1-32 罪満たされし蜜と罰2
「……足元がすごく心許ない」
大娼館の客室、銀で縁取られた豪奢な姿見前。
ミゼラティは誰ともなしに呟くと、その場でくるりと回ってみせた。
その身を包むのはこれまでの黒外套……ではなく、柔らかい亜麻布仕様のドレス。
ただし、舞踏会などに着る正装とは違う。細い肩紐で吊るされた黒いスリップドレスで、膝下までの長さしかない。
生地の質は高いが胸元と裾が真紅のレースで飾られており、繊細な部分を強調しているようにしか見えないその造りは健全からはほど遠い。
まさに娼館仕様の特別製。
――大切な商品の為の包装紙。
そんな衣装に身を包んだ当の幼女といえば、娼館仕様を気にした様子もなく右にくるり、左にくるりと軽やかに身を捻っては鏡の前で難しい顔をしている。
(もう少し伸びる布地が良かったんだけど……本職に却下されたからなあ……)
ミゼラティは不満げに独りごちる。自分が提案した服装は、館主であり娼館一の高級娼婦でもあるヴェルジェに悉く却下されてしまったのだ。
「安っぽく見えては彼らの興を削いでしまいます。ドレスにして、血の滴る生肉のように肌を見せておかないと」
表現はさておき、初めは館主として、また大人の女性として、彼女はミゼラティに説明していたのだが途中で雲行きが怪しくなる。
「男物の衣装で良い? なりません。貴方はその美しさを最大限に利用するべきです、でないと勿体なさ過ぎます! むしろ、何故このような外套で全身を隠していらっしゃるのですか! 大いなる損害です! 盛大なる大罪です!」
何が原因で火が点いたのか。ヴェルジェは次第に熱を帯びた口調で力説し始め、ついには側に居たヒューグウェンリルまでもが参戦して同量の熱弁を揮い始めてしまったものだから堪らない。
収拾がつかなくなりかけたのを全力で制止したのが、着替えるまでに起こったこと。
非常に疲れたのは言うまでもない。
(あの二人はなんでああも熱心にドレスを……、……もしや華やかなものが好きなのか? オシャレ仲間?)
首を傾げ、ミゼラティは袖口に目を落として軽く腕を動かす。
(まあ、可動具合は悪くないな。意外とゆとりがあるから、腕を振ったりしても大丈夫そうだ)
満足げに頷けば、長い黒髪がさらりと揺れ、するりと肩口を流れてドレスの黒に溶け込んだ。
「コルセットは止めて正解だな。あれは動きが鈍るし……窮屈だし……苦手だし」
独り言めいた呟きを零しつつ、まるで誰かと踊るかのようにくるりと回る。
その動作は優雅。しかし何度も動いては裾をはためかせ、遠慮なく白い素足を覗かせるものだから、とうとう一人が話しかけた。
「……お嬢さん。女性がそうみだりに肌を見せるのは宜しくない。ドレス姿を楽しむのは構わないが、少し落ち着きたまえ」
「いや、これは動きを確認しているだけで楽しんでは……、……分かった。ここまでにしておく」
直接ではなくやんわりと苦言を呈したヴァイスリヒトに、姿見の前に立っていたミゼラティが回るのを止めて振り返った。
透け感のあるスリップドレスの裾を軽く摘み、小首を傾げる。
「こういう場所では、活きのいい方が喜ばれると思ったんだが……好みではない?」
「活きのいいって、オマエな……」と『鴉』が苦悩の表情で首の後ろを擦る。
暗い影の道を散々に歩いてきた少年。それでも、際どい格好をしている幼女から視線を外しているのは、淑女に対する幾らかの配慮の為か。
ミゼラティはそんな少年の葛藤だか気遣いだかには触れず、腰に手を当てて向き直った。
「鴉の子、君の意見も聞いておこう。――ここの子供らしく見えるか?」
「……まあ、な。格好はそのくらいで充分だ」と答えてから、渋い顔で続ける。
「どっちかっていうと、その男口調のほうが問題だ。直しとけ」
そう言いのけた『鴉』に、今度はミゼラティが眉根を寄せる番になった。
「何故だ。何が問題だ」
「可愛げがない」
バッサリと『鴉』が切り捨てれば、すぐに横から援護が入る。
