれをどうにかするのが賢明だと思うよ」
「なに、――イッ!?」
くすくすと笑いながら、赤髪の少年がミゼラティの手の甲に爪を立てた。
猫がサッと引っ掻いたような、柔らかではない鋭い痛み。
ミゼラティが我に返り、キッと少年を睨む――も、一瞬。気持ちを静めるように、ふーっと溜め息を吐くと疲れた顔をして答えた。
「……分かりました。では、檻を分解するので手を離して下さいませんか」
「そう? じゃあ、よろしく」
にっこり笑って少年が手を離す。あっさりと。
冷たい枷から解放されたミゼラティは、感覚を確かめるかのように両手を擦り合わせた後、ついと指先を滑らせて檻の前で十字を切った。
檻は解けた。結んだリボンを解くが如く、柔らかに。
硬質な鋼は滑らかな曲線を描いて解け、少年の足元に鉄錆色の水溜まりを作る。
少年はそれを軽やかに飛び越えると、両手を上げて大きく伸びをした。
「あーあ。窮屈だった」
くるりと身体を回してミゼラティに向き直ると、またにっこりと笑いかける。
「今のは『幻線管路』か。良いね、とても美しい線だ」
「……お褒めに預かり恐縮です。ところで――」
「その口調は僕には必要ないな」
ミゼラティの言いかけた言葉を遮り、少年が少し首を傾げて笑う――が、示しているのは不快感。
そこには先程に感じた親しみはない。
ミゼラティが内心で葛藤し、押し黙ること三秒。
疲労の吐息を零すと、観念したのか頷いた。
「分かった。では、こちらの好きにさせてもらおう。……ところで、君は何をどう手伝ってくれるんだ?」
幼女らしからぬいつも通りの口調で問い返せば、赤髪の少年が満足そうに目を細める。
ミゼラティにズイと顔を近づけて――近すぎる距離にて、囁いた。
「――如何様にも。もしくは、イカサマにて」
謎かけめいた言葉を口にして笑うその姿は、どうにも得体が知れなくて。
「成、程。それは……頼もしいな」
ミゼラティは背筋を走るゾッとしたものに息を飲むも、不思議なことにその顔には少年と同じ微笑が浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
「とりあえずはこれで全員か?」
城の別棟にて。
別行動中の三人は、内部のあちこちで保管――という名の監禁を――されていた、攫われた子供たちを見つけていた。
どうしたことか、怖ろしい程に静まり返ったこちらの別棟内には何の罠もなく――見張りすらおらず――その為に、彼らは素早く各所を回り、小分けされた小部屋にいた子供たちを探し出せたのだった。
怯えて震える子供を『鴉』が宥めて落ち着かせ、隠蔽魔法を何重にも重ねた部屋に問題なく集めることが出来たのは最早、幸運以外の何物でもない。
子供の数は、十八人。一つの部屋につき三人が、それぞれ六つの部屋に分かれて閉じ込められていた。元は何人いたのかは……敢えて、考えないことにした。
全員が国内の人間であり、貧困階級の子供と、それから修道院の子供――『鴉』の家族もいたものだから、『鴉』は真っ先に駆け寄ったのだった。
「にーちゃ!」「兄貴!」「おにいちゃん!」
様々な呼び方で呼ばれ、次々と子供たちに抱き着かれる『鴉』は暗い瞳の暗殺者ではなく少年の顔をしてそれらを両手で抱き留める。
「良かった! オマエら、みんな無事で、生きてて、良かった……っ!」
泣きそうな声でそれぞれに応えて膝をついて話しかけていた『鴉』だったが、ふと一人が暗い顔をして俯いているのに気づいて声を掛けた。
「チビすけ、どうした?」
頭を撫でてやれば、俯いていた子供が顔を上げる。その顔には何度か殴られた跡があり、赤く腫れていた為にそれは『鴉』をいきり立たせた。
「チビすけっ、オマエそれ――っ……!」
「……っ、ごめっ、なっ、さぃ」
「……、ああ、すまねえ。怒ってるわけじゃない。オマエは連れ去られただけなんだから、謝ることなんてないだろ?」
尖った気をどうにか静めて話しかける『鴉』に、子供は首を振って堰を切ったように話しだした。
「ぜんぶっじゃなっいのお!」
「……何だって?」
「おっ、おしろのっ、ほうっに、つっれてっ、かれた……っ、いっ、いもーとちゃん、いもっ、おと、ちゃっ……!」
「妹、って――アイツの妹か!? いたのか、ここに? ――生きてるのか!?」
それは修道院でずっと帰りを待っている、あの小さな兄の、小さな妹。
ミゼラティに「気をつけて」と声を掛けた少年の探し物。――『鴉』もずっと探していた、大切な家族の一人。
ぐっと喉を詰まらせる『鴉』に、子供が泣きながら語る。
「いっ、もうとちゃ、ぼっぼくたち、の、なかっで、いっいちばっ、きれっ、だってっ、つっれてっ、かれってっ……! ずっと、かっ、かえって、こなくっ、てえっ」
「顔の怪我は、その時のか?」
断片からすぐに状況を理解した『鴉』がどうにか冷静さを努めて問い掛ければ、子供は震えながら頷き、しゃくり上げる。
「ぼくっ、がっがんばて、いもっおとちゃ、がっばっ、て、たっ、たたかっ、たたかった、けどっ、ぜんぜっ、まもれっ、くて……っ……あああああごめっ、ごめんなさ、ぼくっ、いもーとちゃ、まっ、まもれっなくて……!」