「我が君の美貌は至上であり、至玉。表層を変えたとて隠しきれぬもの。……で、あれば、そのままの口調でもさしたる問題はないかと私は思います」
「あー……うん。肩を持ってくれるのは嬉しいが、今は厳しく見てくれるほうがありがたいな」
従者然とした青年の援護らしき甘言に苦笑を返し、ミゼラティは手にしていた薔薇の首飾りを身につけながら会話を続ける。
「失敗すると、変装した意味と立てた作戦とが無駄になるし、最悪……いや、まあ、暗い想像は止めておこう」
そう話しながら、幼女は小さな手を開いたり閉じたりして何かを確認していたが、やがて納得したのか一つ頷いた。
(こちらは問題なし、と)
確認したのは首飾りの仕様。
これは、ただの装飾品ではない。自身の正体とその気配を更に曖昧にさせる為に、即興で作成した魔法具だ。
(そういえば……あれは何だったんだろうな)
首飾りの薔薇に触れながら、ミゼラティはその時のことを思い返す。
◇ ◇ ◇
「錬成したいものがある。済まないが、手伝ってくれ」
作戦を立てた後、ミゼラティはこれまでに過ごしてきた日々において自覚した己の未熟さを補う為、自分の装備品を一つ作ることにした。
一人だと、気づかぬ見逃しや間違いがあるかもしれない――そう考えて、同じ錬金術師としての技を持つヒューグウェンリルに協力を仰いだのが始まり。
崇拝する信者が如く大袈裟に感動する青年を余所に、邪魔にならぬようにと部屋の片隅でそれらの作業に取り掛かった。
「下地は……そうだ、あれを使おう」
飾っていた金と銀の花のことを思い出し、それを流用して先ずは材料集めの時間を短縮できたのはなかなかに僥倖だっただろう。
「御無礼をお許し下さい、我が君。僭越ながら、背後より偽装魔法にて援護致します」
「ああ、それは助かる。ありがとう」
そのようなやりとりをして、飾りを作る間はヒューグウェンリルがミゼラティの背後にいた。
錬成する際にその身から発する魔力を隠す為に、魔女からの遠隔視からその小さな体を守る為に、柔らかに抱き込む格好をとって。
隠蔽魔法を重ね掛けながらの共同作業。二人は近い距離で、囁くように言葉を交わす。
「窮屈ならば遠慮なくお申し付けください。すぐに体勢を変えますので」
「はは。大丈夫だ。気にはならないよ」
ミゼラティは、同業者の細やかな気遣いや注意力に感謝しつつ作業に没頭した。黙々と。ひたすら黙々と。
その内、何か妙な感じがしたので、ふと目を上げて――ギョッとする。
部屋の戸口前にて警戒に当たっていたヴァイスリヒトと、しっかり目が合ったのだ。
(な、なんだ? 何をそう……ああ、いや、うん。錬成作業が珍しい、から……だよな?)
自身を無理矢理に納得させて、ミゼラティは目を伏せる。
しかしその眼差し、その感覚からは逃げられなかった。
何も言わず。何も問わず。何も喋らず。
冷たい相貌で佇むヴァイスリヒトの姿は、かつての過去でよく見知ったもの。正しく自分が知っている、冷ややかな氷の騎士そのものだった。
何度運命を重ねてもなお慣れることのない、氷の呪縛。そのせいでミゼラティは不要な緊張をしてしまい、何度か錬成加減を誤り、遂に背後のヒューグウェンリルから支援を受ける羽目になる。
「我が君、差し出がましい提言お許し下さい。魔力操作の補助をさせて頂いても宜しいでしょうか」
「ん? え、いや、大丈夫、だが……どうして?」
「…………御手が震えているように見受けられますので、魔力の消耗が激しいのかと」
「…………少し気が逸れていただけだ。すまない、ありがとう」
ミゼラティは冷汗を掻いているのを自覚したが、それは気のせいだと思い込む。
ヴァイスリヒトは騎士だから、きっと珍しくて眺めているだけなのだ。
だからあれは、魔女を見る目ではない。
この手が震えているのは、少し疲れているだけ。
だからこれは、破滅が確定したことによる震えではない。
体の奥の凝ったような冷たいこわばりも、きっと気のせい。まやかし。思い込み。
(考え過ぎるな。彼のは見学で、私のは妄想だ……!)
自己暗示を掛けて何とか集中するも、結局その監視は作業を終えるまで続き、ミゼラティは精神的にすっかり疲れてしまったのだった。
◇ ◇ ◇
(あれには参ったな。……本当に参った)
溜め息を吐いて、首元の薔薇を撫でるミゼラティ。共同作業者であるヒューグウェンリルはというと、そんな騎士からの無遠慮ともとれる凝視など一顧だにせず、平然としていたので感嘆する。案外、職人気質なのかもしれない。
それでも、たまに顔を上げては何かを確認するような素振りを見せたけれど――騎士を見ていたわけではあるまい?――だがすぐにミゼラティの方に向き直り、作業の経過や細かなミスの援護に戻ってくれたので、単に首が疲れたとか何かだったのだろう。……と、思っておこう。
作業が終わった後、ミゼラティは当の監視者に話しかけようとしたが、ふいと顔を逸らされたので会話は交わせずじまい。
(相談も何もしないで、急に道具を作り始めたのがまずかったか?)
考えても答えは見つからない。
そのうちに思い悩むのが面倒になったので、ヴァイスリヒトの態度についてはそこで締結させることにした。
魔女と騎士では見方も考え方も違う。
それに、相手は幼い子供でもないのだから放っておいてもいいだろう……そういう考えに落ち着き、ミゼラティは思考を切り替える。
変装したのはいいものの、どうにかしなければならない問題が目の前に転がっているままなのだから。
可愛げが足りないから男の口調をどうにかしろ、という何とも本人にとってはどうでもいい問題(なのか?)が。
(可愛げ……可愛げかあ……、……どうなんだろう。まず私の中に残っているかどうかが怪しいわけだが)
かつての過去から引っ張り出そうにも、どれくらい前になるのか。
思い出すので一苦労。
悲観、諦観、絶望と、辿った結末ならばすぐさま取り出せるのだが、出番はなさそうだ。
(それにしても、妙なこだわりがきたな。路地裏や貧困階層辺りの子供もいる筈だから、口調なんか何だって構わないだろうに)
少し前までのヴァイスリヒトと同じように胸の前で腕を組み、思い馳せる先はずっと向こうにある記憶。
魔女となる前の子供。自分の確定した運命を知る前の少女。
兄弟全てに厭われ、浄火に包まれ灰になる前の女。
家族としての絆の輪に、愛情の中に、いつかは自分も入れてもらえるかもしれないと思いながら、願いながら、大人しく控えめに生きていた少女の頃もあるにはあった。
しかしながら破滅を重ねすぎた今では、すっかり遠いものとして過去の向こうにあるばかり。
手は届かない。指先すらも触れられず。
――触れてはもらえずに火の中に消えた女。消された魔女。災禍の灰を幾度も被った存在。
灰を被っているのに、助けてくれる魔女はいない。自分自身が魔女ゆえに。……ガラスの靴でも作ってみれば良いのだろうか。
その場合、爪先を切り落とすのは誰になるのだろう。
ミゼラティは記憶の中の該当する過去をめくり、引き出し、探る。
(確か……八度目辺りまでは、希望に縋っていた少女のままだった……ような気がしないでもない)
その頃はまだ健気にも彼らの名を呼び、呼びかけていた筈だ。
にいさま、と何度も話しかけて、振り向いてくれるのを待った。
返ってくるものは何もなかったけれど。
声も、視線も、情も、何もなく、ただ最期は静寂に還されただけ。
(……あまり思い出したくはないのだが……仕方ない)
苦いものを胸の奥に押し込めて、ミゼラティは目を閉じる。
これは扮装。偽るための。
これは演技。欺くための。
深呼吸一つ。
目を開けると、腰に当てていた手を胸元に寄せて軽く微笑んでみた。
「……これなら良いかしら、お兄様」