「――違う! オマエは悪くない! 悪くないから、謝らなくていい!」
己の無力さと罪悪感に苛まれて子供が泣きだすのを、年長者である『鴉』が深く抱きしめて慰める。強く唇を噛み締めて。その目に憎悪を宿らせて。
その様子を、二人の青年たちは無言で見つめていたが、やがて騎士であるヴァイスリヒトが近づくとその子供の側で片膝をついた。
「彼の言う通りだ。少年、君に罪はない」
静かな声は号泣する子供の涙を一時止めて、その視線を引き付ける。
「でもっ、ぼっ、ぼくは、いもっうとっ、ちゃ、まっ、まもれなっ」
「君は手を伸ばそうとした。……その届かなかった距離は、私が埋めよう。妹ちゃんなる少女は私が救い出そう」
「でもっ、ぼっぼく、ぼくだけっ、いっ生きのこ、って」
「……死が訪れたかもしれない中で、君は怯むことなく弱き者の為に戦った。……君の頑張りは罪ではないし、苦難を乗り越えたその生は大切なものだ」
そう言って微笑み、ヴァイスリヒトは小さな子供の頬にそっと触れる。
「小さな戦士に、勇敢なる獅子の祝福を。どうか自らの死を望まないでほしい。それはきっと、君が護ろうとした少女の望みではないだろうからな」
「うっ……うー……っ」
柔らかな声の慰めに、少年はぼろぼろと涙を零して声なく泣いていたが、やがて涙を自らの手の甲で拭うと、ヴァイスリヒトを真っ直ぐに見返し告げたは礼。
「あっありっ、ありっがと、き、きしっさま……!」
「ああ。君は強い子だな。……残りの子供たちは、君たちの兄と私たちとで救い出す。……だが、もしかしたら悲しい結果になるかもしれないことは、覚悟していてほしい」
「うんっ…………はい!」
こくりと頷いた子供の顔はすっかり癒されており、殴打の後はなくなっている。
それはヴァイスリヒトの癒しの魔法。小獅子ながらも気概を見せた子供に、勇猛な獅子の欠片を混ぜて。
果たしてその治癒魔法は子供の怯えをすっかり取り払い、年長者であり修道院における兄である『鴉』に顔を向けると強い声で宣誓した。
「あのっ、ぼくと他の子で、下の子たち、まもるから! だから、いもうとちゃんを、おねがいします!」
「……っ……ああ。――ああ、そうだな! よし、じゃあ、あっちで泣いてるチビどもを元気づけるのを手伝ってくれ」
ぐしゃりと顔を歪めて笑う『鴉』は、気丈さを取り戻した子供の頭を撫でるとまだ怯えている他の子供の方へと連れて行く。
子供と『鴉』の少年とが離れた後、その場にぽつんと残ったのはヒューグウェンリルとヴァイスリヒト。
部屋の隅で輪になって話し合う「子供たち」の一団を、無機質な眼差しで眺めるヒューグウェンリルはこの部屋に来てからというもの、一言も言葉を発していない。
その様子を訝しんだヴァイスリヒトが彼に対して話しかけようとした矢先、ヒューグウェンリルが両腕を組んで口を開いた。
「騎士の加護の一種ですか。無垢なる怖れを蛮勇にて上書きするとは、いやはやお見事。勇敢なる獅子王、とはよく言ったもの。流石は四騎士が筆頭騎士殿、かような洗脳はお手の物ですね」
ヴァイスリヒトの渾名の一つを口にして、微笑を浮かべるヒューグウェンリルは、しかし視線を合わせていない。声には確かな嘲笑が混じっており、それを感じたヴァイスリヒトもまた視線を合わせずに答える。
「洗脳ではない。あれは少年の身裡にある勇気が為したこと。それを歪曲してまで貶めるとは……お前のような歪なものが、なぜ彼女の側に居るのか理解できない」
「そうですか。こちらも、貴方の理解など一切求めておりませんので、どうぞご自由にお悩み下さい」
「……お前は、自身が彼女に悪い影響を与えかねない存在であることを自覚しているのか」
そこで一段階、声を低くして向けるは敵意。
「――外道錬金術師『災禍の凶鳥』」
ヴァイスリヒトもまたヒューグウェンリルの渾名を口にし、冷笑を向ける。優しい騎士ではなく、死の四騎士としての。
ヒューグウェンリルがそこで視線を向けて、冷たく哂い返す。
「その曇った視界に何かを言う気はさらさらありませんが、自らの愚かな価値観で彼の方を束縛するならば、こちらもそれなりの対応を取らざるを得ませんね」
嘲笑を浮かべたままのヒューグウェンリルがふらりと振った片手には、黒い杖。艶のない黒曜石は美しくも禍々しい光を湛えていて、王冠が如く杖の先端に飾られている。
「……子供たちを巻き込むか、凶鳥」
「さて。それは貴方次第なのでは? ――あの方に苦痛を与えるのは貴様だ、四騎士」
ピリッと空気が震え、それぞれに睨み合う。脳裏に一人の幼女を思い浮かべながら。
ヴァイスリヒトが腰に下げた剣の柄に手を添え、ヒューグウェンリルが杖持つ手を持ち上げたところで、その張り詰めた糸めいた緊迫感は破られる。
「……オマエらなあ。この状況で何を見つめ合ってるんだ、こっちはガキ共をまとめて宥めてんだぞ。そっちは手が空いてるんだから、移動なり脱出なりの方法を考えといてくれねえかな」
第三者たる『鴉』の目にはいつものじゃれ合いとしてしか映らず、青年二人に対して心の底から呆れ果てた視線と声での注意を飛ばしたのだった。
永続必罰、溢るる杯