少女の眼差し、少女の声に無垢なる甘さを含めて、目の前の観衆に問い掛ける。
子猫のようにつぶらな瞳を瞬かせ、小鳥のように小首を傾げて。
そうして出来上がった儚くも可憐な少女像に、『鴉』の少年は横を向いて思いきり咳き込み、下僕然たるヒューグウェンリルは感極まったかのように目を潤ませ、深々と頭を垂れる。
「なんと可憐な……お見事です、我が愛しき運命……っ」
そして、天敵である四騎士、かつての義兄でもあった青年は――。
――ヴァイスリヒトは、凝然とその場に佇みミゼラティを見つめていた。
言葉は無かった。
けれども、視線は返されていた。
その瞳に浮かんだ感情はしかし、どうにも読み取れなかったけれど。
◇ ◇ ◇
暗く沈んだ赤い絨毯は、まるで血を撒いたような色をしていた。
体の前で両手を縛られたミゼラティは、そんな血の色をした赤い廊下を歩いている。――歩かされている。生贄の羊が如く。
目の先には手枷を繋ぐ鎖の一端を持った男がいて、家畜を引くようにミゼラティを連れて歩いていた。後ろにいるミゼラティには目もくれず。
いや、見ないようにしているのか。ずっと視線を下へ落としていて、ほとんど何も喋らない。
手枷の拘束具合を確かめる際に、幼女の細い腕に少し触れた瞬間にビクリと肩を震わせたくらいだろうか。変化を見せたのは。
目深に被った制帽の下で、表情が歪んでいた。無力感に打ちひしがれ、罪悪感に苛まれた顔をして。
「どこか体の具合でも?」
幼女の声音で訊ねてみたが、男は顔を酷く歪め――それはどこか泣きそうに見えた――制帽の縁を摘まんで押し下げるなり、背を向けた。
そのようにして影に表情を押し込めて隠した男は「無駄口を叩くな」と冷たく言い捨てて、足を速める。
無理をしているな、と思った。
――付け入る隙があるな、とも思った。
なので、ミゼラティはその後を必死に(見えるよう)追いかけ――。
「あっ」
きりのいいところで小さく声を上げて、つんのめる形で前によろけてみせれば男がサッと振り返った。その視線の先には、足首を抑えて蹲る幼女が一人。
「さっきから何やってるんだ! 鈍臭いガキだな……!」
そんな悪態をつきながらも、男は駆け戻ってくるなりミゼラティの前でしゃがみ込み、「疲れたのか」だの「足を挫いたのか」だのと呟きながら心配そうに接してくる。
その様子を見る限りでは、やはり性根は優しい人間であるようだった。無理矢理に悪役を演じているらしい。
(まあ、今の城で働くにはそうしないと耐えられないか)
幼女の細い足首を気遣う男に一握の同情を投げつつ、ミゼラティは彼を『作戦』に巻き込もうと考える。そのついでに、彼の気鬱も払えるならば払ってやろうとも。
首から下げた薔薇飾りに少し触れてから、ミゼラティは弱々しく懇願する。
「ごめんなさい。少しだけ、どこかで休ませて。……手が、痛くて」
そう言いながら、しおらしく手枷の嵌った両手が見えるよう男に突き出して、手首についた赤い擦過傷――男が背を向けていたのをこれ幸いと、自ら両手を擦り合わせて自傷した――を披露する。
後で過保護者たちに何か言われそうだが、今は考えない(どうせ説教だろうし)。
男は痛ましげに幼女の擦り傷跡を見つめていたが――己の役割を思い出したらしく、すぐに顔を顰めて乱暴に言い返す。
「鈍臭い上にひ弱なガキだな! ……向こうに空いている小部屋がある。……静かについて来い」
非情な態度で突き放し、さっさと立ち上がるも幼女の速度に併せてゆっくりと側を歩く男は、やはりどうにも優しさが――お人好しな甘さが――隠せておらず、悪いと思いながらもミゼラティはこっそり苦笑したのだった。
経験は愚か者のシ




